紫苑穢国のエトランジェ

扶桑之御狐

第一三六話    シュットガルト湖畔攻防戦 2





「このド阿呆めが……某の手を煩わせるでない。早う去ね」

 ベルセリカは溜息を一つ。

 大太刀に付着した戦塵を振り払い、ベルセリカは指揮戦車の前へと立ち大正門……遙か先のレオンハルトへと視線を巡らせる。

 白銀の髪を靡かせ、胸甲騎兵用の甲冑に身を包み、巨大な戦斧を構えて猛々しい笑みを浮かべる虎を統べる者……レオンハルト・ディダ・フォン・ケーニヒス=ティーゲル公爵。

 生ける戦神。

 膂力の面では、恐らく皇国最強と目される神虎。

 高位種……それも狩猟種族であれば戦車砲の射程内程度の距離であれば肉眼で相手の表情を読み取る事など容易く、レオンハルトもベルセリカを認めたのか口元に笑みを浮かべている。

「姉上、早くあの虎をさくっと殺してシュトラハヴィッツ領に帰りましょう」

 右に立つベルセリカを幾分か幼くした佇まいのアンゼリカが、同じく大太刀を手に姉へと故郷への帰還を促す。戦場に在ることを感じさせない口調であり、天狼族が戦野に在っても自身の戦闘能力に対して絶対の自信を持つが故と言えた。

「莫迦娘共が……腐っても神虎だ。剥製にして差し上げるくらい言えんのか」

 対してベルセリカの左に立つ初老のシュトラハヴィッツ少将……ジギスムント・ヴァルター・レダ・フォン・シュトラハヴィッツが真紅の外套(マント)を靡かせて呆れた声を上げる。

 軍の近代化以前、剣と魔法が主体であった頃に幾多の戦場を駆け抜け、白亜の外套を血染めにして戦い続ける事で、真紅に染まった事から新調が面倒だと真紅の外套を誂えて纏った英雄。高位種の指揮官が先鋒を担うという伝統を誰よりも実践し続けた武人であり、第一線を退きシュトラハヴィッツ伯爵位を子息に継承した今となった今でもその勇名は喪われてはいない。

 何より、シュトラハヴィッツ伯爵家は七武家の一つであった。

 唯一、北部の叛乱に加わった七武五公の一家であり、武名に掛けては最も頻繁に名を聞く武家でもある。北部統合軍に在っては自然と恃まれる立場に在った。その権威は決してマリアベルに劣らない。

 ザムエルは蛮族に過ぎないと考えていたが、種族の戦闘能力が出る場に在っては未だ英雄の時代は終わっていないのだと戦車の天蓋を叩く。

「後退する! 剣聖殿、この場は御任せする! 御武運を!」

 ザムエルは手早く命令を下すと、ベルセリカに雑に敬礼する。

 英雄達の戦争は周囲に甚大な被害を齎す事は間違いない。市街地で遅滞防禦を繰り広げようと分散配置している部隊に合流するべきだとザムエルは判断し、ベルセリカの武運を祈念しつつ後退を始めた装甲部隊や砲兵隊を統率する。

「任せぃ。某が何故(なにゆえ)に剣聖と呼ばれたか、何故(なにゆえ)に北部に舞い戻ったか、この場で示して魅(み)せようぞ」

 ベルセリカの言葉に、周囲の兵士達が敬礼する。

 英雄の権威とは不可視で曖昧なものかも知れないが、確かに存在するものであり、同時に多くの者にとって不変の憧憬である。

 三人の天狼は、返礼することもなく大太刀を構える。

 英雄の時代が始まろうとしていた。





 まず、最初に仕掛けたのはベルセリカだった。

 戦車砲の決戦距離をも卓越した脚力で詰めたベルセリカが、右袈裟懸けにレオンハルトへと斬り掛かる。それに続くようにアンゼリカが右側から刺突を繰り出し、ジギスムントがレオンハルトの大剣を打ち払う。

