悪役令嬢のままでいなさい!

顔面ヒロシ

★間章――夕霧昴







 月之宮八重が友人と学食へ向かった頃、教室に一人残された日之宮奈々子は静かなる憤りを感じていた。
話しには聞いていたところだが、月之宮八重の周りにはアヤカシが多いことを改めて実感し、そのポジションを奪おうとするのは簡単にはいかないことを思い知らされる。


 あの鳥羽とかいう天狗も浅い考えで白波小春に術をかけたのは奈々子だと思っていたようだが、その点からいっても不快な思いをさせられた。


あくまでも奈々子が関心を抱いているのは月之宮八重と東雲椿の二名だけであり、アヤカシ全般に蔑視を抱いているのは昔と変わることがない。


むしろ、大妖が幾人も過ごしているこの学校の酸素は閉塞感のある妖気を含んでおり、陰陽師として修行してきた奈々子にとっては過ごしにくさを感じている。
同じ陰陽師でも月之宮八重は普通の人間ではないから何も感じずに過ごしているのだろう。その点は本当に恵まれているようで、気の毒な娘だった。


 何故あのような存在が同い年に生まれてしまったのだろう。
知らなければ求めることもなかったのに。彼女が人間になりたいと心の奥底で渇望しながらも、アヤカシに惹かれることもなかっただろう。
 そのこと自体が不幸だった。


潜在能力は高いのに、半神である為に戦闘以外の術が使えなかったあの娘。
平凡な霊能力者として生まれながら、周囲の要求を満たす為に血のにじむような努力で強さを手に入れた自分。
今から思えば、その2人が出会ったことが不幸の始まりだった。


(あたしの何が悪いことをしているというの)


 己は何も悪事など働いていない。
だから、あたしは悪いことなんて何も犯してはいない。
親の決めた婚約者にも、一度も不平不満を零したことはない。彼女は模範的な陰陽師として生まれ、歳をとり、子どもを産んで死んでいく。
そのはずだった。
……この瞬間までは。


「これは、聞くしに勝る混雑ね」
 購買に昼食を買いに来た奈々子は、思わず独り言を洩らした。
限られたパンを奪い合うように買っている生徒の群れに、少々ドン引きのような心境となるが気付いた時には既に手遅れだった。
一度は購買というものを経験してみるかと思ったものの、この人ごみでは弁当を持ってきた方が良かったかもしれない。
だが、一人で教室で食べる弁当というのはひどく退屈なものだ。
その無為な時間を知っていた奈々子は、このイベントに参加してみようと思った自分の気まぐれを呪いながらもいつの間にか笑っていた。


「どきなさい! このあたしが買いに来てやったのよっ!」
 そう叫んでみても、誰も道を譲ろうとしない。
おかしい。百合ヶ峰の女子高では誰もがこのあたしに傅いて欲しい物を捧げてきたというのに、この学校の生徒たちはこちらに見向きもしない。
次第に、苛立ちが生まれて奈々子は叫んだ。


「どきなさい! どきなさいってば……あっ」
 道を塞いでいた奈々子を、誰かが思い切り突き飛ばす。転倒した彼女が膝の痛みにうらめしく思っても、生徒の群れは目の前を通り過ぎていくだけ。
 どうして。
どうして財閥の令嬢である自分が、こんな思いをしなければならないのか。


そうだ。そもそも、八重ちゃんが悪い。
あたしがこんな学校に転校しなくてはならなくなったのも、八重ちゃんのせいだ。幽司様がちっとも優しくしてくれないのも、あの子のせいだ。
実の親が見向きもしてくれないのも、陰陽師でなければ居場所がないのも、全て、全て、悪いのは誰だ。
 ――――本当に、悪いのは?


 そんな思考がよぎり、歯を食いしばって痛みを堪えた。
誰もあたしなんか見やしない。どんなに頑張っても、本当に好いてほしい人はあたしのことを好きになってくれない。


「……君、そんなところで何をしている」
 怪訝そうに声を掛けられ、へたり込んでいた奈々子はばっと顔を上げた。
そこに居たのは、冷たい婚約者でも、憎いくらいに感じている月之宮八重でもなくて、ごく普通の平凡そうな身なりをした銀縁メガネの男子だった。
その黒髪がぼさぼさなのが滑稽で、奈々子は印象深く思う。


「良かったら、これを食べるといい」
 その男子から押し付けるように渡されたパンの袋に、彼女は面食らった。そのまま、どもるように強気に叫んでしまう。


「なっ、なななな、なんであたしが庶民に哀れまれなきゃならないのよ!」
「別に哀れんでいるわけではない。苦労していそうだと思っただけだ」
 しみじみと言われたそのセリフに、日之宮奈々子は心拍数が急に上がったのを感じた。よくよく見れば平凡そうな彼の横顔は好みの範疇で、しかも男の方に優しくされたことなんて初めてだったものだから、一気に心のどこかが打ち抜かれそうになった。


「……確かにあたし、苦労しているわ」
 そうだ。
誰でもいいから、そう言って欲しかったんだ。
じわりと滲んだ感情に戸惑っていると、その猫のような男子は口端をつり上げる。


「今日は買いすぎてしまっただけだ」
 その一言を残し、いなくなろうとした彼に訊ねた。


「あな……、あなた、名前は!?」
「……夕霧」
 二年の、夕霧昴。
そう告げた彼の後ろ姿をぽうっと眺めながら、赤面した奈々子は手に持ったコロッケパンを握りしめた。


 親の決めた婚約者にも、一度も不平不満を零したことはない。あたしは模範的な陰陽師として生まれ、歳をとり、子どもを産んで死んでいく。
そのはずだった。


……その、はずだったのに。







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