悪役令嬢のままでいなさい!
☆279 解かれた重荷と残る真名
「おはようございます」と挨拶をしてくれた白波さんに神名の返還を試したいことを話すと、すぐに承諾してくれた。
朝食はフルーツサンドとポトフにベーコンエッグ。控えめな生クリームと一緒に挟まれているイチゴを見つけた白波さんは、目を輝かせて食べていた。
そういえば彼女も愛情を込めて栽培しているのだっけ。あの時のイチゴはすごく美味しかった。
今朝の体調は悪くなさそうだけど、念のためにベッドに寝かせて、我が家の母に隠れて呪を唱える。
「――いくわよ。廃趣奪解」
そう白波さんに向かって唱え終わった瞬間、その身体が淡く輝いた。白い光の粒が弾けて、まるでオンラインゲームの回復エフェクトのようだ。今までにない現象に驚いていると、彼女が目を丸くする。
「あ……、なんだか身体が軽くなったかも……」
「本当に!?」
私の方は何も感じない。何か実感できるものがあるのかと思ったけれど、まるでその兆しがなかった。
……これは一体どういったことだろう?
戸惑いながら彼女の手首に触れて脈を測っていると、室内にいた鳥羽が顔をしかめた。
「……いや、これはまだ完全に分離に成功してねーぞ。白波」
「そうなの?」
「薄まってはいるけど神名の匂いが消えてねえ。今もまだお前の方から香ってくる。……だけど、身体は前より楽になったんだな?」
「うん」
根拠はアヤカシの嗅覚らしい。
白波さんが頷くと、鳥羽は思慮深げに自分の口元に手を当てた。
「部分的には成功していますよ」
ベッドに横になった白波さんを見やり、東雲先輩が言った。腕組みをして、その青い瞳をスッと動かす。
「今の状態まで分離できていれば、白波小春の寿命に関わることはもうないでしょう。最低限の安全は確保できたのですから残りは徐々に返していけばいいのです」
「それって……」
東雲先輩は、白波さんに聞こえないように私の耳元で囁いた。
「……神名の半分までは分離できている。この娘の命の危険はもう去ったということだ」
その言葉に、肩の力が抜けた。
ホッとしたのは私だけではない。鳥羽も聡明な頭脳でその意味を悟り、深々とため息をついた。
「……でも、どうしてまだ白波さんの方から匂いがするのかしら」
半分までは取り戻せているのなら、私からも香るはずなのに。
疑問を口にすると、東雲先輩が少し観察してから告げた。
「……恐らく、肝心な真名の所有権は白波小春が預かっているのでしょうね。馬鹿みたいな神力は抜けましたが異能も使おうと思えばまだ使えるのではないでしょうか」
「ああそうかよ……ったく」
鳥羽が呆れ混じりに白波さんの頭をこづく。
「良かったじゃん、鳥羽! 白波ちゃんが助かってさ」
希未が安心して笑うと、天狗は複雑そうな笑みを浮かべる。白波さんの隣に腰を下ろして座り、
「まあな……随分と心配をかけさせてくれたものだぜ」と呟いた。
白波さんの命の危険を察知してから、彼には心の休まる時はなかっただろう。全てが解決したわけではないものの、ようやくその日々が終わったのだ。
「あの……ありがとう。月之宮さん」
ベッドから起き上がった白波さんが、ほっとした笑顔になった。
「いいえ。こちらこそごめんなさい。こんなに時間がかかってしまって」
「そんなことないよ」
もっと早く助けられたら良かった。そう思いながら俯くと、下向きになっていた心に気付いた鳥羽が言った。
「いーんじゃねえの? 結果的には間に合ったんだしな」
「そういうものかしら……」
「まあ、俺らにはまだ仕事が残っているんだけどな」
そう言われ、私が意外そうに視線を上げると、彼は呆れたように喋った。
「白波にこんな細工をしかけた奴をぶっ飛ばしてやらなきゃいけねーだろ! まさか、忘れたのかよ!」
皆と目と目が合う。
そういえばそうだ。
白波さんと神名の分離をすることばかり気をとられ、暗躍していた犯人に関してはすっかり失念していた。
「おいおい……てめえら。どんだけお人よしな性格してんだ? そいつとの決着がついてねー以上、何も解決してねえも同然だぞ?」
「まあ、そうですね」
東雲先輩が肩を竦めると、鳥羽はじろりとそちらを見る。