 流れるような連携だが、レオンハルトは身体を捻りつつも刀身を蹴り上げてそれらを逸らすと、ひと飛びで大太刀の有効範囲から逃れようとする。

 だが、三人の天狼は躊躇う事もなく更に踏み込むと、互いの隙を補いつつも連撃を加える。常に踏み込む形での斬撃は嵐の様であり、その斬撃一つ一つが戦車の装甲すら斬り捨てる鋭さと速度を兼ね備えたものであればこそレオンハルトも避けざるを得ない。ましてや天狼三人の大太刀は、神剣には一歩譲るものの近い性質を持っており、魔導障壁に対しても強い耐性を有していた。

 業を煮やしたレオンハルトが両手に構えた大剣を振り払い、風魔術を行使して天狼三人を押し返す。さしもの三人も倒壊した建造物の石材が巻き上げられる程の風圧を前にしては魔導障壁を展開して一端、距離を置くしかなかった。

「やってくれるな、野良犬共が。国家に楯突いた罪、安くはないぞ」

「国政を停滞させるが如き奴原(やつばら)め等に斬られてやる程、某は容易くはない。卑しい野良猫めが」

 レオンハルトの非難を、ベルセリカは鼻で笑う。

 寧ろ、ベルセリカからするとレオンハルトは討つべき仇敵であり、これに敗北するなどあってはならず、刺し違えてでも勝利を掴まねばならない。幸いなことにレオンハルト一人であれば自身だけでも互角に持ち込める自信がベルセリカにはあり、ジギスムントとアンゼリカが協力しているとなれば優勢を確保できると断言できた。無論、レオンハルトが手にしている神剣と思しき大剣への警戒は外せないが、大規模な効力を発揮する魔術を行使する場合、代償として術式展開などに近接戦としては致命的なまでの時間が必要となる事が多く、警戒し過ぎて勝機を逃すことになりかねない。近接戦闘の連続でその隙を与えない。それは天狼三人の共通認識である。

 風が止んだと同時に、ベルセリカは今一度、踏み出す。

 石畳が割れ、戦塵が巻き上がり、一直線にレオンハルトへと続く。

 それは疾風の如く、レオンハルトに斬撃を浴びせる。

 続くジギスムントとアンゼリカの連撃がベルセリカの斬撃後に生じる隙を補い、続く一手の予備動作までの時間を捻出する。

 流れるような連携。

 左右からの袈裟懸けは勿論のこと、急所への刺突や先手の陽動を読み取った一撃すらも組み込まれており、その様は即席の連携とは思えないほど完成度が高い。しかし、ジギスムントとアンゼリカは、ベルセリカが時折に繰り出す足の甲への突き下ろしや、袖口に潜ませた刀子などを投げるなど正道とは言い難い……シュトラハヴィッツ流刀術には見られない業の数々に内心では大きく驚いていた。

 シュトラハヴィッツ流刀術は、大日連の薩摩の豪剣、示現流に近い性質を持っており、”一の太刀を疑わず”或いは”二の太刀要らず”と云われ、髪の毛一本分でも速く打ち下ろせと指導される。初太刀から全力で斬りつけるという先手必勝の発想はどの世界であっても少数派であり、《ヴァリスヘイム皇国》でもシュトラハヴィッツ流刀術にしか見られない傾向であった。

 大太刀や野太刀と疾走による高威力の打ち込みは比類なく、初太刀の回避それ自体がかなりの練達者を除き困難であり、高位種である天狼族が扱えば防ぐことができる者は極めて限られる。実際、この内戦で天狼族の士官や兵士と戦った征伐軍将兵の中には、その高威力の打ち込みに押し切られて自身の刀の峰や鍔を頭に食い込ませ絶命した者が少なからずいた。

 しかし、種族の格付けとしては最上位に位置する神虎族……それもその族長であるレオンハルトが相手となると膂力で押し切ることは難しい。何より同格の虎系種族と狼系種族では前者の方が膂力に優れる以上、種族的に格上のレオンハルトを圧倒し得ることは不可能と言える。

 だからこそ戦技で補うのだ。

 シュトラハヴィッツ流刀術は示現流と違い戦技に多様性がなく、現在のベルセリカが運用している剣術の一部はトウカから盗んだものである。

 シュトラハヴィッツ流刀術のみを運用しているジギスムントやアンゼリカは眉を顰めているが、トウカのように相手に唾を吐き掛けて反射的に目を瞑らせてそのまま切り捨てるなどという真似まではしないので、ベルセリカとしては随分と妥協している心算であった。

