紫苑穢国のエトランジェ

扶桑之御狐

第一七六話    破城鎚と国内投資




「俺が敬うのは能力と実力、結果を見せた者だけだ。意味もなく年齢を重ねただけの老人に首(こうべ)を垂れる心算はない」

 トウカは、野戦机を挟んだ対面に座しているベルセリカにそう言い切る。

 昨日の政治家との交渉の際の横柄な態度がベルセリカには不満な様であるが、陸海軍の予算削減の言質を皇州同盟軍総司令官に求める相手の考えにこそ問題があると、トウカは判断していた。

 ――軍事的活躍をした男に不要だと言わせれば、陸海軍の予算増大に横槍を入れる事が叶うと判断したのだろうが……

 そして、彼らはトウカが陸海軍の拡充に対して否定的な言動を取ると踏んだ。

 軍事的に競合する部分も多々ある皇州同盟が、陸海軍に対する布石として提案に乗ると考えた事は容易に察せるものがある。無論、最近の共同演習や航空部隊を共同で設立した点を軽視しているのは、彼らが所詮は政治家だからである。政治が軍事に優越すると平時の通念を信奉している政治家は、自らの都合で軍事勢力を分断できると根拠なく確信している。それは例え異世界でも変わらない。

 だが、今は既に戦時下。軍事力が幅を利かせ、武力が闊歩し、暴力が降り頻る時勢である。

 最早、言葉に惑う事が赦される状況下ではない。

 眼前に差し迫った帝国の軍事的脅威から目を逸らし、議席を増やしても亡国となれば、その椅子に価値などなくなるというのに、彼らはそれに気付かない。

 政治での博愛や友愛の精神などは、国益に差し障りなきよう死後にでも発露させて貰いたいものである、とトウカは考えていた。

 しかし、ベルセリカは眉根を寄せて食い下がる。

「なれども、中央にこれ以上、敵を増やして何とする」

「そうですよ、主さ……閣下。軍刀の柄を掴んで、“叩き斬るぞ! 売国奴共が!“なんて。絶対に後で揉めちゃいますよ。もっと、仲良くしないと駄目ですっ」

 後ろで待機しているミユキからの言葉が背中に突き刺さり、トウカは「前向きに善処する方向で」と政治的答弁に留める。機会があれば友愛の証に鉛玉や小包(爆発性)の贈り物プレゼントをする心算であった。

「自称知識人共の意識を皇州同盟に向ける必要がある。戦争の主役である陸海軍への非難を全て逸らす……まぁ、その為の行動だ」

 ラムケやフルンツベルク、意外なところではエップなどが嬉々として政治家との応酬を繰り広げている。軍政家のエップ以外は、決して弁論に秀でている訳ではないが、声と身体の大きい者は己が主張を通すに有利である。主張の内容などトウカは気にしておらず、重要なのは見てくれと声が大きく、軍人の剥き出しの感情を叫ぶ人物であるという点のみである。下手に理屈を述べるよりも感情論を主体にする主張こそが受け入れやすい。

 ――特に軍人達には。

 トウカは陸海軍将兵に寄り沿った言動と行動を心掛けていた。

 皇国内では、経済停滞による治安悪化に伴う匪賊跳梁と、大規模な内戦によって実戦経験を経た将兵の比重が大きくなった。それは、彼らと同様に前線を駆け抜けた軍人達の言葉であれば、心情的にも寄り沿い易いという事でもある。

 トウカは民衆を理解はするが尊重はしない。

 《ヴァリスヘイム皇国》が事実上の権威主義国であるが故に。

 食糧事情を向上させ、経済さえ好転させれば、民意の致命的な暴発は現体制でも回避できると踏んでいるトウカは、陸海軍将兵との連携を重視していた。皇州同盟と陸海軍が本格的に連携して立体的戦術を進展させれば、貴族の領邦軍など装備と兵力の差で鎧袖一触。

 国内諸勢力に於ける戦力比率で優位に立てば、政治的失脚を意図した敵対行動を制限できる。本来であれば、国内問題は政治で決着を付けるのが当然であるが、一度、内戦という地獄の釜が開かれた以上、政治での決裂がそのまま軍事行動という最悪の結果に続くと誰しもが予期しているのだ。トウカも躊躇はしない。

 政治は踊る。進む先に軍事行動があると知って尚。

「愚かな事だ。誰も彼もが祖国に根拠のない普遍性を見ている」

 トウカの考えている対帝国戦争の第一段階は、ある種の博打でもある。最悪の場合でも、最低限の賭け金は回収できる見込みがあるものの、多額の賭け金を失うに変わりはない。元本保証が成されている戦争などありはしないのだ。

 陸海軍将兵の生命を掛け金とした博打を自身が打つという喜劇に、トウカは苦笑を零す。

 厳密にはトウカが主体となっている訳ではないが、それでも尚、そこにトウカの意思が反映されているのは事実である。

 異邦人と人中の龍による博打。近代史上稀に見る歴史の一幕となるだろう。

 博打の胴元は神々。

 世界という賭博場を人々に貸している神々は、幾多の生命と魂魄の寺銭に大いに満足するに違いない。

 南部鎮定軍を殲滅する事が叶えば、帝国の脅威は十年単位で遠のくと推測されているが、そこでもう一勝負する必要がある。政府や七武五公は断固阻止の構えを見せると予想されるが、そこはトウカが“勇気ある独断”を行えばいい。石原莞爾の真似事は癪に障るが、国際的に見ても報復としての軍事行動と見られるのは間違いなく、ましてや両国は国交を締結していない。互いに相手国を国家として承認していない以上、トウカが例え“侵攻”を行ったとしても、政治的空白地帯への“進出”という方便が成立する。

 戦争ではなく、治安の悪化している無政府地域への出兵という建前を以てして帝国侵攻を実現するのだ。

 無論、あらゆる要素が足りない現状では難しいが、どこかで帝国を混乱させる必要があると考えるトウカは、軍事的消耗を強いるだけでは足りないと考えていた。

 眼前のベルセリカは“勇気ある独断”を赦すだろうか?

