ろりこんくえすと!
3-28 感染
3-28 感染
僕はエマと図書室で別れた後、王城の通路を歩いていた。
まだ昼までは時間があるので、リフィアの様子を見るとか、芝生一杯ふさふさの庭でくついだりするつもりだ。
通路では忙しそうに王家に仕えている宮人達が働き回っている。その人数は多く、中には避難してきた人も僕みたいに臨時的に雇い入れて働いて貰っているそうだ。
この場面を見てると頭からすっぽりと忘れ抜けかけるが、今この大陸は黒い魔物によって多くのエルフ達の生活が脅かされている。
今の王城はどこを見ても平和的な光景で、とても黒い魔物の発生によってこの大陸が緊急事態になっているとは思えない。
早く原因が解明され、解決できるといいな。
「うおわっ!?」
ふと、そんなことを考えてると、僕は歩いていた宮人とぶつかった。
不注意とかじゃない。ぶつかってきたのは向こうの方だった。急に僕の胸元に寄りかかるように倒れ込んできたのだから。
滑り落ちるように、宮人はその場で倒れ込んでしまう。床の上で横向けになると、顔を歪めて腹を抑えた。
「いきなりどうしたんだよ? 腹痛か?」
僕はすぐさま近寄り、腰を屈めて容態を見る。
流れる滝のような大量の汗をかき、体温はかなり高い。
何かしらの病気なのか? ただひとつだけ言えることは、直ぐにリフィアに見てもらった方がいいことだけだ。
「違ぇ......。腹だけじゃねぇ、全身だよ。全身がめちゃめちゃ痛えんだよ.......。身体の血液という血液が、一滴も残らずに吸い尽くされいるみたいでさぁ.......!」
ゴホッゴホッ、と痰が混ざった咳を繰り返しながら宮人は体を丸めて蹲る。
これは、結構不味い容態かもしれない。早く手を施さないと命に関わりそうだ。
「僕の仲間に病気とか怪我の治療が得意な腕のいい奴がいるんだ。今から呼んでくるから、それまで耐えられるか?」
「あぁ.......。痛てぇ.......痛てぇよ.......」
僕は宮人の腕を掴んで肩に回して持ち上げた。
今日はなんかついてないよ、全く。
リフィアは今頃庭で遊んでるか与えられた部屋で薬品の調合をしているだろう。
まずはすぐ通路の横側に置かれているベンチに寝かせてから。気休めにしかならないが、安静な場所で休ませておこう。
「あっ、あっ」
ベンチまで運ぼうとした時、宮人の声のトーンが高くなりこれまでとは違った咳が出された。
僕は振り向いて宮人を見た。狂ったように胸を上下させて、身体を動かしている。
「あっ、あっ、あっ」
「お、おい?」
「あっ、あっ、あっ、あばっ、あばばっ、ああああああああぁぁぁぁぁぁ!!!」
その直後、全身の肌に黒い斑点が滲み出すかのように現れると、宮人は身体を痙攣させてブルブルと震える。
そして口から泡を吹いて膝から崩れ落ちると、僕の目の前で爆発した。
その場で血の華が咲き、視界が赤く濡れる。
「え.......?」
見守っていた他のエルフの宮人達は突然の出来事にパニックに陥り、周囲は阿鼻叫喚をきわめた。
赤い染みが広がり、ぽたぽたと指の先から血の雫が落ちていく。
この時、僕は宮人がいきなり死んだことよりも、血塗れになっていることよりも、ある事に気付いて驚きを隠せなかった。
血が乾いている。
僕の肌と服に付けられた血は急速に乾いていく。
いや、血が枯れている?
蒸発とか気化とかそんなもんじゃない。僕の体にべっとりと付着した宮人の血液は、ふしゅふしゅと炭酸水が弾ける音を立てながら霧散していく。
なんだよ、これ。一体、何が起きているんだ?
