紫苑穢国のエトランジェ

扶桑之御狐

第四一話    仔狐の決意




 仔狐は、鋼鉄の野獣を見上げていた。

 眼前で沈黙する鋼鉄の野獣は、不気味な沈黙を守っている。自らの愛しの主様が、この鋼鉄の野獣に対して並々ならぬ感情を抱いていることを仔狐は知っていた。その視線には多分の憧憬と敬意、そして僅かな畏怖と渇望が含まれることを仔狐は朧げながらに察している為、内心では複雑な想いを抱いていたのだ。

「むぅ、こんな鉄屑より私の方が強いに決まってます」鋭い刃たる砲身を見て、ミユキは唸る。

 期待の眼差しを向けながらも、「履帯の構造が脆弱だ」「正面装甲が薄い」「榴弾なしの短砲身など有り得ない」と罵倒していたトウカを思い出し、ミユキは苦笑する。

 意地っ張りにもほどがあると思うミユキ。トウカをよく知らない者からすれば、単なる不平屋にしか見えないが、ミユキからすれば高評価を下している様に見えた。

 誤解され易いが、仔狐の主様であるトウカという人物は、表面的には“理”詰めを徹底した人物に見えるものの、その本質的な面に於いては間違いなく“情”のヒトである。効率や利益を求めるその姿からは、そう理解する者は少ないが、ミユキは最近になってトウカの心の動きを感じ取れるようになった。

 “理”に依って策を廻らし、“情”によって行動の根拠となす。

 そんな矛盾を黒衣の下に内包しつつも、それが破綻しないのは、トウカの“情”の及ぶ範囲が酷く狭いが故である。

 即ち、仔狐だけなのだ。

 そして、その“情”の範囲に含まれない者に対しては極めて冷たく、敵対する者には極めて苛烈でさえあった。必要とあらば、些少の躊躇いすら抱くことなく、人道に悖る手段を選べる程に。

 その様な苛烈さを持つ主様に対し、無謀にも牙剥く傭兵達の末路を仔狐は憐れむ。

「むぅ……でも、待っているだけなのも……。でもでも、主様と戦わないって約束しちゃったし」狐耳を元気なく垂らしてミユキは悩む。

 せめて負傷者の手当だけでもと考えていたが、それすらも現状では叶わない。

 主戦場が里へと至る道の中間地点辺りで行われていることからも分かる通り、里の出入り口付近は平穏を保っていた。密林が防風林となっている為に銃声すら聞こえない。トウカの執った戦術も相まって砲噴火器の使用は最小限に抑えられており、ミユキの耳に聞こえたのは天狐側の奇襲部隊が使ったと思しき爆薬の一斉点火の爆音だけである。

 トウカは負傷者を里まで後退させる余剰戦力はないと判断し、治癒魔術に練達した一部の天狐を密林内に構築した簡易救護所に展開させていた。傷付いた天狐は戦友に運ばれて密林へと消えてゆくように見えるが、実際は森奥で手厚い看護を受けている。傭兵が指揮系統の混乱で追撃が不可能になるであろう点と、密林そのものが天狐族以外の種族に排他的であることを利用した簡易救護所は攻撃を受ける可能性も少なく、近場でありながらも安全な後方陣地であった。

 だが、それでも尚、トウカはミユキが戦野に近い位置にいることを許さなかった。

 過保護にも程があると援護してくれたベルセリカも、トウカとシラヌイが「ミユキが傷物になったら如何してくれる!!」と怒鳴り散らした為に、ミユキは里へ留め置かれる形となった。父狐と異邦人が揃って仔狐に泣き付いて引き止める姿は、里の全ての狐達が目撃しており、余りの恥ずかしさにミユキは折れるしかなかったのだ。

 そして、それを横目に笑い転げていた捻くれ者が屋敷の影から姿を現した。

「んん? 如何した、ミユキ。眉間に皺を寄せては愛しの主に笑われるであろうて、のぅ」

 楽しそうな笑みを湛えたマリアベルの登場に、ミユキが頬を膨らませる。

 尻尾を振って、何処かへ失せろ、と暗に言っているミユキに対してマリアベルは「そう剥れるでないわ」とミユキの頭を撫でる。

 ――むぅ、何処か主様と似てます。撫で方も……

 目を細めてマリアベルの手に意識をやり、ミユキは思う。

 トウカとマリアベルは何処か似ている。何処が似ているのか分からないが、やはり何処か似ている様に、ミユキには感じていた。強いて言うなれば雰囲気……向いている方向が同じとでも言うべき感覚だが、それが何を意味するか、ミユキの想像力では推し測ることができない。だが、マリアベルの退廃的な性格が伝染することだけは避けたいと考えていた。

