悪役令嬢のままでいなさい!
☆235 木枯らしと悔恨
冷たい木枯らしに、かかっていた雲から太陽の日が差し込む。中庭に置かれた寒そうなベンチに座っているのは、斜めに切られた赤髪で視界を隠した大柄な男子だ。
「……八手先輩?」
私がそっと声を掛けると、寡黙にしていた彼は視線を動かす。
その感情の見えない眼差しに、私は隣の空いた席に腰を下ろした。東雲先輩以外のメンバーは病室に置いてきた。ここにいるのは三人だけだ。
「日向ぼっこをするには風が冷たいですよ。お身体に障るのではないですか?」
私の言葉に、八手先輩は返答した。
「……支障ない」
「そうですか」
このようなところにいて、何が楽しいのか。それとも、考えるようなことがあるのか。他の患者さんと楽しくやろうというつもりはないらしい。
「何か喋ることはないのですか? こちらの貴重な時間をお前の為に割いてやっているのですよ」
東雲先輩が冷たく突き放す。「な……、そんな言い方をしなくても!」と私が仰天すると、妖狐は妖艶に微笑した。
「このまま互いに黙っていても埒があきません。僕は元々は気長なタチではないもので、云いたいことがあるのかないのかハッキリしてもらいたい」
「それはそうかもしれないですけど……」
あれ?
入院患者さんへのお見舞いってこんな態度でするものだったっけ?
なんだか想像とちょっと違うんだけど……。
冷や汗を浮かべながらチラリと八手先輩の方を見ると、鬼は深々と私に向かって頭を下げていた。
ぎょっとする。まさかの事態だ。
「ああああ、あの! 八手先輩!? どうしてそんなことを……っ」
「……すまないことをした」
「はい?」
動揺しているところに、低い、低い声でそんなことを呟かれた。
テノールよりも下の、深みのあるバス。ほのかに匂いたつような色香も今は悲哀ばかりがこもっている。
「……オレは自分勝手に鳥羽に負けた。白波を守るという月之宮の命を果たすこともできず、その挙句がこのザマだ……」
「でも、先輩は!」
その身を挺して頑張ってくれたのに。
「お前は! 死ぬかもしれなかった!」
八手先輩の怒号に、反論しようとした言葉が全て吹き飛ばされる。彼が何に怒っているかっていうと、それは自分に対してのものだ。
真っ先に敵の攻撃に沈んで、足手まといになったかもしれなかったことを悔いているのだ。私には、その悔恨がひしひしと伝わってきた。
「先輩は……戦うことができなくなって悔しかったの?」
「違う。……違わないが、そうではない。オレは、オレ達は、お前が死にそうになったことがとても……とても……」
彼の昂る感情がなかなか言語化できていない。
ゆっくりとそのセリフの続きを待った。こんな風に自暴自棄になっている八手先輩を見るのは初めてで、いつもはもっと整然としている気性のアヤカシなものだから不思議な気持ちになった。
なんだか聞いている私までもが、胸が苦しくなった。
「……お前と白波が生死を彷徨ったと聞いた時のオレの心情が分かるか、月之宮」
「……それは……」
漠然としたものは分かったけれど、何故か相手の気迫に俯いてしまう。烈火の炎のような激しさだ。どうしてだろう、私は言葉足らずの赤子に戻ってしまったようで、すごく……。すごく……。
「すごく、……怖かった?」
私は正解に近いものを引き当てたらしい。八手先輩は口端をぐしゃりと歪めて小刻みに震えた。カタカタと、わなわなと怒っている。
「……そんなもんじゃない」
しばし、彼は押し黙る。その様子にため息をついた東雲先輩が、腕を組んで補足に入った。助け船が出される。
「八重。君は、アヤカシの執着をどんなものだと思うかい?」
「アヤカシの……」
執着?
私が真顔に戻ると、東雲先輩は優美に口端を上げた。
「アヤカシはね、その生を受けた時に最初から呪われているようなものなんだ。死というものの恐ろしさを経て、怨念ばかりが渦を巻いている」
「……はい」
「だからね、そんな自分が欲しいものを見つけてしまうと、どうしてもそれに心理的に依存してしまう。不器用に壊したり、逆に大事にしすぎて歪んだり。誰かに愛し愛されるなんて大抵は夢のまた夢の話なんだよ」
東雲先輩は、深海のような瞳の色を濃くした。
自嘲するように、懐かしむように。八手先輩もその言葉を否定しない。
「だけどね、君たちは余りにも普通に僕らに親愛をくれるから。諦めていたものを、贈ってくれるものだから」
「でも……」
私だって、最初の頃はアヤカシから遠ざかることばかり考えていた。分かっていないのに嫌悪して、嫌がってばかりだった。
無条件な愛をくれたのは白波さんだ。私を今の私に育んで成長させてくれたのは、彼女だ。それに比べたら、私なんか何もしていないに等しい。
それなのに、涙が溢れそうになってしまった。目の前のあなた達を愛しいと思った。大事にしたいと思った。
八手先輩が言った。
「……世界が終わったと思ったんだ。比喩ではなく、本当にこの世のあらゆる光が消えてしまったように感じた」
ねえ、鳥羽。
事件を起こしたあなたもそんな風に感じていたのだろうか。白波さんが死にそうになった時、行燈さんが消えてしまうことを悟った時、そのように想って。
バラバラに砕けてしまいそうな気持ちに耐えきれなくて。
「笑って……笑ってください」
泣きそうになりながら、私は切々と訴える。
「私は生きています。八手先輩があの時守ってくれたから、今もこの世にいます。アヤカシの先輩よりは早くに死んでしまうかもしれないけれど、それでもここにいます」
彼の手のひらに触れると、凍えてしまいそうなほどに冷たい。それが現在の八手先輩の心の温度を示しているようで、ひどく切ない。
「私は、八手先輩の笑顔が好きです。恋人になりたいとか、そういうのとは違うけど、笑った顔に親しみを持っています」
驚いたように、八手先輩がこちらを見た。その瞠目した眼差しに、私は黙り込んでしまう。どうしたらいつも通りの先輩に戻ってくれるのか分からないけれど、
「1人で責任を抱え込まないでください……っ」
「……月之宮」
ぼうっとしている八手先輩の手と重なった私の手を、咳払いをした東雲先輩が不機嫌に払いのけた。
舌打ち。苛立ったような口調で、東雲先輩は告げる。
「今回の件は、お前には非はありませんよ。八手」
仏頂面で、それでも言葉を紡いでくれる。
「だから……その。八重のことは渡すつもりはありませんが、気落ちするのもその辺にしておきなさい。いつも通りのお前を待っている人間もこの世にはいるようです」
「………………そうか」
ゆるりと息を吐き出して、八手先輩は困ったように視線を動かした。そして、ほんの少しだけの淡い苦笑を浮かべたのだった。
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