紫苑穢国のエトランジェ

扶桑之御狐

第一六九話    殲滅戦争



「彼らの攻撃は成功しているでしょうか?」

 クレアは〈第七二一戦術爆撃航空団(TKG 721)〉から分離した第二梯団による航空攻撃が行われているであろう都市であるオスロスクへと視線を向ける。既に視界の彼方となりその様子は窺えない。仄かにオスロスクの方角の空が赤みを帯びている様な気がしたが、あくまでも感覚的なものであり確証はなかった。

 ノナカは刀傷の走る頬を歪めて野太い笑声を零す。

「御冗談! うちの組のもんに臆病者はいませんぞ。きっちり低空から侵入してどでかいのをくれてやっている事でしょうなぁ」

「爆撃高度は一任しましたが……」

 低空での目的地への突入は強固な迎撃網に捕捉される可能性がある様に思えた。無論、初見で重爆撃騎の空襲に即応できる指揮官が存在する場合であるが。

 クレアは航空攻撃に造詣が深い訳ではない。あくまでも知識上に留まっており、トウカの提案した戦闘教義(ドクトリン)も細部を詰める為に陸海軍の総司令部の参謀達が顔を突き合わせ、試験航空部隊による運用方法の策定と効率化の為の演習を日夜繰り返している。

 一人が理解していても意味がない。司令部が理解し、士官学校での教育方法を策定し、教育を司る部隊が教育方法を練る。そして、訓令や定義を将兵に周知させる。それには長い時間と予算が必要となる。

 トウカの様に一部隊に優秀な将兵を集中した上で訓練を施して投入するという真似は、常識的な軍であれば選択しない。戦闘教義(ドクトリン)とは隷下の部隊全てに適応させてこそ意味があるもので、その大規模訓練方法や物資、場合によっては編成の変更、それに伴う兵站線の強化なども含まれる。使用する兵器が大きく変化する場合は、生産や分解整備の為の整備兵や補充部品の供給などと必要項目は挙げれば限がない。

 ましてや集中して鍛え上げた一部隊を投入して損耗してしまえば、教導部隊としての運用はできずに技術は喪われる。そして、補充も容易には叶わない。

 恐らく、とクレアは戦争屋の思惑に思いを馳せる。

 ――彼は常に新機軸の技術と兵器を投入し続ける事による優位性(アドバンテージ)を最大限に活用する積心……でも、今回は何処か限定的な気がします。

 確かに戦略爆撃の威力が目を瞠るものがあるが、〈第七二一戦術爆撃航空団(TKG 721)〉の戦力は重爆撃騎の総数は九六騎。

 更に大規模な航空攻撃が可能となるまで秘匿しておく事を、トウカであれば選択する様に思える。軍事的に決定的な場面での投入を行うはずであった。

 ――間に合わないと判断した……違う! そんなはずは……いえ、違いますね。これから爆撃する都市を考慮すれば、そこに政治的意図がある事は明白でしょう。

「ノナカ中佐、現状で問題は生じていませんか?」

 リシアからの非常識な提案の内容を考えれば考える程、クレアは緊張を覚えた。口内の水分が喪われ、舌先が渇く感覚すら感じられる。

「何一つありませんや。我が〈第七二一戦術爆撃航空団(TKG 721)〉、第一梯団は人口密集地を避けつつ飛行を継続。そろそろ見えますぜ」

 窓越しに窺える白み始めた夜空の中、光の奔流を以てその存在を誇示している大都市。


 白亜都市エカテリンブルク。


 以前は帝国陸軍南部鎮定軍の総司令部が展開していたというだけではなく、兵站の一大拠点にして交通の要衝としても名高いエカテリンブルクを、トウカは非常に重要視している。政治的にも帝位継承者が一人、エカテリーナの策源地である為に政治的な要地とも言えた。

 兵站線への負担だけを考えるならば、オスロスクのような物資集積地点を担うベルジンスクやアルゲントゥイ、アルセイニエフなどの諸都市への爆撃で十分であり、エカテリンブルクを空襲する以上、その目的は政治的なものであると見て間違いない。