 埒が明かないと判断したのか、今一度、距離を取り、大通り脇の三階建て建造物の屋根へと降り立ったレオンハルト。

「ちっ、随分と手癖の悪い野良犬だ」

「全くだ、父として恥ずかしいぜ。それもこれもあの戦争屋の所為だ」

 レオンハルトの悪態に、ジギスムントが全面的に同意する。

 敵は背後にもいた様である。

 我が父上ながら随分と女々しいでは御座らんか、と苦笑したベルセリカは再び踏み出そうとしたジギスムントとアンゼリカを、大太刀を握り締めた手で制止する。

 ベルセリカは先祖還りと呼ばれる個体であり、現在の天狼族の諸能力の平均よりも高い次元に位置している。これをトウカに対して口にしたところ――

 高位種は近親婚ばかり繰り返して血が濃すぎるのだろう……額面上の能力に囚われ過ぎて護りに入った代償だ。種族としての能力に子孫の多様性を放棄してまでの価値のあるのか?

 ――と言われて、ベルセリカは種族の能力に頼った国防は時代遅れになりつつあるのだと実感した。確かに自身や七武五公は戦闘単位(ユニット)として比類なき者かも知れないが、所詮は個人に過ぎず全体の戦闘能力の向上の前には意味がないのだ。

 こうして足止めしている間にも、トウカの戦略や個々の兵士の勇戦が征伐軍に多大な出血を強いているだろう。

 個人の能力が総てを護ることは難しく、またそう遠くない将来、現状を打開するだけの力ともなり得なくなるだろう。

 ベルセリカは、不意の気配に大正門の上……防護壁を見上げる。


 そこには一人の狼種の女性が立っていた。


 流麗な漆黒の長髪を揺らめかせた漆黒の巫女装束を見に纏い、大太刀を手にして妖艶な笑みを浮かべる狼を統べる者……フェンリス・ルオ・フォン・フローズ=ヴィトニル公爵の登場であった。

「故に御主までもがこの場に現れたこと真に僥倖(ぎょうこう)ぞ……フェンリス」ベルセリカは薄く笑う。

 握り締めた大太刀の柄がみしりと音を立てるが、ベルセリカはそれを気に留める事もなくフェンリスを見上げ続ける。

 実は七武五公の中で一番政略に造詣が深く、謀略や調略を得意とするのがフェンリスであり、在りし日のベルセリカの主君が死なねばならない状況を“演出”したのもフェンリスだった。

 ナニカを切り捨てることでしか体制を維持できない毒婦。

 殺さねばならない。

 在りし日の主君の為に。
 現在の御屋形様の為に。

「アンゼリカ……父上、二人はそこの野良猫の駆除を。……某は五〇〇年越しの因縁をこの場にて終わらせてくれようぞ」

 ベルセリカは大太刀を逆手に構え、跳躍する。

 目指すは防護壁の頂上。否、過去の清算である。

 そして、国体の一翼を担う者達との戦いは続く。







「ティーゲル公とヴィトニル公が正門に?」

 トウカはエーリカからの報告に「面倒なことだ」と呆れ返る。

 装虎兵師団の突撃の報告を受けた時点でレオンハルトが前線に現れることはトウカも予想しており、フェンリスが現れるというのも予想はしていたものの限りなく低いと踏んでいた。

 軍狼兵師団を直接指揮しているのがフェンリスであり、軍狼兵という兵科の性質はトウカの知る軽騎兵に近いものがある。それは長距離索敵であり、決戦での勝利後に撤退する敵残存部隊の迫撃こそを主目的としており、後方撹乱や奇襲を主とした戦闘も行うことのできる為に極めて多様性がある。

 騎兵を強化したような兵科と言える。

 しかし、驃騎兵(ユサール)や槍騎兵(ランツィーラー)、胸甲騎兵(キュラシェーア)などの役目を単一兵科で行えるという利点は確かに大きなものである。そうなると装虎兵は決戦で投入される重騎兵(カタフラクト)という立場になり、砲撃型魔術も行使できるならば弓騎兵の役割を担うこともできる。

