悪役令嬢のままでいなさい!

顔面ヒロシ

☆219 忘れてしまう子







 朝になるまで、私にできることは何もなかった。
頼りになる東雲先輩も薄情な奈々子もいない。現時点で陰陽師を抱えている日之宮に断られた現状、私に動かせる戦力は皆無になった。


こうしている間にも、白波さんが殺されてしまうかもしれない。
優しい彼女が食べられてしまうかもしれない。
無力感に打ちひしがれ、自分の病室で恐怖に震えていた私に声を掛けたのは、我が家の執事長だった。


「……お嬢様、月之宮家に面会希望者がいらしたようなのですが」
「……一体誰?」
 泣き腫らした目を向けると、執事長はゆっくり告げる。


「白波小春様の、ご両親でございます」
「……え?」
 白波さんのお父さんとお母さん……?
心にひやりとしたものを感じる。顔を強張らせた私に、彼は憂い気な眼差しでこう語った。


「自分の家の娘が一晩たっても帰って来ないとお二方が大層心配されておりまして……、秘密裏にここへ運び込んだ柳原教諭や八手様も行方不明扱いになっておりますから、学校や警察関係者も連続失踪事件として騒ぎになっております。
小春様のお友達として、お嬢様は何か知っていることはないかと……」


 そんな大騒ぎになっているのか。
外界での出来事を語られた私は、泣き疲れた後のぼんやりとした気持ちで返答をした。


「そう……、そうよね。ご両親が心配されるのは当然のことだわ」
「お断りしておきますか?」
「……いいえ。ここで会わないのは逆に不自然よ」


 むしろ、本来友人だったら白波さんのご両親に捜索の協力を申し出るはずだ。昨日の夕方に彼女と一緒に行動していたことは警察の捜査ですぐアシがつく。そうであるならば、率先して協力的な態度をみせておいた方がいい。
今回のことは、少なからず月之宮の責任問題になる。そうなる前に、隠ぺい処理を行う必要が出てくるかもしれない。


 そこまで考えたところで、私は白波さんが死んだ後のことを無意識に想定している自分に気が付いて恐ろしくなった。
陰陽道の月之宮を存続させる為に、彼女を保身で切り捨てようとしていた。


 自分は……、今、一体何を……。
吐き気と共に血の気が引いた私に、執事長が慌てて駆け寄ってくる。「お嬢様!」そう耳元で叫ばれて、ぐらりと貧血を起こす寸前で踏みとどまった。


「大丈夫……だから……」
「しかし、お顔が真っ青ですぞ」


「いいから! ほっといてちょうだい!」
 八つ当たりにも程がある。
私がかんしゃくで怒鳴ると、身体を支えてくれていた執事長が申し訳なさそうな顔になった。


「お嬢様……」
「日が昇ったら白波さんのご両親にお会いするわ。彼女の家にこちらから行かせてもらえるように手筈を整えておきなさい」


「……承知仕りました」


 ――偉そうな自分。
 弱い自分。
 無力な自分。
大嫌いな部分ばかりが見つかって、心の隙間がどんどん広がっていく。
虚無のブラックホールが侵食していく。
 死にたい。
このまま何もできないのなら、この先を全て断ち切ってしまいたくなって、到底そんな勇気が出ないことに虚ろな心境となる。


 私がかつて天狗に恋をしていた頃の無垢な感情や、好きだと思っていたキラキラした記憶の全てが、痛覚のある恨みに変じていた。好きだったからこそ、憎かった。
白波さんのいない朝は、凍えてしまいそうなほどに寒くて――心底、私を裏切ったあの天狗を殺してやりたいと思った。
1人じゃ何もできない私は、この世界を呪っていた。






 雨の中、その家は、緑に包まれて建っていた。
 昼間に来るのは私も初めてだ。
お世辞にも綺麗とはいえない貸家。記憶にあるよりも溢れるほどに蔓延った植物のジャングルのようになった狭い庭に言葉を失くす。
一言で云えば、異常。
二言目には、怪奇。
三言目には、懐疑。ここが住宅街のありふれた貸家であることを疑った。
その中でも一番多いのは大きく育ったイチゴの苗。数えきれないプランターに植わっていた。


