紫苑穢国のエトランジェ

扶桑之御狐

第一一二話    天狐族の決断 前篇




「まさか、族長たる貴方が里を空けるとは軽挙に過ぎるのでは?」

 トウカは眉を顰めると溜息を吐く。

 得体の知れない大規模魔術に捕らわれ、気が付けばシュパンダウ近郊の高地に立っていた。

 意識を失えば倒れているはずなのだが、立ったままであるということに対する驚きと、居場所まで変わっていることに眉を顰める。軍刀やP89自動拳銃を確認するが不具合があるようには見受けられない。

 軍刀の相変わらずの漆黒の刀身を一瞥し、トウカは隣でぼんやりと立ち続けているリシアを足払いで草むらへと引き倒すと、そのまま背後へ軍刀の切っ先を向ける。

 その先に立つのは、凛々しい中年天狐であった。

「何時も上が堅苦しく居座っていては、下が育たんだろう、若造」

 企業や正規軍でもない種族の共同体に、一体、何処まで求め心算か、とトウカは苦笑しながら、軍刀を鞘に納める。

 呻き声を上げて起き上がろうとするリシアに、トウカは手を差し伸べて引き上げる。

「いたた……随分と手荒い歓迎ねっ。……誰、この害獣」

「一応、義父さんと言ったところです」

「俺は認めんぞ」

 三者三様の言葉に、もう一人の女性の声が響く。

「あらあら、みんな元気ねぇ……トウカ君も久し振りね」

 狐耳を揺らして現れたマイカゼが小さく手を振る。

 緩やかな笑みがシラヌイと対照的であるが、夫婦揃ってこの場にいるとなると天狐族の里を統率する者が完全にいないということになる。無論、魔術的な偽装まで成されている天狐族の里を知る者は少なく、また辿り着ける者は更に少ないのだが、得体の知れない匪賊に襲撃されたことがある以上油断はできない。

 相も変わらずの美貌と他者を引き付けて止まない笑みを湛えながらも、ミユキのような無邪気さを瞳に宿した佇まいに気後れしているリシアを無視し、トウカは一礼する。

「御久し振りです……義母上、そう呼んで宜しいですか?」

「それなら、マイたんでもいいのよ?」

 反応に困る言葉に、トウカは了承と受け取り、曖昧な笑みで頷く。

 横では「俺だって昔はマイたんって……」とシラヌイが呟いている姿に、リシアが微妙に距離を取るのだが、当人はそれに気付いていない様子であった。中年男が“たん”付けで人を呼ぶ姿など見たいと思う者はいない。

「では、義母上……予定外のことがあったようですが」

 そう口にしてちらりとシラヌイを見やるトウカに、マイカゼは苦笑する。睨み付けるリシアの視線が痛い。

「リシア、シラヌイ殿をロンメル子爵邸へ案内してください」

「…………了解、中将閣下。……後で詳しい話を」

「いや、構わん。場所は分かる。君は存分にその若造を詰(なじ)ることだ……ふっ」

 トウカを見て嫌味たらしく失笑を零したシラヌイは、尻尾を一振りしてから掻き消えた。

 突然、掻き消えた様に見えたが、偏光魔術の類なのだろうかとリシアを見るが、驚いた様子であり、或いは別の高位魔術なのかも知れないと納得する。挺身隊や特殊作戦群の育成に有益かも知れないと、トウカは唸った。

 天狐族の里を大規模な偏光魔術で隠し、トウカとリシアを大規模魔術で誘拐する点を見れば、ヒトを驚かせるのが好んでいるのかも知れないとも思えた。

 狐を精霊や妖怪と見る民族は幾つかあるが、特に大和民族に於いては文化や信仰と言えるほど狐に対して親密である。

 本土では狐は人を化かす悪戯好きの動物と考えられたり、逆に稲荷神の神使として信仰されたりもする奇妙な二面性を持ち合わせた動物であった。《アイヌ王国》や、その影響の強い複数の公国でも、北狐(チロンヌプ)は人間に災難などの予兆を伝える神獣、あるいは人間に化けて悪戯をする者とされている。

