悪役令嬢のままでいなさい!
☆300 道案内の存在
夜空の下。東雲先輩の何気なく灯した狐火を見て、慄いたのは夕霧君だった。
いつもだったら大騒ぎしてはしゃぐところだったが、生憎現在は非常時。
そんなことを考えている場合じゃないと気が付いたのだろう。くっと唇を引き結ぶと思い切りよく頭を垂れる。
「……頼む。オレにも日之宮を探す手伝いをさせて欲しい」
「足手まといと云ったら?」
「超常の存在であるあなたたちにとっては足手まといだとしても……オレはここで呑気に日之宮の帰りを待っていることなんてできない。オレは、見つけたあの子を叱ってやらなくちゃいけないから」
それは、今度こそ部外者ではいたくないという意思表示で。
だから彼女は彼のことを好きになったのだろうと伝わってきた。
「……うん」
私は思わず涙が出そうになった。
「わ、私も! 月之宮さん! 私も行きます!」
「あ、私だって!」
「いや、これ以上生徒を夜間に連れだしたら大事になるから! 車の人数的にも無理だって」
自己主張を始めた白波さんと希未に、柳原先生がぎょっとする。呆れ眼で沈黙した鳥羽は、肩をほぐした。
「……ああうん、鳥羽。お前さんには協力してもらうわ。でも、君たちは却下却下! ホテルで大人しくしてなさいっ」
「……そういうことだから、みんな。お願いするわ」
しゅんとしてしまった白波さんに、私は我が目を覆う。可愛らしい天使のような彼女が落ち込んでいるところを直視するのは、如何せんキツイので。
希未? 希未はそもそも落ち込むような性分ではない。
「さてと。じゃあ、そろそろ行くか」
地図を見ながら相談していた鳥羽は、不敵な笑みで外を歩いていく。やがて、シュっとした効果音と共に半透明な漆黒の翼を具現化した。
「方向は北北東っと……」
目を見開いた夕霧君の目の前で、鳥羽は地面を蹴った。そのまま空気を含んだ翼が羽ばたき、颯爽と闇の空へ消える。
それを見送った夕霧君は、白い息を吐いた。
「まるで、夢を見ているみたいだ」
「生憎、こちらとしては春からこれが日常なんで」
希未が冷静なツッコミを入れる。
そういえば、彼女も普通の人間なのに秘密を知っていた立場だ。
「ああ、夢は夢でも、むしろ悪夢と良夢を反復横跳びしているような気分というか……」
「気持ちは分かるけど、そこを深く追求する気はないのよ。陛下」
私が思わずたしなめると、彼は「そうか」と嘆息した。
白波さんが首を横にこてんと倒す。
「反復横跳び……つまりすごく疲れるってこと?」
「白波さん。鳥羽がいない時にボケても誰も突っ込んでくれないわよ!」
吠えた私を見て、希未が頭を振る。
「八重。白波ちゃんは私が預かっておくから、早く行くといいよ」
「……いいの?」
「ここで人助けをしないなんて今の八重には無理だってことは知ってる。……友達だもん、それぐらい分かるよ」
寂しそうな、その瞬間の横顔に。私は呼吸を止めた。
「……変わったね。八重」
私は息を吸い込んで、明瞭な声で言う。
「違う。戻ったっていうか、改まったのよ」
改めて、止まっていた自分の歯車が動き出しただけ。変わったのだとしたら、それがそういう風に人に見えているだけ。
私は私でしかなくて、それは様々な角度に映るものだ。
「なにそれ」
希未はため息をして手を振った。
このまま話している時間はない。少しでも早く奈々子を見つけてやらなくちゃいけないから。
あの子を発見したらなんて声を掛けるべきだろう。怪我もしているみたいだから、その応急処置のできる救急箱も持って行かないと……。
「では、行きますか」
髪の色を変え、見た目を成人男性の姿に変化した東雲先輩が、借りてきた車のキーを指先で回転させた。
ぱしっと音を立ててそれを空中でキャッチした妖狐は、無表情でドアを開けて機械のエンジンをかける。
助手席に乗り込んだのは私で、ついでに強引に連れてきたウィリアムと夕霧君も後部座席に乗車している。
辺りにパトカーがウロウロしている。こちらも奈々子の捜索が始まったらしい。
しばらく黙ったまま、見当がついている方角へ車を走らせていると、やがて二つに分かたれた道に出た。
「さて……どちらに進みますか」
場合によっては、奈々子の下にたどり着かない可能性もある。
「どうしよう」
「カーナビでは右に進んだ方が良さそうだが……」
少しの間逡巡している時、予想外の方向から声がした。
(ひだりはちがう、ひだりはちがう……)
「左は違うんですって」
(みぎにわるいこ、ないている……このまますすめ、めぶきのひめ……)
「右に悪い子って、奈々子のこと?」
「八重?」
無意識に聞こえた声に口に出すと、東雲先輩の呆気にとられた顔があった。起こった出来事に顔色が無くなり、後ろに振り返る。
後部座席で脚を組んでいたウィリアムが、暗がりに瞳を輝かせた。
「月之宮さん、さっきから誰と会話をしているのか分かってるかい?」
「誰って……」
ぞくりと背筋が冷える。
凍り付いた私たち。車の外で賑やかに笑っているのは木々の梢と葉が重なり合うざわめきだ。
「まさか、この植物が……?」
「白波さんから少し神格を返してもらったんだろう? 恐らくそのせいで俺たちには聞こえない草木の意志が聞こえるようになってきたんだ」
「――いやっ」
一瞬だけ恐怖に取りつかれそうになる。
悲鳴を上げた私の頭を、東雲先輩が強く抱き寄せた。
「……怖がらないで、八重」
「…………」
目覚める直前の悪夢を思い出したときのように、私は身を強張らせた。そこに、窓の近くへ植物の蔦がするりと伸びてくる。
どこか拒絶されたことへの悲しさを含んだ、謎の歌声が頭に響く。
(こわがらないで、われらのひめ……とうとくいとしいひめぎみよ……)
緊張に心臓の音が鳴る。
少しだけ窓を開けると、そこから一枚の葉が車内へ舞い込んだ。つまんでみるとそれは、濃い深緑の色から徐々に赤く染まっていく。
「……まあ」
私が目を見張ると、
「どうやらこの林からの親愛の証のようですね」と東雲先輩が語った。
「……あの、奈々子の下まで道案内をしてくれるの?」
(われらがひめのねがいなら……)
「ありがとう」
私がそう告げると、まるで恋する乙女の肌のように木の葉が赤く色づいた。
ざわざわと蠢く蔦の群れに、夕霧君の好奇心が刺激されているのが分かる。本当なら質問攻めにしたいところをぐっとこらえているようだ。
ウィリアムは後部座席で爆笑した。
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