悪役令嬢のままでいなさい!

顔面ヒロシ

☆297 部外者と消えたサブパーツ







 あえて悪の道を選んだ人間にとって、寄せられる純粋な善意というのはひどく戸惑うものだ。
それが打算から生まれたものでないと知っているから、余計に。


 自分がこれまで八重ちゃんにしてきたことを思えば、そのことは決して褒められたものでないことは分かっている。物語の悪役の座は自分にこそ相応しいものだという冷静な俯瞰は間違っていないと思うし、望むと望まざるとを関係なくそういう立場に立たされることの方が今までの人生で多かった。


 光の射さない場所が当たり前だった。日陰の者として生まれ、沢山の人間を傷つけて生きてきた。
 ……そう。あたしは、守護すべき存在とされていた『人間』すら殺めたことがある。
月之宮八重を誘拐しようとした犯罪者への正当防衛の末だったとはいえ、その罪は自分への深く果てしない呪いとなっていて。いつしか人は奈々子のことを精神の狂った最強の陰陽師だと噂するようになった。


「……ホント、どうしてこうなったのかしら」
 リフトの上で思わず洩らした奈々子の呟きに、隣にいた遠野ちほが振り返った。
目立ったところのない、どちらかといえば地味と映る黒髪の少女。今までに関わったことのないような大人しいタイプだと思っていたのに、実際に接してみるとなかなかに人を食ったところがあった。


「……どうしたの?」
「いえ、何でもないわ。ただ、あたしってどちらかといえば自分のことを悪が似合う孤高の女だと思っていたのだけど」
「ふうん」
 自虐を含んだ奈々子の強がりに、遠野という女子は深く追求をしなかった。それが少しだけ肩透かしのような気がして、べらべらと話してしまう。


「ま、まあ。あなたには分からないでしょうね。八重ちゃんと最初から普通に仲良くしていられるような人間にはあたしの振る舞いって理解しがたいものがあると思うわ。なんか、さっきからこうして親切にされていると調子が狂うのよ……」
「……私だって、最初から仲良しだったわけじゃないけど」
 遠野から返ってきた言葉に、奈々子は意表を突かれる。こちらの勘違いを正すように、彼女は冷静に話し始めた。


「……私が月之宮さんと出会ったときは、敵同士としてだった。こうして仲良くなるまでだって、決して楽なことじゃなかったように思うし、今だってどう接したらいいのか悩むときもある」
「え?」


「月之宮さんのことを甘いと思うこともあるし、敵にでも優しすぎて少し苛立つこともある。日之宮さんを見かけた時、なんだか昔の自分を見るみたいな気持ちになった」
 遠野から向けられた視線に、奈々子は動揺を隠せなかった。
 ……ずっと不思議だった。
どうしてこの子は、あたしなんかに親切にしてくれるんだろうって思ってた。
だって、そうだ。普通だったら、あたしみたいな人間なんて関わらないように避ける。遠野ちほがただの親切な女の子だったら、日之宮奈々子という存在がその視界に入ることなんてなかったことだろう。
恐らく、その言葉を信じるなら彼女は悪役として振る舞ったことがある人物なのだ。


「あなた、あたしの何を知って……」
「何も知らない」
 ぎこちなく口角を上げた奈々子のセリフに、遠野はすっと視線を逸らした。


「いつも、みんなは私には何も教えてくれない。称するなら私は、物語の部外者でしかないのだと思う」
 そんなこと。
本当に部外者なら、そう想う必要なんてないはずなのに。
寂しそうに微笑む遠野ちほの姿に、奈々子は少し悔しくなった。


「……でも、あなたはあたしに話しかけてくれたじゃない」
「うん」


「きっと本物の部外者だったら、わざわざこんなボランティアはしないでしょう」
「……そうかな」
 気まずそうに空を見上げて、遠野ちほはくすりと笑った。


「……私は、私にできることをしようと思っただけ。きっとこういう時に月之宮さんだったら、こうするかなって思っただけ」
 強風に三つ編みをなびかせている遠野ちほの白い肌は、日光に透けそうになっていた。
奈々子は、眼差しを落とす。


「それでも……」
 それでも、その手のひらは暖かかった。
深い闇の中で動けなくなっているあたしにとっては、それってすごく眩しかった。
そう素直に言えたら良かった。もっとお綺麗に生きてきた自分だったら、そんな優しい言葉を紡げただろうか。


 でも、もう手遅れだ。
今のあたしは、骨の髄まで真っ黒。太陽の下に広がるこの雪原とは真逆の色をしている。
もっと早く出会えていれば、こうした悪戯な優しさに生き方を変えることもできたのかもしれないけれど。


 この胸の疼きを抱えたままでは、絶対にあたしは救われない。
自分はそんな容易く変われるような人間じゃない。
簡単に諦められるぐらいなら、最初から絶望なんかしない。
今更、誰かで妥協なんかできない。


 そんな思考に取りつかれながら午後になるまでスキーをやっていたけれど、気が付くと同じ班にいたはずの遠野の姿が見えなくなっていたことに気が付いた。
さっきまで一緒に話していたはずなのに、どこに消えたのだろう。
近くにいたうどん娘も不安そうに辺りを探している。


「どうしたのかな、こんな場所でいなくなるなんて……」
「そうね」
 胸に広がる不安感に、奈々子は顔をしかめる。
一体どこに消えたというのか。忽然と行方が分からなくなった遠野の影を探していると、陰のありそうな女子のグループに大げさに声をかけられた。


「どうしよう、日之宮さん!」
「……誰よ」
 顔も覚えていないクラスメイトだろうか。いかにも性格の悪そうな目立つ女子が大声で告げる。


「さっきね、あっちの方を遠野さんが滑っていくのが見えたの!」
 コースを外れた暗い林の中を指差して、いかにも悲壮な表情で彼女は叫んだ。


「…………え?」
 自分だったら絶対に通らないようなコース外の道だった。
その危険性を察し、一斉に血の気が引く。


「日之宮さんって、スキー得意なんでしょ? 私たちには無理だけどあなたなら遠野さんのことを助けられない?」
「そんなの」
 冷静にリスクを考えれば、教師を呼ぶべき事案だった。
大金を積まれでもしない限り仕事をしないポリシーを持っている自分が動くなんて、今まででは考えられないことだ。
そう分かっているはずなのに、やけくそになって奈々子は大声を出した。


「ああもう! 面倒をかけさせるんじゃないわよ!」
 そうだ。いくら同じ班といったって、助ける義理なんてない。
そうであるはずなのに……。


「あっ 日之宮さん!」
 誰かの声を置き去りにして、問題児である奈々子は勢いよくその林の中に進路を変えた。
彼女は悪が身近で当たり前すぎて、簡単な嘘に騙された。






 ――午後四時過ぎ。
月之宮八重の予備少女サブパーツ
このゲームにおいてのキーキャラクターである日之宮奈々子の行方は、そうして分からなくなった。









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