 凛とした仕草に滲む凛冽な意志。

 政戦に善悪の概念がないと知りながらも、何処かで正義を求め続けているベルセリカの在り方は、トウカには好ましく思えた。

 ベルセリカは溜息を一つ。

 トウカの認め難い正論に対してか、或いは祖国の危機感の欠如に対してか。

「それが近代国家に住まう者の性(さが)で御座ろう」

「近代国家の安定した政治体制は国民に絶対的な価値観を与えるのか……或いは、淘汰の末に安定した国際関係と大国が成立したが故か」

 無論、皇国の場合は高位種による安定した国営が行われ、尚且つ長命な種族によって過去の事象の多くを経験として有し続けている点も大きい。悲劇的な過去を知る者が長命であるが故に、他国よりも遙かに過去を継承できる点も優位に働く。

 ヒトは世代を経る毎に悲劇を風化させ、同じ過ちを繰り返す。

 皇国は頻りに世代を経る人間種以外の種族が無数に存在し、知性と知識、体験の劣化速度が他国よりも遙かに遅い。

 だが、そんな彼らも計算に入れていない事がある。

 科学技術の進歩である。

 何時の日か、彼らの積み上げてきた過去は、科学技術の進歩の前に相殺されるだろう。現在でも記憶媒体の質的向上や保存方法の制度化によって、知性と知識、体験の劣化は低減され続けている。

 そして、科学は効率化とあらゆる要素の増大を実現する。

 賢者は歴史から学び愚者は経験からしか学ばないとは鉄血宰相の言だが、皇国には賢者という名の長命種が無数におり、後は科学技術の促進こそを求めればいい。

 皇州同盟による工業や産業に関連した企業への支援と影響力拡大は、トウカのそうした思惑を踏襲しているに過ぎない。

「まぁ、政戦共に急ぐ事もない。能力のない者は淘汰され、我々の出番が近付くに過ぎない」

 時間と生命を消費して国家を存続させんとする者達の末路に、トウカは思いを馳せる。

 無数の航空騎の舞う空を見上げる。ベルセリカとミユキも、それに釣られるように後に続く。

 機械化著しい皇州同盟軍と〈北方方面軍〉による合同軍事演習中であるだけあり、周囲の雪原は兵器と将兵に満たされている。

 両軍共に成立から日が浅く、部隊間の連携の不備や練度不足などの問題がある為、合同軍事演習が実施されたのだ。

 参加兵力は四万を越え、ミナス平原で三日間の戦闘訓練が予定されていた。空挺作戦や機甲戦、屋内戦などの以前の皇国では成されていなかった演習内容も含まれている。これはトウカの意向を受けた皇州同盟軍司令部が戦闘訓練内容を立案したものであった。

 トウカは万能ではない。

 この世界よりも進んだ歴史を知るが故に、戦術や戦略、戦闘教義(ドクトリン)、技術などは優れたものを持っているが、突き詰めた部分などは、やはり多くの経験を積み、研鑽を続けた専門家達の独壇場である。トウカは教育方法の提案はできるが、それは大凡の全体像のみであり細部を詰める事は難しい。知識で理解している事と、実体験に基づいた経験では大きな差がある。

 発想と表面的な知識だけでは補いきれない分野が多岐に渡るという事実に、トウカは焦燥に駆られていたといっても過言ではない。

 無論、表面上では半年程度で二〇年もの進展を見たとも称される軍事技術や戦闘教義や、科学分野発展への大規模な資金投入や設備投資などは大きな評価を受けているが、それでは足りないと、トウカは見ていた。

 これからの時代に必要なあらゆる分野に資金を投じ、技術を発展させ、効率化と普及を進める為の時間を、トウカは何よりも欲していた。

 その為には帝国の野心を挫かねばならない。否、利用するのだ。

 帝国を華々しく退け、逆侵攻を実現して自らの権勢を確固たるものとしつつ時間も捻出する。勝利は信用を齎し、皇州同盟陣営に大きな利益を保証するだろう。

「どの道、主導権は帝国主義者にあり、我々はそれに抗する為に力を蓄えるしかない。……例え他者を退けてでも」

「阿呆(あほ)ぅ、中央貴族や政府は友軍ぞ。確執は在れども配慮はせい。上手く唆し、操ってこその為政者で御座ろうに」呆れた声音のベルセリカ。

 極めて正論であるが、皇州同盟はその成立理由から国内にも敵が必要である。北部地域の将兵を主体としている以上は止むを得ない事だが、トウカとしても徐々に敵対心を帝国へと遷移させていく心算であった。

