紫苑穢国のエトランジェ

扶桑之御狐

第一八一話    愛情か殺意か




「いや、私と彼奴(あいつ)は……別に何でもないぞ、うん。そうだ、何もない」

 恐らく、きっと、たぶん。

 トウカに対して別段と気を払っている者が〈南部鎮定軍〉司令部に多いのは、リディアの日頃の言動によるところではなく、エカテリーナの警戒心によるところである。〈南部鎮定軍〉の支援を受け、エルネシア連峰を踏破して皇国北部へと浸透する諜報員は少なくない。無論、海洋貿易の航路に紛れて皇国内へ浸透する間諜が大多数だが、北部の場合は交易港がヴェルテンベルク領に集中しており、そこは領軍憲兵の巣窟であった。飛び込むのは自殺行為でしかない。

 エカテリーナの諜報活動が近年編制された皇州同盟に集中し、その指導者となれば〈南部鎮定軍〉司令部の面々も興味を掻き立てられて当然と言えた。

 横に座してヴォトカを煽るナタリア。

 公式記録上は無任所の陸軍少佐に過ぎない彼女だが、爵位もない少女が佐官であるという時点で不自然であり、目端の利く者であれば将官との面識が異様に多い事にも気付くだろう。つまりは、強大な後ろ盾を得ている。後ろ盾の意向を受けているであろう佐官に絡みたい者などそうはいない。懲罰大隊に編入したいと考える者など居るはずがなかった。

 そして、真っ先に思い浮かべるのがエカテリーナであるのは疑いない。

 貴族将校を除けば、年若い女性将校を帝国で積極的に登用しているのはエカテリーナのみであるからである。

 ――それは、間違いないが。まぁ、訊ねるのも野暮だからな。

 聞けばすんなりと答えてくれる気がしたが、当人が切り出さない以上、それは二人の関係にあっては不要であると、リディアは考えていた。

 ――さて、ここで問題なのは正直に言うべきか、だが。

 エカテリーナの紐付きの将校の前で、トウカへの興味を露わにして良いものかという躊躇い。ただ単に笑い話の種にされるのであれば許容できるが、うちの妹はあげないわ、と妙な動きを取られて軍事行動を阻害されては困る。エカテリーナは謀略に対して真摯であり誠実であるが、良く人道を踏み外す事がある点をリディアは理解していた。謀略に対する真摯と誠実が人道と両立しない事はない筈であるが、エカテリーナは畏れを求めている節がある。

 リディアは酒精(アルコール)に霞む思考で答えを出す。

「助けられた。唯(ただ)の人間種の癖に優秀な魔導士を相手に刀一振りで立ち向かうのを躊躇わなかった」

「それは……経歴を見た限りでは無謀な人物とは思えませんが」ナタリアが首を傾げる。

 内戦に於ける散兵戦術を発展させたと思しき戦術と、機械化による機動力を重視した優位性の確保という戦略。それは、密集防御に依存した“会戦”が主体であった世界中の軍隊に戦術と戦略の面で大きな波紋を生じさせた。浸透突破という概念は以前より存在したが、それは然したる規模ではなく、軍狼兵や装虎兵、騎兵などが担っていたに過ぎない。砲戦力や歩兵戦力では追随するにも限界がある。それ故に以前は戦果拡大に限界があった。

 だが、諸兵科連合(Gefecht der verbundenen Waffen)編制を、浸透突破を前提とした高次の機械化を部隊に行う事で諸問題を解決できる。各種能力を底上げした装甲戦力は航空戦力と共に前線の一部を食い破り、後方の指揮系統と輜重線を長躯進撃して各地で破壊する。その規模と範囲は以前までの浸透突破とは比較にならない程に拡大し、前線に張り付けた強大な戦力を忽ちに機能不全に陥らせた。現に内戦では、機械化の不足を補うべく騎兵に橇(そり)を引かせて歩兵や魔導士を輸送。装虎兵や軍狼兵に随伴させる事で即席の諸兵科連合による軍事行動も行われて戦果を出している。

 それに対して迅速に対処する為、敵軍も戦力の分散を迫られるだろう。

 しかも、機械化と装甲兵器を装備した有力な打撃戦力に抗し得る有力な戦力を各地に展開させねばならない。故に広域展開に繋がる。

 高度な機械化と有力な装甲部隊を有する軍隊への会戦の希求は危険性を伴ったものとなるだろう。軍団規模での複合魔導障壁による防御が不可能となる上に、指揮系統と輜重線を寸断される危険性が増大するのは疑いない。この世界は未だに広大な戦場を統率する手段を持て余していたが、避けられぬ運命は早々に訪れた。

