マシン・ブレイカー ―Crusaders of Chaos―

秋原かざや

二話 因果応報

「……心拍数に問題はなし。傷も大したものはない……となると、やはり精神面でのダメージかな……?」
『恐らくは。特に早苗様と美咲様は亮平様の親しい御方だったので……』
 ……ふと、彼の耳にそんな会話が届いた。片方は聞きなれた、感情があるのかないのか分からないような平坦な声だったが、もう一つの……男のものらしき低い声は全く彼の聞き覚えのないものだった。
 その正体を探るためか、彼が静かに目を開くと、そこにはひびの入った天井に激しく点滅を繰り返す発光灯があった。
「……フィグネリア?」
『お目覚めですか、亮平様?』
 弱々しい声で尋ねると、彼女は即座に駆け寄ると同時に返事をした。
「あぁ、まぁ……って、そんなことより、ここは……」
「ようやく目が覚めたかい? 国崎君……いや、亮平君といったほうが良いのかな?」
 亮平が名前を呼んだほうへ顔を向けると、そこには白衣の男が座っていた。相当手入れがされていないのか、髪はほとんど伸び放題で、黒縁の眼鏡は遠目からでも分かるほど度が強く、頬は健康的とはとても言い難いほど痩せこけていた。ただ、落ち着き払った雰囲気は確実に同世代のものではない、ということは彼にも理解できた。
「……えっと、その、どちら様で?」
『亮平様。こちらは倒れていた亮平様の一命を取り留めてくださった、志波しば博士です』
「紹介に預かった、志波です。初めまして、かな? それと、怪我の具合はどうだい?」
「……ど、どうも。怪我は……まぁ、特にこれといったところは……」
 と、そこまで言ったところで亮平の言葉は止まった。
 同時に、彼の表情は険しくなり、歪みだした。
「……そうだ、黒島だ。あの時、黒島のアンドロイドが襲ってきたんだ……ということは……早苗も……美咲も……?」
「……」
 その答えに、志波はゆっくりと首を横に振った。
 ……言葉はない。けれど、その表情が、何よりも語っていた。