 一体、この作戦を提案したリシアは、どの様な意図を持っているのか。

 クレアは、リシアの背後にトウカがいると確信していた。作戦に自由度を与えつつも、リシアを通して暗に助言をしいるのだ。

 表面的な、政治的混乱を誘発する為などという言葉をクレアは信じてはいない。何らかの思惑があるはずであった。

 南部鎮定軍司令官であるリディアも帝位継承者である事から、その繋がりを狙っての政治工作を含めた軍事行動であるという線が濃厚だとクレアは考えていた。姫将軍とも呼ばれるリディアの失脚を意図した政治工作は有効なものであり納得はできる。リディアの後ろ盾であるエカテリーナへの一撃が必要な局面が水面下で発生しているのかも知れない。

 だが、クレアの憲兵としての勘が囁くのだ。それも違う、と。

 そもそも、リシアとトウカの関係は深いものがある。リシアの提案自体がトウカの意向を受けているとすれば、話は更に複雑なものとなる。

 なぜ直接に提案しないのか?
 なぜ作戦の意図を隠すのか?
 なぜ自身などを選んだのか?

 分からない。

 酷く不愉快でいて、焦燥に駆られるものがあり、それでいて期待と憧憬が入り混じった感情が胸中に燻ぶっていた。

 畏敬か恋心か。
 期待か絶望か。
 憧憬か軽蔑か。

 狂おしいまでに多面的な要素を持つ戦争屋。

 気が付けば、その事ばかりを気に留めている。

 彼を前にすると表情を取り繕う事が難しく、だからこそ努めて事務的に接するしかない。

 意味のない事である。

 クレアは小さく微笑む。

 彼女は私人として不誠実を嫌う。

 恋人がいるのだ。否、それ以上に彼と権力を混同してしまいそうな自らの心情を、クレアは唾棄してもいた。

 ――ハルティカイネン大佐は理解していない。彼が貴女の想いに応えることはない。

 確信があった。

 クレアには解るのだ。憲兵将校であるが故に。政治権力に寄り沿う職業であるからこそ、トウカの心中を痛い程に理解できる。

 自身を自身として見る者はおらず、その肩書はクレア・ユスティーナ・エリザヴェータ・ジークリンデ・ハイドリヒという名を押さえ付け、恋心を磨滅させ得る程に多くの悪意と欺瞞を、誘蛾灯に群がる害虫の如く吸い寄せる。

 純真な恋を、真実の愛をそこから見い出すなどヒトの身には敵わない事だ。

 彼もまた、そうなのだろう。非道でいて酷烈な態度の彼は、その点だけは夢見る若者の様なものを求めて現実と虚構の間を彷徨っている。

 
 恐らく彼は……トウカはミユキに恋心など抱いてはいない。


 彼にとって彼女は恋愛の対象ではなく、依存の対象でしかないのだ。

 ノナカの口にした通りである。

 彼もまた護るべき者を守護する為に並はずれた力を発揮するが、そうした在り方をしているからこそ、自然と依存の対象を見い出そうとするのかも知れない。

 自らの総てを隠し、或いは喪った状態で接した際に接した者が偶然に彼女だったに過ぎないのだろう。今、現在の彼は総てを疑い、自らの権力や軍事力を目的として近づいていると考えているのだ。その言動と行動から、そうであるとクレアも確信しており、自らにも経験があった。そして、それが酷くヒトとして間違った考え方であると理解もしている。

 だが、それでも尚、そうあり続けるのだ。

 大多数が不誠実であり虚構であると確信し、それを見抜き得る自信と才覚を持ち得ない故に。

 政治や軍事という分野には折り合いを付けた対応と決断が可能であるが、恋愛に関してはそれが不可能だと考えているのだ。何よりも個人の心情と感情、直観という数値化も文章化も難しい要素が総てを占めた恋愛感情に対し、ある種の不可侵性と直視し難い神聖性を感じているからこそである。

 不器用なヒト。

 若くして斯様な立場を得たからこその悲劇。

 クレアも憲兵中佐としてはかなり若輩であるが、トウカの肩書からすると酷く見劣りする。

 恐らくは、トウカは自身と同じように、否、それ以上に固定観念じみた恋愛観を内包しているに違いない。クレアはそう確信している。

 でも、だからこそ、クレアは例えこの身に燻ぶる感情がそうしたものであったとしても、決して口外する心算はなかった。

 自らの権力に群がる有象無象の雌と思われるのは酷く不愉快である。

 そう、答えなど出ているのだ。

 ――私は、貴方の剣となる。御国の為に。

「親分、そろそろエカテリンブルクでやす」

 決意を胸に顔を上げたクレアに合わせるかの様に、副操縦士から予定空域への接近を知らせる声が響く。

 クレアは立ち上がり通信席へと近づき、そこに収まっている通信士の肩を叩くと送受話器を手に取る。既に無線封鎖は解除され、“突撃準備隊形作レ”の航空通信略号が盛大に放たれていた。無論、灯火管制もしていない都市ならば、魔力統制も行われていないはずであり傍受される危険性も低い。