「……センパイ、まだ色々隠してるんじゃねーか?」
「さて、どうでしょうか」
「情報の秘匿は大概にしてもらいたいもんだけどな」
はぐらかす東雲先輩の様子に、私たちは彼が白に近いグレーであると共通見解を抱いた。余りにも堂々とした態度に、鳥羽が目を細める。
「……まさか今更アンタが全ての犯人だとか云わねーよな」
「はは、まさか」
「けど、何か知ってるよな」
じりじりと距離を詰めてくる鳥羽に、東雲先輩はうんざりとした顔になる。
「もしもそうであれば、僕はもっと賢く自分の利益を考えますよ」
口ではそんなことを言っているけれど、先輩は本当の意味では私腹を肥やすような行動はできないと思う。
けれどそこを指摘してしまうのも気が引けてしまうので、私は曖昧な笑顔を返すだけに留めた。
「ところでさ、今後の日之宮奈々子と瀬川についてはどうするつもりなのさ! 私たちの八重にあんな酷いことをしておいて、お咎めなしってのはちょっとないんじゃない?」
希未が話の腰をポキッと折った。
怒った顔をしている彼女に、私はどんな顔をしたらいいか分からなくなる。
「ちょうどいいな、〆るついでにあの女の掴んでいる情報を洗いざらい吐かせるってのはどうだ? 白波のことでも何か関与しているかもしれねえし……」
「八重はどう思う?」
話題をこちらに振られ、思わず俯いた。
「……私は、みんなにそういうことはして欲しくないわ」
「何でさ?」
「陰陽師に喧嘩を売るということは、最悪、払魔の陣営を敵に回すということよ。協会のブラックリストにもしもみんなが登録されてしまえば、今までみたいに生活していくことができなくなるわ。
もしもそうなってしまったら、鳥羽と付き合っている白波さんの幸せはどうなってしまうの……?」
陰陽師から攻撃を仕掛けた場合は、たとえアヤカシに殺されたとしても本人の自己責任だ。しかし、アヤカシの側から陰陽師を襲った場合、その存在が危険視されてしまうこともあるだろう。
鳥羽や東雲先輩たちなら、追手がかかっても逃げ切れる。でも、普通の人間である白波さんを連れて明日をも知れぬ逃亡生活を送ることは彼女にとって不幸になるのではないだろうか。彼女には、愛してくれる家族がいるはずなのに……。
「……確かに、奈々子は何かを知っているかもしれない。私だってそう思う。でも、あの子は誰かに拷問されたとしても口を開くような性質をしている子じゃないのよ。
どんなにあちらが悪いことをしていたって、払魔の人間は同じ人間の味方をしてしまうものだわ」
「八重……」
私の言葉を聞いた希未は悔しそうに下を向く。
そんな中、勇気を出してこう宣言することにした。
「……それに、どちらかというと私は自分で奈々子を殴りたいの」
室内に沈黙が走った。しばらくして、鳥羽がニヤッと笑う。
「いいんじゃねえの? つまり、俺たちが襲うなら月之宮を裏切った瀬川にしろってことだな」
「そういうことになるよね?」
鳥羽と希未の不敵な顔つきに、東雲先輩が渋面を浮かべた。
「瀬川は大した情報は持っていないと思いますよ。聞きだせる限りのことは以前に一度口を割らせた後ですし、相手にする価値も残っていないのではないでしょうか」
「そんなことしていたんですか!?」
私が驚愕すると、東雲先輩はうっすらとした笑みを浮かべる。
「向こうにとっての最大の切り札は八重を自分の支配下に置くことでした。それが通用しなくなった以上、そう易々と準備も無しにこちらへの手出しができるものではありません。よほどの戦闘力が確保できなければアクションを起こすこともできないでしょう」
「あー、めんどくせえ」
鳥羽が天を仰ぎながら呟く。
「つまり、今後も表向きには日之宮と無難に学校生活を過ごすってことかよ……」
「いや、もう完全無視でいいんじゃない?」
希未が唾を吐きそうな顔をすると、ベッドの上に座っていた白波さんが悲しそうに言った。
「なんだか、私たち寄ってたかって日之宮さんを苛める計画を立てているみたい……」
ぎくり。
図星を指された全員が、彼女の言葉に気まずく無言となった。
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