 単純に心情で中央貴族や政府への敵対心を見せていると思われるのは心外である。

 無論、この点は安易に口に出す事はできない。身内すら騙し遂せねばならないのだ。

 七武五公……特にアーダルベルトとの批准によるものであるが、二人は国内対立を今暫くは“演出”し続ける事で合意している。盤石と勘違いされては、差し迫った脅威に軽挙妄動を起こす者が自重してしまうかも知れない。この国難を利用し、敵対的な勢力の軍事力と政治力を削がねばならなかった。

「彼らが跪くというのなら考えよう。元はと言えば、彼らの北部への仕打ちから生じたこと。俺が譲歩する必要などないはずだ。それに、被害者面して毟れる内は毟らねば」

 事実、資金不足なのは事実である。

 大規模避難は政府の臨時予算編成に組み込まれ、中央貴族などからも拠出されているが、帝国の攻勢を退けた後の復興はお座成りにされるのは疑いない。彼らからすると北部が経済的に躍進して力を付けるのは避けたいはずであり、故に戦後の北部経済発展は皇州同盟に掛かっていると言っても過言ではなかった。

 失敗は経済危機に直結し、それは軍事力の行使へと続く事は疑いない。

 ヒトという生物は、火急の際に在っては目に見える力に頼ろうとする傾向がある。そして、軍事力は彼らにとって極めて明確な力なのだ。

 そして、その先鋒を担う立場に皇州同盟は追い遣られるだろう。その時はマイカゼやミユキもまた同様である。

 未来は不明確だが、状況を推測すれば何通りかの結末が見える。

 トウカは、野戦机上に用意された紅茶を手に取って啜る。

「はてさて、未来は如何なる悲劇に彩られるか」

 無論、全力で帝国主義者諸兄に押し付けるべく、トウカは動く心算である。

 給仕となって御茶汲みをしていたミユキと、気難しげな表情のベルセリカが顔を見合わせる。

「悲劇なのは決まっちゃってるんですね……」

「皇国臣民への悲劇は避けたいが、総てを避け得るは叶わぬで御座ろうな」

 二人にとって故郷である北部地域が蹂躙される可能性が高い事は気を重くさせる。トウカにとっても、マリアベルから託された大地を一時的とはいえ、帝国主義者に明け渡さねばならない事は酷く屈辱であった。

 戦闘爆撃騎や襲撃騎などの対地攻撃騎が対地襲撃訓練を開始したのか、連続した風切り音が遠方で響く。

 戦闘爆撃騎は対地攻撃兵器を装備した戦闘騎であり、その中でも高位魔導士の搭乗した戦闘爆撃騎は襲撃騎と呼ばれて配備されていた。概念(コンセプト)としては、労農赤軍の襲撃機(シュトゥルモヴィーク)であるイリューシン Il-2などの装甲軍用機に近い。対空火器の破壊などの迎撃や邀撃を受ける可能性の高い任務……各種近接航空支援で、先鋒を務める事を目的にした騎体である。

 トウカの思惑としては、将来的に電波探知機(レーダー)を用いた電子警戒網を撃破、無力化する為の敵防空網制圧(SEAD)を重視していた。敵の地対空誘導弾や対空火器射撃統制機構が放つ地上電磁波放射装置を探知し、対電波探知機誘導弾レーダーミサイルや精密誘導爆弾などによって撃破する為である。

 その有効性を東南亜細亜で米帝空軍の狂暴な鼬ワイルド・ウィーゼル達によって示された戦果は、大日連陸軍に計り知れない衝撃を与えた。大日連陸軍の一度は途絶えた襲撃機の系譜を復活させた一九式重襲撃機の採用に繋がり、近接航空支援能力を飛躍的に向上させる切欠となったのだ。

 血によって贖われた不見識を今一度見過ごす心算は、トウカにはなかった。

 防音障壁と防寒障壁によって比較的快適な大地……小高い丘から見下ろす軍事演習は壮観だが、トウカの求める規模には遠く及ばない。一人でも多く戦力化する為、整列や行進などの基本教練を省き、戦闘技術の向上に重きを置くという好ましくない真似までしているが、それでも尚、不足している。閲兵式などとてもできたものではない。

 過ごし易い適温に保たれているが故に、足元には雪など窺えない。周囲の雪原とは白と茶の境界線による一線を画した人口の大地からトウカは“戦力”を睥睨する。

 その背に、ミユキの声が投げ掛けられる。

「ぬ、主様っ!」

「ハイドリヒ少将です、閣下。御目通りを」

 振り向いたトウカは、戸惑うミユキを押し退けて現れた浅葱色の髪の女性へと視線を巡らせる。本来であれば、取り次ぎを押し退けた事を咎めるべきであろうが、その息の上がった様子に、視線で言葉の先を促す。



「エルライン要塞の第二城塞線まで陥落とのこと」



 小鳥の囀(さえず)りを思わせる可憐な声音が凶報を奏でる。

 浅葱色の髪を右で束ね、憂いを帯びた榛(はしばみ)色の瞳を備えた清楚可憐にして美貌の憲兵少将の言葉に、周囲の参謀達や司令部要員の喧騒が止まる。

 そして、トウカとベルセリカを窺う様な視線が幾条も飛来する。

 見守るかの様な視線に煩わしさを感じ、トウカは“現状に変更なし。演習を継続せよ”と命令する。幾許かのぎこちない答礼を経て、北方方面軍司令部と皇州同盟軍司令部は動き出す。