 奇襲は成功した。

 オスロスク空襲により諸都市の警戒体制への移行を覚悟していたが、目標中域上空へと進出しても尚、迎撃の砲火は見られず、索敵を意図した魔導波も検出されていない。

 一呼吸し、クレアは送受話器へと言葉を紡ぐ。

「今作戦は、ただの軍事行動ではありません」

 敵地上空での堂々たる演説など好みではないが、彼らの士気を向上させる事も重要である。何より戦場で演説の時間を捻出できるという僥倖と、世界初の戦略爆撃騎による敵国主要都市への爆撃という奇蹟に立ち合えた事実に彼女も気を昂らせていた。

「今作戦で奪うのは帝国主義者の生命や財産ではありません。彼らの御貴族様の首筋を寒からしめる程度です」

 そう、その程度だろう。

 政治的意図は不明であるが、軍事的に見れば然したる規模ではないのは明白である。大都市を焼き尽くすには戦力が不足し、拠点攻撃が関の山である。しかしながら、この作戦に於ける成否こそが後に続くであろう戦略爆撃行動の示準となり判断基準となるだろう。

 皇国の軍事組織に於ける戦略爆撃騎部隊の隆盛と衰退はこの一戦で決まる。

 だからこそ失敗はできない。

「ですが、彼らの歴史も伝統も……彼らを帝国主義者足らしめるありとあらゆる要素が攻撃目標となる日が来る事を私は確信しています」

 クレアは確信している。今この時、戦略爆撃という軍事行動が皇国の取り得る軍事的手札の一つとなり得る渦中の分水嶺に、クレアは立ち会っている。

 その戦意を高揚させるのは自然な流れであった。憲兵もまた国防を担う軍人であるが故に。

 窓際から眼下に迫りつつある光の奔流を見据え、彼女は薄く微笑む。

「さぁ、戦争の時間を始めましょう」









「エカテリンブルクが空襲を受けたですって?」

 帝都イヴァングラードの帝城の一室で報告を受けたエカテリーナは「ふぅん」と報告書を弄びながらも興味深げな表情をするだけに留まる。報告をしたナタリア・ケレンスカヤ少佐が逆に狼狽える程に素っ気ない反応であった。リディアとエカテリーナの連絡官としての任を受けたナタリアは、眼前で悠然と執務を続ける彼女のことを計りかねていた。

 その絶世の美貌に慈愛に満ちた表情を張り付け、叛乱の武力鎮圧を承認する書類に署名(サイン)している姿はある種の狂気の産物に見えた。

「そちらはいいのよ……寧ろ、エカテリンブルクが前線であると明確になったから、国内で対皇国戦争に否定的だった勢力も恐怖に駆られた様に賛成するでしょう」エカテリーナは万年筆を、その白磁の如き手先で弄ぶ。

 彼女の手先で弄ばれているのは万年筆だけではない。帝国の政戦と国民の生命もまた同様なのだ。

「彼は私を失脚させようとしたのね。ふふっ、可愛いわ。そして健気でもある。リディアには彼を私の下へ連れてきて欲しいわね」

 首輪を付けて、と付け加えるエカテリーナは妖艶でいて清純な佇まいを併存させていた。艶やかさの中に窺える純真な仕草こそが男性貴族達を惹き付けて止まないのだろう。近くに侍るナタリアは、その異質な部分を知るが故に彼らの女性の表面上に心を奪われる様を哀れに思えた。

「でも、オスロスクまでが限界だと思っていたけど、まさかエカテリンブルクまでなんて。……想像以上ね」

 彼女が思惑を語ることはない。

 既に結末が見えているのか、或いは対応し難いと踏んでいるのかは不明であるが、ナタリアが口を挟む必要はない。彼女は連絡官でしかなく、それ以上にエカテリーナが総てを俯瞰しているからである。