 会戦は廃れる運命にある。敗北時の被害が甚大である事もそれを助長するだろう。サクラギ・トウカが時代に対して一つの先鞭を付けたのだ。そんな男が無謀であるとは思えない。〈南部鎮定軍〉でも誰も彼もがそう口にする。

 リディアはそうは思わない。

 彼が軍事について優秀なのは確かだろうが、その精神は年齢に応じたものでしかないと、リディアは見ていた。

 付け入る隙があるとすればそこである。無論、エルライン回廊を抜ければ広域展開をせざるを得ないのでそれどころではないが。

「一度、会えば……いや、会っても分からないか」

 彼は捻くれ者でもある。エカテリーナに比肩する才覚を有するであろう事は疑いない。煙に巻かれるのが目に見えている。

 リディアは確信している。彼が自身の前へ立ち塞がると。

 そして、全力で衝突し、総てを交わすのだ。

「きっと、彼奴(あいつ)は私の享楽と絶望を受け止めてくれる。そんな気がする」

 そんな人物は姉以外にいなかった。

 リディアが全力で応じて無事で済む者などそうはいない。

 だが、突然に表れた。

 しかも敵として立ち塞がり、双方が一軍を率いている。

 世界が二人の逢瀬(衝突)を許容したのだ。

 濁流の様に刻一刻と政戦の常識が変遷し、その揺らめきに途(みち)を惑う諸国。この一戦は世界中の戦争の基準として語られるだろう。軍人として之に勝る名誉はなく、それを彼の軍神と共有できるという幸運。

「トウカは敵だ。だが、敵だからこそ、だ」

 敵であるからこそ彼を想う事ができると、リディアは確信している。あの日、あの時、共に帝国へと来てくれたならば、という後悔は既にない。

「これが愛情か殺意かなど分からないが……いずれ明らかにしてくれる」笑顔を繚乱と咲かせて、リディアは断言する。

 永久(とこしえ)に咲き誇る戦華(せんか)として、彼女は戦野で狂い咲くのだ。
 








 これは重傷だ。

 ナタリアは溜息を零す。

 リディアはトウカを欲している。恋か殺意かなど、ナタリアからすれば実にどうでも良い事だが、事実として邂逅を望んでいる以上、生じる苦労と余波に然したる違いはない。

 リディアの様子を見るに、トウカとの関係……衝突をエカテリーナに望んでいる様子はないが、ナタリアからすれば逆である。エカテリーナとトウカの水面下での唾競り合いの歯車の一つとしてリディアが存在している様にしか見えない。エカテリーナもまたトウカに興味を持っている。無論、政戦に於ける部分に関してであるが、部下に迎え入れたいという意向を持っていた。

 誰も彼もがサクラギ・トウカの資質に注目している。

 当人の心身でなく、政戦の資質に対する部分で女性二人に想われているという事実を異国の軍神が知れば何と考えるか、とナタリアは苦笑を零す。噂通りであれば軍神は二十歳に満たない少年であり、その辺りの年頃であれば女性に対しある種の幻想を持っている事も少なくない。

 ――或いは、既に現実を知って絶望しているかも知れませんが。

 誰しもが現実を知って絶望する時代である。ヒトがヒトに並々ならぬ感情を向ける時、切っ掛けは肩書や権力、地位などの付随する要素である例が大多数であるとナタリアは知っている。特に権力者はその傾向があった。容姿や身体、態度ですら後付けの理由である事すらある。その点を理解し、納得していなければ権力者は自滅する。他者に希望や理想を見ては総てを喪う。

 ナタリアとしては、異郷の軍神が自滅してくれる事を願っているが、今暫くは難しいだろうと見ていた。エカテリーナは「総てを踏み砕いて彼は大陸で暴れ回るでしょうね」と確信している様子であったが、ナタリアはそうは思わない。

