ろりこんくえすと!
2-72 白銀の悪魔
2-72 白銀の悪魔
冷たい風が吹いている。
「はぁ.......はぁ.......」
瓦礫の広場となったエルクセム王城の周辺で、僕は息を荒らげ膝を崩して倒れていた。
もう限界に近かった。全力の複合技能を放ったことで魔力を全て消費し、足りない分は僕の命で賄っていた。僕の今の状態は瀕死も同然だ。その上、トドメとばかりに身体がドロドロと崩れていく。
覚醒の代償だ。もう長くは持たない。もうすぐ僕は死ぬのだろう。それでも、
終わった。終わったんだ。
僕はユリウスを倒した。あの一撃をまともに受けて生きていられる筈がない。やり残した事は、リフィアの魂を奪い返し、元に戻すだけだ。
ボロボロの僕は風狂黒金を杖にして立ち上がる。覚醒の代償で今にも足が止まってそのまま死んでしまいそうだ。僕は襲い来る耐え難い苦痛を我慢し、ふらふらと、千鳥足で巨大な大穴の中に倒れているユリウスの元へと向かって行った。
ユリウスは全身から血を流してうつ伏せになって倒れていた。刻まれた裂傷で地面に作られた血の泉は広がり続けている。ユリウスは人の原型を留めていない程ボロボロだった。
もう息絶えたと確信した僕は、リフィアの魂を取り戻そうとユリウスに手を伸ばした。
その時だった。
「..............くくっ」
倒れていたユリウスから笑い声が漏れる。
一瞬、僕は聞き間違いか空耳を疑った。でも違う。ユリウスの身体が小刻みに揺れ、這いずるように起き上がってきた。
「くっくっく.......始めてだ。ここまで、ここまで人間を辞めた私を追い詰めたのは君が初めてだ」
「嘘、.......だろ!?」
なっ.......!? こいつ、まだ生きてるのか!?
逆巻く辻太刀風を受けて尚、まだ生きているなんて信じられなかった。
全身から血を垂れ流し、血潮の中からユリウスはゆっくりと起き上がる。顔に酷薄な笑みを浮かべて僕を睨んだユリウスは、ゾッとするほど恐ろしかった。
「醜すぎてあまりこの姿は見せたくなかった。だが少年、君は全力で相手するに相応しい相手だ。敬意を評して、見せてやろう.......!」
ユリウスの纏う魔力が禍々しく変貌する。氷の淡い紫色の魔力は何故か真っ赤に染まり、ユリウスを中心に蛇のどくろのように渦巻いていく。
なんだ、この得体の知れない異質な魔力は。
【暴食】を発動した貪食の食人鬼をも遥かに上回る禍々し過ぎる魔力。一体、ユリウスは今から何をしようとしているんだ。
「褒めてやろう。この私に切り札を使わせたことを!」
その瞬間、ユリウスの背中が突如膨れ上がった。背中の服が一気破け、蝙蝠を思わせる銀色の美しい翼が姿を現した。
それだけじゃない。腕が盛り上がったと思ったら、ぼこぼこと肥大化していき、鋭い鉤爪が生えた巨悪な見た目をした腕となった。
胸は筋骨隆々に膨張し、足は腕と同じように膨らむ。後ろから先端が錨の形に曲がった尻尾が見えた。
額からは山羊のような二本の角が生え、目は赤く染まり光を灯す。
誰もが揃えて言うだろう。変貌した今のユリウスの姿は、
「悪魔だ」
気温が急激に下がっていくのを僕は感じる。
ありえない。ユリウスに強大すぎる魔力に当てられただけで震えが止まらない。全身を圧迫されるこの魔力の波長。そして馬鹿げた質と強さ。
もしも、今のユリウスを脅威度の枠に当て嵌めるのならば軽くSは超越している。
そよ風が僕の頬を殴る。普段なら気にも留めない微々たる風だ。しかし、あまりにも冷たすぎて僕の肌は白く凍てついていた。
空から白い粒が降ってきた。ほんのりと冷たいこの粒は、雪だ。
僕は初めて見たが、紛うことなき雪だった。
土からは霜が生え、瞬く間に氷床となる。王都全てを包み込む規模で、ピキピキと音を立てて地面は凍結する。
雲は凍り、空を見上げれば北極でもないのにオーロラが出来ていた。気付けばユリウスの放つ次元の違う強さの魔力で世界は氷に閉ざされている。
巫山戯てる。存在も、強さも、僕とはまるで比べ物にならない。こんな化け物、勝てる人間が居る筈がない。
「ふうぅぅ.......。この姿になるのは何百年振りだろうか。どれ、少し試してやろう」
ユリウスの声は爽やかな男性の声から、野太く低い、老人のような声に変わっていた。
悪魔となったユリウスは軽く手を振った。それだけで周囲の物が風圧で丸ごと捲られ、僕に襲い掛かかる。
まるで土砂流。土塊と砂が僕の身体を打ち、瓦礫の山へと叩き付ける。
「が、.......!?」
体力も魔力も限界ギリギリまで消耗した僕は避けることすらままならない。そもそも今の僕なら子どもにすら負けてしまう程弱りきっている。
土煙の中から白銀の腕が現れた。瓦礫に叩き付けられた反動で浮いた僕をユリウスは掴んでいた。
胸倉を掴まれて引き寄せられる。
「もう終わりか?」
「ぐっ.......心形刃紋!」
風狂黒金で掴まれているユリウスの腕に突き刺した。しかし白銀の体毛が少し波打っただけで、何もダメージを与えられない。
駄目だ、悪魔となったユリウスの耐久そのものが狂っているが、いくらなんでも魔力が違いすぎる。今の僕の攻撃は、ユリウスからしてみれば木の棒で叩かれた事に等しい。
