悪役令嬢のままでいなさい!

顔面ヒロシ

☆289 資格のない私







 二月になると、全学年合同のスキー合宿がある。
T大の二次試験に向けて最後の追い込みにかかった東雲先輩とは、なかなか学校でも顔を合わせることが少なくなった。
会いたいということはわざと言わない。
言葉にしなくても、通じ合えるのかは不安があるけれど、今は余計なことを口にして邪魔をしたくなかった。


「月之宮さん、向こうで先輩が呼んでる」
 そう休み時間になった教室で遠野さんに声を掛けられたとき、どきりとする。けれど、そわそわした心で入り口に向かうと廊下にいたのは八手先輩だった。
赤い日本の鬼。その姿を視界に入れて思わず脱力すると、不思議そうな顔をされる。
……いい加減、八手先輩の無表情も感情が読み取れるようになってきた。


「少しいいか、月之宮」
「ここではダメなのですか?」
「……話したいことがある」


 それなら仕方がない。振り返ると、希未が「いってらっしゃい」と元気に手を振った。
大きな背中を追いかけるように後に続くと、早足に彼は人気のない階段まで歩を進めた。
ようやく誰もいない踊り場で難しい顔と対面する。


「……オレは、式になりたいことを軽々しく口にしたつもりはない」
 そこまで言われて、ようやく八手先輩の気持ちに気が付いた。
どこかで真剣に考えていなかった。酷い話だ、向こうは一生に一度の想いで言ってくれたことだったのかもしれないのに。


「……そう、でしたね」
 頭によぎるのは、式だったはずのカワウソのこと。
 自嘲気味に、私は暗い眼を向ける。


「私には、アヤカシと式の契約をする資格がありません」
 ずっと、直視するのが怖かった。
考えてしまえば、思い知るしかない。八手先輩のことも、松葉のことも。


「……何故だ」
「私は、みんなに愛着を持ちすぎてしまいました」
 これは、懺悔。
最後までちゃんとした主であれなかった陰陽師失格の私の独白。


「陰陽師が式妖を使うには、もっと毅然としていなければならないんです。もしも逆らったりするようなことがあれば、断固としてその命を社会に害を為す前に始末しなければいけない。そうするのが最低条件なのに、私は……」
 ――私は、松葉をまだ殺せていない。


どうして裏切られたのか。その答えは本当はもう薄々分かっている。
鈍感なままでいれば、気付かなければ、家族のままでいられたのだろうか。
どうしても異性として好きにはなれなくて、それでも大事にしたくて。ずっとあの子には酷いことをしてしまった。
押し殺された感情は、いつしか悪意に転じたのだ。


「こんな私には、八手先輩の主になれる自信がありません」
 そっと微笑んで頭を下げる。


 そう、これは全部私が招いたことだから。
いなくなった空席が寂しい。あの笑顔が消えたのが悲しい。孤独を埋める術なんて知らない。知らないけど、だからといって八手先輩を代わりの式にするのもおかしい。
誰かに誰かの穴埋めなんてできない。


「……お前には、分からないんだ」
 八手先輩は、苦しそうな顔をして呟く。
せわしなく、その口から言葉が溢れだす。私は目を見張った。


「簡単な気持ちで云ったことじゃない。この孤独も、喉の渇きも知らないだろう……どんなに、唯一の出会いを待ち望んでいたのかも、永遠に思える虚無の全てを」
 彼は片手で壁を殴って叫んだ。


「認めた人間を守りたいと思って何が悪い! 剣士に生まれた者が、主君を欲して何が悪いんだ……!
そんな生半可な返答、聞き入れたくもない!」
 人々の影として、ずっと見守っていた赤い鬼。
その感情。人知れずに膨れ上がっていった想いを、気付かないうちに軽く見誤っていた。


「…………っ」
 踵を返し、八手先輩は姿を隠した。
背景に溶け込んでいなくなる。重い足音が階段を下って遠ざかる。やがて、私は彼が完全にいなくなったことを知りへなへなと崩れ落ちる。
 授業のチャイムが鳴っても、クラスに戻れる自信はなかった。
しばらく膝を抱えて階段に座っていた。頭は真っ白だ。そこに、何者かが近づいてくる。


「あれ?」
 誰かに持たされた沢山の本を抱えた用務員の西洋鬼ウィリアムが、びっくりした顔でそこに立っていた。









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