悪役令嬢のままでいなさい!

顔面ヒロシ

☆247 インプリンティングの誤解







 食事を終えた雪女は、遠野さんを真ん中にした雪男と三人で手を繋いで滞在している場所に帰って行った。
旋風のような女アヤカシが去って行ったことにようやく安堵して、東雲先輩と希未と八手先輩の四人で帰宅の途に就こうとする。だが、そうしようとしたところで汚名返上を試みたのか希未が余計な気を利かせて八手先輩を連れていなくなってしまった。
そうなると、必然的に私と東雲先輩の2人きり。
な、なんて気まずい時間だろう。


「「……あの」」
 2人の声が重なって、互いに目で会話をする。
 話してもいいですか?
 どうぞどうぞ。
 では……。えっと。


冬になったこの世界の空の色はもうとっくに陰っていて、太陽なんてどこにも見えない。それでも、私は懸命に答えを探すように思案しながら口を開いた。


「アヤカシとの間に子どもができにくいって話……どうして今までしてくれなかったんですか」
「それは……」
 デリケートな問題だということは分かってる。なのに、少しだけ悲しいと思っている私がいる。そんな大事なことを打ち明けてもらえないだなんて、信じてもらえていないみたいで。
……そっか。
私たち、互いに互いのことを信じることができずにいたんだ。


「ハッキリ云えば、云い損ねていました」
「私は教えて欲しかったです……だって」
 私たち、もう婚約しているようなものなのに。
そう告げると、東雲先輩はうろたえる。顔を赤くして、俯いてしまう。
……先輩の口から聞きたかった。こういう大事なことは、直接教えて欲しかった。こんな風に、誰かの舌から出された言葉じゃなくって……そんな色々な心の声が頭に浮かんで消えていく。


「何故かって……どんな顔をして教えればいいというんです。そもそも、そこまでの段階に達していないでしょう。僕らは」
 先輩が何を言いたいのか分かって、私は頭がぼっと熱くなる。
段階……、段階って、つまり。
私が東雲先輩とそういうことをしていないっていう……。


「ち、違うんです! そんなことを云いたかったわけでは!」
 私が叫ぶと、東雲先輩も真っ赤になって叫んだ。


「分かってますよ! それぐらい!」
「で、ででででも嫌ってわけじゃなくって! でもでも、心の準備がまだできていないっていうか……っ」


「僕がどれだけ我慢しているか分かってるんですか!? そんな風に煽られたら家に帰せなくなってしまうかもしれないんですよ!?」
「あうううううううう……」
 お手上げ状態になった私に、東雲先輩は舌打ちをする。……先輩、態度悪いです。
本当にこのまま家に帰ってしまっていいんだろうか。
かなり悪い子になって外泊とかした方がいいんじゃないでしょうか。
エロスな葛藤が沸騰した身体から駄々洩れになりそうになっている時、鞄に入っていたスマホから着信音が流れる。


「ひゃい!?」
 慌てて電話をとると、そこに表示されていたのは『自宅』の文字。恐る恐る耳に当てる。


「な、なんでしょうか?」
『あ、八重ちゃん? ちょっと今夜のお夕飯をどうしようか相談しようと思って。もうすぐ帰ってくるでしょ?』
「は、はははい! 勿論!」
 今夜は帰さないみたいなことを言われかけた気がするけれど、反射的に口がそう答えていた。


『トンカツと生姜焼きのどっちがいいかしら?』
「………………生姜焼きで」


『分かったわ~、じゃあ、また後でねえ』
 ピ、と鳴った電話を前に、時間が急に停止したような気分になる。恐る恐る東雲先輩の方を見やると、彼は心底鬱になったような表情をしていた。


「あなたの母君は本当に間が悪いというかなんというか……」
「ま、まあ時間も時間ですし……」
 普通の高校生にありがちなお金の問題はないにせよ、そろそろ時間も七時になりそうである。この流れだと、残り時間的にホテルに寄ることはできない。
止まっていた足が動き出す。
一歩、また一歩と先へ歩く。
私の手に、東雲先輩の指が触れた。
重なった手のひら。2人で歩きながら繋いだ。
言葉にせずとも、どこか通じ合っているような錯覚がして、でも不思議とその沈黙が心地よくて。
なんだか、このままずっと一緒に手を繋いで歩いていられたらいいのにと思う。