 そこで、ふと、エカテリーナは壁際へと視線を巡らせる。

「貴女、心配?」

 柔らかな、それでいて何処か嘲笑の気配が潜む声音による問い掛け。

 その先には侍女服を纏った少女がいた。

 エカテリンブルクの貧民街で拾い上げた孤児……ミラナ・ベスパロヴァは、ナタリアから見ても十分な努力家である。微笑ましさを周囲に提供する職場の“華”でもあった。一種の荘厳さと冷厳さを伴ったエカテリーナの家臣団の中に在って、エカテリーナが直に引き立てつつも、比較的自由に振る舞うのを許された彼女は、周囲からすると首を傾げざるを得ない要素であるが、同時に人間らしさの象徴としても目されていた。

 或いは、エカテリーナの良心や人間らしさを切り離した存在なのではないかという噂すら流れている。

 無論、ナタリアは気紛れで目に付いた小汚い子猫を拾う感覚だったのだろうと信じて疑わない。貴族とはそうした存在である。

「べ、別に心配じゃないよ! どうせ、皆は郊外にいるし……」

 そうは言いつつも声音は暗い。

 エカテリーナは流し読みとは言え、既に書類に目を通し終えており、その状況を把握し終えているだろう。そして、この短時間で自分なりに検討考察すらも終えているに違いなかった。それこそが、エカテリーナ・グローズヌイ・アトランティスなのだ。

「撃墜した騎体は……ないのでしょう?」

「はい。はい、そう聞いております。対空迎撃が開始されたのは敵騎が既に投弾を終えてからとの事です」

 しかも、オスロスクに関しては、無理に敵騎を追撃して夜間邀撃を行おうとした挙句に友軍同士での誤射まで起きていた。広範囲で爆撃を受けた都市の駐留兵からすると頭上を舞う騎体を誤射するのは止むを得ない。夜間であるからこそ混乱は助長された。エカテリンブルクに関しては、近郊は高練度の部隊が優先的に配備されていた為に誤射などは起きていないが、敵の目的が、エカテリーナが居城、エカテリナ城への一点爆撃であったという理由も大きい。

 ――怒りを示されると思ったのですが……

 あの壮麗な白亜の居城が崩壊した事に怒り狂うのではないかと危惧する家臣団は、隣室で言い訳の理由を必死に考えているだろう。

 だが、エカテリーナが勘気を示す事はなく、寧ろ何時も以上に深い笑みを湛えていた。

 勘気ではなない、歓喜を見せていた。

「攻撃を受けたのは、あの黴(かび)臭い古城よ。郊外なら傷一つないでしょう」だから安心しなさい、と付け加えるエカテリーナ。

 聖女の如き笑みを湛えたエカテリーナの言葉に、ミラナは涙を浮かべて頻りに頷く。

 信じられない光景に、ナタリアは眩暈がした。

 あの真白き女帝がリディア以外の他者を気遣うという非現実。

 報告書の内容にそれ程の歓喜を示す要素があったとは、ナタリアにはとてもではないが思えなかった。オスロスクに関しては火災による被害で未だ被害の集計すら叶わない状況であった。

 ナタリアは知らないが、〈第七二一戦術爆撃航空団(TKG 721)〉による爆撃は、糧秣庫や弾火薬庫への被害で済むものでなかった。

 当時、乾燥していた事や、一つの地域……軍の弾火薬庫や糧秣庫に爆撃が集中し消防隊が火災の発生した現場へ到達出来なかった事などの要因が重複し、この空襲は甚大な被害を齎した。

 無論、空襲という初めての攻撃を受けた彼らが有効な対応ができなかった事が最大の要因であった。都市の各所で同時多発的に生じた火災に既存の消火活動など間に合うはずもない。

 結果として初期対応の稚拙さは、“火災旋風”を発生させた。

 帝国で一般的な暖房器具に使用する為、家屋貯蔵されている石炭や炭骸(コークス)などの化石燃料が火災規模を拡大し、炎を纏う竜巻が生じるまで然したる時間は掛からなかった。

 この現象によりオスロスクは溶鉱炉同然となった。

 個別に生じた火災が酸素を消費し、火災が発生していない周辺の空気を吸入する事で、局地的な上昇気流が生じる。

 更には燃焼している中心から高熱を伴った空気が上層に放射し、それが炎を纏う旋風になる。そして、その炎を纏う旋風が空気を求めて彷徨う事で被害が拡大した。その上、最大風速は幼龍の飛行速度に届こうかという速度となり、気温は焼却炉匹敵する温度に迫った。