「私の主様に変なこと吹き込まないでください。穢れちゃったらどうするんですか?」

「なに、アレは妾より汚れておるよ。だが清廉潔白な屑よりも、卑怯外道の大馬莫迦野郎がより好ましい。正義を語らぬところなど好感が持てる。妾が一〇〇歳ほど若ければ、の」惜しいと笑うマリアベル。

 一〇〇歳若ければどうなるのだとミユキが睨むと「有り得ぬ未来に目くじらを立てるでないわ」と言い返されて言葉に詰まる。

 女性同士の他愛もない会話。

 専ら話題の中心はトウカのことであるが、ミユキにとってもマリアベルの言葉は貴重なものであった。遙かに年上である事もあって、ミユキの知らない恋や男を知っているマリアベルの言葉は大いに参考になるものばかりで、男性に対する優位性の確保などは、トウカに主導権を握られてばかりのミユキには大いに興味のある話である。

 中戦車の車体に腰掛け、二人は生産性のない会話を続ける。

 ミユキのトウカに対する複雑な感情や、マリアベルの装甲兵器に対する期待が会話に上ることもあれば、身近な出来事に話しが逸れることもある。女性の会話と言うには鉄血混じりの部分もあったが、概ねミユキを満足させる内容であり、戦車についての話もトウカが興味を持っている以上、知っていて損はない。時には、トウカとベルセリカの果し合いの顛末を聞いてマリアベルが頬を引き攣らせ、時にはマリアベルの生々しい諸々の体験にミユキが頬を赤く染める。

「御主は、本当に――」

「敵襲‼ 敵は戦車四輌! 皇国製の戦車だ‼」

 マリアベルの言葉を遮るように戦車が駐車されている場所へ、歩哨の任務を受けていた戦車兵の一人が飛び込んでくる。

 何事か、と同僚の戦車を整備中であった戦車兵が、工具を投げ出して哨戒に出ていた戦車兵に駆け寄る。その様子にミユキとマリアベルも車体から飛び降りて戦車兵達に近づいた。

「敵です。それも我が祖国の戦車なんです! 先輩、如何しましょう!」年長の戦車兵に詰め寄る歩哨に出ていた戦車兵。

 親子の遣り取りを見ているような錯覚に捕らわれるが、ミユキにも事の重大さは理解できた。

「えっと、一輌負けちゃってます」

「笑えぬなぁ。この様な形で妾の対戦車戦闘の初陣とはのぅ」

 参ったと笑うマリアベルだが、その表情は相も変わらず嬉しそうであった。

 そもそも主様達が敵を撃退してくれるはずではなかったのか、とミユキはマリアベルに疑問をぶつけたが、敵戦車が随伴歩兵を伴っていないことから、戦車だけ突破を許したのだろうと返ってきて一安心する。歩兵戦力を拘束しているということは、トウカたちが未だ健在であるという事に他ならない。

「総員、対戦車戦闘用意! カリスト中尉、貴官に指揮は一任しようと思うのだが、異議はあるかえ?」

 年長の戦車兵……カリストに声を掛けるマリアベル。

 ミユキはてっきりマリアベルが喜び勇んで指揮を執るものだと思っていたが、それは杞憂に終わった。戦車兵達も想像の埒外であったのか、驚愕の表情を浮かべている。

 だが、マリアベルからすれば指揮を執るという選択肢は最初から存在しなかった。

 兵士とは兵科に応じた技能を持っていなくてはならない。そして戦車兵とは特に高度な技能が要求される兵科であり、ただ使えるだけではなく、稼働状態を維持して戦車の各部を理解できる知識がなくてならないのだ。軍記物のように素人の少年少女が戦車兵になる事など有り得ない。その為に膨大な時間と資金を投入して高度な訓練を将兵に施す装甲科の苦労を知る者は余りにも少なかった。

 マリアベルは自身が、その技能を有していない事を知っていた。

 どちらかと問われれば開発寄りであり、脆弱な身体は過酷な戦車戦に耐えられはしない。無論、戦車兵としての訓練を受けていないということもある。自らの余命が少ないと知っているからこそ、自らが技術や技能の習得を行う事を諦めてもいた。無論、一番の理由は狭苦しい車内が嫌だという至極個人なものであるが。