「エルライン要塞司令部と陸軍総司令部は混乱の渦中にあります」

 落ち着きを取り戻した、否、恐らくは両司令部の混乱に、クレアは然したる意味を見い出していないのだろう。

 エルライン要塞失陥に際し、寧ろトウカがどの様な作戦行動を取るかという点こそを重視しているのだ。失陥に対する明確な対応というのは、陸軍でも幾つかに分かれており、〈北方方面軍〉の三個機動師団や八個戦闘団(カンプグルッペ)を主体とした戦力による遅滞行動が予定されていた。無論、決戦はベルゲン近郊のミナス平原を含めた戦域となる様に状況を誘導していく予定である。

 エルライン要塞は三重の城壁と本丸である城郭都市を含めた総称であるが、その城壁が短時間で二つも抜かれるとは只事ではない。大方の予想では兵力差に押し負けて城壁を一つずつ失陥する流れであると見られていた。

 だが、第一城塞陥落の報はなく、突然に訪れたのは第二城塞陥落の報であった。

 有史以来、一度たりとも突破された事のない城塞が短時間で二つ陥落したという事実。

「列車砲……いや、絨毯爆撃……まさか本当に坑道戦か?」

 一体、どの様な作戦を用いたのか。

 恐らくは、それ相応の準備期間を必要とする策であろう事は予想できるが、予想する作戦のどれもが現時点では帝国軍に行使不可能なものであると、トウカは見ていた。大多数の兵器は、攻撃可能な位置への移動中に索敵網に捉えられ、対応が行われるはずである。故に以前までのものとは一線を画する射程か発想の下に行われた作戦であろうという部分のみが推測できた。

 姿勢を正したクレア。

 トウカは顎を上げて言葉を促す。


「重戦略破城鎚と呼ばれる兵器の戦果とのことです」


 重戦略破城鎚。

 戦略規模の破城鎚。

 ――高々、時代遅れの破城鎚が戦略兵器? いや、事実、戦略規模の要塞拠点攻略に寄与する以上は戦略の名を冠する事も有り得るか。だが、破城鎚など近代戦では使ったとしても屋内への突入程度のはずだが。

 全く以て想像が及ばない。

 破城槌は、城門を破壊する為の攻城兵器で、紀元前二〇〇〇年前後には既に歴史上に姿を見せている。当時の形状としては、丸太を一個小隊程度の人数で持ち、突進して城門に追突させるものであった。防護手段や移動手段などで改良が進むが、日本の戦国時代であっても材質が木材であるという点に変化はなく原理も同様である。

 当然であるが、エルライン要塞は近代的な改修を繰り返す近代的な防御施設である。通常の破城槌など役に立たない。破城鎚など近代戦では目撃するのも稀だろう。

「想像も付かないな。城塞の規模を踏まえれば、破城槌の規模も大型化しているだろうが」

 まさか、巨大な鋼鉄製の杭を両側から戦車で挟んで固定し、そのまま突撃という事はないはずである。同時に帝国主義者の無理無謀は、その末裔たるトウカも良く理解していた。

 クレアは、トウカの思考が落ち着いたと判断したのか言葉を続ける。

「概要としては、途轍もなく巨大な鋼鉄の破城鎚を軌条(レール)と固体推進剤を利用して加速。射出後は下部の橇(そり)で雪上を滑走し、城塞を直撃するというものです。合計で六発、使用された模様」

 呆気に取られるトウカ。

 眼前のベルセリカもまた同様である。ミユキなどは“大きな橇(そり)を体当たりさせたんですね”と尻尾を逆立てていた。発想としては間違いではなく、ミユキが驚くのも無理はない。酷く原始的であるが技術的難易度は低い。

「のぅ、トウカ。それは可能で御座ろうか? 思う侭の場所へと突入させるは些かの困難が伴いそうであるが……」

「地面を掘り、それに沿って突入させるのであれば可能でしょう。だが、その表情を見るに違うようだな、ハイドリヒ少将」

 クレアの表情を見て取ったトウカは、溜息を一つ。

「はい、閣下。誘導方法は一瞬のことであった事もあり、錯綜している模様です」

 御明察に御座います、閣下、とクレアが微笑む。

 全地球測位機構(GPS)誘導も、赤外線誘導もなく、通信衛星や17K114レゲンダもない。地形照合(TERCOM)や慣性航法装置(INS)も電子部品の雛形すらできていない状況では難しく、同時に魔導技術での模倣もまた難しい。ましてや地形は砲兵同士の砲撃戦によって存分に耕され、戦闘車輌の残骸も無数に擱座している。地上を滑走する以上、地形の影響を極めて大きく受けるのは避けられない。

 そして、使用回数と城壁二つを崩壊させたところを聞くに、命中率はそれなりのものがある。

 ならばトウカは思い当たる可能性は一つしかない。碌でもない可能性である。


「恐らくは有人だろう……異世界でも神風は吹くと見える」


 周囲を沈黙が包む。

 周囲で耳を澄ませていた参謀達から呻き声が響く。卑劣や卑怯、人道を非難する者がいれば司令部から摘まみ出す必要があった。参謀であるならば、客観的に状況を推測せねばならない。例え、その作戦が不愉快であったとしても、有効であるならば対策を立案し、敵の意図を挫かねばならない。敵を罵るのは参謀の任務ではない。

「脱出は……叶わぬで御座ろうな」

 要塞砲の間接照準を突破し、直接照準も叶わぬ速度で滑走する兵器からの離脱は不可能に近い。飛行可能な種族であれば可能であるかも知れないが、帝国は大多数が人間種の国家であり、特に飛行種は存在していなかった。落下傘を装備した射出座席を帝国主義者が用意するとも思えない。