 ――すべて、現実だ、と――


「あ……あぁ……ああぁぁぁぁぁアァぁぁぁああああ!!?」
 非情にも夢でないことを知らされたことに、突きつけられた現実に、彼は叫んだ。
『いけません、亮平様』
 感情のままに暴れようとしていた彼の体は、フィグネリアによって無理矢理押さえつけられる。だが、そんな制止を振り払わんばかりに、暴れようとすることを、彼の心が止めなかった。
『お気持ちを確かに。貴方が狂ってしまっては、私はどうしようもなくなります』
「離せ、フィグネリア!! 俺は……あの男だけは絶対に……!!」
「別に、そのまま黒島をどうにかしに行ってもかまわないよ。けれど、今の君ではどうしようもないだろうけどね。現状も理解しないで飛び出して、野垂れ死にたいというのなら、どうぞ。そこの扉から出れば、スタートと同時にジ・エンドだから」
「どういうことだ!」
 頭に血が上りきっている亮平に、淡々と答える志波の言葉がしゃくに障ったようで、さらに彼の怒りは募っていく。志波はこのままではろくに話もできないと感じたのか、一つため息を吐くと、静かに椅子から腰を上げて、彼のもとへと歩み寄った。
 そして、おもむろに亮平の額に手を当てた。
「……冷たっ?!」
「頭は冷えたかい? ……まぁ、低温やけどにはならないよう注意はしているけど、痛みがするようだったら言ってくれるかい? それと今外には戦闘用アンドロイドが跋扈しているから、戦う覚悟のできていない君では恰好かっこうの的にしかならないよ」
「ちょ、ちょっと待った!」
「質問だったらこのまま聞こうか……なんだい?」
「じゃあ聞くぞ、この『手の冷たさ』はなんだ!?」
『……手の平の温度が、0℃? とても人間の体温とは思えません』
「……なるほど、まさかここから説明しないといけないとはね……」
 二人の反応を見た志波は、亮平の額から手を離すと再び席に戻った。相当古い椅子であるためか、さび付いた金属の音が部屋の中に響き渡った。
「最初に言っておくと、さっき僕の手が冷たかったのは『アギト』と呼ばれるものが原因だ。まぁ、分かりやすく言えば魔法や超能力といったところかな?」
『……【覚醒かくせい】という意味の言葉ですね。ですが、超能力、というのは?』
「正直、この1年調べてもほとんど理解できていないから、適当に説明するときに使っている例えだよ。それ以上に適切な言葉が、まだ見つかっていないからね。ただ、さっきは出力を抑えていたから何事もなく済んだけど……少し出力を上げればこんなことだってできる」
 そういうなり、志波は空を握る。
 すると、彼の拳の周りが、突然凍り始めたのだった。
 水晶のように透き通った氷の塊が、彼の拳をすっぽりと覆い尽くし、その状態のまま彼が軽く机をたたくと、触れた部分が脆い氷のように崩れ去ったのだった。
 そのあまりにも現実離れした光景に、二人は見事に言葉を失っていた。
「僕の場合は【冷却れいきゃくを操るアギト】みたいでね。触れているものだったら絶対零度まで冷やせるんだ。そして、こういったアギトを持っている人間を、僕たちの間では【覚醒者ウェイカー】と呼んでいる」
「そんなの、これっぽっちも聞いたことがないぞ!」
『私のネットワークにも、そのような情報は一切ありませんでした』
「だろうね。発見されたのだって、つい最近の1年前。情報公開すれば、軍事力として運用しようとか、悪魔の手先だから殺せだとか、そういったことで間違いなく世界は大混乱だから、一部の人間しか知らない事実にしておいたんだ……というより、下手に情報ろうえいなんかしたら犯人は裁判無しで極刑ものだよ。まぁ、今は非常事態だから情報規制も無くなったけどね」
 情報を秘匿ひとくしていたことを、志波は悪びれる様子もなくそういった。
 その態度がより一層、亮平の怒りに触れたが、それをフィグネリアが宥めた。
「続けるよ。このアギトは見ての通り、使い方次第では十分戦う力になる……それは多分、亮平君も身をもって体験しているはずだと思うけど」
「……あ」
 そこで、亮平はようやく思い出した。
 自分が気絶する寸前、最後の戦闘用アンドロイドを、正体不明の力で行動不能にしたことを。
 フィグネリアが、原因不明だと言った力を。
「思い当たる節があるようだね。ちなみに、フィグネリアくんだったかな? その時の情報をできる限り詳しく教えてくれるかな?」
『分かりました。一応、映像も残っているので、それで』
 ……それから5分ほど、志波はフィグネリアの記録していた映像を、穴が開くのではないかと思うほど睨みつけていた。
 その眼光は先程まで面倒くさそうに、そして眠たげだったものではなく、博士という呼び名が見事に当てはまるほどの気迫であり、亮平は一度として口を開くことができなかった。
「……手の平に磁力を確認した、というのは間違いないのかな?」
 映像を見終わった志波は、椅子の背もたれに深く寄りかかり、再びさび付いた鉄の音を響かせた。
『はい。理由は全く分かりませんが』
「それはむしろ僕が聞きたいところだよ。まぁ、それはさておき……亮平君のアギトは十中八九『電磁力でんじりょく操作』だね。アンドロイド系列には絶大な威力を持つだろうけど、恐らくバイオロイド……じゃあ少し分かりづらいか……まぁいわゆる限りなく人間に近い構成のアンドロイドにはあまり効果はないだろう。ただどんなものであろうとも磁性というものは存在するから、どんなものでも寄せ付けられるほどになれば、とんでもなく恐ろしいアギトになることは間違いないね」
「すいません。なんで磁力でアンドロイドを破壊できたのか、まったく理解できないんですが……」
「んー……と言ってもねぇ、瞬間的に高出力の電磁力をアンドロイドの回路や電子部品にかけることで意図的に過剰電力を発生させて回路そのものを焼切るもしくはAI部分を破壊したか金属パーツを磁力で半固定状態にすることで全機能を無理矢理オーバークロックもしくはリミット解除させて全てのパーツに不必要な力を加えてパーツ自体を破壊したかもしれない、といっても分からないでしょ? 正直、この辺りは高校生の必修教科である物理Ⅰ程度の知識じゃ説明しづらいし」
「うぐっ……!」
「まぁ簡単に言うと、丈夫なゴム袋にひたすらものを詰め込んでいったら限界超えて割れた、っていうのが妥当な例えかな?」
「なら最初からそう言え!!」
『亮平様。それではただの八つ当たりです。むしろ分かりやすい例を挙げていただいたことにお礼を言うべきかと』
「……あ、ありが、とう、ございます!」
 不承不承といった様子ではあったが、フィグネリアの助言は聞き入れないわけにはいかないのか、表情をひきつらせながらも亮平は言った。
「……お礼を言われる筋合いなんて、僕には無いよ。特に、早苗君の弟さんである君には、ね」
「……そういえば、さっきから早苗のことを知っている風に聞こえるけど、どういった関係で……」
 亮平がその問いを言い切る前に、志波の表情は歪んだ。
「早苗君は、非常に優秀な研究者で、研究を協力した際に知り合って……」
 そして、志波は重々しい口を、ゆっくりと開いて、言った。