 ナタリアはエカテリーナの影響下にあって、多くの情報を得られる立場でもある。

 そしてサクラギ・トウカの情報もまた同じである。

 恐らく彼は、最近まで権威に侍る権力者達の醜い争いとは無縁だった。だからこそ貴族の常識や軍の規律に対して異様な程に無頓着でいて、打擲するを躊躇わない。

 だが、その反動は必ず訪れるだろう。

 伝統や仕来(しきた)りは、自らを脅かす急進的な存在を許容しない。

 露骨な敵対ではなく、真綿で首を締め付けるかの様な不特定多数による形なき拒絶。それは致命的な場面で鎌首を擡(もた)げ、足を引っ張る。

 ――姉さんが傭兵に身を窶(やつ)したのも、個人や組織が阻んだからじゃなかった。

 判然としない、否定的な風潮とでも言うべきモノに致命的な場面で押さえ付けられたのだ。

「意外とその感情に始末を付けるのは早いかも知れませんね」

 彼がドラッヘンフェルス高地に有力な戦力を率いて展開しているのは内外に知れ渡っている。その意図するところは幾つも考えられるが、衝突の日が近いのは確かであった。

 リディアもそれを知っている。だからこそ昂らせているのだ。

 横に座したリディアは軍装を肌蹴させ、外の兵士達には見せられない姿をしている。挙句に酒精(アルコール)と興奮に昂ぶる白磁の如き肌は紅く彩られていた。雌としての魅力を“熱”として放つ彼女にナタリアは気圧される。

 生き急ぎ、限界に挑む。リディアの生き様は酷く人間らしい。

 享楽的で感情的な彼女は、ただ一人を求めた。

 そして、手助けするのは吝かではないと考える自身がいる事をナタリアは認識していた。歴史の一頁(ページ)を垣間見る事が叶うかも知れないのだ。

「まずは眼前の城郭を落とし、皇国本土へと足を踏み入れてからでしょう。あのエルライン要塞の完全な陥落は帝国の悲願です」

 白々しく口にして見せるナタリアだが、内心では帝国の現状に嘲笑を零してもいた。

 国内情勢と政治的問題からマリエンベルク城郭を包囲して放置する事ができないのだ。その為に、更に多くの将兵が戦死しようとしている。既に戦死者は三二万七千名を越え、エルライン回廊を将兵の血涙を以て染め上げた。良くも悪くも督戦隊の活躍で、戦死者に比して負傷者が少数で済んでいる事は、軍組織の負担という面では幸いだが、兵士を畑から収穫するが如き徴兵を続ければ人口に偏りが生じるのは疑いない。

 終焉に向かって銃剣突撃をしている様にしか思えない。

 だが、横でヴォトカを胃に流し込んでいる姫君が何とかするだろうという確信がエカテリーナにはあるという。

 ――国家はヒトを映す鏡かも知れない。でも、閣下は面倒臭いと叩き割るような気が……

 最悪、エカテリーナが新しい鏡を作るだろうという打算があるからこそ、ナタリアはこの場で酔っ払い娘の面倒を見ているのである。無論、軍務中に暖かい場所で飲酒ができるという長所に惹かれたという点もある。組織の予算での飲酒は社会人の夢なのだ。

「あの城郭を相手にするなんて楽しくないな。所詮、対応は決まっている。私は後ろで馬鹿を適当に吊るし上げて間引く。他は爺やに委細任せる」

 遂に、もう知らん、と応接椅子(ソファー)に身を投げ出すリディア。

 ――まぁ、困った友人だと思えばいいでしょう。

 気の置けない上官というには、仰ぎ見るには苦しい程に雲の上の存在であるが、当人の表裏のない性格も相まってそれ相応の関係を築けていた。

 だが、ナタリアは、これ以上は踏み込まない。踏み込めない。

 何かの間違いで猛獣の尻尾を踏んでしまえば、ナタリアであっても無事では済まない。導火線に火が付いたのならば、踏み消すか水を掛けるなどと対処できるが、尻尾は踏んでしまえばその時点で手遅れである。幸いな事に、リディアに実物の尻尾は無いのだが。

 リディアの感情の水底には、一体如何いかなるモノが棲まうのか。

 腹違いとは言え、エカテリーナの妹である。秘めたるモノが死と破壊を撒き散らす不条理である可能性は十分にあり得た。

 だが、敵の行動や無能な味方が、恐らくは短いであろうリディアの導火線に火を付けないかという不安は常に付き纏う。踏み消す時間も水を掛ける余裕も与えられぬ程に短い導火線を相手に苦慮する義務を負う心算は、ナタリアにはなかった。

 しかし、歴史は適材適所を厭うのだ。嫌悪し、忌避する者に立場を押し付ける。相応しい者が相応しい立場に居合わせるなどという幸運は極稀である。偶然に居合わせた者が相応しく在ろうとするしかないのだ。

