令嬢は呪術師 〜愛しき名に精霊は宿る〜

サカエ

64.第四章 愛しさと、ぬくもりと①

 ロギが旅に出て、十日ほど経った。
 メリチェルの再試験は数日後にせまっていた。再試験で水を動かせなかったら、入学不許可ということで、メリチェルはもう学院にいられなくなる。

 早朝。
 レオニード先生のはからいで、メリチェルは授業開始前の数分を主幹教諭室で過ごすようになっていた。火事で焼けてしまった部屋はまだ復旧中なので、以前とは別の部屋だ。

 四階のこの部屋は前よりは狭いが、窓から輝くカロア川が見渡せる。
 しかしメリチェルには、ゆっくり朝の眺望を楽しむ余裕などない。

 「エグリスム・グランジェメル・ヴェナディウス・サザルゾン・ゲインデラマウス・デミスタリアス・ゼア・マギョウラ・ランシェ・フィグジョン・デイタラスタアス・マダルラカアス・マクス・ゾラニウス――」
「なげやりに言わない。もっとこう、心から説得するかんじで。一流の詐欺師になったつもりになって文言を唱えてごらん。嘘が上手い人というのは、自分が本当のことを言っていると自己暗示をかけるんだそうだ。術者もおなじだ。水をだますんだよ」
「うう、わたし嘘つきになるのは嫌です……」
「何を言うか。術者は自然の摂理もだまくらかす、大いなる詐欺師なんだぞ」

 レオニードはぴしゃりと言った。
 もの凄い理屈だとメリチェルは思った。けれど、わかりやすい。

 メリチェルの進歩のなさに業を煮やしたのか、主幹教諭が朝の補修をもちかけてくれた。水を動かすなどという術式の初歩の初歩は、主幹教諭の教えることではない。メリチェルは今まで新米の先生に指導してもらっていた。

 おなじことを教わっているのに、レオニードの教え方は入り込みやすかった。
 それはきっと、レオニードが確固とした術式観を持っているからだろう。

「だますという言い方が嫌ならば、詩を語らうという気持ちでいたまえ。詩の内容は本当にあったことではなくとも、詩をきいて動かされた心は本物だろう? さあ、君は吟遊詩人だ。お客さんはこの水槽の水だ。水の心をつかんでみたまえ」

(わたしは吟遊詩人で、水槽の水はお客さん……)

 吟遊詩人という言葉から、ロギに連れて行ってもらった酒場にいた、流しの歌い手を思い浮かべた。知らない歌だったけれど、片思いのせつなさがにじみ出た、素敵な歌だった。

 あの歌をもう一度ききたい――。
 メリチェルは真剣に水槽を見つめ、術式を唱えた。

 さざ波をうつくらいがせいぜいだった水面が、ザブンと大きく跳ねる。水は机をびしょびしょにしながらも、半分がとなりの水槽に入った。
 無様だけれど、完全ではないけれど、「水槽の水を移す」課題の答えらしき結果が出た。

「よし!」
「合格ですか!?」
「微妙だね」
「あうう……」
「でも勘はつかんだだろう? あとは回数を重ねて精度をあげるだけだ。ここから先は君の努力次第だよ」

 レオニードは軽く略式の術式を唱えた。メリチェルが飛び散らかした水が、時間が巻き戻ったかのようにもとの水槽に戻る。

「では、今日はここまで」
「ありがとうございました!」
「また明日ね」


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