 それほど強力な兵科を率いる二人が独立行動を取って大正門に現れたという事実は、トウカとしても呆れるしかないものであった。突入しつつあった装虎兵師団を率いるレオンハルトは理解できるが、単身で現れたフェンリスなど気の触れた年増としか思えないのだ。

「しかし、中央貴族の領邦軍か……」

 両師団は師団旗より〈重装虎兵師団『インペリウス・ティーガー』〉、〈大軍狼兵師団『カイザー・ヴォルフガング』〉であると判明している。皇国最強の呼び声も高い両師団は、二人の公爵が擁する領邦軍の戦力である。陸軍が被害が甚大となる先鋒を上手く押し付けたと見るべきか、そもそも指揮権自体を七武五公……特に中心的な人物であるアーダルベルトに掌握されていると見るべきか。現状では些か判断が付き難いものがある。元より指揮官の特徴が表面化し難い都市防衛戦である理由も大きい。

 トウカは戦域図を見下ろしながら、エーリカへと訊ねる。

「敵の軍狼兵師団の動きは? まさか、シュットガルト湖の何処かで浮桟橋でも利用して軍港側から揚陸の構えか?」

 それはトウカの恐れていた事態の一つであった。

 しかし、対策は十分に取っている。

「有り得ないかと、閣下。航空哨戒に水雷戦隊や巡洋戦隊も水上哨戒を継続しています。事実上、シュットガルト運河の航行制限は征伐軍艦艇の遡上を不可能にしているので、もしシュットガルト湖で水上戦が発生しても現状の艦隊戦力だけで優勢を確保できるかと」

 極めて模範的な解答に、トウカは満足する。

 ――まぁ、甘いが。

 アーダルベルトが前線に現れていない。

 個人の前線参加を気にするというのは戦略指揮を行うトウカにとって不愉快極まりないことであるが、それが一軍に匹敵する戦闘能力を備えているとなれば話は違う。しかもアーダルベルトに関しては龍族なので転化すれば飛行することもできる。単体で飛行する戦艦一個戦隊に匹敵する砲兵戦力など悪夢に等しい。無論、高位種は不必要に転化する事を忌避する傾向にある。指揮官の転化は追い詰められていると捉えられ、指揮下の将兵が動揺する事態にもなりかねない。

 しかし、現状で彼らは追い詰められている。

 表面上では優勢であっても時間制限のある戦闘を行っているのは征伐軍であり、北部統合軍はただ持久するだけで良い。多くの北部貴族が離反することで半数近い数の領邦軍が自領に撤退したとはいえ、機械化著しいヴェルテンベルク領邦軍や武勇に秀でたシュトラハヴィッツ領邦軍などの北部でも有力な領邦軍を有する貴族はフェルゼンで反攻の時を静かに待っている。

 理解しているのだ。

 最早、これが皇国に赦された最後の内戦になると。

 少なくとも、これから各大陸で起こるであろう幾つもの戦役は皇国から一切の余裕を奪うはずである。北部貴族内では自身の意志と覚悟を、武断を以て示すことのできる最後の機会がこの内戦のみであると理解している者も少なくない。特に軍人や武人としての素養の高い貴族は肌で感じ取っているだろう。

 今が命を賭す時だ、と。

 フェルゼンに展開している北部統合軍将兵は鉄の意志の下に連帯した北部貴族と有力者によって率いられた精兵である。無論、それは練度という意味ではなく、意思と戦意という意味であるが、市街戦が想定されている以上、練度よりも士気の維持が重視される為に悪い事ではない。

「まぁ、陸での優勢は貴官の活躍次第だろうが」

 一瞬、虚を突かれた様な表情をしたエーリカだが、直ぐに緩やかな笑みを浮かべながら応じた。トウカはそれに苦笑を返すしかない。

 二人は一個小隊の護衛と共に薄暗い地下道を歩いていた。フェルゼン地下や近郊には大小様々な地下道が張り巡らされており、素早い歩兵部隊の再配置や砲兵の陣地転換に利用されている。一部なとはシュットハルト湖上の島嶼の地下とすら連結している程であった。現在では一部が敵の進軍を阻む為に爆破処理するという手段にも利用されている。

