悪役令嬢のままでいなさい!
☆267 新たな入部希望者
よほど頭にきているのだろうか。お昼休みを終えて教室に戻ってみると、奈々子の様子がおかしかった。
「八重ちゃん、聞きたいことがあるのだけど」
そう前置きをされ、私は何か理不尽な嫌味でもぶつけられるのではないかと身構える。東雲先輩を自分に寄越せとか、もうアヤカシと関わり合いになるなとか……そんな可能性を考えていると、息せき切って尋ねられたのは予想だにしないことだった。
「この学校の同じ学年にいる夕霧様という男子生徒について何か知っていることはないかしら!?」
「……うん?」
なんで彼女の口から陛下の苗字が出てくるのだろう。
想定外のことを言われた私が硬直していると、奈々子は指先をもじもじさせながらこちらを見た。
「べべ別に、あの男に興味があるわけではないのよ? た、ただ……その、1つ借りができたというか、なんというか……。こっ、恋人とかいたりするの?」
「別にいなかったはずだけど」
そのことが一体彼女にとってどんな意味を持つというのか、さっぱり分からなかった。首を傾げている私に対し、奈々子はほんのりと頬を赤くする。
「そ、そう。恋人はいないのね、そうなのね……」
「それがどうしたの?」
怪訝そうに訊ねると、彼女は顔をぐっと近づける。
「いいかしら、いくら八重ちゃんでも抜け駆けをしましたらタダでは済ましませんわよ。それで、クラスと家柄は? 所属している部活は?」
「クラスはA組で家は一般家庭だけど……部活は……」
なんだかとても教え辛い。
はっきり云って魔王陛下はこの学校では色物扱いの生徒なのである。奈々子といい勝負の浮き方をしているのだ。しかしながら、ここでガセ情報を掴ませると後が怖かった。
私はしばらく言いよどみながらも「文芸部ということになっているオカルト研究会で部長をやっているわ。私も一応ここに入っているの」と目を逸らしながら呟いた。
「オカルト研究会……」
奈々子がぽつりと唇を動かす。そこに続いた沈黙が居た堪れなくなり、私は冷や汗が自分から噴き出てくるのを知覚した。
「……それなら、あたしとも話しが合うかもしれないわ。ボンクラ八重ちゃんでもたまには役に立つことがあるじゃない?」
「へ?」
「決まりね。放課後になったらあたしをそのオカルト研究会に案内なさい。あなたが入れてあたしが入れない道理はないでしょう?」
目を輝かせた奈々子の圧力に、私は顔を引きつらせた。
どんな風の吹き回しなのかは知らないが、変なことに興味を持たせてしまった気がする。
「でも、みんなにも聞いてみないと……」
「はあ?」
奈々子のドスのきいた声に首を竦める。
「うう、だって……」
……だって、あの部活には東雲先輩も入っているのだ。
これがきっかけで奈々子に急接近でもされたら、私は心底立ち直れなくなってしまう。そのことをぐるぐると考えていると、彼女はにっと唇をつり上げて頬杖をついた。
「まあ、八重ちゃんがいなくても自分で部室は見つけてみせるけどぉ?」
こんなところで行動力を発揮しないでほしい。
鼻歌をうたいながら奈々子は機嫌よく窓の外を眺めている。嫌な予感がした私は、せめてもの抵抗で彼女に言った。
「あの、くれぐれも夕霧君の前では陰陽師のことは内緒に……」
「……分かってるわよ、そんなこと」
吐き捨てられるような返事に、こちらは浅く息をついた。
自力でたどり着いてみせると宣言した通り、奈々子がオカ研の活動場所をつきとめるまでにさして時間はかからなかった。
陛下がパイプ椅子から立ち上がって、隣に立つ転校生の方を手で指し示す。
「――ああ、みんな。新しい仲間が入部したから紹介しよう」
黙っていれば実に無害そうな笑顔を浮かべた奈々子が、みどりのロングヘアを振り払う。
「日之宮奈々子よ」
簡潔にそれだけを言った彼女の挨拶に、この空間が嫌な静寂に包まれた。東雲先輩がいない部室で、鳥羽の唸り声が響く。
「なんでコイツがここにいるんだよ……っ」