 オスロスクは市街のほぼ全域が焼け落ち、街路の土瀝青(アスファルト)が発火して防空壕へ避難した者も例外とはならず大勢が焼死している。高温の瓦斯(ガス)や炎を吸入して呼吸器を負傷した事による窒息死も被害を拡大させる一因となった。

 彼女達が、一中都市が完全に灰燼と帰したと知るのは、三日後の事である。

「どうせ建て替えの時期だったでしょう? 次は郊外から火砲の標的に成り難い全高と、堅牢無比な造りとなる様にしましょう」

「は、はぁ……再建計画に盛り込むよう手配致します」ナタリアは、そう返すしかできない。

 想定外の言葉である以上に、エカテリーナの笑みに毒気を抜かれていたという理由が大きい。

 その見透かしたかのような瞳がナタリアを見据える。

「戦闘国家同士の衝突……殲滅戦争が始まるのよ」

 それは、エカテリーナの望みだったのだろう。


 殲滅戦争。


 殺し尽くすか殺し尽くされるかの果て無き消耗戦。

 帝国は成立以来、皇国という多種族国家の存在を認めず、殲滅戦を実施すると明言している。対照的に皇国は帝国に対して、国交樹立や停戦の働きかけを幾度か行っており、その軍事行動も要塞を頼りにした国境での防衛戦に終始している。

 確かに、今回の軍事行動で皇国が打って出た事を踏まえれば、双方が殲滅戦争に対して向き合う事を決意したとも取れる。

 後は総力戦である。一切合財を投じて殺し合うのだ。

 眼前の女帝は地獄を望んでいる。

 双方が真摯に向き合い、干戈を交える陰惨な闘争。


 本当の戦争が始まるのだ!


 消極的な国内の政治に配慮した戦争ではない。双方が生存を希求して相手を殲滅しようと軍備という刃で唾競り合いを行うだろう。

 最後に国家を維持しているのは、果たしてどちらか?

 ナタリアには想像も及ばぬことであった。
 










「生存者がいるぞ! 急げ!」バザロフは至近の兵士達に聞こえるよう声を張り上げる。

 隣のおやっさんの作業帽に収まった獣耳は正確無比であり、絶望的な状況下であっても数少ない生存者の存在を幾人も掬い上げていた。

「駄目だ……この区画までが限界だ……」

「軍隊の武器で火を消せねぇからな。公共施設(インフラ)整備を放置していたツケだ」

 足元の焼け焦げた木材の破片を蹴り飛ばし、おやっさんはそう吐き捨てる。

 確かに消火設備の不足による消火活動の阻害と停滞は、オスロスクの各所で見られた。既に鎮火しつつあるとはいえ、三日も経過していながら未だに一部の区画は完全な鎮火に至っていない。特に弾火薬庫の誘爆による急速な市街地への延焼が発生した地域は、暖房用の可燃物の影響もあって未だに燃え盛っていた。

 この攻撃は帝国に大きな波紋を投げ掛けつつある。

 下士官や兵士達にも理解できる程に司令部が右往左往しており、輸送騎で盛んに査察団が出入りしている光景を見れば、お偉方の慌てふためく様が嫌でも脳裏を過ぎる。

「……皇国への出征論が出るだろうよ」

 厳密には既に出征は行なわれているので、おやっさんの言葉は正確ではないのだが、バザロフはその意味するところを察して溜息を一つ。

 大規模な……既に百万に近づきつつある軍勢に、更に大規模な増援を加えるということだろう。

 兵站線が限界を迎えていた上、爆撃を受けて兵站集積地の中枢でもあったオスロスクの惨状があっても尚、兵力を増強しようという無謀。

 敵軍と衝突する以前に餓死者が出かねない選択である。

 帝国は面子を保つ為に、底なし沼へ踏み出そうとしているのではないのか?

 皇国は元より手に負えない国家だったのかも知れないという考えが、バザロフの脳裏を過ぎる。

「まぁ、うちの姫様が何とかしてくれるだろうよ」おやっさんが煉瓦の瓦礫の上に腰を下ろす。

 救助活動が継続されているが、最早、駐留部隊将兵の体力は限界に近い。

 無論、救助活動だけでなく、復興活動も軍から人員を拠出しなければ帝国の屋台骨が揺らぎかねない。現在、帝国中央部で頻発している武装蜂起は統制が取れており、“労農赤軍(РККА)”と自称して正規軍に対する不正規戦を展開している。これ以上、民衆が国家統制に疑問を抱く事は許されない。現状を看過すれば、帝国内で朱い嵐が吹き荒れかねなかった。

 朱い思想……共産主義はバザロフの背にも迫っていた。

 既帝国に流布しているカール・マルクスなる人物著作の“資本論”。そして“共産党宣言”は民衆と、現状を憂える知識層に大きな衝撃を与えており、実はバザロフも共産党宣言を密かに隠し持っていた。

 そして、勧誘を受けてもいた。

 《スヴァルーシ統一帝国》は既に統治機構としても限界を迎えているのではないのか?