「主らも考えると良かろう。戦場を生身で歩くのが嫌だなどという動機なら戦車の事は忘れるが良い。要求される技能も危険の度合いも戦車兵は最上位での。一度軍人になった理由を考え直してみるがよかろうて」

 マリアベルは、戦車兵達を睥睨し、今一度、問う。

 その言葉は正しい。

 現在のところ、主力車輌として地上最大の兵器である戦車は攻撃の際に最優先目標になり、どれだけ装甲で守られていようとも危険は他の兵器よりも大きい。熟練した歩兵は戦車がある事を望むが、自分が乗りたいと言い出さないのは戦車の危険を間近で目撃しているからに他ならないのだ。逆に、それほどに戦車兵は肝の据わった連中が乗る、まさに精鋭の兵器であると捉えることもできる。

 マリアベルが予想している将来の戦場は、機甲戦力が陸上戦力の中核となる。

 現在の皇国陸軍に於ける中核戦力は装虎兵や軍狼兵だが、機械ではなく生物であるそれらは無機物を量産するように増強はできない。基本的に騎乗する白虎や黒狼などの育成には時間が掛かる上に、乗りこなせるだけの人材も限られている。無論、戦力化までの時間が長い故に、資金的な面に於いても戦車製造と同程度の資金を必要とするのだ。

 ミユキにとってマリアベルの言葉は他人事であるが、そこでトウカの言葉を思い出す。

「戦車は虎さんや狼さんと違って、能力が均一だから戦術を考えるときに無駄な配慮が必要ないって、主様が言ってましたよ。他にも、先天的資質で使用者を選ばないのは兵器の最低条件だ~、って怒ってました」

「ふむ……汎用性か。それは考えんかったの……まぁ、それは追々聞くとして」マリアベルは再び戦車兵達に視線を巡らせる。

 雑談を楽しんでいた時のマリアベルとは明らかに違うその雰囲気に、ミユキは息を呑む。

 そう、それは異邦人が剣聖と相対した際の気配と酷似していた。

 マリアベルもまた戦う心算いる。

 死の気配という単純なものではない。強いて言うなれば他者に理不尽な選択を迫る気配。他者に義務を全うすることを望み、また自身も自らの依って立つところに服従するという瞳にミユキは悲しくなった。

「なんで、そんなに無理をしちゃうんですか?」

 思わず口を衝いて出たミユキの言葉に、マリアベルは曖昧な笑みを浮かべた。

 儚くも優しげな笑みは、廃嫡の龍姫と異邦人を重ね合わせるには十分なものであった。その姿まで似ていることにミユキは、二人は不器用で意地っ張りなのだと痛感する。

「殺したい者がおる……いや、貫きたい意地があるからと言うべきかの」

 ミユキの頭を優しく撫でるマリアベル。

 そうしてマリアベルが戦車兵達に視線を投げ掛けると、カリスト中尉に続く形で全ての戦車兵が一糸乱れぬ敬礼で応じる。

「疾く実行するがよい」

 それを合図に戦車兵達は、各々の戦車へと走り出した。









「さぁ、仔狐よ。戦争ぞ」

 硝子瓶に鼻を突く臭いの液体を入れながら、マリアベルが楽しそうに呟く。

 既にマリアベルは、何時もの妖艶な服装ではなく、野戦服と戦闘帽を身に纏っており、中堅士官とでも言うべき姿であった。漆黒の開襟軍装はヴェルテンベルク領邦軍装甲科のものと同様の象意だが、階級章や肩章、徽章などは伯爵家の家紋に変更されている。

 無論、精鋭であるからこそ戦車兵は通常の詰襟制服ではなく、漆黒の開襟の制服を着ることを許されており、新兵種である装甲科はそれだけ特別視されているという証拠でもある。

 《ヴァリスヘイム皇国》は軍装の種類が大陸一多い国家であるが、軍服は軍に所属している証明である。拠りどころの一種でもあり、制服による士気の維持は素人が思っている以上に大きい。三軍を統一して既存の制服を廃止した事によって士気が低下した軍隊の事例もある通り、安易な統合は避けるべきという意見が朝野にも根強くある。無論、皇国ほど多様性に富む軍装は敵味方識別に於いても大きな手間が掛かるので避けるべきであるが。

「ううっ、胸がきついです」

 ミユキもマリアベルの軍装を借りて着用していたのだが、少し窮屈であった。マリアベルもかなり大きな胸であるが、ミユキは更に一回り大きい。耐えられない程ではないが、狭い戦車内での取り回しも考慮して、全体的に細めの軍装であることもあってミユキには少々窮屈に感じられた。

