悪役令嬢のままでいなさい!

顔面ヒロシ

☆269 リセットを目論む者たち







 その日はいつもよりも夢見のいい朝だった。
早めに起きて自分の髪をゆっくりブラッシングしながら、東雲先輩のことを信じてみよう、と心に決めた。
学校へ向かう1つ1つの準備を儀式のように丁寧に行いながらも、思考は昨日の出来事ばかりをなぞっている。


 先輩のことだけじゃない。自分のことももう少しだけ信じてみたい。
だって、どんなことがあったとしても自分のことを本当に決められるのは私しかいないのだと思うから。
意志を強く持てば、これから先の未来を乗り越えられる。
そう思いたかった。そう願えば、不安も悩みも溶けていき、白波さんの問題も解決できるかもしれない。
みんなで幸せになりたい。


 例え奈々子に邪魔をされても、それを吹き飛ばしてしまえるぐらいの強さを身に着けて歩きたい。
 そこまで考えたところで、松葉に話しかけられた。


「ねえ、八重さま。いい天気だし今日はボクと一緒に登校しない?」
 綺麗な笑顔でそう言われ、私は意表を突かれながら振り返った。
松葉は自分の髪をくるくる弄りながら、照れくさそうに見つめてくる。そのオリーブ色の瞳を見ていたら、たまにはそんな気まぐれに付き合うのも悪くないように思えた。


「そうね。時間もあるしそれもいいかも」
 薄く笑い返すと、彼は口端を上げて私の手を掴んだ。


「じゃあ、早く行こうよ。急がないと電車が行っちゃう」
「……それにしても、一体どんな風の吹き回し? いつもならそんなこと云わないじゃない」
 私が首を傾げても、松葉は意味深に微笑むだけだ。


「別に、なんでもないよ。……なんでも、ね」
 その口調に違和感を覚えるも、私にはその引っかかった部分が何なのか正体が分からない。式にした当初はあれだけ警戒していたというのに、すっかりぬるま湯に浸かっていた私はすっかりこのカワウソのことを信用してしまって、だからこそ彼に裏切られる可能性なんて微塵も考えていなかった。


「変な松葉」
「酷いなあ、ご主人様」
 軽口を叩きながらも私たちは小走りに家を出る。月之宮邸の門を出るまで敷地内を走って、駅までくだらない雑談をしながら歩いて行った。


「ところでさ、八重さま。音楽業界におけるにわかのファンってどう思う?」
 そんなことを話しの流れで口にされ、
「そんなこと分からないわ」と私は首を竦める。
後ろ向きに歩きながら、松葉は人差し指を下唇に当てる。こてんと首を倒して獣のようにステップを踏んだ。


「ボクとしては、そういう新しく湧いてくるキャラ付けされた人種って見ていて苛立たしいものなんだよね。やっぱり古参の身内を大切にして欲しいっていう感情はあるしさぁ……」
「そういうものなの?」


「八重さまはそういうことは考えない?」
 質問された言葉の意味を考えながら、私の目は陰りつつある太陽の光を追いかける。雲の向こうに隠れてしまったのを見届けた後に、自分の感想を述べた。


「……でも、応援しているバンドが人気になるのは嬉しいじゃない。自分の声は届きにくくなるかもしれないけど、頑張りが世間に認められるというのは感慨深いものがあるわ」
「だってさ、そういう連中に何が分かるのかって思わない? どんな気持ちでずっと一緒に居たのか知らないくせに、トンビが油揚げを浚っていくんだよ」


