NO LOVECOMEDY NO YOUTH
色づく
「何が、ですか?」
質問の意味を問う質問。俺がその言葉を発すると、悪魔先生は優しい顔をした。そしてそっと尋ねなおしてくる。
「なんで、泣いている?」
と。
そう言われてやっと気づいた。頬が濡れている。涙の味を唇の端で感じる。しょっぱくて冷たい涙が口の中に入り、そうしてようやく何故泣いているのだろう、と疑問に思う。
「分からないです。ただ、どうしようもなく悲しくて辛い」
少なくともこんな悲しい思いがこみ上げてきたのは初めてだ。何故なのかは分からないけれどどうしようもなく悲しい。
そして、呼ばれているという思いが強まる。
『怖いよ……怖いよ……』
そんな声が聞こえている気がして俺は、悪魔先生や省木、三九楽だけでなく、青木母さえ置きざりにして階段を駆け上った。
『やだ。嫌だよ。助けてっ』
確実に錯覚だ。でも、そう聞こえる気がするのだ。彼女が、そう叫んでいる気がするのだ。ずっとずっと叫んできた気がするのだ。それなのにこれまで、誰も気づかなくて、彼女の真意を見抜くことが出来なかったのだと思う。
この件に関してだけ言えば、俺はきっと、青木翼と同じくらい正しい。省木の読みも、青木母の考えだって俺と比べれば間違っている。
だから、俺が助けてやる。今は本能だけじゃない、理性でも、そうしたいと思う。
彼女の部屋なんて分からないはずなのに、彼女の部屋が手に取るように分かった。床や壁の汚れなどからきっと、本能的に推測しているんだろう。ただ、そんな推測の過程は頭から抜け落ちている。
彼女の部屋にたどり着きたい。その思いだけがここにある。
そして、辿り着いた。
無機質な扉。何か、印があるわけでもない。むしろ、こんな部屋を子供の部屋にするとは思えないような地味な扉だ。
でも、ここだ。だって、ここだけ俺には、無色に感じられるから。
「迎えに来たぞ」
そう言っても分かるはずなんてないのに、ノックしながら俺は言った。
きっとこれだけで気づいてもらえる、と期待している。だから俺はそれ以上に何も言わず、ただ目を瞑った。
扉からも、流れてくる。
今度は紛れもなく意思だった。感情、と言い換えてもいい。寂しい。寂しい。怖い。怖い。そして何より、苦しくて辛い。そんな感情が何重にも重なって入ってくる。
「誰」
「えっと、俺は赤木原勇人っていう」
「漢字」
「漢字? ああ、えっと赤い木の原っぱに、勇気ある人だ」
どうやら彼女は、俺について知ろうとしてくれているらしい。ひとまず、興味をもたれていることに俺は安心する。
「動機」
その単語ばかりは、少し理解しにくかったが、少し考えて俺は答える。
「呼ばれた気がしたから。助けてくれって、言われた気がした」
「誰」
「お前にだよ。えーっと……」
ふと、なんと呼べばいいものだろうと思った。
普段、俺は呼ぶときは君やらさんといった敬称をつけている。逆にそうじゃないときは敬称略なわけだが。
けれど、彼女に対して、敬称をつけるのは違和感があった。
「翼」
淡々と言う彼女の意図を汲み取るのに、もう慣れ始めている自分がいて驚いてしまう。けれど、どうしてか、彼女と話していると彼女の心が汲み取れる。
「翼に呼ばれたんだよ。だからさ、助けに来た。そんな、白と黒の世界、怖くて退屈だろうからさ」
言うと、扉の向こうで床を踏むような音がした。おそらく、鍵を開けてくれるのだろうと思って、俺は周囲を見渡した。
近づいてくる青木母と省木、そして三九楽を見て、俺は近づかないように目で訴える。本当は、二人も一緒に楽しんでもらうつもりだったけど、やっぱり、俺一人で彼女と話したい。
きっと、俺と彼女自身が彼女のことが分かるから。
「開錠」
「ありがとうな。じゃあ、一人で入るから」
「承知。他者。禁止」
「分かってる。大丈夫」