 相対する皇国が世界に類を見ない政体を以て国政に望んでいるのであれば、帝国もまた未だ世界に現れていない共産主義政権を以て国家運営へと挑む事は無謀とは言えないのではないのかという印象を抱いていた。

 皇国を相手に宣伝戦を行う事で民衆の目を逸らさせようという不誠実は、最早、限界に達しつつある。度重なる重税と外征は帝国の国力と市井を蝕んでいた。彼らは、不況と疲弊の根源が貴族と政府にある事を朧げながらに察しつつある。

 今こそ、民衆の力による蜂起によって中央政府と貴族を打倒するべきではないのか?

 《ローラン共和国》や《アトラス協商国》なども民衆が武装蜂起によって国権を勝ち得た過去がある。。

 そして、共産主義は帝国主義の貴族達や自由主義経済の有力者達の様に少数による大多数の民衆に対する搾取を行わず、富の公平な再分配を行う理想的な政体である。現状の帝国を踏まえれば、その主張は極めて支持を受けやすいはずであり、正規軍もその大多数は民衆である。勝機は十分に有り得た。

 何より、共和主義勢力に政権を明け渡す訳にはいかない。

 議会政治による即応性の低下は、各地に戦線を持つ帝国にとって致命的となり得るものであり、それは《ローラン共和国》軍の選挙活動と連動した軍事行動を見れば末端の兵士でも感じ取れる不条理である。

 だからこそ民衆への公平な富の再分配を行いつつも、集権体制を実現する評議会(ソヴィエト)が必要なのだ。

「おやっさん、あれは一体……」

 ふと目に付いた車輌の荷台に山積みされた炭化物に視線を向ける。

 いや、分かってはいるのだ。

 遺体。

 貴軍官民の区別なく、帝国では珍しい程に平等に死を齎した航空攻撃の死者達の山。それは軍事攻撃によるものとしては珍しく然したる血が流れ落ちている訳ではなく、中には眠っているかのような者も存在するが、それは視察団が言うところの一酸化中毒というものらしいとバザロフは聞いていた。

「纏めて埋めるらしいな。身元が分からん上に、放置しては疫病の蔓延も有り得るそうだ。まぁ、死者が多すぎて身元確認をする者も殆どいない状況だ。住民と揉める事もないだろうよ」

 死者が余りにも膨大で、死体を検分して判別する者すら僅かであるという状況は、まさに殲滅戦争と言えた。

 だが、バザロフには不思議と皇国に対する憎悪は湧かなかった。

 バザロフ自身が旧《エカテリンブルク王国》領の出身であり、元より帝国南東部は帝国色の少ない土地であった。実質的にエカテリーナが運営しているという影響もある。商業と工業を重視するエカテリーナの指導する領地は、他の領地と比しても栄えている。そして、その地で生活しているからこそ理解できるのだ。

 《スヴァルーシ統一帝国》は不変の存在ではなく、《ヴァリスヘイム皇国》は不倶戴天の敵ではないと。

 しかし、後者が変質しつつある今この時。

 前者たる帝国もまた変化する必要があるのではないか?

「これからどうなるのか……」

 バザロフ程度では時代の潮流は読めない。

 共産主義という新たな可能性に縋ろうとも、帝国が周辺諸国の草刈り場となることは避けられないかも知れない。それでも尚、選択するしかないのだ。生き残る為に。

「おやっさん……後で聞いて貰いたい事があるんです」

 きっと、この帝国で弾圧される立場にある彼ならば、真摯に自身の言葉に耳を傾けてくれるだろうという確信が、バザロフにはあった。

 思案顔のおやっさんは、暫くすると重々しく頷いた。









「これ程なんて、ね……」

 エカテリーナは純白の親衛軍第一種軍装の姿で、羽織る純白の軍用長外套の襟を引き寄せて呟く。鼻を突く様な刺激臭は耐え難い程ではないが、一体、何が焼けた匂いなのかと考えれば気分の良いものではない。

 彼は酷くお怒りらしい。そう、エカテリーナは確信していた。

 何が彼を怒らせたのか?