 その上、望む結果が得られるかは分からない。なれど、そうするしかないのだ。

 重厚な扉を叩く鈍い打突音。

「閣下! 敵軍より通信です! 宛名は皇州同盟軍、サクラギ上級大将!」

 慌てた伝令の言葉は、扉越しにくぐもって耳へと届く。

 リディアの動きは早かった。

 飲み干す必要はないだろうとは思うが、ヴォトカの酒瓶を一息で空にすると、リディアが肌蹴た上衣を其の儘に立ち上がる。

 執務机に投げ出された軍用長外套(ロングコート)を手に取り、歩き始めたリディアに追い縋り肩に掛ける。

 そして、身嗜みもお座成りな儘に扉へ手を掛けた。








「ここで全滅するなど戦力の浪費だ。言う事を聞け。第一、今まで好きにさせてやっていた事を忘れたのか。七武五公が俺をこの場に送った事実を黙殺した事を穏便に済ませてまで、御前らの戦力の浪費を認めた事実を受け入れろ」

 トウカの率直な物言いに激昂しかけた要塞司令部参謀達を一瞥して黙らせると、エルメンライヒはトウカに胡乱な視線を投げ掛ける。

 波風を立てる物言いを好んでいるのか、トウカは口にする言葉が一々刺々しい。

 正論は確かに正論として存在するが、それが他者に受け入れられるかは別問題。理論と感情を分別して併存させ得る者などそうはいない。無論、将校にはそうした部分が求められるのは事実だが、配慮した発言をするのも人間関係に於いては必要である。

 軍事組織は官僚組織でもあるのだ。

 そして、官僚組織とは複雑怪奇な人間関係によって生じた魔窟である。

 浅慮な発言や急進的な行動は、当人の孤立と組織の非効率化を招く。若さ故の焦りと見るには、トウカの立場は強大であり過ぎる。

 その上、以前の遣り取りを、状況によって生じた被害と照らし合わせて失策だったと暗に突き付けてくる様は政治家の言動に近い。相手の失態に付け込み、妥協させるという行為は軍人の弄する言霊の範疇とは言い難く、ましてや味方に振り翳されるものではあってはならなかった。

 ――否、彼は我々を味方とは思ってはおらん、か。

 以前に明確な妥当性もなく提言を退けた相手に、彼は決して寛容には成り得ない。それは彼の戦歴が証明している。

 エルメンライヒを含めたエルライン要塞司令部は、要塞の保持に拘り過ぎた。何百年と国境を護り、国威の象徴の一つとして親しまれてきた大陸有数の要塞と言えば、愛国心が発揚されるかも知れないが、要塞司令部や駐留師団からすると愛着のある要塞は、最早一つの家であった。

 エルライン要塞は、要塞司令部や駐留師団に所属する将兵にとって自身の実家にも等しい存在である。放棄という選択肢は郷土を明け渡すに等しい決断なのだ。忸怩たる思いに配慮すべき言動でなかった以上、取り入れる真似はできない。指揮に関わる。

 何より、取り入れられると考えての発言ではなかった、とエルメンライヒは考えていた。

 その思惑を推察する間もなく、砲兵参謀が抗弁する。

「我々は要塞防御の任を十分に果たした! 敵に甚大な被害を与えた。そもそもの問題は貴様ら北部の連中が謀反など起こしたからだろう!」

 同意する様な声が幾つも上がる。

 トウカが間髪入れずに鼻で笑う。想定していた通りの反論なのだろう。

「なら、貴様らは倍の戦力があれば、あの重戦略破城鎚の攻勢を阻止できたと? 無理だろう。要塞の突破に特化した相手に、既存の要塞防御で抗せるものか」

 道理である。返す言葉もない。

 帝国は要塞攻略に向け、長い年月を掛けて新兵器を製造し、対する《皇国は既存の戦力と戦略の堅持のみに留めた差が戦野で生じた。兵力増強の提案は総司令部へと上申されていたが、それが叶ったとしても結果は変わらない。

「防御縦深と航空支援のない国土防衛など、今この時よりないと知れ」

 彼にとって軍事行動は機動と火力、縦深によって成されるべきものなのだ。想定内に収まる戦場など少なく、戦いの場は何時だって不確定要素を無数と孕んでいる。それを、彼は卓越した戦術と戦略で押さえ付けているに過ぎない。それはトウカにしかできない事でもある。