「絶対に助からないのに乗っちゃうんですか?」

「そうだ、ミユキ。それが搭乗者の愛国心の発露か、軍の強制であったかは過去となった今では意味のない議論だ。どれ程の効果があり、損失があったか。その点を我々は考えねばならない。……これが、御前(おまえ)が身を置こうとしている世界だ」

 目を背けるならば去れ、とトウカは周囲を睥睨する。

 ミユキだけではなく、参謀達に対しても同様である。

 帝国も、この戦争に今まで以上の決意を以て望んでいる。

 ならば、皇国もまた、今迄以上の決意で臨まねばならない。










 トウカは、ミユキやクレアと一足先にフェルゼンの皇州同盟軍総司令部へと帰還していた。

 空挺訓練を終えた輸送騎に便乗する形での帰還が予想外だったのか、皇州同盟軍総司令部に詰めていたエップとディスターベルクが押っ取り刀で出迎えるだけで、他の人員は姿を現さなかった。否、それ程に混乱しているという事である。

 因みにラムケやフルンツベルクなどは、合同軍事演習で活躍している為、皇州同盟軍総司令部にはいない。そして、シュナイトフーバーは今日も今日とて皇国各地を飛び回って支持者獲得に精を出している。

 フェルゼンの旧ヴェルテンベルク領邦軍司令部を流用して新設された皇州同盟軍総司令部、その執務室の沈み込む程に柔らかな黒革の執務椅子に腰を下ろしたトウカ。

 執務机を挟み、ミユキとクレアが佇んでいる。特注に誂(あつら)えられた軍装と憲兵隊仕様の第一種軍装は、皇州同盟軍総司令部では比較的珍しい。無論、前者に関しては高級将校の服務規定が緩い為、奇怪な軍装が氾濫している事もあって突出したものではなかったが。

「では、第三城壁での立て直しは辛うじて成功したと?」

 魔導通信の送受話器を手にしたトウカは、遠くエルライン要塞の要塞司令官へと訊ねる。

『うむ。なれど、火砲の多くを喪失し、駐留兵力も行方不明を合わせれば三割に近い喪失だ。火力も戦力も急速に欠乏しつつある』

 エルメンライヒの重々しい言葉に、トウカは思案する。

 航空攻撃を行えば、敵の混乱を利用して駐留軍の再編制と体勢の立て直しは難しくない。だが、未だ十分な数とは言えない航空戦力の損耗は決戦に響く上に、陸軍総司令部との協議が必要となっている。流石に戦略爆撃という灰色の選択をした後では、堂々と協定を破る訳にもいかない。

 無論、陸軍総司令部の混乱を理由に“独自判断”を下すという選択肢もあるが、トウカは“人中の龍”が近接航空支援を自軍の損害で正確に理解した場合、対策が講じられる事を怖れた。静止目標である兵站施設や都市と部隊への航空攻撃には差があると思わせたい。

「目下のところ、最大の脅威は再度の重戦略破城鎚による突入。違いますか?」

『うむ、それを兵も恐れておる。あの質量では防ぎようがない。ましてや照準も間に合わぬ』

 本当に対策に思い当たらないのだろう。

 限定空間であるエルライン回廊は浸透突破が不可能であり、後方の発射拠点へ攻撃を加える事は難しい。近接航空支援による発射機の破壊こそが早いが、それでは航空優勢に於ける攻撃目標の高度な取捨選択が可能という真髄を教えてしまいかねなかった。ただでさえ戦略爆撃で気取られつつあるのだ。

 止むを得ない。

 エルライン要塞放棄を独断で決断する訳にもいかず、エルメンライヒも納得しないだろう。千金に勝る時間を捻出し、臣民の避難を完遂せねばならない。その為には断じて人柱になっていただく所存ではあったが、トウカもできる限りの事はせねばならない。

「そちらの参謀達はどの様な対策を?」

『発見次第、特定区域を持ち得る全ての火砲で曳火砲撃を行う。無論、砲撃型魔導士による集団詠唱魔導砲撃も例外ではない』

「……それが相手の思惑かと。弾火薬の消耗の強制に火砲の誘引。その対応は論外です」

 トウカは、エルメンライヒの言葉を切って捨てる。

 火砲による砲撃とは、照準を除いて引き金を引くという単純なものではない。風速や風向き、地形に目標の移動速度、未来位置の推測などを含めた諸々の測距が必要であり、射撃指揮所による管制も行われる。

 一区画に砲撃を密集させるということは、他の区画に再度、火砲を割り当てる場合、大きな手間が発生する。再度の測距と照準、管制……現場は間違いなく混乱する。

 歩兵や戦車などの接近を許すだろう。

 トウカは、溜息を一つ。

「相手は有人の特別攻撃兵器と想定されます。次に出現した場合、一部の待機させた火砲で、鼻先に閃光弾を撃ち込んでください」

 閃光弾であれば、直撃や至近弾でなくとも影響を及ぼせるだろう。

 至近での炸裂であれば失明は確実で、遠弾でも視覚を奪えると見ていい。圧倒的な光量の前には遮光眼鏡(サングラス)を用意したとしても無意味であろう。

『成程、その手があったか! それならば……』

「……“上手くすれば”進路を逸らせるでしょう」

 送受話器越しに盛り上がっているエルメンライヒには申し訳ないが、トウカは自らが口にした対策を確実なものであるとは考えていなかった。数を放たれれば、直進し続けるものも出てくるはずである。

