能無し刻印使いの最強魔術〜とある魔術師は来世の世界を哀れみ生きる〜

大島 こうのすけ

EP.94 アリス・イン・ダーク

暗がりが支配するその場所は、地下牢。湿気が多く、土の臭いが逆に気分を悪くする。照明は前方につけられている松明のみ、頑丈な鉄棒が幾度に連なり、逃走を許さない。そんな場所で、アリスは目覚めた。


「おや、お目覚めですか」
「っ!」


檻の前にいた分魂神メギルストスを見た瞬間にアリスは腰元にあったはずの斬細剣フレスロアを抜剣しようと手を伸ばす。しかしそれは許されなかった。壁にY字の形で手首が拘束されており、手を動かそうにも動かせない。足を動かそうにも重り付きの足枷が邪魔して少女の足ではなんともならない。それはまるで、犯罪者を捉える時の拘束の施し方で。


「おっと、無駄ですよ。あなたの剣はこちらです」


メギルストスが、その身の丈に合わないフレスロアを掲げてみせた。


「それを返して!それは私の大切な.........!」
「まぁまぁ、落ち着いてくださいな。いずれ返しますよ、いずれ」
「それにここはどこ!?あなた達の目的は何!?」
「一挙に質問しないでください。.......とりあえず、ここは帝国の地下牢です。あ、私たちの目的はまだ言えませんのであしからず」
「帝国......!?」
「はい、貴方達がよく知っている帝国です」
「な、何でっ.......!」
「まぁ、利用しやすかったからでしょうか。ここの人達、血気盛んでしてね、洗脳なんか容易いもんでした」


「まぁそれは置いといて」とメギルストスが続けた。


「あなた、天使の生まれ変わりですよね?」
「........え?」
「あ〜........やっぱり記憶なんてありませんよね。すいません、なんでもないです」
「ちょ、ちょっとどういう意味!?」
「いや〜説明するだけ無駄ですので」


軽くあしらったメギルストスにアリスは睨み続ける。


「あなた、ここから出たいですか?」
「当たり前よ!ここから出てあなた達を切る!」
「強気ですねぇ........。あ、でも出す条件として私達に協力してもらいたいんですよ」


協力する、つまりはクルシュ達と敵対するという事だ。それを理解したアリスは更に鋭く睨みつける。


「そんな事っ!」
「できるわけないですよね、知ってます。........でもあなたの才能は惜しい。その生まれ持つ天武の観察眼、いえ、詳しくいえば天才肌ですか。剣に色濃く出ていたと聞きます」
「だから何......?」
「ぜひとも手中に収めたいと」
「誰が貴方達なんかに!」
「ええ、知ってます。まぁ今日はこのくらいにしておきますよ、また気が変わったら教えてくださいね」


そう言うとメギルストスはその場から消えてしまった。

その日からメギルストスは数日に1度アリスの返答を聞きに牢屋へとやって来た。しかしアリスも返す言葉いつも決まって「協力しない」。だがとある日を境に何日もやってこなかった。最初は不自然がったアリスだが、もうそんなのはどうでもいいくらい精神が疲弊しようとして、しかしまだ完全に折れた訳では無かった。

大体、成人が飲まず食わずで牢屋へ入れられれば3日で精神を壊すとされている。しかしアリスはそれを何日も、何週間、はたまたもしくは何ヶ月と続けた。まだ10歳の少女にとってここまでの苦痛を耐え切ることは不可能だろう。しかし、彼女の中には唯一、彼の名前だけが響いていた。クルシュ・ヴォルフォード、2年前、初めて出会った時から今の今まで共に過ごしてきたアリスの大切な人。彼の存在が何とかアリスを崖の縁で、夢想ワンダーランドへ堕ちそうな彼女の精神を保たせていた。


「おや、今日も元気そうですねぇ」
「.........なんど来ても答えは................」
「リア・ニルヴァーナでしたか。あのアストを好きなもう一人の少女」


唐突に出されたリアの名前に意味がわからなかった。なぜ今その人物の名前を出す必要があるのか、アリスには理解出来ないのだ。


「そしてもう1人があなた。そうですね?」
「.........何を」
「青春ですねぇ〜。この世界は一般的に結婚は成人である15歳からとされていますが、確か10歳でもありでしたか。ねぇ?」
「だから何よ!」


積もり積もるメギルストスの態度にアリスが残りの力を振り絞って声を荒らげる。


「ところで、知ってました?リア・ニルヴァーナって実は皇女様なんですよ?」
「...........え?」
「実はここが建国する前の国ってニルヴァーナ皇国って言う名前でしてね。あれどっかで聞き覚えありません?リア・ニルヴァーナ、ニルヴァーナ皇国。あ!この少女のご先祖さまってこの国の王じゃないですかぁ〜!って」
「そんな事..........本当かどうかなんて」
「ちなみにアスト.........いえ、クルシュと言った方がいいですか。彼も知ってますよ?ちなみに彼も隠し事がありましてね?実は彼は転生者なのです!。前世の名前はアスト。我々を滅ぼしかけた憎き魔術師でしてね、あー思い出しただけでイライラするぅ!」