「まぁ、この人材難で戦時下だ。勝てばそれなりの昇進は望めるだろう」

 北部統合軍の人材不足は致命的な規模に達しようとしている。

 否、正確には総司令部が人材を見いだす時間的余裕がないのだ。

 参謀本部でさえ階級的には難しい人事を押し通す為に昇進の大判振る舞いであり、トウカやザムエルの様に野戦指揮で派手に活躍する将校というのは当然ながら少なく、提出された報告書(レポート)などでの判断が主体となるが、戦時下ではその余裕も判断の時間もない。膨大な人材から適材適所の人材を見出して要職へと当て嵌めるという行為は恐ろしく労力の掛かる行為なのだ。

 だからこそ自身に近しい人間に優秀な者がいれば抜擢することを厭(いと)わない。

 身内贔屓と取られかねない手段であり、平時であれば急進的な人事は好ましくないが、戦時であれば戦果さえ挙げてくれるならば異論など容易く捻じ伏せる事ができる。

「もし、周囲の目が気になるというのならば、ロンメル領邦軍司令官にしてやろう」トウカは明確に対価を提示する。

 明確な目標があればより奮起できるという理由も有るが、ロンメル領邦軍はいまだ明確な体裁すら整っておらず、領邦軍司令官もトウカが兼務している状況であるが半ば放置されていた。当初よりエーリカを重要な地位につける予定であったが、それ相応の戦果を挙げた上で昇進したならば領邦軍司令官として推挙しても不都合はない。ミユキもザムエルの妹となれば警戒しないかも知れないという打算と、未だ再編制すら終えていないロンメル領邦軍の編成を丸投げしようという思惑もある。

「さて、では御披露目と行くか」

 些か錆が酷い鉄扉の前で警戒している護衛の兵士の肩を叩き、鉄扉を開けさせる。護衛の兵士数人がかりで押し開けられた鉄扉の先には水上艦艇の様な通路が続いていた。そこを境に地下通路とは一線を画する通路が続く。

 護衛の兵士達はこうした施設があることなど知らない為に動揺しているが、エーリカは事前に関係資料を手渡しているので動揺はない。

 進むトウカとエーリカに、慌てて追随する護衛小隊。

 内部では“水兵”が忙しなく動き回り保守点検作業や弾火薬を運搬しているが、その光景は戦闘艦の出航準備にも似ている。

 否、戦闘艦なのだ。

 エーリカがトウカを追い抜き、正面に直立不動で立つ。

「ヴァレンシュタイン中尉……いや艦長、乗艦許可をいただきたい」

 トウカもそれに応じて姿勢を正す。

 艦長と呼ばれたエーリカが、頬を紅潮させながら敬礼する。


「サクラギ閣下、陸上戦艦〈龍討者ジークフリート〉への乗艦を歓迎いたします」


 それは、北部が邪龍討滅の剣を手に入れた瞬間であった。








「装甲兵器の搭載を急げ! くそっ、トウカめ! 無茶苦茶言ってくれるな! 燃えるぞ、この野郎!」

 ザムエルは禍々しくも楽しげに笑いながら〈装甲教導師団(パンツァーレーア)〉の揚陸艦への搭載指揮を執る。軍港脇に併設された領邦軍艦隊鎮守府の屋上から双眼鏡を手に指揮する姿は子供の様でもあり、同時に憤怒と喜悦を滲ませていた。

 だが、戦車揚陸艦なども存在しているが、重量兵器ばかりが名を連ねる装甲師団の全戦力を輸送するにはヴェルテンベルク領邦軍の保有する揚陸艦三〇隻余りを動員しても難しいことであった。兵員や弾火薬の輸送車輛を含めれば九〇〇輌に届こうかという規模であり、師団単位での総重量は皇国陸軍の如何なる師団をも超えている。