 ――《アイヌ王国》建国には狐神が関わったとされている。意外と天狐だった可能性もあるか。そもそも、あの発展はあまりにも異常だからな。

 トウカが異世界に飛ばされた以上、逆もまたあり得るのではないかと考えるのは自然な流れであった。ましてや此方の世界は次元干渉技術が元の世界よりも進んでいる。

 ――そう言えば《アイヌ王国》では狐が化けた人間に乾しイクラサッチポロを勧めて食べさせれば、歯に粘り付いたイクラの粒を取ろうと口に手を入れている内に正体を表すそうだが……さすがにそれはないか。

 かなり天然の入ったミユキならば、転化して仔狐の姿に戻ってしまうかも知れないが。

 トウカは、鮭がいるとは思えないこの世界を残念だと思いつつも苦笑する。

「まさか、シラヌイ殿まで付いてこられるとは……そんなに気に入らないわけですか?」

「新しくできた義息に戸惑っているだけだから大丈夫」

 トウカの肩に手を置いて微笑むマイカゼだが、トウカはどうだろうかと胸中では考えていた。

 確かに天狐族の族長が、マリアベルやミユキに直接、赴いて協力を約束するというのは政治的表現としてはこれ以上ないものであるが、妻でもありミユキの母でもあるマイカゼでも十分に事足りる。長きに渡り中立を貫いてきた天狐族の重要人物が来たという実績があれば、トウカもマリアベルも問題はないと考えていた。ましてや外界との交渉は、マイカゼが一手に引き受けていると、トウカはマリアベルから聞いていたのだが、シラヌイが出てくるということは何かしらの思惑を持っているということになる。

「……この戦時下に指導者不在の勢力が如何に脆いか……いえ、貴女がそれを理解していないはずがない。まぁ、それほどにヴェルテンベルク伯とロンメル子爵との連携に重きを置いていると捉えることにします」

「あら、今日は疑わないのね」

 驚いた様子のマイカゼに、トウカは十分に警戒している心算なのだが、という意味を込めて首を傾げるが、それが心の琴線に触れたのか、マイカゼはころころと笑い出す。

 武断的に対処出来ようはずもない相手に、敵対的である必要性などトウカは感じない。

 トウカは、この時、自身が他者に対する猜疑心を向けることよりも、有益か有害かで判断するような姿勢を強めていた。未だ一般人の様に多くの他者に信頼を預けるまでには至らないものの、その猜疑に満ちた胸内が治まったことは大きく、マイカゼはそれを察して笑みを浮かべたのだ。

 まるで、マリアベルの様ではないか。

 それが、マイカゼの抱いた感想だが、それをトウカが知ることはない。

 無論、指摘されればマリアベルとの関係が露呈したのではないかと焦りを見せただろうが、マイカゼはそれを察した上で笑みを零すだけに留めた。胸中ではこんなに可愛く、懸命に生きる若燕を捕まえたマリアベルに皮肉の一つでも言いたい気分であったのだが、トウカはそれを知る由もない。狐は何でも知っている。

「どうされました?」

 トウカは楽しげな笑みで遠くを見つめるマイカゼに首を傾げるが、当人が高原を下り始めたので後に続く。その後ろを睨むような視線のリシアが更に続き、トウカは背に突き刺さるような視線に思わず苦笑する。

「リシア……言いたいことがあるならば言うといい」

「天狐に随分と厚遇されていると思っただけよ。まぁ、父狐とは仲が悪いみたいだけど」

 リシアには厚遇されている様に見えている様であるが、トウカとしては実際のところ利益を齎す可能性を見せ続けているからこそ、曖昧な近しい関係を続けられているのだと思っている。

