NO LOVECOMEDY NO YOUTH

黒虱十航

 青木翼。
 彼女は生まれながらにして異質だった。
 かつで、ベートーヴェンが父に才能をあてにされ、スパルタの教育を受けたように、彼女も親に、周りの大人にその才能をあてにされていた。
 彼女がいい中学校に行けば、それだけ小学校の評判が上がる。だから、まだ、彼女が学校に通っていた頃の担任は、彼女に数多のことを教えた。学問に関する事は、様々な参考書を読まされ、その全てを暗記した。広辞苑でさえ、彼女は覚えさせられた。
 まるで拷問のような日々だったという。が、彼女には〝辛い〟という感情が理解できなかった。そもそも、彼女は感情自体が見当もつかない、有象無象で実在不明のものに思えたのである。
 だから、小学四年生にして、彼女はあまりにも膨大な情報を保持した。スーパーコンピューターのような演算能力を得て、まるで写真のように物を見るだけで記憶できるようになったのである。
 しかし、その代わりに彼女は手放したのだ。
 彼女は、一切、自ら判断することができなくなった。自分というものをほぼ完全に失ったのである。
 その証拠に、彼女は中学自体の全国模試で唯一『このような場合あなたならどうしますか。○○字以上○○字以内で書きなさい』『あなたは~~についてどう思いますか? ○○字以上○○字以内で書きなさい』と言ったような問題だけ、きっちり間違えている。どこから入手したのか、彼女の解答用紙は悪魔先生のくれた資料にあった。
「やっぱり逆だよな……」
 言ってから、自分の言葉に少しだけ違和感を抱く。
 俺だって、小・中学時代は天才だと言われてはいた。なのに、何故ここまで差が出来てしまうのだろうか、と。
 一方は才能ゆえに才能を伸ばし、心を失った。
 もう一方は平凡だが天才と評され、ゆえに才能を探し、心を武器とした。
 きっと、最初から真逆で、それなのに社会から見れば同じはずだった俺と翼のスタート地点。
 二人とも期待はされていた。
 一方は正しい評価ゆえに期待され、もう一方は誤った評価ゆえに期待された。だが、社会に潰されたのは偽物の賞賛を受けた罪人たる後者ではなく、正しい評価をされ、真に力をもった前者だったわけだ。
 本来は逆であるべきなのだ。
 優れているものこそ潰されず、過大評価される劣等者こそ潰されて罰を受けるべきだったのだ。俺こそ、社会に潰されるべきだったのだ。
 それなのに、優れた翼は攻撃され、文化の混ざった地味な部屋にこもった。期待だけじゃない。僻みや、恨みにも晒され、身勝手にも傷つけられた。結果、この小さな世界にこもり、感情のサンプルから社会の期待のせいで失った感情を計算し続けた。
「わかんねぇな。どうして計算してまで感情を知ろうとしたんだ? お前を苦しめたのも全部、汚い感情なんだぞ?」
 俺は、どうしても理解できずに言った。刹那、腹が立った。
 翼の周りの奴ら、揃いも揃って自分のことしか考えてこなかった。翼というたった一人の無垢で弱い少女のことなんて誰も考えなかったのである。親でさえ、彼女のことよりも自分達の世間体を優先した。
 彼女を傷つけたのは感情だ。自分のことを考える、腐った自己中な感情だ。もちろん、感情の全てがそんな、汚い、腐りきったものだとは言わない。けれど、そういう醜い感情が多いのも確かだ。
 そんなものを彼女は計算したわけだ。きっとすぐには出来なかったのだろう。真っ白な紙が真っ黒に見えるくらいに数式を書いて、少し離れてみれば数式だと気づけないほど小さい文字で買いても一枚では紙が足りなくて何百、何千という白紙に書かれて、漆黒にさえ染め、そうして求められた感情の公式。俺にはそれが、理解できるはずがない。次元が違いすぎるのだ。
 けれど、この、公式を求めるのにかなりの時間を有したことは俺にだって分かった。
「どうして、時間かけてまで感情を理解しようとした?」
 知りたいのは公式の詳細ではない。そんなもの知ったところで、計算するのには数年かかりそうだ。俺が知りたいのは、彼女が感情を計算しつくした末に何を見たかったのか。それだけだった。
「……護身。興味。期待」
 俺の問いに対して、翼は俯き、か細い声で三つの単語で答えた。その単語を、俺は自分の中で理解しようとする。
 護身。自分が傷つけられたからこそ、傷つかないために知ろうとしたのだろう。これもまあ、予想できていた。
 興味。自分が分からなかった感情だからこそ、計算することで理解したかったということだ。これも分かっていた。護身という理由が大きくあるからこそ、興味という理由も出てきて、彼女を突き動かしたのだろう。
 それだけでも、俺は納得しただろう。彼女の口から聞けた言葉ならきっとどんな理屈の通らないものでも納得した。
 でも、最後の理由が納得とかの次元を通り越して、もはや感動さえさせられるレベルだった。
「期待、か」
「肯定。理想。勇人。存在。期待」
「そっか」
 少しだけ恥ずかしくなって、俺はそう短く答えるしかなかった。
 ほとんど真逆だというのに、お互いを探し続けていたという点に於いては一緒だった。そのことがあまりにも嬉しくて、恥ずかしかった。そして、不意に
「俺もなんだよな。翼みたいな奴を探してた」
 なんてことを口走った。
「感情。計算。可能。人間。模索?」
「あ、いやいや違う違う」
 確かに、感情を計算できる人っていうのも心のどっかで探してたかもしれない……と思いながらも、俺はかぶりを振って否定した。
 俺が探してたのは翼みたいな〝本物〟だ。本物の才能を探していたんだ。
 きっと彼女は省木さえ超えうる。そんな可能性がある。
 省木はきっと、才能ではなく覚悟で俺を超えていた。覚悟と膨大な経験で凡才だが天才と過大評価されてきた俺をはるかに凌駕した。
 けれど、彼女はそうではない。それは、もう紛れもない才能だ。
 俺たちとは種類の違う、紛れもない〝本物〟だ。
「翼みたいなさ、人間ってすげぇなって思えるような。楽しい奴を、きっと心の中でずっと探してたんだよ」

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