 だが、帝国軍が、どれ程の数の重戦略破城鎚を保有しているか不明である以上、常に対策に物的資源(リソース)を割り振り続ける必要があるが、この厳しい戦況化に在っては可能な限り低減すべきであった。故にトウカもまた根本的対策を提示できない。

 二、三、確認事項を遣り取りし、トウカは送受話器を寄り沿うように控える位置へと移動してきたクレアへと手渡す。

 それを見たミユキが尻尾を一際大きく揺らす。副官としての立場が危ういと感じたのかも知れない。その可愛げに、トウカは苦笑する。

 気を取り直し、クレアへ今後の方針を告げる。

「今回の一件は、城塞諸共に吹き飛ばすことを躊躇った代償だ。然したる兵力も削げずに突破を許しそうだな……俺も皇州同盟軍から戦力抽出して嫌がらせをするとしよう」

 幸いなことに、眼前で演習中の戦力の中には装甲師団を含む有力な戦力が展開している。

 近接航空支援は決戦に備えて温存する事が決定しているが、帝国陸軍に然したる対地攻撃可能な航空戦力がある訳でもない。純粋な運動戦となる筈である。

 機動戦とは、火力ではなく移動力によって主導権を得る戦術である。

 軍事学上の攻撃力とは、戦力の移動力と敵戦力に行使できる火力の合計であるが、機動戦は移動力を主体として敵戦力を漸減することを前提としている。

 トウカの知る機動戦とは、野戦指揮官が任務を遂行する為に必要と判断した自由を許容する為の訓令戦術や、電撃戦の戦闘教義(ドクトリン)などを含めた、敵戦力の機動を優越する機動力によって戦闘の主導権(イニシアチブ)を得る戦闘行動である。

 ――有力な航空戦力のない中で純粋な機動戦か……しかも、軍狼兵や装虎兵の運動戦も交錯する戦場となれば戦史に残るだろうな。

 運動戦は、歩兵や騎兵を中心とした移動力による戦闘で、この世界では軍狼兵や装虎兵もこちらに含まれる。対して機動戦は、機関(エンジン)という機械力で高速移動力を得る戦闘車輌を主体とした戦闘である。

 トウカは、軍帽の上から頭を掻く。

「嫌がらせ、ですか?」

「ああ、そうだ。嫌がらせ、だ」

 軍事学に基づいた用語を使うには些か手段を選ばず、その上、非常識と卑劣を師団規模で揃えるとなれば、戦略や戦術と言うには憚られる。

 思案の表情のクレアを、トウカは見据える。

「そう言えば、貴官は随分と情報が早いな」

 考えてみれば、皇州同盟軍総司令部の伝達よりも早くクレアが情報を携えてトウカの前に現れたという点は不審な部分しかない。通常の兵科よりも情報の扱いが多い憲兵だが、情報部や総司令部に勝るものではなく、ましてやクレアは治安維持に多忙である。

「……エイゼンタール少佐と親しくさせていただいておりますので」

「そういうことにしておこう」

 色々と不明な部分は多いが、憲兵とはそうしたものである。第二次大戦後の祖国で特別高等警察と競う様に共産主義者(ボルシェヴィキ)の残党狩りを行った東京憲兵隊の逸話の数々を知るトウカとしては、妙に納得できるものがある。どこにでもいる監視の目というのは、クレアにも言える事なのかも知れない、とトウカは納得した。寧ろ、そうでなくては腹心として用いる意味がない。

「ところで、セルアノは動いているか?」

「はい、閣下。周囲が気でも触れたのかと思う程に」

 中々に個性的な例えに苦笑しつつ、トウカは戸棚を漁る。ラムケ秘蔵のウィシュケがあったはずである。

 ――首席政務官は首席政務官で独自の情報網を築いているということか。此方も便乗すべきだろうな。

「よし、北部の主要な大企業の株を買い漁るぞ。セルアノもしているはずだが、軍の予算からも資金を拠出しろ。全力で買い漁れ。好機(チャンス)が来る。関係各部署に通達を」

「はい、了解しました、閣下」

 クレアの敬礼に、トウカは答礼する。

 難攻不落と謳われたエルライン回廊の危機を察知した投資家は北部を策源地とする企業の株価を挙(こぞ)って売却するだろう。そして、他国の投資家は皇国企業の売却を進めるに違いない。株価の乱降下は、国内企業に暗い影を落とす。

 だが、トウカは皇国の存続を確信している。自らの手腕で存続させるのだ。だからこその稼ぎ時である。

「底値は陥落後だろう。北部を縦深とする構えを見せれば、膠着したと見て株価は落ち着くはずだ。政府には企業の保全の為とでも言っておけ」

 株式取引とは、他人の不幸に群がるのが勝利の秘訣である。

 地震が起きれば防災関連の株価が上昇し、疫病が流行すれば製薬会社の株価が上がる。高層建築物の基礎工事の不備が社会問題となれば測量や計測を行う会社が上昇し、原子力発電所が吹き飛べば計測器を製造している企業の株価が上がる。無論、戦争の機運が高まれば軍需企業の株価が上昇する。

「いや、一年の期限で企業や銀行から資金を借りられるだけ借りろ。いや、寧ろ政府に借款の打診だ。国内企業の株価の梃入れなら政府も喜ぶだろうからな。何より我々に貸しを作れる」