 マイカゼは、トウカとミユキの関係を認めている様に見えてそうではない。

 トウカには認めていると口にしつつも、それを内外に明言しているという話は聞いておらず、マリアベルからもその辺りの話を耳にはしていない。実に強かな狐である。

 リシアはその辺りをよく理解していないが、ミユキとは何かしらの進展があったのか、緊張感があるものの友人関係を形成したようであった。休日には二人で買い物に出かけているという話をエイゼンタールからの報告で聞いていたトウカは、ミユキに友人が増えるのは好ましいことだと考えていた。何故ならば、トウカが舞踏会で周囲に対して油断のない振る舞いを見せたこともあり、ミユキに近づく同年代は皆無に等しい上、ロンメル子爵邸は使用人を雇わないという方針であり、エイゼンタールとキュルテンが詰めているのみであった。

「徐々に良くはなってきている」

「狐の調略が、でしょう。……あまり一つの種族に傾倒するのは政治的に褒められないのだけどね」

 呆れた様なリシアの言葉に、トウカは「尤もだ」と返す。

 先を往くマイカゼにも聞こえているであろうが、その肩は規則正しく歩を刻む為に微動するだけでそれ以外の反応を見せない。

「まぁ、たまには狐以外とも私的に付き合ってみるのも悪くないかも知れないな」

「なら、私の買い物に付き合いなさいよ。貴方だっていつも軍装か作業服なんて代わり映えのしないものを着て女の前に出るのは嫌でしょう?」

 歩を進めながらも横へと並び立ったリシアの言葉に、トウカは止むを得ないと頷く。

 最近、特に若い参謀ということで風当たりの強いリシアを労うのも悪くはないと考えていた。兵器開発や産業促進、政策への提言や参謀本部の調整は早々に終えており、後は技術者や各参謀の領分である。

 征伐軍も北部統合軍も再編を急いでいるが、散発的な威力偵察による偶発的な衝突は前線でも発生し続けており、皇国は初めて体験する決戦なき戦域全体の散兵戦へと移り変わりつつあった。

 その被害は日を追う毎に増えつつある。

 トウカからすると兵士達が雪原で誰にも看取られることなく屍を晒すことは、戦野に在って然して珍しいことではないが、皇国を含めたこの世界の国々では、未だ軍の戦闘は決戦の趣を残している。その最中に散兵戦への過渡期……それを飛び越え、広域戦線の形成による消耗戦の状況となりつつあるのだ。偶然とはいえ、被害が継続的に蓄積される状況に変わりはなく、互いに決定打を得られないままに長期戦となる可能性がある。

 そうなれば、政治基盤に不安の残るアリアベルは不利な状況に追い込まれる。必ずどこかで打って出るだろう。現に事前偵察を兼ねた偵察騎が北部上空を飛び交っている。

 フェルゼンやシュパンダウにも偵察騎は度々現れており、新設された領都防空隊や航空戦闘隊と散発的な航空戦を繰り広げていた。前線に近い市街地では爆撃を受けたとの報告も受けており、双方共に最早、民衆に気を払う余裕さえも失いつつある。

 ともあれ、防空の重要性は増大した。

 トウカが積極的に用いた航空団による結果であるが、対空兵器の能力はそれに追随しているとは言い難い。対空戦車も地上での残敵掃討が主体であり、魔力に反応する術式を小型化し、時限信管とする試みは行われているが開発は難航している。

 ――ついでに新造の防空巡洋艦を見に行くのも悪くない。

 フェルゼンやシュパンダウ防空の期待を担う艦を、トウカは思い出す。

 そんなことを考えつつ、トウカは二人と高原を下る。










「あっ、おとさんっ! 遅いですっ!」

 ミユキは、ロンメル子爵邸の前で両手を振って現れた父狐を歓迎する。

 尻尾を大きく揺らし、見え始めたシラヌイの姿は何時も通りに自信に満ち溢れた威厳のある佇まいでミユキを安心させた。天狐族の里は先の匪賊襲撃で多くの死者を出し、一部の建造物には被害も出ている。復旧には時間と労力が掛かる事は当然であるが、それよりも魔術的に隠蔽されていた里が襲撃を受けたという事実に精神的な衝撃を受けた狐達。