 苛烈な、刺すが如き言葉の応酬。

 エルメンライヒは、その遣り取りを片手で制する。

「だからこそ、貴官の指揮下に加われ、と?」

 そう、トウカはエルライン要塞司令部の指揮権を求めていた。無論、隷下の要塞駐留軍も例外ではなく、エルライン要塞の運営に関わる全ての部門への影響力も求めている。それは要塞司令官であるエルメンライヒの上位に位置する存在となる事を容認せよと言っているに等しい。陸軍と皇州同盟軍という指揮系統の違う軍事組織の将官を、総司令部の許可もなく上位に置くのは統帥権干犯となり得る行為であるが故に、エルメンライヒは苦悩していた。

 今、この時、彼の双肩にはエルライン要塞防衛の任に就く、全将兵の生命が掛かっている。

「まぁ、殲滅されたいのなら構わないが、火砲が喪われるのは避けたい。分かるか? 重要なのは砲兵だ。二〇〇〇門を越える火砲の喪失は、国防に影響する」

 重、軽砲だけで二〇〇〇門を越え、そこに重、軽迫撃砲や臼砲などを加えれば倍以上に膨れ上がる。それを一度に喪失するとなれば国防政策に影響すると、トウカは見ているのだ。

 トウカは反撃を考えている。

 それも、可及的速やかな段階でであろう事は疑いなく、ある程度の数の火砲を集積する時間的喪失を防止する為にこの場に現れたと取れなくもない。軍神殿は徹底的な抗戦をお望みである。

「総司令部に意見を通さなかった理由は聞かないでおこう。形式上、その提案は聞けないが、基本的な作戦は貴官に一任する。それで良かろう?」

 その辺りの妥協が限界である。

 軍神が一心にエルメンライヒを見据える。

 露骨な猜疑を宿した視線には苦笑せざるを得ないが、中央貴族の政策として孤立し続けていた北部貴族の代弁者である彼の立場もエルメンライヒは理解できる。

 彼は他勢力に属する者を疑わねばならない。それが北部に住まう大多数の者の支持を受ける条件の一つなのだ。

 ただ、トウカのそうした排他的姿勢が多くの可能性を奪っているのではないか。

 エルメンライヒは、深く頷いたトウカを尻目に、その若さに対して筆舌に尽くし難い幾多の感情を抱いた。









「御覧の通り、作戦としては然して目新しいものではない。端的に言えば、装甲軍団による奇襲だ」

 説明を終えたトウカに、要塞司令部の面々が拍子抜けしたような顔をしている。エルナその一人であるが、トウカの“奇襲癖”は彼の戦歴が示していた。彼は必要であれば友軍との会議中であっても“奇襲”を敢行する。

 エルナは思案する。

 不可能ではないが、軍がトウカの思惑に乗るとは思えない。

 そもそも、火砲など取って付けた理由に過ぎないようにエルナには見えた。機動力と航空戦力を重視するトウカだが、確かに相手の継戦能力を削ぐには金床として強力な戦線が有効である。敵戦力の拘束は、機動力の優位性に加算されるのだ。

 しかし、砲兵戦力の増大は、それを保証するものではない。

 あくまでも陸軍の管轄下にあり損耗も激しい。再編制と整備などを考慮すれば、後送しても前線での軍事行動に再び寄与するまでには相応の時間を必要とする。遅滞防御による時間の捻出を行ったとしても際どいと、エルナは予想していた。要塞に於ける火力支援に特化している都合上、付随するはずの弾火薬運搬車などの野戦展開能力を有さないという点を補う必要もある。

 視線の先で矢継ぎ早に作戦内容を掘り下げているトウカを、複雑な表情をしている参謀達を尻目に、エルナはエルメンライヒを見やる。

 だが、その横顔から表情は読み取れず、言質を取られる事を怖れているのだと推測できた。陸軍部隊が皇州同盟軍の指揮系統に命令もなく加わるとなれば、統帥権に関わる問題となる。あくまでも状況に応じて協力したという建前を堅持する為、友好的な姿勢と周囲に取られないように配慮しているのだ。

 陸軍部隊が嬉々としてトウカの隷下に加わるのは避けねばらない。あくまでも皇州同盟の正論と非常時に於ける妥当な判断の産物でなければならない。それも、遺恨がありながらという演出が必要である。政治的配慮であり、双方の身を護る為の方策であった。

