ヤンデレ化した幼馴染を救う108の方法

井口 創丁

14話 「猛る獅子と孤独な狼」

  あの一件は栄養失調で獅子道さんが倒れたのを見て僕までつられて倒れたということになったらしい。
  そしてヨウはその時にはもう姿を消していたという。
  「もう、ホントに先生に大事にならないように伝えるの大変だったんだから」
  全てをいいように処理してくれたケンタはやれやれといった面持ちでこちらを見る。
  「ああ、ありがとう」
  全てを拒絶するような真っ白な保健室のベッドに座りながら答える。
  時刻は十二時五十分で普段ならヨウと昼ご飯を食べている時間だった。
  「それで実際なにがあったの?」
  ケンタは真剣な顔をして見つめる。
  邪魔をしただけで実際のところはよく分からないが知っていることだけでも共有しようと口を開きかける。
  「それは私が答えます」
  不意に声がベッドを囲む白いレースの向こう側から聞こえる。
  「それに、聞きたいこともありますし」
  レースは開かれ、向かい側のベッドに座る獅子道さんがこちらを見ていた。
  「傷は大丈夫なの、というか病院行かなくても」
  「大丈夫。愛川くんが思っているような血みどろな事態は起こっていませんから」
  言葉を遮られた。
  血みどろな事件は起こっていないと言う獅子道さんの制服は赤黒いシミを作っている。
  「じゃあ、そのシミは一体」
  「インクですよインク。相沢さんが握りしめた赤マジックのインク。それにしてもあのパンチ力、女子のものとは思えませんでしたけど何か過去にやってたのでしょうか」
  「柔道を五年くらいやっていたような」
  「柔道に正拳突きはあったかしら、まあそんなことはどっちでもいいです」
  そう言うと獅子道さんはメガネを調整し今朝のことを話し出した。
  「まず、最初にあったのは靴箱、上履きを取ろうと手を伸ばすと黒ずんだ赤マジックの芯が飛んできました」
  僕が差し替えた罠だ。
  想定ではここで何者かからの攻撃に恐怖を覚えてもらいたかったのだが実際はどうなったのだろうか。
  「死ぬほどムカつきました。刃物などで直接敵意を表すのならまだしも、小学生のイタズラレベルの陳腐さにイラっとしました」
  えっ、それってもしかして。
  「次に私のイスにねりけしが一発で分かるように貼り付けられていて、さらに挑発かと思えるようなメッセージがイスの上に置かれていました。この時点で私の怒りは有頂天に達して、委員長という役職を忘れるほど頭は真っ白になってました」
  つまりは……。
  「そしてこんなことをする心当たりは一人しかいなかったので相沢さんに詰め寄りました。靴箱から回収したマジックの芯を机に叩きつけながらです。まあそこから先は先ほど言ったように私が一発で気絶させられてしまったのですけど」
  こんな最悪の事態が起こったのは僕が余計なことをしたからなのか。
  そう思ってしまったと同時に急激に体温は下がり、かすかな体の震えを抑えることができない。
  「ですが最初に問い詰めた時、相沢さんは叩きつけた私の手を見てからずっと悲しそうな顔をしていました。さて愛川くん顔が青いですが何がご存知で?」
  そう言って僕を見つめる獅子道さんの目は恐ろしいほど冷静に僕を見つめる。
  「まあでも、最初にカッとなってしまったのは私です。委員長ですので責任は全てとりますよ。ですのでこれを期に反省して不純行為をやめるのはどうでしょう。まあ相沢さんが帰ってくるかは分かりませんけどね」
  「帰ってくるか分からないってどういうことですか」
  冷めきった体に火が灯る。
  「私も女ですのでわかるんですよ。あの子の目、確実に誰かに裏切られて世界に絶望しているときの目をしていました。もう一生誰かを信じれないかもしれませんね。まあそれでクラスが平和になるならいいですけど」
  さっきまで罪の重さを重圧に乗せてきていた体の感覚が消えている。
  脳内は真紅に埋め尽くされる。
  体の制御が効かない。
  ただ右手が最大限まで力を込めて振り下ろされていた。