それに対し夕霧君はのんびりと語る。
「なんでと云われても、入部希望者だとさっき云ったろう。どうやら日之宮さんは心霊に非常に関心を持っているらしくてな。オレもこんなことを云ってくれた女の子は初めてだから、正直とても嬉しく思っている」
「ええ、趣味は心霊スポット巡りなの」
いやいや、可愛らしく言っているけど奈々子の場合はアヤカシ退治の仕事場を廻っているだけでしょうに。
すごくそこを突っ込みたくなったものの、ぐっと堪えて曖昧な顔を浮かべるだけに止めた。
「あ、あの……。お茶、どうぞ」
眠っているライオンの尻尾を踏むことに躊躇した白波さんは、お茶くみ仕事を続行することに決めたらしい。
差し出された緑茶を一口飲んだ奈々子が顔をしかめた。
「なあに、このまっずいお茶! 一体どこの茶葉を使えばこんなのが淹れられるのよ、信じられない!」
「文句があるなら飲むな!」
イライラした鳥羽の言葉に、奈々子が渋面を浮かべる。
そこに、呑気な陛下の声が聞こえた。
「それほどマズいか? オレには普通に美味いと思うんだが……」
「……そ、そうね! あたしの舌が豊かすぎるんだわ! このお茶もよくよく味わえば美味しいわねぇ、夕霧様!」
夕霧君が言葉を発した後の奈々子の露骨な宗旨替えに、みんなが唖然とする。
一体どうしたというのだろう。こんな風に容易く自分の意見を曲げるような人間だったろうか。
希未がひそひそと囁いた。
「……ねえ、なんだかアイツ、様子がおかしくない? やたら陛下につきまとってゴマを擦っているように見えるんだけど……」
「そうですね」
奈々子と夕霧君が会話している光景を見ながら白波さんは困惑していた。
それに、一番大騒ぎしそうな松葉が大人しい。奈々子のことは嫌いだと過去に明言されていたのに、一人で黙ってスマホを弄っている。
「ねえ、松葉。あなたは奈々子の入部に反対したりしないの?」
そう訊ねてみると、視線を上げた松葉は微妙そうな表情になる。興味のなさそうな小さな声で呟かれた。
「まあ、いーんじゃないの……」
「本当にそう思ってる?」
「ああいう手合いは放置しとくのが一番だよ、八重さま。反対したところで面倒が増えるだけじゃない」
大人の意見が松葉から出たことに驚きを隠せずにいると、隣に座っていた八手先輩が無表情で言った。
「……オレは、正直日之宮と一度でもいいから戦ってみたい」
「それは諦めてください」
私がぴしゃりと告げると、八手先輩は少し残念そうな顔になる。
ここはオカルト研究会といってもそういう活動をする部活ではない。奈々子と鬼が戦ったら互いに手加減を忘れそうだし、そういうリスキーなことはするのは避けるべきだ。
だけど、奈々子の方が何を考えているか分かったものではない。今の八手先輩の発言が聞かれていないか怖々そちらを窺ってみたものの、彼女は実に生き生きと夕霧君と話している。
「アイツも何をやってるんだか……」
奈々子の方を見て、松葉が呆れたように言った。
そこに、部室のドアがバタリと開く。白金髪の髪。色白の肌に高い身長は少しかがんでいた。疲れた風情でやって来た東雲先輩と奈々子の目が一瞬だけ合う。
「……どうしてこの女がこの学校にいるんだ」
東雲先輩の表情が一気に険しいものとなるが、奈々子は引くつもりがない。
「正々堂々転校してきたのよ」
「よくものこのこと僕の前に顔を見せられたものだ」
東雲先輩の言葉の端々から感じられる怒りに、私の顔色がなくなりかける。妖狐は激しく奈々子を睨みつけているのに、あちらの方といえばそれを意に介す様子がない。
「……八重、こちらに来なさい。話がある」
不安に思っている私の手を引き、風を切った東雲先輩が部室から連れ出そうとした。
それに奈々子の表情が変わる。
「……ちょっと!」
彼女の制止の声を残して、部室の扉が勢いよく閉まった。
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