突然のことにアリスの脳内が情報を処理しきれない。何を言っているのか、皇女?転生者?訳が分からない、と。


「まぁ順を追って説明しますとね、リア・ニルヴァーナ。彼女は滅んだニルヴァーナ皇国の王族を先祖に持つ皇女様なんです。でね、クルシュは転生者で、前世の名前はアストと言うんですよ。それが、我々を滅ぼしかけた人の名前なんです。お分かりになりました?」
「それを私に話して何の意味が.........」
「先程も言いましたよね、リア・ニルヴァーナは彼のことが好きだと。そして彼だけに自分の正体を明かしていると。そして今頃彼も彼女に自分の正体を明かしてることでしょう。........あれっ!?これってまさか...........」


ローブの奥でメギルストスが笑った。


「.........あのお二人、デキチャッタ?」
「っ...........!」


その言葉は、アリスにとっては1番聞きたくない言葉だった。彼女の気持ちにはアリスも少しだが気づいていた。そして彼女もアリスの気持ちを。だからこそ、言うに言えなかったのだ。アリスはリアに、リアはアリスに、クルシュのことが好きだと。そして本人に、あなたのことが好きだと。

均衡していた関係に、リアが先に手を打ったなら、それはそれで喜ばしかった。自分の好きな人が1番だったのは自分じゃない、ならそれを応援しよう、と。しかしそんな偽善は長くは持たない。自分が1番じゃなかったのが悔しいと、恨めしいと。


「いやーお二人も薄情ですよねぇ。あなたが攫われてるというのに色恋に走るんですよ?」
「...........」


通常の彼女ならここで力強く否定していただろう。2人が恋仲になったという証拠は全くないのだから。しかし今の彼女にそんな余裕はなかった。安心できるものが何も無い状態で絶食、そんな生活を何日と続けている上にそんな環境を耐え忍ぶ唯一の心の拠り所だったクルシュが色恋に走った。その事実か虚実かもわからない出来事に、それを嘘と判断できるような思考は既になかった。


「もしかしたらもうあなたのことなんてどうでもいいのかも知れませんねぇ!」


そして言い放ったメギルストスの一言が、アリスの壊れかけた精神にトドメを指した。信じるものが何も無くなった彼女の瞳に、ハイライトは失われ。その瞬間、彼女は闇へ堕ちた。深い闇へ落ちていくような感覚が彼女を意気消沈させる。牢屋が開かれ、彼女の顎を上げてメギルストスが囁いた。


「私と一緒に、クルシュを倒しましょう」
「........一緒に、に?」
「はい。あなたの物にならないなら、殺してしまいましょう」


その言葉が彼女に響いた。自分のものにならないなら、殺せばいい。そんな狂気染みた言い草に、彼女の精神が動き出す。闇の世界の彼女が。


『何を悩んでるの?』
(.........えっ?)


声が響いた。彼女が目を開けるとそこは真っ暗闇の中。正面に見たそこに、自分と同じ姿をした少女がいた。しかし、ひとつだけ違う。彼女の背中には闇の双翼がはためいていた。


(だ、誰っ!?)
『私はあなた。あなたは私。そうね、あなたの負の感情ってとこ?』


仕草も、声も、何もかもが同じの彼女にアリスは面食らう。信じられない、と。


(私にそんな翼は!)
『そんなことより』


そう言った彼女は、アリスに近づいた。そのきめ細やかな白い両手がアリスの頬を包む。


『クルシュ君が好きなんでしょ?』
(そ。そう........だけど)
『でもリアの物になっちゃった。ね?』
(な、何よ..........)
『私に任せて。全部、解決してあげる』


そう言って、離れていく。その意図にアリスはすぐ気づいた。故に手を伸ばす。


(ま、待って!)


しかし彼女は止まらない。深い闇の奥へ、その背は小さくなる。


(待って!待ってよ!!)


ついに、その声はもう二度と届かなくなった。

そして彼女は目覚めた。アリスが。


「..........うふふ」
「お?」
「ねぇ、私の剣、どこ?」
「ここにありますけど」
「片方の手枷外してくれる?」
「いや〜答えを聞かないとどうにも........」
「早く」
「あっ、はい........」


メギルストスも違和感を感じていた。先程までとは全く違うアリスに。そして刺すような鋭い言葉に面食らって片方の手枷を外してしまう。


「私の剣、はやく」
「あ、どうぞ..........」


そして解放した片方の手にフレスロアが握られた、刹那。

剣閃が煌めく。メギルストスでさえも捉えきれなかったフレスロアが再び鞘戻った瞬間、残りの手枷、そして足枷が瞬く間に切断された。開放されたアリスはコキ、コキと体の各所を鳴らしてみる。


「それで、貴方達に協力する、だったかしら?」
「ええ、はい」
「........いいわ、協力してあげる。クルシュ君が私の物にならないなら、殺してあげるわ。うふふふ♪」


今まで見せなかった不敵な笑みが、メギルストスでさえも悪寒を走らせた。その瞬間、またも彼女の口の端がつり上がったのだった。




アリス、堕ちる。

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