令嬢は呪術師 〜愛しき名に精霊は宿る〜
79.第四章 愛しさと、ぬくもりと⑯
メリチェルを引っ張ってゆく、分厚い大きな手。
メリチェルは自分のふにゃふにゃの手が、ロギのしっかりした手の中で溶けて消えてなくなってしまうのではないかと思った。
手をすっぽり包む体温を、意識せずにはいられない。
頼りになる大きくあたたかな手。
ロギの手。
「ロ、ロギ、どこ行くの……」
小走りで人混みの中庭から遠ざかりながら、メリチェルはおろおろと言った。
「とりあえず、あのド阿呆から離れよう」
「ド阿呆って……カロア様のこと? カロア様って、あんな性格だったのね……」
ふたりは人気のない校舎棟の裏まで来ていた。
外壁に沿って植えられた灌木の繁みに、身をかくすように入り込む。
「最初はあんなんじゃなかったぞ……。一緒に旅をしているうちに、だんだん染まっていきやがった。悪趣味な女どもがきゃあきゃあほめそやすから、どんどん調子に乗って」
「最初はって? どういうこと? どうしてロギがカロア様と一緒に旅を?」
「……こいつを探す手伝いをしてもらおうと思って、ダメモトで呼びかけてみたのが運の尽きだった」
ロギはメリチェルの手を離し、肩にかけた荷物を開けた。
小花柄の布袋が、メリチェルの前に差し出される。
「海水で濡れてたから、術式で水分も塩分も払っておいた。汚れと傷はない」
「海水……。海まで行ったの?」
「まあ、くじらなら海だろ」
ロギはとくにおどけた風でもなくそう言うと、肩をすくめてみせた。
「くじらなら海だろって……。ロギ。ロギ……」
メリチェルはふるえる手で「くじらちゃん袋」の口を開けた。
つぶらな瞳とにっこりした口が、袋の中からひょこっとのぞく。
くじらちゃんはいつもどおりふわふわで、メリチェルが最後に見たときのまま、ぽやんとのんきな愛らしさを漂わせていた。
「くじらちゃん。ああ、くじらちゃん――」
メリチェルはたまらなくなって、白くて丸いふわふわを抱きしめた。
なつかしい感触。
傷ついたメリチェルを受け止めてくれる、やさしい手触り。
メリチェルは胸がいっぱいになって、こみあげてくる涙を押しとどめることができなくなった。
腕の中に、大切なくじらちゃんがいる。あらためてその顔を見ると、当のくじらちゃんはのんきに「ただいまー」とでも言っているように見えた。
メリチェルは笑った。
泣きながら笑った。
笑いたくて、泣きたくて、肩のふるえが止まらなくて困っていたら、頭の上にぽんと重みが加わった。
頭をなでてくれる、ロギの手。
「よかったな」
涙に濡れた顔で、メリチェルはロギを見上げた。
人前で泣いたらいけないと両親に言われていたのに、ロギの前で泣くのは何度目だろう。この人の前では、どうしてこうも無防備になってしまうのだろう。
「ロギ、ありがとう……。本当に、ありがとう」
「いいって」
「あなたはくじらちゃんの恩人よ。どうお礼をしていいかわからないわ……」
「なんもいらんって」
ロギはちょっと照れくさそうに、メリチェルの頭をわしわしなでた。
ロギの手が離れそうになったから、メリチェルは反射的にロギの手首をつかんだ。
離さないでほしかったから。だから、メリチェルはロギの手首を持って、彼の手のひらを自分の頬へ持っていった。
顔に感じる、ロギの固い手のひらの感触。
大きくて、あたたかな、ロギそのもののような手。
(あなたが好きよ)
心の中で、メリチェルは言った。
メリチェルはロギの顔を見ることができなかった。伏せた目を上げることができなかった。だから、目を見る代わりにロギの手に頬を寄せた。
わたしは、メリチェル・ヴェンヌ・ソシュレスタ。
ソルテヴィル領を背負った娘。
(だけど、今だけは、ただのメリチェルでいさせて)
このひとときだけ、貴族であることを忘れさせて。
義務の笑顔を忘れさせて。このまま泣かせて。
好きだから。
ロギが好きだから――。
「メリチェル」
ロギが深い声で、メリチェルの名前を呼んだ。
メリチェルは伏せた瞼をあけた。
メリチェルの目線に合わせて腰を落としたロギの、真剣な顔が目の前にあった。
「俺、絶対王立術士団に入る。王立術士団に入って、王様の目に止まって叙爵を受けてやる。なにがなんでもやる。絶対やる」
「……ロギ」
「どんな手使ってでもやる。マヨルとレオニードとド阿呆にすがりついてでもやる」
ロギはもう片方の手もメリチェルの頬に当てた。メリチェルは両側から、ロギの手で顔を挟まれる形になった。
このまま強引に、口づけされるような形――。
「だから、見てろよ。メリチェル」
メリチェルの、一瞬だけ盛り上がった期待をよそに。
ロギは両手に力を入れて、メリチェルの顔をむにょんと軽くつぶした。