 国内企業の株価の梃入れは政府も行うであろうが、皇州同盟に借款した上で行われるなら、政府は皇州同盟に貸しを貸し事ができると喜ぶだろう。皇州同盟は人気取りが叶い、政府も貸しを作れる以上、双方共に悪い取引ではない。

 堅実な皇国政府は、戦争に託(かこつ)けた博打の如き荒稼ぎなど及びもつかないだろう。そもそも、損失もまた大きい。

「政府は兎も角、国内外の銀行などは貸し渋ると思いますが?」

 クレアの懸念に、トウカは一拍の間を置いて応じる。

「他国の銀行なら戦車や航空技術、戦訓を担保にすればいい」

 他国の軍や政府にそれを伝えておけば、仮に皇国が降伏したとしても戦車や航空騎の技術を確保できると一考するだろう。自然と銀行には圧力が掛かるに違いない。

 手段は問わない。

 株価を買い漁る。

 こうして北部貴族をも巻き込んだ株価への介入が皇国内では積極的に行われ始める事になる。

「では、閣下。その方向で諸勢力に働き掛ける様に関係各部署に通達いたします」

「ああ、任せた。ハイドリヒ少将。なんなら君も博打に参加すればいい」

 祖国の勝利を信じるならば、利益は保証されたも同然である。無論、耐えられずに倒産してしまう可能性のある企業の株価への関与は避けるべきだが。

 クレアは珍しく困り顔を見せる。

「それは、閣下……小官は裕福層の資金遊戯(マネーゲーム)に関わる心算は御座いません」

 堅実な生き方。軍人としても好ましい。

「なら、俺に賭けるとでも思えばいい。後悔はさせないが?」

 自分で口にしてはみたが、考えてみると悪の道に誘う不良軍人の如き言動である。女を誑かして日銭を稼ぐ間男と思われるかもしれない。

 だが、クレアは小首を傾げ、暫く思案の後、小さく微笑む。

「では、私が総てを喪いましたら、閣下は女神の島に捕らわれた私を揚げていただけますか?」

 揚げる。借金漬けで娼館に売られた自身を、大枚を叩いて買い取れということである。

 トウカは、自身の身体を担保にしてまで資金を捻出しろとは言っていない。クレアは何処か極端なところがある。目標を定めたならば、それに対してあらゆる手段を講じて達成しようと行動する様は、ある種の狂気すら感じさせた。ヴェルテンベルク領の治安維持の結果が、断固たる決意と行動の末であった事を書類上で知るトウカは、クレアの言葉に額面以上の重みを感じたのだ。

「……俺を困らせてくれるな。ミユキも剥れるな」ミユキの狐耳を引っ張るトウカ。

 クレアは「失礼をしました」と一礼するが、その表面上は穏やかな表情から本心は読み取れない。上辺だけを見れば冗談とも思えるが、経歴を考慮すれば冗談では済まないのだ。

 ミユキは引っ張られた狐耳を押さえながら、そうだ、と尻尾を立てる。

「主さ……総司令官。最近、中央貴族の中で凄く敵対的な集団がいるって噂が――」

「――ロンメル子爵、それは情報部から報告書が既に閣下へ送られているはずです」

 ミユキに情報が届いている時点でトウカに届く様では情報部として論外なので、クレアの指摘は正しいのだが、叶うならばミユキに配慮を見せる形で指摘して欲しいものだ、とトウカは溜息を一つ。

 言葉を遮られたミユキは狐耳をぺたんと寝かせている。落ち込んでいるようであった。

 ――しかし、ミユキを階級ではなく爵位で呼ぶか。隔意がある訳ではないだろうが……まぁ、貴族の思い付きでこの場にいると見えてしまっても仕方がないか。

 軍隊内にあっては軍階級というのは絶対的な示準である。私設軍である領邦軍や皇州同盟軍はその辺りが些か緩い面もあるが、それでも尚、貴族が爵位や宮廷序列という肩書をそのままに軍務に携わる者を忌避する者は少なくない。無論、軍機が軍階級と命令系統以外の統率を許容する事はないが、爵位や宮廷序列はそれを擾乱し得る可能性を秘めている。

 可能性があれば、軍人は警戒心を抱く。一つを見逃して総てを喪う性質の職務である以上、それは致し方なきことである。

 だからこそ、貴族の中には、入隊する際に爵位を一時的に皇城府に願い出て返上する者も存在する。

 ミユキの覚悟とはトウカと共に在る事に集約されており、軍事的な理由は介在していないに等しい。故に軍人達からすれば、ミユキの立場は“御嬢様の社会勉強”に過ぎない。そして、トウカもそれを否定できない。

 トウカは、二人から視線を逸らす。問題を棚上げにしたとも言える。

 棚上げついでに、話題を振る。

「エイリヒカイト、ルミナスカイトの両伯爵家か……左派の両翼だな」

 トウカが口にした両伯爵家は共和国との同盟による帝国との膠着状態を演出し、事実上の停戦状態を実現しようとする左派勢力であった。夢想を喚き散らすだけの急進的左派と比較して、現実的な和平状態の実現を目指す者達である以上、トウカとしては一定の評価をしていたが、残念ながら先方からのトウカに対する評価は極めて低い。