言ってから、俺は扉を開けて入った。
女子の部屋、というのは今考えてみると初めてだったかもしれない。そんなことを思った俺の視界に入り込んできたのは、女子の部屋とはお世辞にも言えないような、真っ暗な部屋だった。
入ってすぐ、俺は何かの紙を踏んだことに気づいた。なんだろう、と思って拾い上げ、暗視能力を全開にして見てみると、それが何かの式の書かれた紙である事が分かった。どうやら、そんな類の紙が部屋中に落ちている。
「電気。必要」
「ああ、そうだな。出来れば、電気つけてほしい。つけてもいいか?」
「許可」
そう、ただ一単語言うと、翼はふらふらしながら壁に手をついた。どうやらそこにスイッチがあったらしく、部屋が一気に明るくなる。
そのことにより、部屋の全貌が分かり俺は息を呑んだ。
大量の白紙――否。元白紙だ。式を大量に書かれた元白紙たちは、その殆どが既に黒い紙のようになっている。小さな文字で書かれている数式は、正直俺には全く理解できないものばかりだ。
かと思えば、少女マンガやライトノベル、辞書に小説、自己啓発本など色んなジャンルの本も大量にある。また、他方を見れば膨大な量のゲームがあった。これまた、恋愛シミュレーションに格闘ゲーム、RPGにレースゲームと、様々なジャンルがある。
異質……というよりかは、異文化集合しまくった部屋だ。その割に、ピンク色の熊のぬいぐるみがある辺りが女子っぽくて更に混乱するわけだが。
「会話」
「ああ、そうだな。話そうぜ。俺は翼を知りたいんだ」
言ってから俺は部屋から翼の方に視線を移した。そして、またしても息を呑む。
その姿をなんと言っていいのか俺は分からなかった。
ただ、その存在の異質さは分かった。どう考えても異質な姿。闇なんてものじゃない。それよりもずっと深く、暗く、怖く、そして美しい。
そんな姿を見て俺は思ったのだった。
――ああ、こいつは、神様からの贈り物……いや、贈り者なんだ、と。
真っ白な髪は床につくまで伸びきって、目には省木の瞳に巣食っていた闇よりも更に深い、美しい闇が見える。それを見て、彼女がこれまで一体何を見てきたのか。そして、先ほどの数式や本、ゲームの意味が分かった。
分かったからこそ、無意識に俺は彼女を抱き締めた。
「勇人。思考。大切。私」
「ああ、そうだ。俺は翼が大切。多分、翼をずっと待ってたんだと思う。翼は、俺に持ってないものを全部持ってる。翼は、俺の半分。いや、違うな。俺と翼はきっと、なんかの片割れ同士だったんだよ」
寝言のようなことを俺は言った。何の脈路もなく思ったことだったのだ。理論なんてなく、まして屁理屈さえ存在しない。ただ、本能で言った。
「理解。私。勇人。一心同体」
翼が言うことで、俺はようやく、自分の言っていることにも整理がついた。そうだ。俺はそういうことが言いたい。
先ほど見た数式に書かれていたのだ。様々な感情の名称が。そして、膨大な量の数式がまとめられていた。
そこから導き出される答えは単純だ。
翼は、おそらく感情の数式化に成功したのだ。即ち。彼女は感情を〝計算〟できる。
おそらくだが、彼女が不登校になったのだ。
あらゆる人の感情を計算できるようになってしまったから、彼女は人々の感情の醜さに恐れを覚え、学校に通わなくなった。
いや、それは違うな。
おそらく、そんな醜い感情にも彼女は対処しようとしたのだ。いじめられても、自分なら解決出来ると思った。けれど、彼女はおそらく〝どうすればいいか〟という発想ができないのだ。
それはこの部屋にあるあらゆるジャンルの本やゲームからも分かる。感情が分からないから感情のサンプルを欲したのだ。
彼女は感情は計算できても、感情を分かってはいない。だから、自分がどうしていいのかも分からない。おそらく、感情が分からないからこそ、計算しているのだろう。