 ――きっと、隠れて生活するのはもう無理って気付いたはずだから。

 天狐族はミユキや一部の例外を除いて隠れ里であるライネケに潜む様に生活を営んでいるが、人口は増え続けるライネケは限界に近く、そもそも隠蔽が不完全であることが露呈した今、里に住まい続ける意味の多くを失ったに等しい。祭事などは社を維持すれば、日取りに応じて開催できる。常に隠れ里を維持する必要性はなかった。

 だからこそ、外界へと打って出て積極的に種族的地位を確立すべきなのだ。

 これはトウカの言葉ではなく、ミユキが自らたどり着いた結論でもある。無論、最近、親しくなったリシアに情勢を聞く内に、隠れるだけでは最終的な解決は果たされないと悟ったからでもあった。

 ミユキは、この件についてトウカに相談をしていない。トウカとシラヌイの仲を気にしてのことでもあるが、一番の問題はトウカが天狐族に対して不信感を持っていると感じたからであった。考えてみれば、族長のシラヌイとの不仲に加え、天狐族の者は多くがトウカに懐疑的であったので当然と言える。

 眼前へと近づいたシラヌイは、尻尾を一振りして相好を崩す。

「元気だったか、ミユキ。お父さんは心配したぞ。随分と振り回されておると聞いている」

「ええ~っ、違うよ? 私が振り回しているの。貴族の御嬢様なんだよ、私」

 トウカは軍事的に皇国を振り回していると言っても過言ではない状況。なら、ミユキは皇国を政治的に振り回してやろうと考えていた。天狐族の名を皇国中に今一度知らしめるのだ。

 シラヌイの野太い腕に抱き付き、ミユキはその感触に微笑む。

 父の腕に抱かれていた幼少の頃、ミユキの見る世界は小さかった。物理的な意味以上にそれは精神的なものであり、満足と納得は簡単にできた。しかし、成長と共に里は狭くなり、当然のように続く日常に苛立ちと詰まらなさを感じつつあったのもまた事実。

 だから、ライネケを飛び出した。

 楽しいこともあったし辛いこともあった、嬉しいこともあったし残酷なこともあった。だが、それを含めての皇国であり、世界なのだと実感することができた。

 そして、トウカに出逢うこともできた。

 凪いだ水面の様に物静かな佇まいでありながら、晴嵐の様に激しく吹き荒ぶ意思を宿した瞳を持つ異邦人(エトランジェ)。前者はあくまでも表面上のことであり、その胸中には渦巻く様な野心と熱意は、ミユキの目にも見て取れた。

 恐らく、今までトウカと出逢ってきた高位種の多くは、そのことに気付いているだろう。

 対するトウカも恐らくは気付かれていることを理解しており、だからこそ自らの意見を通す際、必ず激しい交渉となる。元より自分が信用に値する人物ではないと見なされると踏み、理を以て約定を結ばせようとする姿勢に、ミユキはある種の痛悲哀を感じていた。

 勿論、最近はその傾向は薄れてきたようにも思えるものの、マリアベルが原因であるような気がするミユキは心中穏やかではない。

「おとさんもやってくるってことは、天狐もこれからは外界に出るってことなの?」

「…………それは、未だ早かろう」シラヌイは渋い顔で呟く。

 頭を撫でられる感触にミユキは目を細めながらも、目まぐるしく鳴動する時代の潮流に天狐達は耐えられるのだろうかと不安になる。

 天狐族の中で唯一、皇国中を旅し、見聞を広めたという自負がミユキにはある。シラヌイやマイカゼも外界の情報を懇意にしている商人から仕入れている様子であったが、それを分析し判断する思考と瞳は果たしてそれに対応できたものかと悩んでいた。

