マシン・ブレイカー ―Crusaders of Chaos―

秋原かざや

三十二話 遭遇と勧誘と

 カビ臭さが漂う通路で、国崎はフィグネリアと共に歩を進めていた。
 人がすれ違うのがやっとといえるその薄暗い通路を、右手に携えたライトで照らしながら、国崎は背後のフィグネリアに問う。
「何だか、妙だったな」
 フィグネリアは小さく首を傾げた。
『それは、どの出来事を指しますか?』
「ついさっきの、だよ。拠点を放棄する前、俺が何者かに狙撃されそうになったことだ」
 国崎は立ち止まって振り返る。
 彼は、何かを懐疑するように眉根を顰めていた。
「狙撃手の存在にさえ気付いていなかった隙だらけの的を外すだろうか? それに、俺は警察の怒りを買うような真似をした覚えはないぞ」
 フィグネリアは小さく相槌を打った。
『確かに奇妙ですね。何故、警察が亮平様を狙っているのでしょう? そして何故確保もせずに射殺という最終手段に及んだのでしょう?』
「警察の仕業だとすると、あまりにも杜撰ずさんで乱暴だろ」
『確かに真意が掴めませんね』
 国崎の考慮時間シンキングタイム、沈黙が蟠る。
 しばらくの時間の後、彼は何かを思いついたのか、おもてを上げた。
「……もしかすると、俺が警察から逃げたという構図を作るために、わざと弾を外したのかもしれないな」
 彼が拠点を放棄したその事実は、『国崎が警察から逃走した』と、警察側の目に映っているだろう。
 彼の仮定が正しければ、何者かが国崎と警察を対立させようとしている、ということになる。
『それは、第三勢力が絡んでいる、ということですか?』
「それを願いたいね。警察に何か喧嘩を売ってしまったと考えるよりは幾分かはマシだ」
 国崎はヤケクソ気味に嘯いた。
 この仮説が正しくても、今の状況が危機的であることには変わりないのだから。
「まあ、あくまでも俺の仮定だ。警察が俺を狙っているという可能性を、まだ拭えたわけではない。ここはとりあえず、おとなしくしておくのが得策だろう」
 国崎がそう言うと、フィグネリアは驚いた様子を見せて、そしてクスクスと笑い出した。
「どうした?」
 今度は国崎が驚いた顔をする。
 フィグネリアは、笑いを下火に鎮めてから、
『いえ。今まで亮平様なら、犯人探しをなさっていらしたのに、と思いまして』と、答えた。
 そして、フィグネリアは淡い微笑みを見せた。それはさながら我が子の成長に喜ぶ母の姿であった。
『大人になられましたね』
「うるせぇ」
 国崎は照れ臭そうに目を逸らして、再び歩みを進め始めた。
『しかし、亮平様の仮定が正しいとなりますと、私たちはこの地下通路に誘い込まれた、ということになりますが』
 国崎は「分かっている」と首を縦に振る。
「だが、ここに逃げ込まなければ他に逃げ道はなかっただろう。今から引き返したところで、警察が足跡を追ってきているだろうしな」
 国崎はライトで地面を照らした。
 床はコンクリートで固められて、彼らが歩くたびにコツコツと無機質な音を立てる。
「しかし、徹底していやがる」
 国崎は舌打ちを鳴らす。
『どうなさいました?』
「鉄どころか、砂鉄すら見当たらない。俺の能力を封じるためとはいえど、ここまでやるか」
 国崎は不意に、床を照らしていた光を正面に向けた。
「まぁ、そろそろ何か現れるとは思っていたが」
 国崎は少し意外そうな表情を、顔に貼り付けていた。
「まさか人間とはな」
 光の先で眩しそうに目を細めていたのは、メガネをかけた女性だった。
 怜悧そうな面立ちの、若い女性だ。
 何処か『鋭い』という印象を見るものに与える。
「ライトを下ろしてくれる?」
 国崎はその言葉に従ってライトを下に向けた。
 そして、既に臨戦態勢に入っているフィグネリアに「少し待て」と指示を送る。
「何者だ?」
「お初だったね。私は赤羽だ。……この場合、レッドと名乗った方がよかったかな?」
「あのメールの依頼主か」
 国崎はなるほど、といったように頷いた。
「あぁ。まだ、あの返事をいただいていないと思ってね」
「返事をしてないことが意味することが分からないような愚者には見えないのだが」
 国崎が挑発をすると、赤羽は左手を彼に向ける。得物は何も握られていない。
「君は置かれている立場がわかっていないのか?」
「どうやら、依頼を受諾するか、承諾するかしか選択肢はないようだな」
 国崎はわざとらしく肩をすぼめた。
「あんたか? 俺を警察と対立させようとしているのは」
「答える義務はないが、答えてあげよう。イエスだ」
「しかし、何のために?」
「それは、こちらの作戦に手を貸してくれるならば教えてあげよう」
 赤羽は口角を吊り上げた。
 その返答として、国崎はため息をつく。
「ならば、俺が知ることは無いな」
「その言葉。交渉決裂と受け取ろう」
 その言葉と同時に、赤羽は右手でポケットからスタングレネードを取り出し、国崎たちに投擲した。
 それを見て国崎が退くと同時に、フィグネリアが国崎の前に出る。
 フィグネリアは手首を外して、そこから銃口を覗かせると、スタングレネードに躊躇なく発砲した。
 スタングレネードは光や音を発することなく床に転がった。が、フィグネリアも同時に荒々しく音を立ててくずおれる。
 そのまま、寸分も動こうとしないフィグネリアの姿に、国崎はただただ絶句することしかできなかった。
「スタングレネードはただの陽動だよ」
 あまりにも早い決着に……いや、フィグネリアが敗北したことに、国崎は深い疑念を抱く。
 しかし、床に伏し、何も話さないフィグネリアを見て、それが現実と信じる他にないことを、彼は理解していた。
「さて、もう一度問おう。君は依頼を受けるかい?」
 赤羽はその左手をフィグネリアに向けていた。まるで、フィグネリアを押さえつけるように。
「フィグネリアに何をした!?」
「質問に答えろ。国崎亮平」
 赤羽は左手はそのままに、右手で銃を取り出して、フィグネリアに向ける。
「君の賢姉が作り上げた傑作に、穴を開けたいか?」
「やめろ」
 そういって、国崎は唇を噛んで、両手を上げた。
「分かった。降参だ。フィグネリアを解放しろ」
 国崎のその行動に、赤羽は嘲るような笑みを浮かべた。
「しかし賢明な判断とは言えないね。人質は機械だというのに」
 ふふ、と赤羽の妖しい笑い声が、狭い通路にこだました。
「まぁ、そのおかげで私は勝利できたのだけどね」
 国崎は何も言わない。ただ、憂慮を孕んだ瞳で、うつ伏せのフィグネリアを見つめているだけだった。
「さて、着いて来てもらおうか」
 赤羽は、フィグネリアに向けていた左手を前に向けた。
 同時にフィグネリアの体が見えない糸に吊られたように浮き上がる。
 そして、彼女は国崎を招いて歩きだす。
 国崎は歯ぎしりをして、その後に続いた。