 戦略爆撃で帝国の敵愾心を煽ったが所以である。

 彼らの語る目標は、帝国との軍事力による均衡と、帝国の消極的対外姿勢の誘発である。トウカの戦略爆撃は後者の可能性を致命的なまでに奪い去った。

「ミユキ……最近、御前も彼らの思想に迎合する言動が多い様だが?」

 ミユキはそうですっ!」と目を輝かせる。

 マイカゼの差し金、そしてクレアの思惑もまたあるのかも知れないが、ミユキのこうした姿勢は、トウカも好ましく感じている。多くを見聞きし、経験すれば後の糧となるだろう。

 紅茶の急須(ティーポット)を手にしたミユキが、茶杯(ティーカップ)へと注ぎながら甘い理想を語っている。

 身体を乗り出しながら紅茶を淹れるので、大きな胸が開襟形状の奥に覗く襯衣(シャツ)、その釦(ボタン)が弾けそうな程に押し上げられている様子まで視界に広がる。

 トウカは視線を逸らし、執務机の引き出しから葡萄地酒(ブランデー)の小瓶を出す。

 今更、恥ずかしがる事ではないが、軍務をしている執務室での微かに窺える性というのは、また違った背徳観と気恥ずかしさがある。

 ミユキが何かしらを口にしていが、それを片手で制したトウカ。

「残念ながら御前を愛する事と、御前の政治姿勢を肯定するのは別問題だ」

 そこを混同してしまえば、トウカの政治的評価は喪われる。立脚点とするのは良いが、個人の言動を受けて政策を一瞬で真逆のものと変化させてしまえば、それは最早、政治ではなく我儘でしかない。

 無論共和国と協調はできても同盟はできないと、トウカが踏んでいる理由は権威主義国と共和主義国の差異に依る処である。共和主義国が権威主義国を打破して成立した以上、同盟には政治体制の面での配慮と譲歩が必要となる。議会の権限拡大などを求められれば権力の分散に一層の拍車が掛かりかねない。現在の皇国には権威の象徴たる天帝が不在なのだ。共和主義勢力が伸長するには絶好の機会である。

 トウカはそれを断じて許さない。挙国一致体制が遠退きかねないからである。

「御前の甘い理想は叶わない……それは歴史が証明している。……この様に」

 葡萄地酒(ブランデー)の小瓶の木栓(コルク)を抜き、その琥珀色の雫を紅茶へと垂らす。

 否、垂らすという表現では収まらない程の量が注がれ、茶杯(ティーカップ)の縁に迫る程に葡萄地酒(ブランデー)が満たされる。最早、紅茶の気配など窺えない。

「甘さは欠点であり、弱点となる。そして、僅かな綻びで混乱する」

 僅かな酒精(アルコール)が紅茶の甘さを消し去り、独特の鼻を突く臭いを胸に満たす様に。

「弱さは罪。どこかで罰が振り下ろされ、一番大切な者を傷付ける事になる」

 敗北を、それを招く脆弱さを自身には許容しないという意思。

 トウカの瞳にはそうした意思が、暗く爛々と輝いている。

「ただ愛されるだけで満足できないなら、俺を納得させるだけの情報と材料を携えてくると良い」

「……そ、それはっ」ミユキの戸惑い。

 今、トウカは恋人ではなく副官に対して話をしているのだ。

「それが国家に影響を及ぼすという事だ」

 トウカは軍事力という材料を揃える事で国難を乗り切る心算である。

 そして彼女もそれを望んでいる。

 瞼を閉じれば廃嫡の龍姫の姿が浮かぶ。

 背中越しに満足げな笑みを投げ掛けてくる姿は、疎ましくもあり、勇気付けられるものである。困った事に、相反する感情を抱かせるその佇まいに、トウカは恋焦がれ、彼女の意志を継承する途(みち)へ足を踏み出した。


「そうだ。彼女はそうしていた」


 その言葉は誰に聞かせたものなのか。

 それは、トウカにも分からない。







 ワイルド・ウィーゼルは、敵防空網制圧任務を課される《米帝》空軍の航空機の通称。狂暴なイタチを意味する。その通称は、地対空誘導弾の索敵と制圧を専門とする航空機の開発計画であったワイルド・ウィーゼル計画に由来。第二次世界大戦中にレーダー対抗爆撃機の為に使われたコード名フェレットと区別する為にイタチとされた。

 《大日連》陸軍は、ビルマでの小競り合いでワイルド・ウィーゼルの威力を見て瞠目。後年、これに類する一九式重襲撃機を開発、配備している。ちなみに陸軍所属なのは《大日連》に空軍がないからである。


レゲンダ(17K114)

 レゲンダ(ロシア語では伝説の意)は、《ソヴィエト連邦》が構築したC4ISTARシステム。宇宙統合観測機構(ISRシステム)まで含む包括的なシステムで、ソ連海軍初の戦術レベル自動攻撃システムであった。無論、トウカ君の世界ではソ連が早期に消滅しているので、《大日連》支援の下で《シベリア帝国》が運用している。

《大日連》や《シベリア帝国》海軍は、長射程の重対艦誘導弾の正式化に伴って、その測的の為に各種航空機を投入していたが、主要国の洋上航空作戦能力の向上を受け、測的を行う航空機の生残性に疑問が生じたこともあり、1960年代初期より人工衛星を利用した地球規模の海洋統合観測機構の構築が計画された。これによって開発されたのがレゲンダである。



 賢者は歴史から学び愚者は経験からしか学ばない。

          《大独逸帝国》 宰相 オットー・エドゥアルト・レオポルト・フュルスト(侯爵)・フォン・ビスマルク=シェーンハウゼン


 トウカ君の世界でも、石原莞爾閣下は独断大好きの石頭さんです。

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