 私は、その生み出された植物たちがフラグメントの異能で生み出されたものだということを察した。


「あれほど無理はしないでって云っていたのに……」
「……どうしましたか? お嬢様」
 顔を険しくした私は、黙って首を振る。
私の隣にいた執事長は、インターホンを押しながら訝し気にしている。小さくベルの音が響いて、待ちわびたように玄関のドアが開いた。


「月之宮さん……っ」
 泣きそうな顔で立っていた女性が、未来の白波さんの姿に見えた。
白髪の混じった髪はカラメル色をしており、その卵型の丸顔も大きく不安そうな瞳も、娘さんにそっくりだ。
その後ろで悲しそうにしている男性は、恐らく白波さんのお父さんだろう。確か三人家族だったはずだ。


「ごめんなさい、お宅にお邪魔してしまって」
 全身の切り傷を隠す為、長袖にタイツで来訪した私に、彼らは心細そうにしている。こんな風に帰って来ないのは初めてなのだろう。こちらの抱えている不安も見透かされている思いだ。


「どうぞ、上がってください」
「はい」
 靴を脱いで、私たちは白波家に上がった。
鳥羽の居場所も知れぬ今、私にできることはこんなことしかないらしい。






 出てきた紅茶は、白波さんが淹れてくれた時の味がした。
彼女はお母さんに淹れ方を教わったのか。
それが胸に詰まって、今はひどく悲しい。
 それを飲みながら、昨日は現地解散した後は娘さんに会っていないこと。こちらも警察関係者と一緒に白波さんの行き先を探していること。すごく心配でたまらないことを私ではなく執事長がサラサラと述べた。
リビングの椅子に座りながら立て板に水が流れるように嘘をつく彼の言葉に、白波さんのお父さんが深々とため息をついた。「ありがとうございます」と返事をされる。


「……まったくどこに消えてしまったのか……。うちの娘は、学校ではちゃんとやれていましたか」
「……はい」
 頷くも、なんと返答したらいいのかすごく困る。すると、こちらの心境を察した白波さんのお父さんが苦笑した。


「ああ、成績のことならこちらも分かっています。あの子は昔から、色んなことをすぐ忘れてしまう子でしたから」
「あなた……」


「月之宮さんは、警察と繋がりがあるというのは本当でしょうか。
一晩いなくなったぐらいで、と思われるかもしれませんが……本当にあの子は外泊とかそういうことをするような娘ではないんです。他の生徒さんもいなくなっているようだし、何か事件に巻き込まれているのではないかと……」
「何か心当たりなどはございませんか? 娘さんが浚われてしまいそうな事情などは……」
 月之宮の執事長に問いかけられると、深刻に語っていた白波さんのお父さんの顔色が一変した。ご夫婦で青くなっている。
 何か隠し事でもあるのか。
思わぬ手がかりに私は問い詰める。


「なにか……っ なにか知っているんですか!」
「いや、しかし。このことは外部には漏れていないはずで……」


「手がかりになりそうなことなら、教えてください! 今はどんな些細なことでもいいんです!」
 それを聞ければ、白波さんが神子になった原因が分かるかもしれない。
息せき切った私が問い詰めようとすると、白波さんのお母さんが決意を固めた表情になった。


「あなた、ちゃんと云いましょう。小春に何をさせてしまったのか、本当のことを云うべきです」
「しかし、あのことは約束で誰にも云わないと……」


「娘が事件に巻き込まれたのかもしれないんですよ! 少しでも協力しようとは思わないんですか!」
 厳しく言った妻に、旦那さんは俯いてしまう。微かに彼の手が震えているのが見えて、私は黙りこくった。


「月之宮さん……」
 白波さんのお父さんは、自分を責める声で言った。


「これから喋ることは、口外無論でお願いできますでしょうか」
 それは、まるで大切な明かりを見失った旅人のように。






 彼女の父親は語る。
「――うちの小春が、なんと言い表していいものか分かりませんが周りの子どもから漠然とした遅れをとっていることに気付いたのは、幼稚園に預けていた頃でした。