 ちなみに、ミユキにはその自信がない。なので、リシアを頼る。

 天狐族の次期族長の歓心を買うという名目で協力してくれている。恐らくはトウカと天狐族との関係に関わっておくことに利益を見いだしたに違いないとミユキは踏んでおり、事実としてリシアはそう考えていた。

「ロンメル子爵……外は御寒く御座いましょう。早々に中にお入りください」

 漆黒の軍装に軍用長外套(ロングコート)を肩に掛けたエイゼンタールが姿を現し、敬礼を以てロンメル子爵邸の正面玄関へと二人を誘う。

 エイゼンタールは、ロンメル子爵邸の数少ない住人の一人である。

 ミユキは貴族になったものの、浪費癖がある訳でもなく、身の回りのことは皇国中を旅していた頃と同じように大抵、自分で済ませてしまう。長く断絶していた子爵家の領地を拝領した故に嘗ての執事や侍女などは既に居らず、新しく雇おうにもそこからの話が面倒であった。ミユキは別に必要ではないと考え、トウカも信用の置ける者か判断できないとそれに同調した。

 しかし、それにマリアベルが待ったを掛けた。

 正確には、トウカの頭に拳を振り下ろしたのであるが。

 貴族とは権威の象徴であり、それを内外に示す為には相応の規模の家臣団や家令を雇うべきであると口にしたマリアベルに、ベルセリカが同調したのだ。貴族の権威という無形のものに金銭を投じる必要などないと言い捨てたトウカだが、ベルセリカに耳を引っ張られては渋々と頷くしかない。ミユキもそういうことならと賛成した。決してベルセリカとマリアベルが怖かった訳ではないのだ。

 だが、トウカは条件を付けた。信用できる女性を。

 得体の知れない男性をミユキの傍に置きたくないというトウカの言葉に、ミユキは嬉しさを感じると共に、貴族なのだから来客の際に家令や侍女がいないと、確かに問題かもしれないと遅まきながらに痛感した。無論、トウカは貴族の権威など善良な統治と隷下の領邦軍の武勇を以て示せば良いと口をへの字に曲げていたのだが、それはまた別の話である。

 そして、喧々諤々の議論の後、ヴェルテンベルク領邦軍情報部から二人が出向することとなった。

 結論を言うと、マリアベルはトウカが心配でならないのだ。

 ミユキが家臣団を結成するに当たって自らの家臣の一部を出向させており、家令や侍女にも自らの息の掛かったものを加えたかったのだ。考えてみれば、トウカの部下にリシアを加えた“前科”のあるマリアベルがそう考えるのは自然な流れである。

 ちなみにミユキの為でないと断言できるの狐の……女の勘である。

 怪しい。最近、トウカとマリアベルの仲が怪しいのだ。

 トウカがマリアベルを疑う素振りや言動を見せず、マリアベルもトウカの意見を今まで以上に受け入れるようになった。一部ではトウカを重用し過ぎているのではないかという苦言すら漏れる状況であるが、講じた政策や軍備増強が成功しているという事実。そして、トウカが今までに打ち立てた戦果と、マリアベルの権威がそれを無理やりに抑え込んでいる形である。

「如何したのかな、御嬢さん(フロイライン)」

 ロンメル子爵邸に入るや否や、侍女服姿のキュルテンが何時も通りの真摯な口調でミユキとシラヌイを出迎える。キュルテンが侍女服に二つ結い(ツインテール)という女性の出で立ちであるにも関わらず、気障な青年の如き口調であることに首を傾げるシラヌイを、ミユキは腕を引っ張って邸内に導く。キュルテンの説明は困難を極めるのだ。