「.......ッ!?」
――『元』は身体の中で一定量に達すると皮膚を通過して外へと出てくる。その際、元の身体は魔力を一滴も残さずに絞られて残りカスとして朽ちていくわ。そして、外へと出てきた『元』はすぐさま宿主の魔力と空気が混ざり合って黒い魔物となる。なんで色んな生き物の形をしているのかが分からないけどね。
僕はすぐさま思い当たった。エルフの王城に入る前、エマが言っていたことに。
既に宮人の血が枯れたように、彼の身体も灰のようにボロボロと崩れていき、原型を保てないまま白い粉となって風に吹かれて消えていった。
「みんな逃げろ! 来るぞ!」
眼を切り替える。悍ましい魔力が宮人の死骸後を中心にして渦巻き、姿形を作っていく。
突如、丸太のような太い腕が現れた。それは僕と一緒に周囲を薙ぎ払い、床のタイルを剥がして花瓶や置物を壊して振り払われた。
「ギュイイイイイイイイイイイインキュイイイイイイイイイイン!!!」
半牛半人。今回の黒い魔物は、ミノタウロスと呼ばれる魔物によく似ている。
目は赤く血走り、猛々しく逆巻いた二本の角と強靭な肉体が見るものを圧倒する。
鼻輪が着いている鼻から白い息が吹き出し、上前歯がない口から魔力で偽造された唾液がダラダラと垂れる。
さっきよりも数段とキー音が高い悲鳴があちこちから上がった。
ミノタウロス型の黒い魔物を認識したエルフの宮人達は、無我夢中でその場から一目散に逃げていく。
「いっつ! ほんと、なんで僕はろくな目に会わないんだろ.......」
残骸となった壁を押し退けて、僕はよろよろと立ち上がる。
その瞬間、凄まじい拳圧を纏った拳が僕に向かって振るわれた。
箭疾歩を使って宙に飛んで躱したが、僕が数秒前までいた場所の地面が割れ、地割れが起こる。
こいつ、強い。
前に戦った黒い魔物は言うなれば雑魚。脅威度はEがせいぜいと言ったところだった。
しかし、このミノタウロス型の黒い魔物は明らかに強さのランクが段違いだ。
C、いやBくらいが妥当だろうか。
とにかくありえない馬鹿力。魔力で作られただけの身体と言うのに、足を踏み出しただけでいつの間にか岩盤まで掘り返されている。
天井を蹴って着地した僕は、まずは思考を張り巡らせる。
くそっ、黒い魔物は物理攻撃しか効かない。風遁術が使えない今の僕にとって、正に天敵みたいなものなんだ。
なんでこうもピンポイントな魔物ばかりがこうも出てくるんだよ。これじゃあアシュレイかエキューデを呼んでこないと倒すことは不可能じゃないか。知性はなく、力任せに暴れているのが唯一の救いだけど。
「ギュイイイイイイイ!!!」
咆哮をあげ、黒のミノタウロスから腕が伸ばされる。どうやら次は殴るとか、吹き飛ばすとか、そんなのじゃなくて掴んで握りつぶしたいようだ。
軌道は一直線。避けるのは簡単そうだ。
そう、思っていた。僕の目前に迫るまでは。
「腕が.......!?」
カーテンが広がるかのように、太い丸太の腕は分散して広がった。
確かに黒い魔物は魔力の塊なのは知っている。だが、こんな芸当も使えるなんて初見殺しみもいいところじゃないか!
これでは避けようにも避けれない。僕は為す術もなく腕で身体を掴まれ、地面に叩きつけられる。
「ぐあぁぁっ!」
ミシミシと骨が軋む音が聞こえてくる。実体はないので魔力で直接潰されている感覚だ。
とにかく物理攻撃が無効化されるのが厄介すぎる。こうなったら魔力を集めて吹き飛ばすしかない。
どんな副作用が起こるか分からないから、怖くてやりたくなかったけど、あのスキル達のどれかひとつを使うしかない。
字面だけでもヤバいスキルだと思うけど、覚醒のスキルみたいに身体のリミッターを一時的に外すでもしないとこのまま死んでしまう。
「発動! 限界突――」
限界突破を使おうとした瞬間、全ての筋肉から力が抜けるような脱力感に襲われた。
なんだ? 僕の身体に、何が起きたんだ?
臨界超越も超過暴走も使おうとしたが使えなかった。押しても反応しない魔道具のように、僕の身体はピクリとも動かなくなった。
「カハッ.......!」
口から血が溢れた。圧迫されているからか? でも、何が違う感じだ。
魔力を見ることのできる眼が捉えた。悍ましい魔力が更に濃くなっていることに。
しかもこの黒い魔力。今僕を握りつぶしている黒い魔物のじゃない。
僕の魔力だ。紛れもない、僕から滲み出るようにじわじわと溢れている。
まさか.......!?
――私の考察はこうよ。まずエルフに何かしらの過程を経て病原体が感染する。それは徐々に身体を蝕んでいき、時間が経つと黒い魔物になる『元』が身体の中で完成するの。
潰されて殺されるよりも先に、僕の身に死が迫っていた。
感染元は、感染者の血液。
だとすれば、
僕は感染した。
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