  それは僕の意思が伝達するまでにはもう動いていた。
  「おっと、それはダメだよ」
  その声が耳に入り、熱を持った体は一気に氷点下の冷たさまで戻った。
  「ケンタ」
  「女子に手をあげるなんて最低だよー」
  そういうケンタはいつもと同じ薄ら笑いを浮かべていた。
  しかし、その目は何処か同情してくれているように暖かかった。
  「でも獅子道ちゃんのさっきのはヒドイと思うなー」
  ケンタは僕の手を離して振り返りながら言う。
  その言葉はこの場の空気をさらに沈めないようにか軽い言い方をしていた。
  ケンタは昔からそうだった。場を膠着させず各々の意見を引き出す。それはもう一種の才能だった。
  「私は学級委員です。クラス全体の輪を一番に考えます」
  「でも一人減っちゃう方が問題じゃない?」
  「昨日今日の様子から分かりました。彼女はどうやってもクラスの輪に混じれない危険因子です」
  「そう言って逃げてちゃクラスの輪なんて成立しないよ」
  「そもそもあんなチンケなイタズラをする時点で高校生として終わってます」
  「獅子道さん。ごめん、あのイタズラを仕掛けたの全部僕だよ」
  「愛川くん」
  その言葉は滑るように何も止まることなく流れ出た。
  さっきまで抱えていた自身の犯した罪の意識はあったが、それ以上にヨウをバカにされたのが気にいらなかった。
  もう何も僕を止めるものはない。説得の始まりだ。
  「本当のことを話すよ」
  そう言って僕は近くに置かれていたリュックの中を漁る。
  「あった。僕がチンケな仕掛けに変えてなかったら獅子道さんはこの仕掛けを受けてたよ」
  そう言いながら黒い袋をベッドの上にひっくり返す。
  中から出てくる無数のカッターの刃と真っ黒の手紙。
  獅子道さんは少し怯えていた。ケンタも余裕をなくしてたじろいていた。
  僕は手紙を開き逆さまにして中身を叩き落とすように便箋を底から叩く。
  案の定出てくるカッターの刃。
  普通に読もうと手を突っ込むと引き裂かれていただろう。
  そして最後にひらひらと落ちてくる手紙。
  空中で自然とひとりでに開き字が見えるようにベッドの上に落ちる。
  その字は真紅のペンで書かれていた。
  『なんで私たちの恋を邪魔するの
     もう手はズタズタだろうけど私の感じた痛みはそんなもんじゃないから
     これ以上関わるならもう容赦はしない
      今回はテルに迷惑がかからないようにこのくらいにしておくけど
      次関わってきたら、その時は、
      殺す、コロス、ころす、コロス、殺す、……』
  その文字は紙が許す限り繰り返されていた。
  覚悟はできていたが僕の予想を超える狂気で綴られたその文からは書いた人の殺気がひしひしと伝わってくる。
  「イヤ!なんでこんなことができるの!悪魔!」
  獅子道さんは半狂乱で布団に包まって叫びをあげていた。
  僕は優しく話しかける。
  「なんでヨウがこんなことしたか分かります?」
  「え⁉︎知らないですよそんなこと!殺される……」
  「ヨウはただただ僕のことが好きなんですよ。ほんとそれだけです」
  「そんなの理由になりません!」
  「好きなことをしている時に邪魔されるとイラっとしますよね。あれの調整ができていないだけなんです。だから今回こんなことをしてしまったんです」
  「そんなの普通じゃないです!異常です!」
  「はい、確かにヨウはおかしいです。でもヨウ基準だとあの行為は普通なんです」
  「狂ってる!」
  獅子道さんは布団を頭から被り、ガタガタと震えている。
  僕は止まることなく話しかける。
  「獅子道さん、人を好きになったことってありますか」
  返事はない。
  「恋っていうのはですね人を狂わせるんですよ」
  返事はない。
  「でもそれはずっとじゃない。その恋が終わりを告げると魔法が解けたように普通に戻るんです」
  返事はない。
  「そうだとしても今のヨウは異常な程、狂っています。この状態でハッピーエンドを迎えてもあの狂気は止まりません」