「師団長閣下、工兵と造船所の工員が総出で支援してくれてはいますが……これはいよいよいけませんな」

「それはどうだかな……どうやら諦めるのは早そうだぜ、マイヤー」

 軍港の検問の方角に視線を向ければ戦車の車体に箱状にも見えるナニカを乗せた車輛が姿を現していた。

 見慣れない装甲兵器にも見えるが、ザムエルはトウカから事前に手渡されていた作戦計画書でその正体を把握していた。

「あれが架橋戦車(パンツァーシュネルブリュッケ)か……」

 Ⅵ号中戦車の車体を流用した兵器で、野戦用の装甲架橋車輛であった。

 架橋戦車とは戦車の車体に橋梁を搭載して運搬する兵器であり、必要に応じて橋梁を架ける能力を有する車輛である。それにより設置される橋梁は保有している陸軍の主力戦車が越橋できる設計となっている。

 ザムエルが見下ろしている架橋戦車の正式名称はⅥ号野戦架橋戦車で、Ⅵ号中戦車の車体に二つ折りに畳まれている架橋を搭載している。架橋装置を広げながら対岸へ渡すシザース方式を採用した極めて単純な構造であり、大部分が流用品であることもあって急速に配備の進む工兵車輛である。前部には排土板(ドーザーブレード)が装備されており起重機(クレーン)と駐鋤、回収用機材などを搭載した戦車回収車(ベルゲパンツァー)なども工兵の熱望によって配備されつつあった。

 ザムエルは、まぁ、色々と思い付くもんだ、と呆れと関心を滲ませる。

 トウカが思い付いた兵器というのは迅速に実戦配備されるという特徴があり、長砲身化や車体、既存部品の流用が大半で、それ以外の兵器は未だ配備されていないことを考えれば決して無理のあることではない。しかし、耐用試験もそこそこに実戦投入している兵器も少なくなく、それでも大きな問題が起きていないのは一種の奇跡と言える。

 ――いや、正解を、最終形態を知っているからこそ、か。

 兵器とは改良を重ねて運用と量産が続けられるものであり時間が経つ毎に最適化されるが、トウカが提案した兵器は細部までが酷く突き詰められた設計をしており大きな不備が出る事がないのだ。それは、まるでその兵器の最終形態や起きうるであろう問題の全てを知っているかの様にも感じられる。

「閣下、確かにあれなら作業時間を短縮できますな」

 揚陸艦や輸送艦の舷側に無理やり架橋を開始した架橋戦車を横目に、マイヤーが喜色の混じった声を上げる。

 実際は均衡(バラスト)水を最大注水して喫水線上の高さを低くし、架橋した上で姿勢か崩れない様に搭載していかなければならないので単純なことではない。通常は輸送艦の舷側に設えられた搬入口や上甲板から、揚貨装置(デリック)や門型起重機(ガントリークレーン)で搭載するのだが、物資や装甲兵器を釣り上げるのは時間や安全性の上でも難があるのだ。

 ならば直接、輸送艦の舷側に設えられた搬入口に架橋して車輛で運び込んでしまえ。

 それは、トウカの暴力的な指示であるが、理に適っていると言える。

 比較的穏やかな湖面であるシュットガルト湖では高波の心配はなく、そこで運用することに限定されているヴェルテンベルク領邦軍艦隊……北部統合軍〈大洋軍艦隊〉に所属する揚陸艦や輸送艦は舷側に搬入口が設えられているが、外洋での運用が前提としていないからこその構造であり、これが功を奏した。

 勿論、架橋される揚陸艦は堪ったものではない。転覆の危険が生まれ、加えて舷側の搬入口は架橋によって傷だらけとなる。車輌の登坂能力不足も心配される。

「均衡(バラスト)水の注水で装甲兵器搭載時の艦の傾斜を抑えろ! チマチマするな! 夜が明けるまでだ! 根性見せろ、危険手当だ! 酒だ! 女だ!」

 無線機を引っ掴んで鎮守府の屋上から絶叫するザムエル。

 あまりにも着飾らない言葉に、搬入作業に当たっていた兵士や工員、工兵など……男性将兵からは歓声とも蛮声とも付かない声が上がり、女性将校からは罵詈雑言が飛ぶ。良くも悪くも笑顔が溢れ、多くの面から緊張の気配が減じたことを双眼鏡越しに確認し、ザムエルは深く頷く。

