NO LOVECOMEDY NO YOUTH

黒虱十航

孤独と光

「負けました。完全に負けました」
 噛み締めるように、俺は人生で初めて負けを認める言葉を吐いた。これまでの人生で自分の負けを認めたことなど、一度だってなかったのだ。仮に負けたとしても努力すれば勝てる気がした。だから、それはきっと『努力差』によって引き起こされた現象にすぎないのだと思っていた。敗北とは思っていなかった。
 けれど今回は違う。もう、どんなに努力しても省木には勝てないという確信があった。障害物の多い中で見せたあの超人的スピード。あれは、ただ単に足が速いとかの次元ではない。おそらくあれは、障害物を利用して加速していたのだ。あんなの慣れで出来るものじゃない。
「まあ、しょうがないですよ。力は勉強以外は何でも出来ますからね」
 省木を馬鹿にするようにして、三九楽は俺を慰めてくれた。ついでに頭なんかも撫でてくれれば癒されるんだが……などと冗談交じりに思っていると、省木は少し不服そうにぶつくさと何かを言い出した。
「うっせぇ。勉強だって、平均レベルだろうが」
「皆の中じゃ、下の方ですよ。まあ、獣田けものださんの方が酷いですけど」
「だろ? だから、いいんだよ」
 獣田。聞き覚えのない名前である。口ぶりから察するにワーカーズなのだろう。
 というか、そのワーカーズを知っているということは、三九楽もワーカーズなのだろうか。そう考えたとき、合点がいった。
 こんな時間に、こんな勝負の審判をやってくれたのも自分達のこと、即ちワーカーズに関わることならばやる可能性はある。それに、省木の動きを見て驚いていなかった。むしろそれを想定内であるかのようにさえ見ていた。とはいえ、ワーカーズはなんだか訳アリのようだし、直截な言葉は厳禁かもしれない。
 そこで俺は、間接的な遠回りの言葉を使うことにした。
「……お二人ってどういう関係なんですか?」
 刹那、空気が凍りついた。
 三九楽の顔は僅かに赤らみ、省木も少しだけ気まずそうに、けれども大爆笑を抑えきれずにいる。
 何の音もしない、光も月光以外にはほとんどない公園で、三九楽や省木の表情がはっきり読み取れたのは、まるで彼らが太陽であるかのように輝いていたからだと思う。月の光がちょうど当たるところで話しているからなのかもしれないが。
「俺たちは、友達みたいな」
「そ、そうですね。力とは友達として仲良くさせてもらってます」
 あからさまに二人はぎこちなくなった。特に三九楽は、顔を真っ赤にしながら手をわしゃわしゃさせていて大変可愛い。ここまで照れを分かりやすくする人がリアルにいるんだなぁとちょっとばかし驚いてしまう。
 でも、それを見て分かった。
 おそらく、三九楽は省木のことが好きなんだ。それに、省木も気付いている。まだ、確信していないのかもしれないが、少なくとも勘付いているのは確かだろう。
 だからこそ省木は俺が三九楽に告白することを嫌がった。俺の告白により優しい三九楽が苦しむのを忌避したのだろう。そうなれば、納得いく。
 省木が三九楽のことをどう思っているのかは分からないが、まあ、少なくとも好意的に思ってはいるのだろう。さっきの『友達みたいな』という発言から考えるに、三九楽が既に告白している、という可能性もなきにしもあらずではあるが。
「なるほど、分かりました。有難うございます」
 言ってから、僕は省木の耳元に口を近づけて囁いた。
「すみませんでした。お優しいですね。楽しみにしてますよ、お二人が付き合うの」
「は?」
 俺の囁きを聞いて意味不明だ、と言わんばかりの顔をした省木は何を理解したのか突然大爆笑し始めた。
「くっくっ……いいな。お前ら面白い」
 その顔は本当に心の底から何かを企んでいる人の顔で、なんだか孤高である省木のそんな顔が見れたことが嬉しく思えた。
 ずっと、省木とは相容れない存在だと思っていた。俺の方が優れている強者で、省木は劣っている弱者だと思っていた。でも、それは違ったのだ。むしろ、俺の方が何も知らなくて劣っていた。
 きっと、今までの俺の考えは間違っていたのだ。そう、実感させられるほどには、俺は完敗したのである。
 そんなことを思っていると、突然省木が『痛ッ』と声をあげた。
「何すんだよ、三九楽」
「なんかあなたが笑っているのがムカついたので足を踏みました」
「酷すぎるだろ」
 なんだか、夫婦漫才のようにさえ思える省木と三九楽のやり取りに笑みがこぼれた。
 こんな風に自然に笑えたのはいつぶりだろうか。強者としての仮面など、もういつの間にか壊されていた。
 それはきっと、闇に溶けては現れる悪魔の顔を持った救世主のおかげだ。
「デリカシーがないあなたがいけないんです。そのせいで……」
 省木に対し、パンチやキックを放つ三九楽は何かぶつぶつと言っている。省木はそれらを完璧に避け、くすくすと笑いながらも少し青ざめていた。青ざめる理由は俺も分かる。三九楽の攻撃が洒落にならないくらい強く、速かったからだ。
「そのせいで、なんだって?」
「ん……うるさいですっ」
 からかうような口調で言った省木は、僅か数秒後、激痛の走る腹を抱えてしゃがみこんだ。殴ったのはもちろん、少し怒った三九楽である。
 とはいえ、その怒り状態が照れ隠しからくるものであることは、経験則からすぐに分かった。その光景に和みながらも、俺はやはり訊いておくべきだろうと思った。
 彼女がワーカーズなのかどうか。それを訊こうと思った質問が思わず方向に飛んでしまったのでここはもう、直截な言葉で尋ねるしかない。
「すみません。三九楽さんは、ワーカーズなんですか?」
「え?」
 俺の質問に、三九楽は可愛い声を漏らして首を傾げた。
 が、もう彼女が省木のことを好いていると分かった以上、萌えることなどありえ……なくもなかった。スッゲー萌えるし自分でもびっくりするくらいときめく。どうやら、これは本格的な恋らしい。
 流石に、振り向いてくれないであろう相手に恋をするのは強者のやることじゃないなぁと思えて嫌なので、この気持ちは早いところどうにかしないといけない。ま、今それをする必要はないだろう。
「ほら、三九楽さん今の動きがすごかったですし」
「あー、なるほど。うん、そうですね」
 何か、またぶつぶつと呟くと三九楽は思索し始めた。考え事をするとき、左を向くのか癖なのか、左を向いて、瞑目している。その姿はやけに美しく、整っていた。月の光に照らされて僅かに輝いた髪の毛は、それこそ今すぐ撫でてしまいたくなるくらいに奇麗だがそこは、理性で我慢する。
 考えている三九楽を見ていると、やはり省木と同種なのだな、と思った。考えるときの表情が真剣で鋭く、深い闇に飛び込んでいるように見えてしまう。それは、省木も同じだった。
「ちょっと違います。私はワーカーズじゃありません」
「そうなんですか?」
「はい。私は〝元〟ワーカーズですから」
 そう、言い切った三九楽はどこか寂しげな顔をしていた。夜の闇は、彼女の表情を包み隠していき、やがて、俺たち三人のいる場所を包み込んだ。
 光が届かなくなったその場所では、三九楽も省木も輝いてはいなかった。
 やはり、三九楽も省木も太陽などではないのだ。むしろ、闇に生きるものなのだ。そう言われている気がした。

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