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黒虱十航

赤い方

 僅かに空は不元気だった。空気はじめっとしていて、今にも雨が降りそうだ。梅雨の到来がもうすぐなのかもしれない、と思うにはまだ早いはずだが、今朝天気予報を見た感じだとしばらくは雨が続くらしかった。
 運動会当日はまだまだ先だが、このまま梅雨が早くやってきてしまったら面倒なことになりそうだ。今年の運動会は去年の比ではないくらい大きくやるはずだ。記憶によると去年もかなり派手で、前々日から校庭を閉鎖して会場設営をしていた。それよりもすごいのだから、天気が読めない状況になれば、まずいことになるのは分かりきっている。
 それなのに、そういう困難でさえ楽しく思えてしまうのは悪魔先生のおかげだ。
 翼に出会って、翼と一緒にそういう問題を解決するのが楽しみにさえなっている自分がいる。問題が起こるのを待ち望んでいるわけではないのだが、起こってしまってもきっと焦りもせず、むしろ楽しんでいけると思う。
 そんな関係をたった一日で築けた。勘違いではなく、ほぼ確信できる。翼も同様に思っているはずだ、と。きっと、これが運命なのだろう。そう思いながら大地を蹴る。
 いつも散歩をしているおばあさん。この時間にここを通る赤い車。そんな風に、日常は予定調和化されていく。けれども、天気が昨日と違う今日は、予定調和ではない、風の動きなどのおかげで刺激あるランニングになっている。
 水分を含んだ風は冷たく、まだ冬であるかのように錯覚しそうになる。寒さに肩を竦めるが、流石に以前のノルマ達成くらい走ると暑くなってくる。
 前ならここでやめていたけれど、俺はこの程度のランニングでやめられない。ワーカーズに、省木に勝つためには肉体を鍛えるしかないのだ。少なくとも翼はそういうのは得意ではないはずだから。
 ふと、それで昨日読んだ残りの活動日誌の内容を思い出した。
 どこか拭えない違和感。どこにあるのかは分からないけれど、全部通して読んだときにこの日誌はおかしい、と本能的に思った。
 まあ、その違和感の正体は分からない。考えても分からないのに考えるより、今後のことを考えたほうがいいだろう。
 今後のこと。つまり、運動会の成功についてだ。
 今日から実行委員会は開始する。ここから当日までの三週間は忙しいことになる。まあきっと実行委員会はそこまで忙しくはないんだろう。忙しい空気だけが実行委員を取り巻いて、青春を歩んでいる感じになる。実際に忙しいのは、きっと省木だけだ。
 省木だけが忙しくなってほしくない。あいつだけに楽しいことを取られるなんてごめんだし、何より誰か一人が負担を背負うようなのを俺は容認しない。それだけは絶対厳守のプライドだ。
「あ」
 そんなことを思っていると、俺の横を俺より小さい少年が追い抜いていった。ああ、そうだ。きっとあいつはワーカーズだ。
 接触してみようか。いや、今は接触しない方がいいだろうか。自分の中で結論を出し切れず、俺はもういっそのこと接触してしまって、何か問題があったら罰は受けようと思って、その少年に一時的にでも追いつくようにペースを限界まで上げた。
「あなた、獣田さん、ですか?」
 そして、俺は叫んだ。おそらく、俺の運動能力を超えうるであろう人物で、背の低いワーカーズの名前を。
 獣田は運動神経において、省木さえ凌駕する力を持っていると書かれていた。思考能力ももちろん省木ほどではないものの常人以上だが、それよりも動く仕事において誰よりも早く動けることから肉体担当として省木と組んでいた、らしい。
 省木と獣田。頭脳と肉体のようになっていたそうだ。二人は親友だったはずだし、言えば手伝ってくれるかもしれない。持ち帰って仕事をするときもあるだろうし。
 けれど、少年は俺の叫びに答えず加速した。
 無視か、ただ単に人違いか。後者ではない、と信じて俺は更に加速する。足がもつれるけれど、昨日、少しいつも以上に走ったおかげで走りやすくなった。荒い息をしながら拳を握り締めて、全身に力を込める。あの人の前に立ちふさがるためにはもっと、もっと早く動かないといけない。
 もっと、もっと早く。
 さっきまで緩やかに流れていた景色は、流れる速さを増している。加速する世界。それにあわせるように体も前へ前へと進んだ。もうきっと、急には止まれないだろう。そう思いながらも俺はテンポを上げる。
 これが、俺の正真正銘の全力。限界さえ超えた、全力中の全力だ。それは、少年に追いつくことも出来るほどのスピードだった。あと少しで彼の前に立ちふさがれる。そしてワーカーズに戻ってもらうように頼もう。紫の片割れとして早速かっこいいところを見せなければ。
 そう思って更に加速した刹那――少年は百八十度回転し、こちらを向いた。そして足を振り上げた。何の動作なのか、考えなくとも分かる。所謂、蹴りの動作だ。
 避けろ、と命じても体は動かない。当然だ。これだけ加速していて、前に進むことだけに力を割いていたのに急にその力を別の方向に向かうことに使うなんて器用なことできない。というか、この状況で割ける方法は後退するか跳ぶかのどちらかしかありえない。だが後退するには足にかなりの負担がくるし、跳びにしても足への負担は避けられない。減速することも正直、この距離じゃ無理だ。
 風を切りながら進んでくる足を見て、俺は覚悟を決める。
 が、その瞬間、少年は上げていた足をすぐに下ろし、力強く地面を蹴った。その振動が足から伝わってきそうなほどに強く、骨が折れることすら覚悟し歯を食いしばった。このタイミングでのその行動派、どう考えても上半身を蹴り上げるための動作だ。
 と、思っているのも束の間、突如少年の姿が消えた。鬼ごっこのときと同じような感覚だ。今度は光にでも消えたか。そう思っていると、俺の後ろに気配を感じた。僅かな、本当に小さすぎて聞こえないほどの着地音。それに反応して振り返ろうとする。
 けれど、俺の今の状況を思えば、このタイミングで振り返るなど愚の骨頂であった。当然のように俺は足をもつれさせ、ついに転んでしまう。アスファルトの上、僅か数十センチメートルを滞空移動しながら、少しずつ落下する。それはまるで航空機の墜落のようだった。

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