 決まっている。

 エカテリーナの手によって加速した皇国の動乱。

 本来であれば収拾がつかない程に混乱した挙句、征伐軍や中央貴族側が勝利する予定であった。無論、それ相応の人員と物資を消耗した形で。

 しかし、そうはならなかった。彼が戦局を回天させたのだ。


 サクラギ・トウカ。


 怨敵にして驕敵。或いは、愛しき軍神。

 こうも華麗に挑戦状を叩き付け、国内外に掣肘を加えつつも、自らの立場を堅実なものとしつつある。

 《スヴァルーシ統一帝国》は知った。

 自国の空は既に戦場であると。

 広大な領土を有するという事実は、同時に広大な領空を有するという事である。

 そして、帝国にはその広域を防護し得る航空騎を保有していない。試算では現在の九二四倍の航空騎が必要であり、それすらも本土防空に必要最低限な数でしかなかった。

 嘗ては、帝国でも航空騎の有用性を説く派閥があり、それによる航空攻撃の成果は出てもいたが、陸軍の急進的な勢力によって崩壊し、帝国は強大な陸上戦力によってアトランティス大陸諸国を睥睨する道を選択した。

 それは、三日前までは極めて有効であった。

 なれど、状況は一変した。

 帝国の空は黒煙に霞み、大火が天壌を染め上げた。

 皇国はエルネシア連峰を飛び越えて盛んに戦闘騎と爆撃騎による戦爆連合を進出させて、兵站線の要となる街道や物資集積所を空襲している。幸いにして市街地への攻撃は三日前以降は避けられているが、邀撃可能な航空騎を広大な領土各地から掻き集めようとしている段階に過ぎない帝国は完全に主導権を喪っていた。

 以前は然して注目されてもいなかった少数の高射砲は、翌日には争奪戦となり貴族までもが領地を護る為に入手しようと躍起になっている。無論、生産工程の大幅拡充も決定されたが、それでも時間が掛かるとの事で、陸軍で運用している車載機関砲を改修する為の再設計と準備までもが開始されている。

 無論、それらが前線で効果を表すまでには時間が掛かるだろう。

 戦闘騎による邀撃を意図して、飛龍や炎龍の育成を拡充するという決定も陸軍で下されたが、元より航空戦力を重視していなかった為、大量育成の知識(ノウハウ)はなく、ましてや龍は鱗や心臓などが各種資源として珍重されている事から近年では乱獲される傾向にあった。効果を表すには、増産と育成を含めて何十年という時間が必要と見られている。

 控えめに見ても八方塞がりである。

 エカテリーナも、航空攻撃の脅威を何処かで軽んじていた。

 皇国内に潜伏している間諜より報告を受けていたが、その惨状を直接に目の当たりにすれば嫌でもその有用性が理解できる。そして、潜在的航空戦力を世界で最も有している国家が隣国であるという事実もまた同様であった。

 だからこそ皇国を攻め落とさねばならない。

 穀倉地帯を得る事で食糧不足を軽減するなどという方針は既に変更され、皇国のあらゆるものを接収する事で失った物資と尊厳を補い、これからの時代に対応せねばならない。

 そう帝国の指導者層は考えている。

 無論、エカテリーナはそれが不可能であると考えていた。

 これには皇帝も非公式ながら同意しているが、恐怖を抱き、それでいて欲に眩んだ門閥貴族などは強固に皇国併合を叫んでいる。

 そして、彼らの派閥争いの舞台の一つである陸軍は増援派遣を決断した。

 皇帝もエカテリーナにも止める術はなかった。

 増援の規模は約八〇万にも上る。

 この兵站線の弱体化した状況でそれほどの兵員移動など不可能。

 鉄道敷設も開始されているが、空襲下では作業が予定通りに進捗するはずもなく、増援を合流させて皇国に進出させる体勢を整えるには一年は見ねばならない。それでは食糧不足の軽減という本来の目的を達成するには時間が足らず本末転倒であった。