「――そして、黒島のことで、助けを求められたんだ」


「…………………………………………は?」
 亮平は、一瞬耳を疑った。
 その言葉は、恐らく『聞き間違い』だと信じたい一心ででたのだろう。
 だが、再び彼に容赦ない現実が襲いかかる。
「早苗君は黒島逸彦の異変を誰よりも早く察していて……極秘裏にほかの研究者に黒島をさとすように協力を求めていたんだ」
「……待てよ」
「けれど、彼女の要請を受けた研究者の大半は、話をしたものの、説得が無理だと悟ると距離をとるようになって、研究者の中における一つのタブーとして扱うだけで終わった」
「待てよ! じゃあなんだ!? 早苗はあんたらの怠慢で死んだってことか? 危険性を感じていた早苗の言葉を誰も解決できなかったから殺されたってことか?! ふざけるんじゃねぇぞ!!」
 ついに耐えられなくなった亮平は、傷ついている体の悲鳴を無視して志波の胸倉をつかんだ。その力はとても怪我人のものとは思えないものであり、間に入ろうとしたロボットであるフィグネリアですら弾き返された。
「一つのタブーだと!? 面倒だからって放っておいた結果がこれなんだよ、なんで早苗が殺されなきゃならねえんだ!? あんな逝かれた野郎に……!!」
『亮平様、それ以上は……』
「止めないでくれ、フィグネリア君。亮平君の怒りももっともで……僕は君たちに殺されても、文句は言えないよ。だから、早苗君への罪滅ぼしとして、君たちに僕の知るすべてを、生き延びられるように、教える。そのあとどうするかは、君たちに任せよう」
「…………チッ!」
 完全に覚悟を決めたその言葉に、亮平もそれ以上の罵倒はできなかった。
 多分、彼にもまだ言い足りない事は山ほどあるだろう。できるならば、時間の許す限り、命のある限り罵詈雑言ばりぞうごんを叩き付けたい気持ちがあるだろう。しかし、同時にそんなことをしても意味がないことを、状況の打破には繋がらないことを察したのだろう、痛む体を押さえながらベッドに戻った。
「……黒島の真意に関しては、正直何もわかっていない。今回の事件が最初で最後なのか、それともまだ次があるのか? 黒島一人で計画して実行に移ったのか、それともほかにも協力者がいるのか……何もかもが不明なんだけど……僕が知る限り、黒島逸彦という男は『どんなことであろうとも、やるときは徹底的にやる』人間だってことだ」
「……」
 ――それは、暗に高い可能性を示唆しさしている。
 次がある、と。
「……相手の状況はこれまでにして、次は『外の』世界の情勢だ」
『その口ぶりから察しますところ……外と内では相当違いがありそうですね』
「大正解。まぁ、さすがに外の壊滅的な状態を知らせれば国民がパニックに陥っていただろうから、政府はそれなりに賢明な判断を下したと思えるね」
「……その理由は?」
「さっき話していたウェイカーだけど……外の世界では、すでにそれを使った戦争が所々で起こっているんだよ。発見とほぼ同時に、ね」
 淡々と話す調子だったが、その言葉は亮平を驚かすのには十分すぎる威力を持っていた。
 ――アギトを使った戦争が起こっている?
 脳内で反芻はんすうするが、理解が全く追いつかない。
 そんなこともお構いなしに、志波は説明を続ける。
「亮平君は一年前にアメリカで起こったロボットの大量殺害事件を覚えているよね?」
「…………そりゃあ……30人も殺された事件だから当然……」
「86,257人」
 亮平が言い切るのを遮って、志波が言った。
「……え?」
「その事件で本当に殺された正式な人数だよ。その数値は最初で最後の報道で公開された数値であって……それ以降は、報道機関・通信系をすべて破壊もしくは支配されて情報が遮断しゃだんされ、ロボットの殺害が本格化。そして、さっき言った数値にまで上ったんだ」
 ……亮平は眩暈めまいを感じられずにはいられなかった。
 その異常な数は?
 自分がどれだけ無知であったか。
 自分がどれだけ事件を甘く見ていたか。
 思い知らされた彼は、全身を砕かれそうな衝撃に襲われた。
「ちなみに、次代総監に着任するのは恐らく現副総監の『井伊』だね。彼は事件発生以前から『アギト部隊』の構成を決定して、隊員集めに奔走しているから、妥当と言えば妥当なところかな?」
『……『次代』ということは、以前の警視総監様は?』
「……前警視総監・金原は先日の虐殺事件の際に殺害されたと聞いているよ」
『随分とあいまいな言い方ですね?』
「想像以上に情報と虚言が入り混じっているんでね。それに、確認されているのは総監のいたであろう部屋にそれらしき死体があったというだけで、身元の確認もできていないんだ。まぁ、この状況で呑気のんきにDNA鑑定して、なんてできるわけがないから仕方ないね」
「は!? いや、なんだってそんな……警視総監にもなれば警備のレベルが段違いだって……!」
「その警備が問題だったんだよ……あろうことか、金原は警備に生身の人員を一切割かずに、警備兼戦闘用アンドロイドだけを配置していたんだ。まぁ、後々調べてみたら、色々とあくどい事をやっていたみたいだから、反論を一切しない忠実なアンドロイドのほうが都合が良かったんだろうね。結果としてはネットワークが支配されてなぶり殺しだったみたいだけど……あぁ、井伊副総監に関してはそういった心配は要らないよ。なにせ、清廉潔白せいれんけっぱくを地で貫き通しているからね」
『その御方……井伊様が信頼のおける方だということは分かりましたが、現状はどれほどのものでしょうか?』
「隊員集めは警視庁が総力をあげて取り掛かっているんだけど……どうしても、国家のために動いてくれるような人が見つからないようで滞り気味だ。年間3千万以上の報酬でも、準上流階級の地位を用意しても、まったく意味を成していないだとか」
「冗談だろ!? 確かに、信じられないようなことだけど……それだけあれば……!」