「やっぱ、部下に受けが良いのは下世話な冗談だな、師団参謀」

「………………冗談なのですかな? 小官は本気だと思っておりましたが?」

「なんだ、良く知っているじゃねぇか」

 笑顔で遣り遂げたという雰囲気を出しているザムエルに、マイヤーは心底驚いたという表情をしていた。周囲で通信機を取り扱っている兵士も深く頷いている。役を演じている内に、それが本来の人格になるということもあり得る、と言い訳することもできるが女性関係は素なので直ぐに襤褸が出る。よってザムエルは下手な言い訳などせず、寧ろ胸を張って応じることもあった。

「しかし、門型起重機(ガントリークレーン)も思いのほか使えませんな」

 マイヤーが一般港湾の方角に群れを成している門型起重機を見やり、額面上の性能と違うと嘆く。

 門型起重機は絶大な搭載能力を誇るが、購入や保守点検の費用が通常の起重機とはけた違いに掛かる為、十分な貨物量を持つ客先がいなければ設置、維持できない為に国家に於ける主要港湾の象徴的な存在となっている。

 しかし、迅速な運用という観点からすると十分なものではなかった。

 現在、〈装甲教導師団(パンツァーレーア)〉はフェルゼンの港湾機能を持つ全ての施設を利用して揚陸艦や輸送艦への搭載作業が続けられている。

 流石に皇国最大の港町でもあるフェルゼンだけあり、四時間足らずで搭載作業は終了すると見られていた。トウカが派遣した架橋戦車の活躍もあるとはいえ、重量物ばかりの装甲師団を短時間で搭載できるのは驚嘆に値する。

 実際、トウカは戦車揚陸艦や強襲揚陸艦などを使用して迅速に搭載作業と水上輸送を行いたいと考えていたが、前者は計画段階であり、後者もいまだ艤装が始まったばかりで運用は不可能であった。流石のトウカも短時間で艦船を建造させることはできない。

「敵機襲来の危険性がない夜間にしなけりゃならんってのが面倒だな」

 市街地からは展開した砲兵部隊が、環状線に展開した野戦鉄道聯隊からは機動列車砲が、防護壁越しにフェルゼン外周に展開している征伐軍に砲撃を繰り返している。

 既に大正門は破壊され、征伐軍の占領下にあるという事実は、想像を越えて自体が速く推移したことも相まって参謀本部は頭を抱えていた。

 ベルセリカとアンゼリカ、ジギスムントによる正門付近での激戦の間、領邦軍は近づくことができずに大正門付近が廃墟になりゆく姿を見守るしかなかった。最終的にはレオンハルトが統制の取れなくなった装虎兵師団の残存部隊を集結させ撤退。そのまま夜の帷が下り、征伐軍は無理に再突入して夜間に市街戦をすることを忌避したのかフェルゼン外周を包囲する様に展開するに至った。

 被害の上では征伐軍が一個装虎兵聯隊近い兵を喪ったことで北部統合軍優勢であったが、その代償にアンゼリカが重傷を負い、ジギスムントもまた重傷ではないものの暫くは戦線に復帰できない傷を負うことになった。

 これが七武五公なのだ。

 大正門付近の市街地は延々と続く瓦礫の山ができ、付近の防護壁の一部は崩壊しているという有様にはザムエルも笑うしかない。魔術的な強化もなく戦艦並の装甲を、拳を叩き付けて凹ませる高位種の戦いは想像を絶するものであり、それが初日から行われた為に両軍には何処か拍子抜けした雰囲気が漂っている。

 怪獣大決戦を遠目に眺める両軍だが、気が付けば夕暮れ時。

 視界の悪い夜間に両軍入り乱れて遮蔽物の多い市街地での戦闘を避ける為に両軍は距離を置いた。北部統合軍は主導権がない為、征伐軍の攻撃に応じる形でしか撃撃できないので夜襲という選択肢も潰える。遮蔽物の多い市街地での夜襲は当初より予定されていたのだが、思惑を外されるという形で北部統合軍の目論見は崩れ去ったのだ。

