NO LOVECOMEDY NO YOUTH

黒虱十航

楽しい

「さて、と。じゃあ、君に相談だ。ま、拒否権はないがね」
 座ると同時に、担任は先ほどの威圧的な態度とも、親しみやすい教師ともまた違う、鋭い策士の顔に変わった。
「それ、学校教育的にどうなんですかね」
 社長によく似ているその顔に、俺は少しでも文句を言う。が、そんな程度で逃がしてくれないのは分かっている。
 今の担任のような策士の顔は、ターゲットを決して逃がさない捕食者のようだ。蛇が蛙を睨むかのように、或いは鯉がまな板の上に置かれるように。もう、抵抗も許されず、ただしを待つだけになる。
 つまり、この場合は俺が担任の要求を呑まなければならなくなるわけだ。
「……ま、いいです。それで? 誰を運動会実行委員にしたいんですか?」
 俺は、観念して尋ねる。と、同時に淹れられたお茶を飲むために湯のみを手に取る。
 強面の担任にそぐわない程に、お茶は繊細な味だった。素人の俺でも分かる。彼は、非常に茶を淹れるのが上手い。事務所で飲んだ省木の茶と同等かそれ以上。苦くもどこか甘いような気のするその茶は、味がしっかりと舌に残り、かと思えば儚く消える。
 ふと、湯のみを覗き込んだ。
 緑色の海に映った自分は、どう見ても整った顔をしたイケメンのはずなのに、目は生気のみを吸われたかのように死んでいて、表情をだらしなく不恰好なせいで、一ミリもイケメンに見えない。ただ、自分に自信のない敗者がそこには映っていた。
 そのことに、俺は絶望にも似た感情を抱いた。
 弱者ならまだいい。弱者なりの勝ち方を模索すれば勝てる、ということだから。でも敗者はもう、負ける運命にある。足掻いても無駄だ、ということだ。
 担任の思惑も、クラスメイトが挙手しなかった理由も詠みきれていない自分に腹が立つ。もしこれが、一手読み違えで誰かを傷つける状況だったら大変なことになっていた。あ、因みに元女王は他の奴の権利を踏み躙っていたのでその分の罰だと思えば、さっき泣きそうになってたのは許せる。よってノーカンだ。
「お前は、自分を正しく出来ていないな。だから、弱いんだ。それを理解できてない」
「は? なんですか、急に」
 突然言われたことの意味が分からず俺は聞き返した。すると、担任はまるで勝者が敗者に手ほどきするように、ゆっくりと説明し始めた。
「いいか? お前はな、計算問題が苦手なんだ。どんな行動がどんな影響をもたらすのかをお前は計算できていないし、計算するのが苦手だ。だからいつも読み違える。実際、お前は私の作戦が分かっていなかった」
 担任に言われて、俺は無意識に渋い顔になった。まるで心を見透かされているようで気持ち悪い。俺が担任の作戦を理解してなかった、なんてことは俺のさっきの反応を見れば分かるかもしれない。
 でも計算してトップカーストになっている俺に対して、計算が苦手と言ってのけるのは普通じゃない。俺は高校生にしては、自分が人にどんな影響を与えるのか理解しているつもりだし、中学生の頃なんかは俺をそれで称えてきた奴もいたくらいだ。そんな俺に対しての発言とは、俄かにも信じられないことだった。
「…………」
 でも、反論できないのは俺も薄々気付いていたからだ。
 そりゃこれまでの経験があるから、能力はついている。そこらの高校生には負けないほどには、俺は計算能力はあるはずだ。もちろん、数学的な意味じゃないからな? そんなつまらないことを考える時間じゃないぞ? 今言ってるんのは、感情の計算だ。
「まあ、しょうがない。本来は、その程度でもいいからな」
「ですね。俺は、この程度でも多分適当に流して生きていけると思います」
 俺は正直に口にした。この担任は、策士の顔をしているが決して真剣な人間を騙して裏切るようなまねはしない。ただ、頭の回転が速くて、自分のどうしてもしなければならないことのためにのみ策を弄するだけだ。だから、少なくともこの人は、俺に悪意をもって向かってはこない。
 それに、もう嘘を吐いても担任のことを騙せないと思った。それなのに仮面を分厚くして見透かされないように、とするのは正直もう、疲れた。
「俺は、普通に見たら何一つ問題ないですからね。本気にならず、適当に生きるなら何も問題ないんですよ。これで」
「分かってるじゃないか。そうだ。だから、君が適当に流したいと思ってるなら、それでいいとも思う。成績優秀だからね。学校としては文句もない」
 そうだ。
 俺は、劣等者なわけではないのだ。むしろ平均よりは優れている。だから、人生を適当に流して、感慨もなく、ただ楽しさなんて求めずに生きる事は容易いのだ。必死に物事に執着さえしなければ、ヌルゲーであることに変わりはない。
「で、どうする? 妥協して、適当に人生を流すのか。それとも、妥協せず、物事に必死になるか」
 問いだ。問いだった。これまで、誰一人俺にしてくれなかった、俺の人生に関する問いだった。どうする、と問われたことが無かった俺にとって、その問いは衝撃的だった。毛穴という毛穴が開くような気分になり、ズキン、ズキンと心臓が跳ねる。
 適当に人生を流す。俺は今までそうしてきた。
 楽しくない世界。必死に生きることも、。本気を出すこともなく、力をセーブすることに慣れて、自分に足りていないものに目を向けず、適当に。否、テキトーに生きてきた。
 けれど、俺は省木に負けて悔しかったのだ。だから、勝とうと思ったのだ。
 そのことから考えても、俺は紛れもなく負けず嫌いで、人生というクソゲー神ゲーにはまっていて、もっともっと楽しみたいと思っていることは分かる。
 ならこの問いに対する答えは、もう分かりきっている。
「必死になってやりますよ」
 さっき、俺が挙手した時と同じように明快に俺は言った。すると、担任は口角を上げ、そうこなくっちゃ、と言った顔で笑った。
 やっぱりそうだ。この人は、先生としてしっかりしている。きっと俺のことを、導こうとしてくれる人だ。これまで、出来がいいばっかりに数々の教師から見放され、むしろ尊敬さえされて学ぶことさえなかった俺を。
「そうかそうか。じゃあ、さっきのお前の質問に答えよう」
「さっきの質問?」
「ああそうそう。誰を運動会実行委員にしようとしてるのか」
「あー、なるほど」
 言われて、思い出した。そういえば今俺は、運動会実行委員についての話で職員室に連れてこられてたのだ。決して人生相談のために来たわけではない。なんかこの流れじゃ、うっかり人生相談しそうなレベルだったけど。
「そうでしたね。それで、誰を実行委員にしようとしてるんですか? 転入生ではない。でもあの中でもないんですよね?」
「ああ、そうだ。あいつらでも別にいいんだがな。でも、多分あいつらじゃ、面白くならない。その点、俺が今からお前に紹介する奴は、お前となら面白くなる可能性がある」

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