「……それでも……」
「そういう奴らは、結局上辺しか理解しないで愛だの恋だの言い切るんだ。ボクは、そんな風に気楽にモノを云える奴は嫌いだね」


「……今の話って、音楽のことよね?」
 なんだか先ほどから会話が噛み合っていないような気がする。私がその違和感に隣を見ると、松葉が不意に足を止めた。


「そうじゃないって云ったらどうする?」
「え……」


「ボクらはね、にわかの奴らに奪われるくらいなら――いっそ、何もかも壊してしまいたいと思うよ」
 そこまで松葉が言ったところで、少し前方の三メートルほど離れた道路に黒いリムジンが停車したのが見えた。
先ほどまでの会話が途切れる。
会うと憂鬱になる人物の筆頭である少女がその車から降りてきて、私は思わず喋っていた口を閉じた。


「おはよう、八重ちゃん」
 奈々子は意味深な笑顔で話しかけてくる。


「昨日はずるいわ。東雲様と一緒に消えてしまうなんて酷いわ。どうしてあたしから逃げるような真似をしたのよ。あれから部室にも帰ってこなかったじゃない」
「でも……」


「あたしがあの妖狐を狙っているって知っていたくせに、とんだ裏切りよ。この卑怯者」
 にこやかに詰られ、私の息が震えるのが分かった。


「……でも、奈々子は東雲先輩のことが好きじゃないでしょう?」
 何とか思ったことを口にすると、相手の眉間に深いシワが刻まれた。


「いいえ? ちゃんとそう思っているわよ?」
「パーティーの時には殺そうとしたのに?」
「……それは前世の記憶を思い出す前の話でしょう。あたしはちゃんと、殺したいぐらいにあの狐のことを愛しているわ」
 奈々子の瘴気じみたセリフに、ぞっとする。
違う。彼女はきっと嘘をついている。だって、そうでなければ昨日のあの表情はおかしい。彼のことを話している時の、嬉しそうな姿の説明がつかない。


「奈々子は、夕霧君に一目ぼれをしたのではないの?」
 私がその名を離した瞬間、奈々子の顔色が一変した。


「な……、なっ」
 しどろもどろになった彼女がきつく唇を噛む。ぎんと鋭い眼差しで睨まれ、歪んだ口元でこう問い詰められた。


「じゃあ、八重ちゃんはあの東雲のことが好きなの!?」
 ここで誤魔化しても、洞察力のある奈々子には真実が分かってしまうだろう。はぐらかしてもいい結果になるとは思えず、私はゆっくり頷いた。


「それって……これから先、あの家を出ていくってことよね?」
 奈々子は、今までに見たこともない形相をしていた。
いつの間にか目の前まで近づいていた彼女はこちらの襟元に手をかける。「許さない……そんなの、許されるものですかっ」とかんしゃくを起こしながら首を絞めようとする。


「な、奈々子……落ち着いて」
と。そこまで喘いだところで、私の持っているスマホから着信音が鳴る。どこかからメールが送られてきたらしい。
力の緩んだ奈々子の手から身を離すと、俯いた彼女は荒い息で言う。


「フン……見ればいいでしょ」
 何か財閥に関わる緊急の用事だとマズい。
そう反射的に思いながら取り出して画面を見ると、その通知には宛名が書かれていなかった。訝しく思ったその時。


 半自動的に添付されていた画像が開かれる。
ぐにゃぐにゃとした、墨で書かれたのたくったような記号が描かれた画面が視界に飛び込み、私が不思議に思うと――烈しい頭痛や吐き気と共に、世界が反転する感覚に襲われた。
シャラン、シャランと頭の中で鈴の音が鳴る。
これって……っ


「し、ののめ……先……」


 嫌だ。
こんなのは、嫌だ。
心の中で悲鳴を上げた。


「あなたがそのルートを行くのなら……全てをリセットをしてあげる」
 脂汗を流しながら苦悶し、崩れ落ちた月之宮八重に向かって、勝ち誇った笑みの奈々子は囁く。


「これで終わり?」
 松葉の問いに、奈々子は嗤った。


「そう。これで全てお終いよ」
 こんな茶番は、粉々になればいい。
元から月之宮の人間とアヤカシの恋が成就するなどあってはならないことなのだから。







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