 エイゼンタールとキュルテンは、二人の後に黙って付き従う。詰まるところ、ロンメル子爵家の家令と侍女はこの二人であった。

 護衛も可能でマリアベルの信任篤く、トウカの知る者である二人は同時にヴェルテンベルク領邦軍情報部でもあり、間諜への対応も熟(こな)せる打って付けの人物であった。エイゼンタールの「実は前から護っていたのですが」という言葉には、ミユキも閉口したが。

 客間へと入った一同は近場の椅子に座る。護衛役を兼任しているエイゼンタールとキュルテンは、さり気なくミユキの背後に立っている。エイゼンタールに限っては、腰に長剣を佩いていた。

「しかし、御前が貴族になるとは……お父さんは嬉しいぞ。いざとなればうちの狐達を受け入れてくれると助かる」シラヌイは感慨深げにそう呟く。

 確かに領都であるシュパンダウを含めたロンメル子爵領の領地は島嶼であり、開拓されていない島々も少なくなく、新たに開拓することは不可能ではない。

 勿論、ミユキは隠れ里など新たに作らせる気はない。この期に及んで隠れ住むことは許されないのだ。

 天狐族の存在を今一度、世に知らしめることで皇国の一部であることを示さねばならない。さもなくば天狐族は誰に知られることもなく、歴史という理不尽に押し潰されようとしている時、誰も手を差し伸べてくれないのだ世の中、見ず知らずのヒトを無条件に助けてくれる者などそうはいない。

 《ヴァリスヘイム皇国》の民は優しい。

 しかし、戦乱に次ぐ戦乱でその優しさは損なわれつつあり、こんな時であるからこそ種族の真価が問われる。そして長きに渡り外界に姿を現していなかった天狐族など助けようと思う者などいるはずもない。もし、手を差し伸べる者がいたとしても、それはマリアベルのように野心を滾らせた者などであることは疑いない。皇国に於ける種族平等など建前に過ぎないのだ。

 恋人であるトウカが人間種であり、二人に向けられる視線の中には好意的でないものが多いことを、ミユキは感じ取っていた。比較的、異種族間の恋愛に寛容とされる北部であっても、この様である以上、中央などでは更に風当たりが強いことは疑いない。

「おとさん……世界は残酷だよ? 私は今、天狐族唯一の貴族、ロンメル子爵として天狐族の命運を握っているの。私は私の遣り方で天狐族の未来を切り開くからね」

 背後のエイゼンタールとキュルテンが身動(みじろ)ぎし、袖の擦れる音が嫌に大きく響き渡るが、ミユキは口元の笑みを張り付けたままにシラヌイへと視線を投げ掛けるに留める。

 ミユキとて剣聖であるベルセリカや戦略家であるトウカを近くで見続けたこともあり、少なくとも外見を装うだけの胆力を身に着けたという自負がある。無論、遙かに永い時を生きた者達を相手に立ち回れるとは考えもしていないが、ミユキは幸いなことに一人ではない。

 それを見て取り、シラヌイは小さく笑みを零す。

「成長したな、ミユキ。……まぁ、許さんがな……っ!」シラヌイが視界から消える。

 慌てて立ち上がろうとしたミユキだが、頭への突然の痛みにずるずると着席する。痛む頭を狐耳諸共に両手で押さえ、涙目で振り向けば拳を固めたシラヌイがやれやれと首を振って仁王立ちしていた。

 拳骨だったのだろうが、ミユキの目には捉えられなかった。

 それどころか、抵抗しようとしたのかエイゼンタールがいつの間にか抜き放っていた長剣は刀身の半ばで圧し折られている。対するキュルテンは、手にした自動拳銃の銃身が曲がっており舌打ちしたところであった。共に官給品なので始末書は免れない。例え、胡散臭い情報部に所属していても組織である以上、書類からは逃れられないのだ。

