悪役令嬢のままでいなさい!

顔面ヒロシ

★間章――???







 手放せない過去が、重くなっていったのは何時いつからだったろう。
 昔々の、何も守れなかった無能者の、
彼らが死んでいくのを、傍観することしかできなかった道化の話。


小さな八重にそれを語ったら、どんな反応をするだろうか。
どういう顔で、聞くのだろうか。


試すこともできない。口にする気もない。封印した過去の傷は、口にしなければ無かったことにしてしまえるのではないかと思った。
……けれど、今となってもその重さは、息をするのも辛くて。


 ただ、自分は、現代に生きる君に嫌われるのを恐れていた。


 幼き日のあの邂逅から数年。
八重とツバキは、奇妙な関係で繋がっていた。
月之宮と日之宮に隠れて、度々神社の境内で会うことが多くなった。
彼女は妖狐に友人でいることを求め、妖狐は彼女のことを好いていた。ハッキリと自覚するように、一目惚れをしていた。


 月之宮八重は、恵まれた環境に生まれながら虚無を抱いている少女だった。少なくとも、ツバキと皆に隠れて会っていた時期の彼女はそういう一面を持っていた。
彼女の家は、世界に名だたる財閥だった。そして、陰ではこの近辺の治安をアヤカシから守護する陰陽師の一族だった。
 その富は、彼女の周りの人間の目を眩ませた。多くの者が、その恩恵を受けようとすり寄った。煩悩を察した彼女に拒絶されれば、たちまち奴らは悪意を露呈させた。
それだけならば、まだ良かった。


 自らが特別だと気が付いた頃の彼女は、最初は人間を魑魅魍魎から守ることにひどく志を持っていた。誰かを助けることを誉だと信じていた。
 しかし、アヤカシから助けられた人間は、一様に少女の差し伸べた手を拒絶することが多くあった。
弱い人間というものは酷く残酷なもので、霊能力のある彼女のことを化け物だと罵った。
もしくは、彼女が命がけで自分たちを守る恩恵を、まるで当然のように享受する者ばかりで。
……そんな連中に出会ったのは、一度や二度ではなかった。


 まるで報われない恋を見ているようだった。
人間のことをあんなに好きだったのに、八重の心が叶うことはない。半神に生まれてしまった彼女のことを、人間たちは異物として受け入れようとしない。
いつしか、彼女は切り付けられるような失恋を経験した。
幼なじみとして育った陰陽師の特別な仲間と一緒にいても、孤独は増していくばかりで。


 ……本当ならあの子は、人間の友達が欲しかったのだ。自分のようなアヤカシではなく、同じ年ごろの普通の人間たちと楽しく遊びたかったのだ。


 それを分かっているから、ツバキは願わずにはいられなかった。霊能力を持たない普通の人間に、誰か八重を愛してもらえないだろうか。
それは、秀でた能力を持たない存在でいい。
ごくごく当たり前のように、一緒に過ごしてくれるだけでいい。普通の日常を、あの子に与えてやってほしい。
それはきっと、あの子が諦めてしまったものだ。欲しくてたまらなくても、望んでも手に入らなかった現実だ。


「……じゃあね。ツバキ」
 そう言って、八重は薄く笑って立ち去った。
できることなら家まで送ってやりたかったけれど、アヤカシの身であるツバキにはそれができない。
いなくなっていく少女の背中が消えた後に、ふとした違和感を覚えて立ち止まった。


「……なんだ、貴様」
 八重の後を追いかけていた気配は、一匹の雑妖のものだった。少し脅すと逃げ出そうとしたので、ひょいと掴んで捕獲する。


「ああ、タヌキの動物霊か。どこで憑いてきたのか知らないが、八重に危害を加えようとするのなら……ここで始末してしまおう」
「きゅー! きゅー!」
 ジタバタともがく目の前の雑妖怪はあまり危険なものには見えないが、不確定要素は排除しておくのが主義だ。気の毒なことだが……、
と、そこまで思考したところで、ツバキは捕まえた雑妖の珍しい点に気が付いた。
このアヤカシからは……怨念といった負の気を感じない。


「……お前、まさか愛情だけでアヤカシに成ったのですか」
 これは珍しいものを見た。
どうして八重に執着しているのかは分からないが、ようやくツバキはこの雑妖から詳しい事情を聞いてみようという気分になった。


「きゅー、きゅきゅー!」
「……なるほどな。交通事故に遭ったところを八重に昔助けられたと。それで、恩返しをしたくてずっと後をつけていたのですか」
 夕日の差し込んできた境内で、石段に座りながら話を聞いたツバキは、ふんと鼻で笑った。


「残念ながら、アヤカシのお前にできることなんて殆どないですよ」
 自分のように人型をとれるようならまだしも、雑妖にできることはたかが知れている。利用価値なんてないも同然。
あっさり切り捨てられたタヌキ霊は、ショックを受けたようにプルプル震えた。青白い半透明の霊体から甲高い鳴き声で必死に抗議をしてくる。


「なになに? 今は何もできなくても、いずれあなたのような大妖怪になって役に立ってみせる? 八重に人間の友達がいないというのなら、自分が化けて人間のフリをして友達になりたい? なんと大それた……」
 ……しかし、まあ。
案としてはそれも悪くはないか。
思わず、ツバキは笑い出していた。


「くくく……今のままでは無理ですよ」
 世の中のアヤカシの殆どが怨念から生まれるのは、単純にそちらの方が強いエネルギーとなりやすいからだ。
このアヤカシのように愛情から大妖怪になるには、気の遠くなるような歳月がかかるだろうし、大体がその前に消えてしまう。
そもそも、恋や愛でアヤカシ化できた実物を見たのはツバキも初めてに近い。よくもここまで一人で頑張ったものだと称賛したいぐらいだ。
 だが、コイツに利用価値がないこともない。


「……仕方がないですね。これは契約です。本当に八重の友達に化けるのなら、お前が人型をとれるように、僕が助力してあげましょう。父親役として協力する代わりに君は僕の為の駒となりなさい」
「きゅ!」


「僕がこれまで月之宮と関わってきた膨大な記憶を、お前に全部見せてやります」
 誰かに語るはずのなかった話。
月之宮八重が生まれるまでの、物語を紡ぐのだ。


「僕の怨念を自分のことのように一度に味わうのは死にたくなるほどに辛いでしょうが……」
 沈んでいく太陽に、天空は真っ赤に染まった。
この執着と、絶望の先に彼女の笑顔がある。


「――きっと、この記憶を見た後は八重のことをもっと愛しくなると思いますよ」




 それだけは、確かなことだった。









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