 最早、首が回らない状況である。エカテリーナ個人の努力と挺身で回避できる問題と規模ではない。控えめに見ても宜しくない。

「我が国、もう滅亡かも知れないわねぇ……」

 彼に首輪を付けて飼うのではなく、私が彼の妻になったほうがいいかもね、とエカテリーナは苦笑する。

「御冗談を。姫殿下を御しきれる御仁など、そういるものではないでしょう」

 背後に控えるナタリア・ケレンスカヤ少佐の言葉に、エカテリーナは甲斐性のない男ばかりで困ると扇子で口元を隠す。

 ――一体、何時まで婚期が遅れるのかしらね。貴族に粗末な男しかいないのが悪いのよ。

 せめて自らを手玉に取る程度の才覚は欲しく、無能を乗りこなすというのは面白みに欠ける上、潜在的危険性も大きい。強大な権力に寄り沿うのは、それ以外の権力の多くを敵に回すという事である。無理に策謀を巡らせれば帝国が割れる可能性がある。この共産主義勢力の隆盛の最中に、それは余りにも博打に過ぎた。

 周囲にはナタリアとミラナしかおらず、気に留めずに会話できる。無論、エカテリーナを中心として、死角には親衛軍兵士が潜んでおり防備は万全であった。

「彼は来る。でも、皇国侵攻は避けられない。輜重線の弱体化した大軍など民衆の犠牲を顧みなければ容易に溶かす事ができるでしょう」

 寧ろ大軍であるが故に一度の壊乱が致命傷となる。

 指揮統制は、その兵力規模により回復速度を低下させる。ましてや帝国陸軍は周辺諸国に対して通信技術の面で劣っている事から、その傾向は顕著である。大兵力ではあるが、それを効率的に運用する手段を持ち得ないのだ。

 だが、エカテリーナの心は晴れ晴れとしていた。

 門閥貴族は領土に固執しているが、エカテリーナとしては工業や農業に寄与しない土地に然したる価値を見い出してはいない。地図を眺めて自国の規模を称賛する趣味などエカテリーナにはなかった。

「くれてやればいいの。例え領有に成功しても負担としかならない土地など、寧ろ彼らにくれてやるべきなのよ」

 自らの身の丈に合わない領土をくれてやり、その維持に資金と時間を浪費させればいい。帝国内の貧民層を難民として押し付ければ万全である。侵攻が失敗しても、エカテリーナは一向に構わないと考えている。貧民層を減少させる事に成功したならば、直近に限るものの食糧不足を解決するに等しい効果が得られる。

「それは……門閥貴族が聞けば卒倒するでしょう」

 ナタリアの渇いた笑声を、エカテリーナは扇子を掌へと打ち付ける事で止めると歩き出す。慌てて後に続くナタリアとミラナ。遠巻きに展開している親衛軍の護衛も、それに合わせて移動を開始した。

 焼け落ちた都市を進む純白の軍装の女帝。

 男装の麗人の様な女性佐官と侍女服の少女を引き連れた姿は異質の一言に尽きるが、それは何処か荘厳な佇まいを見せた。

 炭化した建材を踏み締めて純白の女帝は進む。

 この世は地獄。

 これから私と貴方で地獄にするのだ。

 残酷で悲惨な光景が続く。

 建造物は悉くが焼け焦げ、辛うじて外壁の煉瓦が形状を維持している程度で、内部は全ての床が抜けて伽藍堂になっていることも然して珍しいものではない。外壁は煉瓦でも、内部は木材で構成されている場合が多いのは帝国の建造物の特徴であり、保温性と価格を考慮したであった。耐火性という概念など取り入れられてすらいないそれらは大火災に成す術がなく、次々と焼け落ちて行った。

 そうした光景が続いている。

 時折、見られる大通りの炭化物の塊は逃げ遅れた者達のものなのだろう。火と煙に巻かれて逃げ出した大通りは地面もまた耐えられない程に熱された地獄であり、倒壊する建造物や黒煙に逃げ道を見失い肌を焼かれ、黒煙を吸って斃れていく。衣類は焼き切れ、性別すら分からない有様で、死に様としては極めて残酷なものと言える。

 帝国は寒冷地帯であり、大規模な火災を考慮していない地域が少なくない。

 地獄はこれから始まるのだ。

 足元に転がる炭化したヒトの手を見下ろし、エカテリーナは微笑む。

 地獄の釜で踊り続け、その中に自らの悲願の可能性を見い出すのだ。

 手を携えて共に踊る相手は一体、誰か?

 門閥貴族か、陸軍か、海軍か、中央政府か労農赤軍か……

 それとも彼なのか。

 悲願よ、我が手に。


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