悪役令嬢のままでいなさい!

顔面ヒロシ

☆274 友の怒り







 二月のカレンダーを見て、奈々子はふと思い出した。


「もうじき八重ちゃんのお誕生日ね」
 そう声を掛けられても、本来の人格である私の意志では何一つ声を出すことができない。月之宮八重の仮面がいかにも興味なさそうに視線を送った。


「……そうね」
「今年のパーティーは離れずに一緒にいましょうね。あの時みたいに妖狐に浚われることがないように厳重に警備をしくの……それがいいわ」


「そんなことをしなくても、側にいるのに」
 素直な姿勢を見せた八重に、奈々子は喉を鳴らしている猫のような満足げな表情になった。頬を緩めて何でも自分の云うことを聞く人形に抱きつく。


そして膝枕をさせながら、
「うふふ……とても楽しみ」とほくそ笑んだ。


「そういえば、奈々子は部活をしなくてもいいの?」
 放課後の誰もいなくなった教室を眺めて、八重はそんなことを問いかけた。空白の椅子、机……さしてそこに意味を見出して告げた言葉ではなかったけれど、その返事はくぐもったものだった。


「……ん……どうして?」
「どうやらこの学校の生徒は部活動に参加するのが当たり前のようだわ。奈々子も何か探してみるのもいいのではないかしら」


「それって……あたしを思いやっているつもり?」
 ふと奈々子の眼差しが空疎なものになる。
寂し気な横顔になった彼女の様子に、八重は首を傾げて見せた。


「全然。全然、楽しくなんかなかったわ。あの部活はあたしのことを軽んじていたし、アヤカシだらけの文芸部に陰陽師が入ることなんてできるわけが……」
「そうですか」


「そんなこと聞かないで。この世界にあたしの居場所なんかどこにもないんだから。こんな育ち方をしてしまったら陰陽師としてしか生きることなんてできない……」
「聞いてみただけです。あなたがそう云うのであれば、控えます」
 動揺しながらブツブツと呟いていた奈々子の髪を、八重は撫ぜようとした。そうしようとした彼女に向かって、教室の扉を乱暴に蹴り開けた少年が声を掛ける。


「……おい、月之宮。面貸せや」
 イライラしながらそう告げたのは、クラスメイトでもある鳥羽だった。


「アヤカシであるあなたが敵対する陰陽師である私に何の御用でしょう」
 慇懃無礼にそんなことを言われた鳥羽は、眉をキッとつり上げた。彼の後ろから追ってきたのは恋人である白波小春と八重の親友であった過去をもつ栗村希未だ。


「鳥羽君……っ 月之宮さんと喧嘩しちゃダメだってば!」
「あーもう、勝手に話を始めてるし!」
 首を振った希未を放置して、ずんずんと近づいてきた鳥羽は八重に向かってこう質問をした。


「お前、一体どうしたんだよ」
「質問の意図が分かりかねるわ」


「俺たちを敵にまわすようなことばかり云いやがって。東雲先輩のことが好きだったんじゃないのか」
「私は、二度とアヤカシなんか好きにならないわ。汚れたその身で話しかけないで」
 暗に肯定しながらも拒絶を示した八重の言葉に、鳥羽は戸惑いの表情を浮かべた。


「……何を云ってるんだよ」
 不審に思い、眉間を寄せた天狗。その隣に立つ白波さんは必死に話しかけてくる。


「ねえ、月之宮さん! 本当にそれでいいの!? あんなに好きだったのに、このままで……」
「……どうして信じられるというの?」
 八重が無表情でそう口にすると、白波さんが目を見開いた。


「人でもない、生き物ですらない、彼らは怨念を糧にして節理に逆らいこの世に留まり続ける異端の存在よ。そのようなモノと、本気で分かり合えると思っているの?」
 ごくりと唾を呑みこんだ白波さんは、息を吸い込んだ。


「できるよ!」
「本来なら私はあなたを守らなくてはならない。人間である白波小春は、できることなら保護しなくてはならない。
けれど、もしアヤカシに入れ込んで世に害を為そうとするのであれば、見捨てるだけでなく排除することも念頭に入れなければならないわ」


「え……」
 八重のスカートのポケットには、小刀が忍ばせてある。しかしその柄を握る前に危険を察知した鳥羽が白波さんの前に出た。


「お前、やっぱり変だ。月之宮は冗談でもこんなことを言う奴じゃねえ」
「そうだよ! こんなのまるで操られているみたい……」
 眉を潜めた鳥羽と白波さんに、私の指先は自分の長い髪を翻してみせる。


「――冗談を云ったつもりはないわ」
 心の奥底で、私は安堵する。鳥羽は私よりも強いことは明々白々だ。云う事をきかなくなったこの身体が攻撃しようとした段階で、すぐに止めてくれるだろう。
ようやく起き上がった奈々子が背伸びをする。なるべく余裕を見せて笑うと、その顔を見た希未に掴みかかられた。


「な……っ」
「アンタ、どれだけ八重を苦しめたら気が済むのよ!!」
 まるでその可能性を考えていなかった奈々子が床に押し倒されるが、それを見た八重は急いで希未を引き離す。喉元を引っかかれた奈々子が痛みに顔をしかめて言った。


「何よあんた……。これは八重ちゃんの意志よ」
「そんなわけあるはずがない! 八重はねえ、アンタなんかよりもずっとずっと優しいの! 返してっ 八重を返してよ!」


「うるっさいわねえ……嘘をついているのはお互いさまなのに、偉そうにしないで」
「…………っ」
 殴れるのなら殴ってやりたい。希未の顔にはそう書いてあった。激怒しそうになった希未を制止した白波さんが、今度は責める。


「日之宮さん、嘘をついているってどういうこと?」
 真っ直ぐな眼差しで、彼女は立っていた。


「私の友達に、何をしたの?」
 風を切った矢のような言葉に、奈々子は舌打ちをした。


「行きましょう。八重ちゃん」
「こたえてよ!」


「アンタみたいな劣等生に教える義理はないわ」
 その言葉を耳にした鳥羽のヒューズが切れる音がした。一気に無表情になった彼が、勢いよく拳を握って振りかざす。それを見た奈々子が振り返る前に、私の身体は自分の腕でそれを受け止めた。


「……どけ、月之宮」
 とことんまで頭にきている鳥羽のセリフ。その端々から怒りが滲みだしている。
 低い声でそう言われ、私は『助けて』と叫びたくなった。
 お願い、今の私を助けて……。
何でもするから、悪かったところは全部直すから。
そうやって涙を流して頼みたかったのに、操られている肉体はそのような心はおくびにも出さない。
月之宮八重は、淡く微笑んだ。
その偽りの親しみのこもった表情に一瞬、鳥羽が気をとられた間に渾身の蹴りをみぞおちに喰らわせる。いつもよりも反吐が出るくらいに重い一撃だった。


「――余計なお節介は止めてちょうだい」
 床に膝をついた天狗を見捨てて、八重は最後にこう言った。







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