「阿呆(あほ)ぅ。軍人はの、体格を軍装に合わせてこそでな。貴様のようなけしからん胸の将兵はおらん。自重せんといかんぞ。……それでは車長用司令塔(キューポラ)に引っ掛かるの」

「胸が大きいだけでそれだけ言われるなんて……オバサンの僻みです」ミユキは狐耳を立てて唸る。

 顔を引き攣らせたマリアベルだが、短命な人間種から見れば十分にミユキの姉と言っても通用するほどに若く見える。長命種自体が老いという現象に対して強い耐性を持っているが、それでも尚、女性にとって老化とは永遠の命題でもあった。ベルセリカほどの年月を重ねれば、年齢に対しての言動も寛容的になるが、マリアベルはそういう意味に於いては未だ若い。

 ミユキの尻尾を引っ張り「覚えておれよ」と唸るマリアベルは正に年頃の女性である。

「まぁ、そのけしからん胸は後でトウカに苦情を言うとしての……御主も火炎瓶の作成を手伝わぬか」

「それは、手伝いますけど……主様に言ったら戦車の砲身曲げちゃいますからね」文句を垂れながらも、ミユキは火炎瓶を眺める。

 硝子瓶に油を入れて古紙を差し込んだだけの簡素な造りのもので、鋼鉄の野獣を撃退できるものかとミユキは疑問を抱く。焼け石に水ならぬ鋼鉄に炎であろう火炎瓶攻撃が有効であるとは思えなかった。揮発する油によって手元で引火するのではないかという懸念もある。

「分かっておらぬの。皇国の戦車も帝国の戦車も妾からすれば十分に付け入る隙はあるでの。まぁ、任すが良い」

「で、でも、私は戦っちゃ駄目って、主様に言われちゃっていますし」それこそがミユキの目下最大の悩みであった。

 トウカはミユキを戦野へ近づけることを異常なまでに避けようとしていた。今回もマリアベルがミユキの横に常にいるのは、トウカは護衛の為と言っていたが、ミユキが勝手な行動をしないように監視しているという側面もあることをミユキは察している。

 ――私だって主様の隣に立ちたい。護られているだけなんて嫌です。

 何処か遠いところへと進んでいこうとしているトウカを、ミユキは心配していた。糸の切れた凧のように風の赴くままに何処かへと飛んでゆくのではないか、と。それを繋ぎ止める為には、最低でもトウカと同じ視線に立っていなければならない。そうミユキは考えていた。

 臆病であるが故に、ミユキは戦野を渇望した。

 戦野で無慈悲に撒き散らされる悲劇よりも、トウカが自身の下から去ってゆくことを恐れたのだ。

 マリアベルは、真剣な表情でミユキを眺めていた。

「そうよのぅ。妾は御主が戦野に赴くを止めよと言われておる。もし往くと言うならば力ずくで止めねばならぬが……幸い、もとい不幸なことにこの身は出来損ないの駄龍なれば。天狐にも人間種にも劣る脆弱なる身では仔狐一匹止めることは難しかろうて。中々に難儀であろう?」

 片目を閉じて尋ねるマリアベルに、ミユキは呆気に取られる。

 トウカとの約束を破ると言っているに等しいマリアベルだが、トウカが約束によって発生した義務を全うすることを怠った者に対して決して寛大ではないことを知らないはずがなかった。そして、それほどまでにミユキに義理立てする必要はない。

「何故とは聞いてくれるな。まぁ、妾もあの者に思うところがあってのぅ」

「???」

 その真意は分からなかったが、ミユキが強引に戦野へ赴いた事にすればマリアベルに責任が及ぶことはなく、それを双方共に承知している。

 ――そう言えば私に軍装を着せたのって、もしかして元からこうする気だったのかな?