「真っ赤ですよ、八重」
 東雲先輩はくすりと笑う。


「……耳まで、赤い」
 うるさいですよ、先輩。
そんなこと、とっくに分かっているのだから。指摘しなくたっていいのに。
橋の上を歩くと、いつもは濁っている川の水が不意に澄んでいた。舞い上がった風がうなじを擦って通り抜ける。
寒い12月だというのに、噤んだ唇は熱を持っていた。口づけなどしていないはずなのに、熱く、熱く感じた。






 東雲先輩に送られて自宅に帰って来た私に、母はにこやかに言った。
「あらあら、邪魔しちゃったかしら?」
「……別に」
 ふい、と視線を逸らすと、咲耶さんは微笑ましそうに口角を上げる。手馴れた手つきで豚肉を焼いているフライパンからジュワジュワと音がしている。母の後ろ姿を眺めながら温かい麦茶の入ったマグカップを持っていると、誰かが階段を下りてくる気配がする。
振り返らなくても、その持ち主が分かった。


「松葉?」
「……八重さま」
 ぶきっちょな笑顔が返ってくる。
笑おうとして笑えていない、何かを隠すような表情。


「今日、誰と一緒にいたの?」
「誰って……」
 どうしてだろう、気軽に答えにくい雰囲気だ。暗いオリーブグリーンの瞳が陰りながらこちらに据えられる。七分に咲いた桜の影で散る花のような、大輪の花火の後の物悲しい夜空のような、溶けてしまった氷の名残を思わせるような、そんな空気。


「東雲君と一緒にいたのよね?」
 そんな空気を読まない母の言葉に、松葉が息を呑む。


「……それが、どうかして?」
 開き直った私は、堂々とそんなことを告げる。――人間の真の賢さというのは、学校の勉強だけでは計り知れないところがあると常々思っているのだけれど、それが今の状況で何を示すのかといえば、私は利口なだけの大馬鹿ものだということだった。
松葉の主だというのに、彼の心を何も推し量ることができていなくて、向けられる好意の意味を考えないことがどれだけ相手を傷つけてしまうことなのか分かっていない。


 いいや、私は、むしろこう考えていたのだ。
松葉の示す好意は、男女の間にあるものではなく、生まれたばかりのヒナ鳥に刷り込まれた感情に近いものなのだと。インプリンティングのようなものなのだと。
恋愛ではなく、根底にあるのは親愛なのだと量り違いをしていたのだ。
それが当たっているのかどうか、まだ答えは誰も知らない。


「違うよね? 八重さま……。違うって云ってよ」
 松葉がくしゃりと顔を歪めて呟く。


「……どうして?」
 だから、私は意味が分からない。
どうして松葉が傷ついたような顔をしているのか、その訳を理解しきれない。


「当ててみてよ。……もしもこのまま東雲と付き合おうとしているのなら、式のボクの気持ちぐらい当ててみせてよ」
 子どものようにそんなことを言った松葉に、鈍感な私はしばらく考えて、


「ねえ、松葉? もしかしたらあなたは、再婚する母親の結婚相手のように東雲先輩を感じているんじゃないかしら?
東雲先輩は、そこまで悪い人じゃないのよ? 知っていると思うけど……」
相手は怪訝な顔つきになる。悪い冗談を聞いた人のようだ。


「母親? 誰が?」
「……私のことだけど?」
 この答を聞いて、松葉はいっそ眩暈を覚えたようだった。


「違うよ、何もかも伝わってなさすぎだよ……」
「そうなの?」


「ねえ、八重さま。東雲のとこになんかいかないでよ。ボクと一緒にずっとこの家にいて、死ぬまで2人きりでいいじゃないか」
「……そうね」
 そうか。松葉は、不安に思っているのだ。
新しく家族が増えるというのは、何らかのストレスを与えられてもおかしくのないことだろう。その言葉を完全に否定するのは可哀想だ。


「それはそれで楽しかったかもね」
 私の吐いたセリフに、松葉は何も言わなかった。







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