 何もない、ただ、外からくぎられただけの部屋に、国崎はいた。
 壁は乾いたコンクリートで、塗装すらされていない。
 窓のないこの部屋には不十分な電球がぶら下がっているだけの、生活感のない部屋である。
「居心地は悪いだろうが、容赦してくれ」
 赤羽は、どこから持ってきたのか、缶コーヒーを国崎に放りなげる。国崎は危なげにそれを受け取った。
「なんだ、この部屋は」
 国崎はキョロキョロと辺りを見回す。国崎と赤羽の他には、暴走したアンドロイド専用の拘束具でフィグネリアが縛られて、赤羽の横に座っているだけだ。
「私たちの仮の拠点さ」
「私たち、って、お前以外にも仲間がいるのか?」
 受け取った缶コーヒーの封を開けたが、国崎はそれに口をつけない。毒を盛られているかもしれない、と考えているのだろう。
「まぁね。今はいないけれどね」
「お前たちはなぜ警察を狙っている?」
「警察が持っている黒島の情報を知りたくてね」
「お前は、何故それを知りたがっている?」
「私は黒島の秘書だ」
 国崎は赤羽を睨みつける。
「怖い目だな。勘違いしないでくれたまえ。私は黒島の命令で動いているわけではない」
 赤羽はフィグネリアの頭に銃を突きつける。
 国崎は唇を噛んで、その場に座り込んだ。
「では、何のために……」
「黒島への、謀反さ」
 赤羽の言葉に国崎は驚愕の表情を見せた。
「私たちは黒島の部下だったが、あまりにも行き過ぎた彼の計画を阻止するために動いているんだ」
 赤羽はそう言って、国崎に目をやる。
「そこで、黒島に恨みを持っている君を見つけたわけだ。今までは君を利用するつもりでしかいなかったが、それはやめにすることにしたよ」
 赤羽は微笑して、国崎に手を差し出した。
「どうかな。君は黒島の計画を阻止することに協力してくれるかな」
 国崎は複雑そうに俯いた。
「少し、時間をくれ」
 国崎は缶の中のコーヒーにうつる自分の顔を見つめていた。



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