 ――後で何とかしてあげようぅ。

 痛みの中で、そんなことを想いながら、シラヌイを恨めし気に見上げる。

「武力を振るうのは良い。だがな、それは失敗すれば総てを失うと理解して行うべきだ。……まぁ、あの若造の様に交渉の席で武力を添えるというのは悪くない発想だ。武力という刀を抜き身で振り回し続ける莫迦な女伯爵に比べれば、だがな」

 詰まらなそうに拳を下ろしたシラヌイ。武力という刀を抜き身で振り回す莫迦な伯爵というのはマリアベルのことを指しているのだろうとは思ったが、否定することも肯定することも出来ずに、ミユキは沈黙するしかなかった。

「えうっ……えぐっ……チカさん、おとさんが私を苛めるの」

「いけませんな。御父上殿がこんなに暴力的だったとは」

 ミユキが飛び付く様に泣き付いたエイゼンタールが、やれやれと首を横に振る。

 案の定、被害者顔をされたシラヌイは狼狽える。娘と美貌の女性情報将校に冷たい目で見られれば大抵の男は怯むものである。特にシラヌイは娘に弱いのだ。

「俺か? 俺が悪いというのか? 教育だぞ? ここは御免なさいと泣き付く展開だろうぅ……いや、これは、あれだ! あの若造の差し金か! そうだ、そうに違いない! 彼奴(あやつ)めぇっ!」

 何もかもをトウカの責任にするシラヌイに、ミユキは苦笑するしかない。勿論、それは胸中のみに止め、表面上は泣き顔のままであるが。

 そもそも、ミユキは既にトウカの進退を気にしていないので、シラヌイの言葉に目くじらを立てない。勝者の余裕である。不愉快な話であるが、マリアベルが強力に擁護し、北部統合軍の頭脳とも言える参謀本部を与えられたトウカに対し、正面切って論理的でない非難をぶつける者など皆無に等しい。寧ろ、トウカの皮肉と嫌味を恐れている節がある。トウカは歴代天帝陛下や高位種に対しても遠慮することはないのだ。口喧嘩であれば無敵皇軍でも打ち破れるとは本人の談である。

 ミユキは、シラヌイに対して圧倒的優勢なのだ。

 天狐族で唯一の貴族こそがミユキであり、多くの者は表面上を見れば天狐族はミユキを中心に動いていると判断するに違いない。どこにいるかも不明確な、ケマコシネ=カムイ公爵など誰も当てになどしていなかった。

 正式な族長でないものの、皇国貴族という肩書は大きい。元を辿れば、種族として公爵位を有しながらも、その公爵家の存在自体が謎に包まれているなど、他に例はない。結果、皇国建国に携わりながらも政争を恐れて隠れ潜んだ天狐族は基本的に外界に有力な伝手を持たない。軍事的にはベルセリカ、政治的にはマリアベルと連帯するミユキは天狐族の中でも外界に最も影響力のある者へと躍り出たのだ。

 リシアがその様に口にしていたので、ミユキは堂々としている。

 まさに、龍(マリアベル)の威を借る狐(ミユキ)である。
 或いは、狼(ベルセリカ)の威を借る狐(ミユキ)である。

「だから、おとさんは私を納得させないと、ロンメル子爵領で好き勝手はできないの。ねっ?」ミユキはキュルテンに同意を求める。

 対するキュルテンは、なだらかな己の胸に右手を当てて、“その通りで御座いましょう、御嬢様“と一礼する。侍女服の端を摘まんで一礼して見せてくれることを期待したミユキだったが、キュルテンは頑なであった。

 後でキュルテンを着せ替え人形にしようと考えながら、ミユキはシラヌイを今一度、見返す。

「強くなったな……若造がその理由だとすれば不愉快だが」諦めたような口調のシラヌイ。

 恐らくは妥協する意志があるのだろうが、トウカを貶めることだけは忘れないシラヌイに、ミユキは乾いた笑みを零すしかなかった。



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