  「もう矛盾してるじゃないですか」
  布団の塊の中から声が聞こえる。
  「ヨウは例外です。でもそんなに狂気を持たせるほどにしてしまったのは僕なんです」
  「だからなんだって言うんですか」
  「その責任を取ってヨウを普通に戻します。今回は失敗してしまったけど、いつかは明るい笑顔でクラスの輪に入れるくらいに戻します」
  「その前に死者がでますよ」
  「僕が出させません。それに今回だってヨウは獅子道さんを気絶させてしまいましたが、生きてるじゃないですか。完全に闇に染まっていたらその時はもう……」
  「もう!そんな恋とか好きとか狂気とかよくわからない話はやめて下さい!この件は学校に通報して貴方も相沢さんも退学にしてもらいます」
  「も〜レナちゃん、そんなこと言っちゃダメだよ〜」
  突然保健室に響く気の抜けた声。
  気がつくと獅子道さんがうずくまるベッドの奥に早乙女が立っていた。
  いつもと同じように気怠げな早乙女は丸まる獅子道さんから布団を剥いだ。
  「だから〜テルくんが言ってるのは要するに〜付き合うまで茶化さないでくれってことだよ〜」
  早乙女はそう言いながら枕に顔を押し付ける獅子道さんを起き上がらせようとする。
  「いやっやめて下さい!貴方は貴方で問題大有りです」
  「まあまあ〜とりあえず、そのレナちゃんの言うクラスの輪ってやつを成立させるためにも仲直りしなくちゃね〜」
  そう言いながら布団にへばりついていた獅子道さんを剥がし、自分と向かい合うように座らせた。
  「な、何をしようとしているんですか!近いです!」
  「そんで〜一番大切なのは、相手の気持ちをわかってあげること〜」
  そう言うといつもと同じほんわかしたままの表情で早乙女は獅子道さんに近づく。
  「え、いや、ちょっと、な何を」
  「だから〜レナちゃんも恋しよう」
  そう言うと早乙女は優しく獅子道さんを抱き寄せてキスをした。
  僕とケンタはどうしたらいいのかわからず顔を見合わせる。
  途中漏れる音から男のDNAに刻まれた本能が無意識に刺激される。
  二人のキスは長く数十秒間離れることはなかった。
  「ぷはぁ〜レナちゃんどう?恋、分かった?」
  「分かるわけないです!変態!チャラ男!ロールキャベツ!」
  そう言って逃げようとしているが体はもう完全に早乙女にホールドされているため逃げることはできない。
  「じゃあ分かるまでやるね〜」
  「えっちょっ、ん〜!」
  再び重なり合う唇。
  獅子道さんは逃げだそうと悶えているが抜ける気配は一切ない。
  一方早乙女はいつも通りで、キスをしたまま獅子道さんの肩越しに僕たちにアイコンタクトをして何かを投げてきた。
  チャリンと音を立ててそれを受け取る。
  それは鍵で保健室と書かれたキーホルダーが付いている。
  「これって……」
  「ここは任せて鍵閉めてどっか行けってことかな」
  早乙女は親指を立ててこちらに突き出す。
  僕とケンタは荷物をまとめて二人を邪魔しないように静かに外へ出た。
  「も〜レナちゃんは強情だな〜」
  「ん〜!んっ〜!」
  背後からは学級委員長同士とは思えない淫らな音が聞こえたが忘れよう。
  外から鍵を閉めて僕はケンタと向き合う。
  「で?これからどうするの、午後の授業出る?」
  「いや、ヨウを探すよ」
  「言うと思ったよ。同行しますよ、恋を語る詩人さん」
  無言でケンタの頭を小突き、先生に見つからないように廊下を進む。
  ヨウを絶対に見つけ出して連れ戻す。
  僕の頭の中はこのことしか考えていなかった。その為には僕はいくら傷ついても構わない。
  気を失う前に見たあんな悲しい顔を二度とさせない為にも、明るい笑顔を取り戻る為にも、僕は場所もわからないのに外へと歩き出した。
  時刻は一時三十分、四限の授業の真っ最中だった。

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