抵抗も虚しく、僕は胸倉を掴まれたまま宙にぶら下げられる。ユリウスは僕を振り回すと下に向かって投げ付けた。
身体が浮くような浮遊感、そして直後に来る凄まじい衝撃。五臓六腑に染み渡る激痛は、僕を酷く蝕んだ。
僕が地面に叩き付けられると、容易く凍った大地を砕き、氷片と硝煙を上げた。
「この、化け物、め.......」
口から胃液と混じった血が溢れ出す。あちこちの骨が砕けている。その証拠に、右手首の骨が折れ、風狂黒金を握れなくなっていた。
「六花氷輪斬」
ユリウスから氷の魔力が溢れ出し、空間を侵食していく。まるで乱気流だ。何もかも凍っていく。地面も、空気も、僕が吐いた血も息も。何もかも。
ユリウスの握る村雨から、六つに枝分かれした刃が生み出される。さながら雪の結晶みたいな美しい六角形の形だった。
あれがユリウスが今から使おうとしている技能。あまりの低温に周囲の空気がパラパラと氷の礫となって落ちていく。
ユリウスは村雨を構えた。
どこまで巫山戯た強さの技能なのだろう。直撃すれば僕は氷の棺へと永遠に閉ざされる。いや、僕だけじゃない。王都そのもそのが永久凍土と化すのは間違いない。
「く、そっ.......」
強すぎる。ユリウスはあまりにも、強い。
正直、もういっそ楽に死にたかった。身体を動かすのも辛すぎて精一杯だ。棒立ちのまま痛みを感じる暇もなく殺して欲しいとすら僕は思った。
でも僕は何故か立ち上がっていた。意志とは反して風狂黒金を残った手で握り、二本足でユリウスを睨み付けていた。
何を考えているんだろう、僕は。悪魔となったユリウスに勝てる確率は0.1%すらないのに。なんでまだ痛い思いをしているんだろう。どうして、僕は立ち向かう覚悟を決めたのだろう。
そんなのは決まっている。僕は―――
―――お兄ちゃん。
リフィアのあの顔が忘れられない。仕草が頭から離れない。僕の名前を呼ぶ声が僕をまだ強く掴んで、離れない。離さない。
そうだ、このまま別れたくない。そう強く思ったから。僕はどうなってもいいと決意したから。
だから、僕はまだ諦めきれていないんだろう。
村雨が僕へ向かって振るわれる。途中、周りの空気と冷気を吸い込み村雨は膨張する。氷の羽で出来た風車のように回った村雨は、やけに響く音を立てて僕の目前まで迫っていた。
「複合技能―――」
魔力を風狂黒金に注ぐ。命をすり減らして使った影響で血管が破裂し、筋肉が弾け、皮膚の下から血が滲み出してくる。
ここまで痛いのは初めてだ。死んだ方がマシだと感じてしまう程の苦痛。全身に酸性の液体を掛けられて、その上からペンチで皮膚を挟まれ、千切られていくような痛みだった。
ただ風狂黒金を振るうだけでいいのに、その一瞬の間に何度も挫けそうになった。何度も諦めそうになった。何度も死を受け入れようと思った。
だけども僕は踏みとどまる。
一度胸に抱いた思いは、ユリウスの冷気でも冷めなかったのだから。
「ーーー燐光疾傷!」
風の刃が風狂黒金を包む。放たれた一閃は振るわれた村雨と拮抗し、雪景色を共に作り上げる。冷風が吹き荒れ光が拡散し、剣撃と剣撃、技能同士のぶつかり合いで僕とユリウスを中心に抉られていく。
「がっ、ああああああああァァァッ!?」
叫ぶ声がか細い糸となって流れ、伝わっていく。腕がもげてしまいそうだ。風は凍り、燐光疾傷は押し返されそうになる。
まだだ。まだ持つだろ、僕の身体は。ここで終わっていい訳ないだろ。
脚が凍った地面を砕いてめり込んでいく。めり込んで、遅く滑りながら僕は後退していく。
折れた右手まで使って風狂黒金を握り締める。中指は皮膚を破って突き出し、手の甲から中の肉が剥き出しとなっている右手首を。
僕がここで負けたら、ここでユリウスを倒さなかったら、誰がリフィアを助けるんだ。
無理だ。誰もできない。もう残されたのは僕しかいないのだから。諦めたら、僕が負けたら、終わりだろうが。
「僕、は、」
記憶が甦る。
「約束、したから」
ネメッサの街でも約束を交わした。そして守った。だから今回も、
「絶対に、倒れる訳にはいかないんだあああああああああぁぁぁぁぁッッ!!!」
ーーー弾いた。
風狂黒金の起死回生の一閃は、バキバキと氷を砕いて、村雨を上空に弾き飛ばした。
突風が冷気を消し飛ばす。強風で煽られたユリウスが驚いた顔で僕を見ている。
今だ。今しか、ない。
もう意識が飛びそうだった。立っているのですら苦しく、むしろまだ立っていられる方が奇跡に近かった。
僕は駆け出す。風狂黒金の鋒をユリウスへと向けた。
ドスッ、と肉を刺す感覚が僕の胸を貫いた。
刀身がユリウスの身に届く一歩手前。
僕の身体は止まっていた。
「残念だが終わりだ、少年」
腹の辺りから生暖かい液体が脈打ちながら流れていくのを僕は感じた。
「どう.......し、て.......?」
喉の奥から血の塊がガボッ、と湧き出した。
ユリウスの声が遠のいていく。目に映るものが朧げになり視界が黒で塗りつぶされていく。
最後に下を見れば、僕の胸に村雨の柄が生えていた。
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