メリチェルは自分のふにゃふにゃの手が、ロギのしっかりした手の中で溶けて消えてなくなってしまうのではないかと思った。
手をすっぽり包む体温を、意識せずにはいられない。
頼りになる大きくあたたかな手。
ロギの手。
「ロ、ロギ、どこ行くの……」
小走りで人混みの中庭から遠ざかりながら、メリチェルはおろおろと言った。
「とりあえず、あのド阿呆から離れよう」
「ド阿呆って……カロア様のこと? カロア様って、あんな性格だったのね……」
ふたりは人気のない校舎棟の裏まで来ていた。
外壁に沿って植えられた灌木の繁みに、身をかくすように入り込む。
「最初はあんなんじゃなかったぞ……。一緒に旅をしているうちに、だんだん染まっていきやがった。悪趣味な女どもがきゃあきゃあほめそやすから、どんどん調子に乗って」
「最初はって? どういうこと? どうしてロギがカロア様と一緒に旅を?」
「……こいつを探す手伝いをしてもらおうと思って、ダメモトで呼びかけてみたのが運の尽きだった」
ロギはメリチェルの手を離し、肩にかけた荷物を開けた。
小花柄の布袋が、メリチェルの前に差し出される。
「海水で濡れてたから、術式で水分も塩分も払っておいた。汚れと傷はない」
「海水……。海まで行ったの?」
「まあ、くじらなら海だろ」
ロギはとくにおどけた風でもなくそう言うと、肩をすくめてみせた。
「くじらなら海だろって……。ロギ。ロギ……」
メリチェルはふるえる手で「くじらちゃん袋」の口を開けた。
つぶらな瞳とにっこりした口が、袋の中からひょこっとのぞく。
くじらちゃんはいつもどおりふわふわで、メリチェルが最後に見たときのまま、ぽやんとのんきな愛らしさを漂わせていた。
「くじらちゃん。ああ、くじらちゃん――」
メリチェルはたまらなくなって、白くて丸いふわふわを抱きしめた。
なつかしい感触。
傷ついたメリチェルを受け止めてくれる、やさしい手触り。
メリチェルは胸がいっぱいになって、こみあげてくる涙を押しとどめることができなくなった。
腕の中に、大切なくじらちゃんがいる。あらためてその顔を見ると、当のくじらちゃんはのんきに「ただいまー」とでも言っているように見えた。
メリチェルは笑った。
泣きながら笑った。
笑いたくて、泣きたくて、肩のふるえが止まらなくて困っていたら、頭の上にぽんと重みが加わった。
頭をなでてくれる、ロギの手。
「よかったな」
涙に濡れた顔で、メリチェルはロギを見上げた。
人前で泣いたらいけないと両親に言われていたのに、ロギの前で泣くのは何度目だろう。この人の前では、どうしてこうも無防備になってしまうのだろう。
「ロギ、ありがとう……。本当に、ありがとう」
「いいって」
「あなたはくじらちゃんの恩人よ。どうお礼をしていいかわからないわ……」
「なんもいらんって」
ロギはちょっと照れくさそうに、メリチェルの頭をわしわしなでた。
ロギの手が離れそうになったから、メリチェルは反射的にロギの手首をつかんだ。
離さないでほしかったから。だから、メリチェルはロギの手首を持って、彼の手のひらを自分の頬へ持っていった。
顔に感じる、ロギの固い手のひらの感触。
大きくて、あたたかな、ロギそのもののような手。
(あなたが好きよ)
心の中で、メリチェルは言った。
メリチェルはロギの顔を見ることができなかった。伏せた目を上げることができなかった。だから、目を見る代わりにロギの手に頬を寄せた。
わたしは、メリチェル・ヴェンヌ・ソシュレスタ。
ソルテヴィル領を背負った娘。
(だけど、今だけは、ただのメリチェルでいさせて)
このひとときだけ、貴族であることを忘れさせて。
義務の笑顔を忘れさせて。このまま泣かせて。
好きだから。
ロギが好きだから――。
「メリチェル」
ロギが深い声で、メリチェルの名前を呼んだ。
メリチェルは伏せた瞼をあけた。
メリチェルの目線に合わせて腰を落としたロギの、真剣な顔が目の前にあった。
「俺、絶対王立術士団に入る。王立術士団に入って、王様の目に止まって叙爵を受けてやる。なにがなんでもやる。絶対やる」
「……ロギ」
「どんな手使ってでもやる。マヨルとレオニードとド阿呆にすがりついてでもやる」
ロギはもう片方の手もメリチェルの頬に当てた。メリチェルは両側から、ロギの手で顔を挟まれる形になった。
このまま強引に、口づけされるような形――。
「だから、見てろよ。メリチェル」
メリチェルの、一瞬だけ盛り上がった期待をよそに。
ロギは両手に力を入れて、メリチェルの顔をむにょんと軽くつぶした。
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