「……現在確認されているウェイカーの80%以上が、国家の保護下に置かれていなかった人たちなんだ」


 ……その情報は、部屋を静まらせるには十分すぎる威力だった。
 国家の保護下に置かれていない、というのは、かつて世界の各国で技術が飛躍ひやく的に向上した際、人手が不要になったことで、追い出された人たちのことである。それらの人たちの多くは、都市の外にスラムを形成し、その日暮らししかできないような環境に置かれていた。
 ……それが間違いない事実だとすれば、仕方のない話だろう。
 かつて、自分たちを切り捨てた国が、都合のいい時に限って協力を求めてくる……そんな求めに応じられるのは、聖人でも難しいだろう。
「一応、僕も人為的にウェイカーを生み出せないか研究はしている。けれど正直な話、成果はそれほど芳しくない。日本の場合、現状を少なくとも維持するためには、今確認できているウェイカーの半数程度が防衛にあたらなければいけないんだけど……それもかなり絶望的なんだよ。日本は元自衛隊隊員や傭兵でやり過ごしているけど、それも遠からず限界が来ることは間違いない。外国のウェイカーと交渉しようにも、転移装置は軒並み稼働しないから、移動は自然と原始的手段……徒歩しかない。そう考えると、利便性ばかり追求して、少しでも劣っていたというだけで車を排除したのは痛恨のミスだね」
「は、ははは……」
 亮平も、乾いた笑いしか出てこなかった。
 知ることのできなかった、あまりにも絶望的すぎる状況。
 一学生に過ぎない彼には、それが精いっぱいの反応だった。
「……だから、これから先のことは、君自身で決めてほしい」
「……これから?」
 亮平の疑問に、志波は静かに頷いた。
「そうだ。さっき話したとおり、警視庁が全力を挙げてウェイカーを探しているからその隊員となって、黒島と戦うのも良し。これ以上危険な世界が嫌なら、安全な場所を求めて逃げても、君が学生である以上僕は咎めない。その時に誰かが批難するというのならば、僕が全力でフォローしよう……ほかに、自分の道を選んでも、構わない。君は、僕たちの失敗に巻き込まれただけだから、ね」
 そういうと、志波は椅子をきしませながら、静かに立ち上がった。
「それじゃあ、僕はこれで失礼するよ。警視総監殿への紹介文書も、二人分の避難民証明書も、フィグネリア君にインストールしているから、好きなように使ってほしい。そして、早苗君の家族である君たちには、できれば天寿を全うするまで生きていてほしい……それが、君たちに、早苗君に何もできなかった僕の、唯一の願いだ」
 ……志波が部屋を立ち去ろうとする。
 その【冷却を操るアギト】があるのなら、恐らく簡単にアンドロイドに殺されることはないだろう。その背中は、堂々としている。
 ――けれども、それ以上に、悲しみを背負っていた。
『……志波博士は……』
 それまで静かに耳を傾けていたフィグネリアが、口を開いた。
『……これからどうするおつもりでしょうか?』
「……僕かい?」
 彼女の言葉を受けて、彼は足を止めて考えた。
 そして、数秒の思考の末、こう答えた。
「……僕は科学者だからね。自分が関わった以上は、全部終わるまで投げだせない性分なんだ、とだけ言っておこうかな。それと、ちょっと用事があるから少しだけここを離れるよ」
 その答えを残して、志波はその場から離れた。