 尤も、エルナには参謀達の様子が演出には見えない。国防の最前線たる大要塞の参謀ともなれば士官学校の首席や次席が多数を占める。優秀者(エリート)は高い矜持(プライド)を持ち、士官学校を出ているかも定かではないトウカに対する反発は大きなものがある。軍と言えどヒトが構成する組織に変わりなく、戦果のみが全てを決する要素となる訳ではない。

 当然、トウカはそれを知った上での事であろうと、エルナは見ている。彼は時に知識を棍棒にする事を厭わない。それは政治家との答弁で実証されている。エルナは三日遅れの新聞を読み漁る事で、それを確信していた。

「…………ここは貴様に華を持たせてやろう」

 エルメンライヒが溜息と共に呟く。

 それに合わせて参謀達の間に弛緩した空気が流れる。虚無感と安心感。

 自らの戦力では打開できない現状への虚無感と、将兵や自身が助かる可能性があるという安心感は、彼らに一時の呆然とした時間を齎した。

 トウカの作戦は、奇抜なものではない。故に相手が此方の思惑に乗るとは思えない。そもそも、奇襲を成功させるには地形が限定的であり過ぎ、遮蔽物も少なかった。奇襲が強襲に変わる可能性は十分にあり得た。

「んん? どうした、不満そうな顔だな」

 エルナの胸中を見て取ったトウカが、楽しげな表情をする。満面の笑みというには卑しく、狂相と呼んで差し支えない程に歪んでいた。参謀達が居心地悪げに身動ぎする。

「敵が……その、こちらの思惑に乗るとは思えません」

 無理せずに増援を得て、機動戦力で後衛戦闘を行いつつ撤退するという選択肢もあって然るべきだろう。ドラッヘンフェルス高地で防衛線を構築している戦力と連携すれば、圧倒的な戦力差にも辛うじて抗する事はできるかも知れない。参謀の中には、そう考える者も少なくない筈である。

 彼は何時でも、敵の戦力を削ぐ事に重きを置いている。

 陸軍は皇州同盟軍との連携に当たり、トウカが内戦で行った作戦行動の戦闘詳報が開示されているが、その内容は目を疑う程に攻撃的で殺意に満ちている。防衛戦ですら積極的な敵戦力の漸減を意図しているのは狂気すら感じた。軍人の中にトウカを危険視するのは守勢前提の国防戦略を学んできた将兵からすると受け入れ難いものがある為である。既存戦略からの転換……ではなく、国家の中に在って唯一、積極的防衛の可能性を模索し続けていたヴェルテンベルク領邦軍。その軍を母体として北部統合軍、皇州同盟軍が成立した以上、その戦略は積極的攻勢による敵戦力の漸減であるのは明白である。航空戦力に謎の長距離兵器……彼は常に遠くの敵を攻撃する手段を模索している。

 そのエルナの推論を聞けば、トウカは高評価したであろう。当然であるが実態は違う。

 トウカがヴェルテンベルク領邦軍に入隊したのは近年の事であり、長距離兵器の模索はマリアベルの命令によって成されたものである。無論、それは帝国領土へ向けるものではなく、ドラッケンブルクへと向ける為であった。

 エルナの推論は、中尉に過ぎないものとして特筆に値する者であるが、それは自身の感情に押し流されて言葉になる事はない。

 トウカの苛烈な言動が、それを赦さなかった。

 トウカが、エルナの疑問を鼻で笑う。

「相手が思惑に乗るか、ではない。乗せるのだ。この俺が」詰まらない事を言わせる、と言わんばかりに頬を歪めたトウカ。

 大した自信だ、とはエルナは思わない。軍神は敵軍を誘導する事にも長けている。

「まぁ、一度、リディアとも話しておこうか。なに、あれは俺が居ると知れば喜び勇んで仕掛けてくるだろう。ここで殺しておきたい筈だ」

 確信したかの様な物言いには酷く引っ掛かるが、敵軍上級司令部との交渉は陸軍では総司令部の承認が必要である。皇州同盟軍であるからこそ可能な芸当と言えた。

 一応に困惑を浮かべる要塞司令部の面々。

 エルナにも、その確信の意図するところは分からない。

 だが、軍神だけは、只々、嗤っていた。

 リディアが通信の報を受け取った半日前の話であった。





兵士を畑から収穫するが如き徴兵……共産主義国様ですね。

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