 かくして、防護壁越しに両軍は睨み合うことになった。

 だが、トウカは夜間であっても沈黙を保つなどという真似はせず、砲兵隊と野戦鉄道聯隊による砲撃を指示し、征伐軍に安息を与えなかった。

「いや、この搭載作業を悟らせない為ってか? まぁ、昼間に二隻も撃沈されてるんだから当然か」

 ザムエルは軍港で喫水線を遙かに超えて大破着底している輸送艦と、舳先だけを海面に出して無残な姿を晒している揚陸艦へと視線を向ける。

 幸いなことに征伐軍の航空対艦攻撃はその戦術自体が大系化すらされておらず、有効なものではなかったが騎数の優勢を前に軍港上空にまで侵入を許した。エルシアを始めとした諸都市からフェルゼンへの軍需物資を満載した輸送艦や揚陸艦が戦略面で重要なことは明白であり、空襲中にこれを発見した航空部隊は航空戦力を軍港に集中。

 斯くして、この世界で初めてと言える作戦行動中の戦闘艦に対する航空騎の近代的対艦攻撃が繰り広げられた。

 しかし、エルネシア連峰を越えて来襲する帝国軍騎を警戒する北部貴族の各領邦軍は対空兵装を充実させており、それは正規軍に優越した。

 戦闘艦や対空陣地から次々と撃ち上げられる対空砲火もあるが、やはり絶大な対空火器を搭載する〈剣聖ヴァルトハイム〉型戦艦二隻の対空戦闘が圧倒的であった。擱座状態にあっても尚、戦わんとする姿勢は剣聖の名に相応しく北部統合軍将兵を勇気付けてすらいる。

 そして、迎撃騎の支援もあり大きく数を減じた征伐軍航空部隊はそれ以降の航空攻撃を控えており、友軍上空の制空権確保に主任務を変えていた。

 ザムエルは慌ただしい軍港を頼もしげに眺める。

「敵は空襲によって軍需物資の荷卸しが深夜まで長引いていると判断するでしょうな。情報部もそうした情報を流布しているようですぞ」

「そいつは素敵だ。まぁ、実際には軍需物資なんて言っても医薬品と食糧だけだったからな。一瞬で荷卸しは終わったが」

 トウカが呼び寄せた輸送艦と揚陸艦には然したる量の医薬品と食糧が積まれていた訳ではなく、装甲教導師団の搭載の為にフェルゼン第一軍港へと集結したのだ。

 そして、集結しているのは揚陸艦や輸送艦だけではない。

「小僧、貴様の準備は何時終わる?」

 背後から現れた大洋軍艦隊司令官の問いに、ザムエルは小さく笑う。 

 トウカによって推挙された大洋軍艦隊司令官は、元皇国海軍提督だけあり、皇国海軍や外洋の知識に秀でていたが、敵将であり捕虜でもある高官を要職に据えるという判断にはザムエルも眉を顰めた。

 しかし、今では佳き戦友である。主に性的な面での戦友であるが。

「あと二時間で終わらせて見せるぜ、戦友」ザムエルはにやりと口元を釣り上げる。

 大洋艦隊司令官……シュタイエルハウゼンは鷹揚に頷いて、ザムエルの横へと並び立ち鎮守府屋上から軍港を見渡す。

 軍港に停泊している艦艇は揚陸艦や輸送艦だけではなく、ヴェルテンベルク領邦軍艦隊を中心に編成された大洋軍艦隊の艨艟が集結していた。

 参謀本部によって立案された反攻作戦……パンテオン作戦の為に集結したのだ。

 パンテオンとは神々の序列を意味する異国語であり、この作戦下で行動する軍の全てに神々の名が冠されていることからその名が付けられた。この作戦の為だけに改編された一部部隊の戦闘序列を意識した名称であることも疑いない。

「ところで、どうかね? 我々の艦隊で女神の島を横切る様に艦隊進路を取るというのは?」

「そいつは良いなぁ。凱旋すればより取り見取りだ」

 二人が満面の笑みを浮かべる。

 対するマイヤーは、肩を竦めるだけであった。



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