 ……それから三十分後。
 国崎亮平とフィグネリアが体を休めている廃ビルから二キロほど離れたところに、志波の姿はあった。
「……まさかとは思っていたけど、亮平君相手にここまで本気とはねぇ」
 言って、黒縁メガネの縁を上げて、彼は見上げた。
 ……日が昇りつつある時間であるにも関わらず、彼の周辺は長い影が差している。
「――国家護衛目的に計画されていた自律型兵器【アルビオン】、全長三十メートルのその巨大さから製造計画は頓挫とんざになったと聞いていたけど……まさか完成させていたとはね。さすがは稀代の天才・黒島といったところかな?」
 感心したように志波が呟くと、その巨体の頭はゆっくりと下を向き、青く光っていた眼が、彼を見据えると同時に赤く光りだし、ビルほどあろう腕を高々と振り上げた。
「……けどまぁ、動作は緩慢。近代兵器相手なら十二分に脅威だけど、熟練のウェイカーなら何とかなりそうかな?」
 空気を割るような轟音を鳴らしながら迫る拳がありながらも、志波は至極冷静に手の平をかざした。
「――人間を舐めるなよ、黒島逸彦!」
 そして、その拳が触れる瞬間――


【――絶対零度アブソリュート・ゼロ――】 


 ……一瞬にして、巨人の体が氷に覆われた。
 陽光を反射して煌めくその体は、自重に耐え切れず、足から豪快に崩れ落ち、霧のように氷の粒を散らせたのだった。
「……いやはや、さすがに大きい分とんでもないエネルギーを積んでいたようで」
 ――光と氷が幻想的な光景を作り出している中、一人の男が白衣をはためかせていた。
 度の強い黒縁メガネ、手入れのされていない黒髪は変わっていなかったが、やせ細っていたはずの頬は健康的な『張り』を取り戻しており、精悍せいかんな青年といった風貌ふうぼうへと変わり果てていた。
「……しっかし、本当に面倒だね、この能力は。常軌じょうきいっした冷却能力を得る代わりに、体へのエネルギー供給方法が『冷却』を通じないといけないっていうのはねぇ……しかも変換効率が滅茶苦茶悪いっていうのも減点ものだ」
 至極面倒くさそうに、志波は一人ごちた。
 ……これが、彼のアギトの代償である。
 彼が生きるためのエネルギーを得るためには、常に『冷却能力』を介さなければならないうえに、その効率の悪さは先程の通りだ。本来三十メートルの機械を分子分解するレベルまで熱を奪うとなると、とてつもない数値になり、それをそのまま生身の人間に与えられれば、一瞬で蒸発するほどになるはずだ。
 だが、結果は痩せていた状態から健康な状態に戻る程度……変換の過程でどれだけエネルギーを損失したのだろうか、分かるはずはなかった。
「……けどまぁ、暴走した天才を止めるには……そして、凡人の僕には十分すぎるかな?」
 誰に語るわけでもなく、志波は徐々に高くなりつつある太陽を眺め、そう言った。



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