 例えそうであったとしても、ミユキには決して不都合なことではない。

「如何する?」笑顔で尋ねる廃嫡の姫君。

「お願いします」仔狐は間髪入れずに頷いた。

 頭を下げたミユキに、マリアベルは鷹揚に頷く。

 そして、頭を上げたミユキの鼻先に魔導機器が突き付けられる。

「これは聴取機(ヘッドフォン)と……?」

 ミユキも幾度か目にしたことのある形の聴取機(ヘッドフォン)に、短い線でそれに繋がっている小さな箱型通信機、そして線の先に丸い物体が付いたものであった。

「喉頭音声変換器(タコホーン)だ。喉に当てみよ。戦車の中は雑音で満ちておるから、会話や通信には喉頭音声変換器(タコホーン)と聴取機(ヘッドフォン)が必須装備でな……まぁ、妾達は普通の通信機でも良かったやも知れぬが、生憎とこれしかなくての」

 通常の集音機(マイク)は戦車内部の雑音まで拾ってしまい聞き取りが難しいが、喉頭集音機(マイク)ならば声だけを拾って送信する事ができる為、戦車兵の必需品である。もしこれをつ付けてなければ判断を違えて最悪敵中で孤立しかねんでな、とマリアベルは笑う。

「では往こうかの」

 差し出された火炎瓶。

 ミユキは黙ってそれを受け取った。









 ――ミユキを連れて往かぬわけにもいかんしのぅ……

 マリアベルは、笑顔を張り付けたままに内心で嘆息する。

 ミユキは見た目からは想像がつかないが、かなり強引な性格をしており、生まれ持った魔導資質を有するそれを十全に発揮して大抵の我儘は罷り通る。ベルセリカやシラヌイであれば正面から力ずくで止めることができ、トウカであれば恋人補正と舌先三寸でこれを止めて見せることは容易に想像できるが、マリアベルに関してはそうもいかない。身体を張って止められなくはないとはいえ、口先で止めようとすれば必ず強硬手段に打って出るであろう事は想像に難くない。そこで、どの道、激発するのであれば、その激情に指向性を持たせて制御しようとマリアベルは目論んだ。

「良いか? 我らが狙うは最後尾の車輛の機関冷却吸気口。外してはならん」

 ミユキでなく、自らにも言い聞かせるようにマリアベルは呟く。

 皇国製戦車の機関冷却吸気口は車体後部上面にあるが、マリアベルが率いてきた回転式砲塔を備えた中戦車と違い、車体の高さは大きく違う。これは、前者が固定式の砲塔と銃眼などを車体と一体化させている為であった。つまり、機関冷却吸気口へ火炎瓶を投げ込むのは、人間種と変わらぬ身体能力しか持たないマリアベルには難易度が高い。

「機関冷却吸気口ですか? 運転手さんの窓とかのほうが効くんじゃ……」

「操縦手視察口か? まぁ、車内に運よく入ればの。そもそも火炎瓶の大きさは操縦手視察口より大きかろうて。それならば機関冷却吸気口のほうが効果的であろう」

 機関冷却吸気口の下には機関部がある。操縦手視察口も視界を塞ぐ一手としては悪くないが、主砲と車載機銃の正面に躍り出る勇気と無謀をマリアベルは持ち合わせていない。

 魔導機関には複数の種類があるが、皇国製戦車の魔導機関は、反発しあう二つの属性を帯びた魔力をぶつけ合い燃焼させることで、羽根車(タービン)と軸を介して回転運動へと変換する魔導式内燃機関であり、これは重量と体積の割に高出力が得られることから皇国軍の大多数の車輛の動力源として用いられている。しかし、瞬発力には一定の評価があるが、待機状態などの戦闘時以外の魔力消費の悪さも相まって長時間の稼働はできない。

 そして、何よりも魔力消費が激しい理由の一つとして極めて強力な冷却能力が必要とされるという点があり、その為に機関冷却吸気口を破壊されると機関の異常加熱で機動力が短時間で失われる。

「要するに機関冷却吸気口に火炎瓶を投げ込んでやれば戦車は撃破できる……らしい」

「大丈夫です! 死んでもマリアさんを恨んだりしませんから!」火炎瓶を抱えて力強く頷くミユキ。

 自己責任で戦野に赴いて死ぬのは勝手だが、もしトウカにこの事が露呈し、挙句の果てにミユキが傷物になれば、間違いなくマリアベルは想像を絶する悲劇に見舞われる。

「あほぅ、御主が死んだら妾は、如何あの若造に弁解すればよいと思うておるのか」

 理路整然としたトウカだが、ミユキが関わると理論など笑って捻じ曲げるに違いなく、下手をするとミユキこそが理論だとでも言いかねない。

 二人は、里の出入り口右側の密林を歩く。

 里の出入り口が見える場所に腰を下ろして、二人は準備を始める。

 火炎瓶だけではなく、背負ってきた対戦車小銃や手榴弾なども地面に並べて、迫る魔導機関特有の駆動音を耳に敵戦車の接近を待つ。

 対戦車小銃は皇国陸軍でも少数の配備に留まっており、そもそも戦車に対して有効な攻撃を入れられるほどの一撃を有したものは未だ開発途上にある。マリアベルからすれば、鋼鉄の塊である戦車の装甲を貫徹するのに小銃を大型化しただけで対処できるとは考えておらず、新しい発想の兵器が必要だとも理解していた。