それは――俺とは真逆だ。
質問の意味を問う質問。俺がその言葉を発すると、悪魔先生は優しい顔をした。そしてそっと尋ねなおしてくる。
「なんで、泣いている?」
と。
そう言われてやっと気づいた。頬が濡れている。涙の味を唇の端で感じる。しょっぱくて冷たい涙が口の中に入り、そうしてようやく何故泣いているのだろう、と疑問に思う。
「分からないです。ただ、どうしようもなく悲しくて辛い」
少なくともこんな悲しい思いがこみ上げてきたのは初めてだ。何故なのかは分からないけれどどうしようもなく悲しい。
そして、呼ばれているという思いが強まる。
『怖いよ……怖いよ……』
そんな声が聞こえている気がして俺は、悪魔先生や省木、三九楽だけでなく、青木母さえ置きざりにして階段を駆け上った。
『やだ。嫌だよ。助けてっ』
確実に錯覚だ。でも、そう聞こえる気がするのだ。彼女が、そう叫んでいる気がするのだ。ずっとずっと叫んできた気がするのだ。それなのにこれまで、誰も気づかなくて、彼女の真意を見抜くことが出来なかったのだと思う。
この件に関してだけ言えば、俺はきっと、青木翼と同じくらい正しい。省木の読みも、青木母の考えだって俺と比べれば間違っている。
だから、俺が助けてやる。今は本能だけじゃない、理性でも、そうしたいと思う。
彼女の部屋なんて分からないはずなのに、彼女の部屋が手に取るように分かった。床や壁の汚れなどからきっと、本能的に推測しているんだろう。ただ、そんな推測の過程は頭から抜け落ちている。
彼女の部屋にたどり着きたい。その思いだけがここにある。
そして、辿り着いた。
無機質な扉。何か、印があるわけでもない。むしろ、こんな部屋を子供の部屋にするとは思えないような地味な扉だ。
でも、ここだ。だって、ここだけ俺には、無色に感じられるから。
「迎えに来たぞ」
そう言っても分かるはずなんてないのに、ノックしながら俺は言った。
きっとこれだけで気づいてもらえる、と期待している。だから俺はそれ以上に何も言わず、ただ目を瞑った。
扉からも、流れてくる。
今度は紛れもなく意思だった。感情、と言い換えてもいい。寂しい。寂しい。怖い。怖い。そして何より、苦しくて辛い。そんな感情が何重にも重なって入ってくる。
「誰」
「えっと、俺は赤木原勇人っていう」
「漢字」
「漢字? ああ、えっと赤い木の原っぱに、勇気ある人だ」
どうやら彼女は、俺について知ろうとしてくれているらしい。ひとまず、興味をもたれていることに俺は安心する。
「動機」
その単語ばかりは、少し理解しにくかったが、少し考えて俺は答える。
「呼ばれた気がしたから。助けてくれって、言われた気がした」
「誰」
「お前にだよ。えーっと……」
ふと、なんと呼べばいいものだろうと思った。
普段、俺は呼ぶときは君やらさんといった敬称をつけている。逆にそうじゃないときは敬称略なわけだが。
けれど、彼女に対して、敬称をつけるのは違和感があった。
「翼」
淡々と言う彼女の意図を汲み取るのに、もう慣れ始めている自分がいて驚いてしまう。けれど、どうしてか、彼女と話していると彼女の心が汲み取れる。
「翼に呼ばれたんだよ。だからさ、助けに来た。そんな、白と黒の世界、怖くて退屈だろうからさ」
言うと、扉の向こうで床を踏むような音がした。おそらく、鍵を開けてくれるのだろうと思って、俺は周囲を見渡した。
近づいてくる青木母と省木、そして三九楽を見て、俺は近づかないように目で訴える。本当は、二人も一緒に楽しんでもらうつもりだったけど、やっぱり、俺一人で彼女と話したい。
きっと、俺と彼女自身が彼女のことが分かるから。
「開錠」
「ありがとうな。じゃあ、一人で入るから」
「承知。他者。禁止」
「分かってる。大丈夫」
言ってから、俺は扉を開けて入った。
