令嬢は呪術師 〜愛しき名に精霊は宿る〜

サカエ

40.第二章 カロア川の精霊⑱

 カロア川。

 延長六二二セギリア、流域面積二六八四〇セギリエラス。多くの農地や都市をうるおすエランダスの重要河川。セイリャとの国境であるデヴォリア山を水源とし、エランダスの北西から南東へ蛇行しながら流れ、東の海へ注ぐ大河。カロア水系の本流。

 けれどメリチェルにとってカロア川は、そんな数字と情報の集まりではない。

 朝目覚めたときに窓を開けると、これからはじまる一日を祝福してくれるようにきらきらと輝く、それはそれは美しいもの。日の光を反射し、そよ風を運び、鳥や魚を遊ばせ、人はその様子をうっとりと楽しみながら、笑顔で川べりを歩く。

 やさしく、美しく、そしてとても頼りになる――。

 農地を潤し、産業に力を貸し、水路となり人々の暮らしを助けてくれる。
 ときおりちょっといたずらで、人をからかったりもするけれど。
 美しさの底に、人知れないおそろしさを秘めているかもしれないけれど。

 それでもいつもはご機嫌で、川辺に住む人や動物を暖かく見守ってくれている。
 カロア川はそんな――そんな――精霊。

 すべてのものは精霊を宿していると、その精霊を見つけるのは人だと、教えてくれたのはマヨル。人はものに名前を与えたときに、ものに精霊を見つけるのだと教えてくれたのはマヨル。名前はものを縛るものではない。名前はものを決めつけるものでもない。

 名前はものになにかを与え、名付けを受けたものは、世界のかけらを贈り返す。

 名付けによって生まれ出る、ものに宿る神秘。それが、精霊。

 人が世界と交流するための神秘。それが、名前。

「カロア様――!」

 暗くひと気のない堤防の上に立ち、メリチェルはありったけの声を振り絞って精霊カロアを呼んだ。いつも思い描いている姿を、心に強く強く念じながら。

「カロア様、マヨルをたすけて。カロア様、力を貸して。カロア様――」

 マヨル。マヨル。故郷を焼かれ、家族を奪われ、飢えた獣のような目をしていた女の子。出会って最初は冷たかった。無理に訊きだした名前を根気よく呼んだ。マヨル。マヨル。素敵な名前ね、どんな意味なの――? 無視された。半年くらい無視され続けた。それでも名前を呼んで話しかけた。マヨル――。

 ――私の名前の意味は「時の流れ」です。

 やっと普通に口をきいてくれた。名を呼ぶ声に答えてくれた。時は流れ、マヨルに笑顔が戻ってきた。幸福な日々に乗って、やさしく時が流れればいい。笑顔で時が流れればいい。いつかマヨルが故郷で暮らしていたときくらい、笑えるようになればいい。

「カロア様、マヨルをたすけて。カロア様、カロア様!」

 メリチェルの呼びかけに答えるように。
 さらさらと流れていた川の水面が、盛り上がるように大きくうねった。

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