 だが、現状では対戦車小銃しかないのもまた事実。知恵と無謀で乗り切るしかない。

「こら、狐っ娘。もっと、頭を下げぬか」

 ミユキの頭を押さえ付けて、マリアベルは嘆息する。新兵や初年兵と同じで、銃弾を受けた際の痛みを知らない故に銃火器に対する侮りがあるのは致し方ない。民間人が銃器より刃物の痛みを想像し易い点と同様であるが、戦場での負傷は死へと繋がる可能性が高く看過できない。

「射線に入ってはならん。魔導障壁を展開できたとしても、速射性で圧倒されるでな」

 その上、十丁以上の機関銃射撃に晒されれば、魔導障壁も短時間で無力化されかねない。ミユキは魔導資質に優れているとはいえ、戦闘に秀でた種族ではなく、銃火に晒されても尚、無事であるとマリアベルは考えていなかった。

「でも、飛び出さないと攻撃できないです」

 頬を膨らませるミユキだが、その言葉もまた正しい。

 ミユキならば密林の木々を利用して戦車の死角である上面からの攻撃を仕掛けられるが、敵もそれを警戒して戦車長と思しき傭兵が車長用司令塔(キューポラ)から身を乗り出して周辺警戒を行っている。取り付く前に気付かれ、戦車長が扱う機関銃の餌食になりかねない。

「妾が援護する。御主は上から最後尾の戦車に取り付くがよいぞ」

 対戦車小銃の棹桿(コッキングレバー)を引き、初弾を薬室に装填する。

 タンネンベルク 一三㎜ PzB九五 対戦車小銃。 

 ヴェルテンベルク伯爵領に本社を置く、タンネンベルク社が開発した四連装箱型弾倉を備えた遊底動作(ボルトアクション)の皇国陸軍主力対戦車小銃で、同社の小銃の銃身を長銃身化し初速を向上させ、衝撃吸収の為に銃床(ストック)を改良したものである。全長はマリアベルの身長とほぼ同等であり、運用面では良好とは言い難く、また重装甲化する近年の装甲兵器に対して小口径であることも相まって有効打を与えられなかった。

 火炎瓶を抱えて森の奥へと消えたミユキを見やり、マリアベルは考える。

 戦車は威圧感のある兵器だが、同時に現時点では弱点の多い兵器でもある。攻撃箇所によっては貫徹できる可能性もあった。

 一番無難であるのが旋回式砲塔と継ぎ目である旋回盤(ターレット)。ここは戦車の中でも特に弱い……が、残念ながら皇国軍主力戦車は固定砲塔で旋回盤は装備されていない。旋回盤に被弾すると戦車砲弾ならば砲塔が弾け飛び、それが無理であっても砲塔部の部品が内部で四散して乗員を殺傷する。対戦車小銃でも運が良ければ行動不能にはできるのだ。

 次の弱点は履帯。履帯に砲弾を当てれば壊れる、或いは切れる。機動力さえ奪ってしまえば勝算のない乗員ならば脱出するだろう。帝国軍戦車の場合は、逃亡防止に中からは開けられない戦車もあるという話があるが、どちらにせよ動けなくしてしまえば如何様にもできる。

 無論、前者も後者も目標としては極めて小さく、弾道低下率に優れる対戦車小銃であってもこれらを狙い撃つことは極めて難しい。元より、マリアベルはそれほどの精密狙撃をする腕などなかった。

 銃把(グリップ)を握り締め、伏射姿勢を取ったマリアベル。

 敵の戦車が速度を上げる。友軍中戦車を認めたのだろう。

 戦車戦が行われる場所は、天孤族の里の出入り口に位置する開けた地点であった。地形的には決して広いとは言い難いものの、極少数の戦車が機甲戦を繰り広げることが可能な程度には開けている。

 マリアベルはこの開けた場所こそが、中戦車が優位に展開できる場所だと考えていた。

 魔導機関が唸りを上げて、速度を上げた戦車。

 その時、最後尾の戦車の頭上に金色(こんじき)の疾風が舞う。




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