女子の部屋、というのは今考えてみると初めてだったかもしれない。そんなことを思った俺の視界に入り込んできたのは、女子の部屋とはお世辞にも言えないような、真っ暗な部屋だった。
入ってすぐ、俺は何かの紙を踏んだことに気づいた。なんだろう、と思って拾い上げ、暗視能力を全開にして見てみると、それが何かの式の書かれた紙である事が分かった。どうやら、そんな類の紙が部屋中に落ちている。
「電気。必要」
「ああ、そうだな。出来れば、電気つけてほしい。つけてもいいか?」
「許可」
そう、ただ一単語言うと、翼はふらふらしながら壁に手をついた。どうやらそこにスイッチがあったらしく、部屋が一気に明るくなる。
そのことにより、部屋の全貌が分かり俺は息を呑んだ。
大量の白紙――否。元白紙だ。式を大量に書かれた元白紙たちは、その殆どが既に黒い紙のようになっている。小さな文字で書かれている数式は、正直俺には全く理解できないものばかりだ。
かと思えば、少女マンガやライトノベル、辞書に小説、自己啓発本など色んなジャンルの本も大量にある。また、他方を見れば膨大な量のゲームがあった。これまた、恋愛シミュレーションに格闘ゲーム、RPGにレースゲームと、様々なジャンルがある。
異質……というよりかは、異文化集合しまくった部屋だ。その割に、ピンク色の熊のぬいぐるみがある辺りが女子っぽくて更に混乱するわけだが。
「会話」
「ああ、そうだな。話そうぜ。俺は翼を知りたいんだ」
言ってから俺は部屋から翼の方に視線を移した。そして、またしても息を呑む。
その姿をなんと言っていいのか俺は分からなかった。
ただ、その存在の異質さは分かった。どう考えても異質な姿。闇なんてものじゃない。それよりもずっと深く、暗く、怖く、そして美しい。
そんな姿を見て俺は思ったのだった。
――ああ、こいつは、神様からの贈り物……いや、贈り者なんだ、と。
真っ白な髪は床につくまで伸びきって、目には省木の瞳に巣食っていた闇よりも更に深い、美しい闇が見える。それを見て、彼女がこれまで一体何を見てきたのか。そして、先ほどの数式や本、ゲームの意味が分かった。
分かったからこそ、無意識に俺は彼女を抱き締めた。
「勇人。思考。大切。私」
「ああ、そうだ。俺は翼が大切。多分、翼をずっと待ってたんだと思う。翼は、俺に持ってないものを全部持ってる。翼は、俺の半分。いや、違うな。俺と翼はきっと、なんかの片割れ同士だったんだよ」
寝言のようなことを俺は言った。何の脈路もなく思ったことだったのだ。理論なんてなく、まして屁理屈さえ存在しない。ただ、本能で言った。
「理解。私。勇人。一心同体」
翼が言うことで、俺はようやく、自分の言っていることにも整理がついた。そうだ。俺はそういうことが言いたい。
先ほど見た数式に書かれていたのだ。様々な感情の名称が。そして、膨大な量の数式がまとめられていた。
そこから導き出される答えは単純だ。
翼は、おそらく感情の数式化に成功したのだ。即ち。彼女は感情を〝計算〟できる。
おそらくだが、彼女が不登校になったのだ。
あらゆる人の感情を計算できるようになってしまったから、彼女は人々の感情の醜さに恐れを覚え、学校に通わなくなった。
いや、それは違うな。
おそらく、そんな醜い感情にも彼女は対処しようとしたのだ。いじめられても、自分なら解決出来ると思った。けれど、彼女はおそらく〝どうすればいいか〟という発想ができないのだ。
それはこの部屋にあるあらゆるジャンルの本やゲームからも分かる。感情が分からないから感情のサンプルを欲したのだ。
彼女は感情は計算できても、感情を分かってはいない。だから、自分がどうしていいのかも分からない。おそらく、感情が分からないからこそ、計算しているのだろう。
それは――俺とは真逆だ。
コメント