言葉を喋るところまではみんなと同じようにできたのですが、折り紙を作るのも、靴紐を結ぶのも、平仮名を書けるようになるのもずっと遅かったんです。


何度教えても、あの子は教えたことを忘れてしまう子でした。脳の一部の機能が普通の子とは少し違ったんです。覚えていられるのは、本当に大事な思い出だけでした。
このままでは、学校でもついていけないかもしれない。そんな危うさを感じましたが、うちは到底私立にやれるような貯えもなく、普通の学校にやるしかありませんでした」


「不安に思った通り、小春は学校での勉強に殆どついていくことができませんでした。小学校二年生のところまでは習得しましたが、そこから先は割れたコップに水を注ぐようなものでした。


ですが、あの子は誰よりも優しくて、いつだって親思いの娘でした。
学校の同級生にイジメられても、その悪意を忘れてしまうような、覚えていても無条件で許してしまうような、そんな途方もなく優しい子でした。


あの子が中学に入った頃、私の持っていた診療所が潰れることになりました。ずっと赤字経営だったんです。膨大な借金を抱えていた私はもう一家離散しかないと思ったのですが、小春がどこから手に入れたのか分からないお金を私たち夫婦に差し出したんです。


勿論、問い詰めましたよ。何をしてそんな多額のお金を手に入れたのか空恐ろしくなりました。ヤクザにでも借りたのではないかと思ったんです。


その真相は、もっと恐ろしいものでした。


あの子は、私の知り合いにそそのかされて親も知らぬうちに治験プログラムに参加していたのです」


 その衝撃的な言葉に、私は呼吸が止まりそうになる。


「……治験?」
「人造天才児養成計画(MGP)とか何とか大層な名前がついていましたが、あんなものは治験としか考えられません。そこで頭を弄られる実験台になることの代償に、あの子は既に何度も人体実験を受けてお金を稼いできたんです」


 白波さんの父親は、頭を抱えて引きつった作り笑いを浮かべていた。
 そんな。まさか。
今まで、『どうやって学校に入ったのか』と問い詰められる度に困った顔をしていた白波さんを思い出す。
でも、本人にだって思い出せやしなかったのに、そんなことってあるだろうか?


「うちの子は馬鹿ですから、喜んでいましたよ……。
ようやくみんなみたいに賢くなれると、見返すことができるし、うちの病院も通ってくる患者さんを助けられると言っていました。


ですが、その実験が安全なものだという確証はどこにあるんです?
うちの娘が脳をパンクさせて死んでしまわないという保証はどこにもないんですよ? 普通の人間だったら正気の沙汰ではありませんよ。


そのお金を返しても、私たちの娘の健康が戻ってくるわけではありません。泣く泣く、追い詰められた父親である私は受け取らざるを得ませんでした。
……そのとんでもない実験が功を奏したのかは知りませんが、中学校であの子はトップの成績をとれるようになりましたがね」


「……だって、私の知っている白波さんは勉強なんて……」
 震える声で私が反応すると、隣にいた執事長が何かを考え込む様子で口を開いた。


「今の高校は娘さんの意志で選んだものですか?」
「私たちには、分からないんです」
 白波さんのお母さんが、沈痛の面持ちで言った。
 私は問いかける。


「分からない?」
「自分の意志で私立慶水高校の願書を持ってきたように見えましたが、それだって本当のところは分かりません。
とにかく、今云えることはあの子の脳はもう限界だったということです」


 なんとも形容のしがたい恐怖を感じた。
私でさえそう思ったのだから、ご両親の方はもっとだろう。


「プロジェクトに参加したうちの小春は、私立慶水高校の勉強についていくことができませんでした。それどころか、昔の友達の記憶までおぼろげになってしまったんです」


「時が戻れるのなら、馬鹿な娘をそそのかした人間を八つ裂きにしてやりたいですよ!
私は、娘にこんな思いをしてほしいと思ったことなんて一度もなかったんです!」
 そう嘆いたご両親は、涙ながらに私に向かって頭を下げた。


「お願いです、月之宮財閥の力を貸してください!」
「大事な大事な一人娘なんですっ!」


 その表情にはどこにも迷いなんてなくて、
彼女が愛されて育ったことだけがひしひしと伝わってきた。







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