悪役令嬢のままでいなさい!

顔面ヒロシ

☆215 空っぽのアパート







 最初の3日までは気のせいかと思っていた。
けれど、その次の週になっても鳥羽は学校に登校してこなかった。行方不明になった学年首席に柳原先生も手を尽くして探したらしいけど、天狗の足取りは掴めない。


 幽霊のように落ち込んでいた白波さんも、いよいよこうなってくると鳥羽のことを心配し始めた。失踪する直前の言動もおかしかったし、彼に何かあったのではないかと誰もが思った。


「はあ!? あんな奴ほっときゃいいんだって! 白波ちゃんにどんな暴言を吐いたか忘れたとは云わせないからね!」
 やさぐれモードに突入している希未が、イライラを隠そうともせずに叫んだ。
オカ研の部室にある夕霧君の布団に座ってあぐらをかき、頬杖をついている。男子の使っている備品だというのに、友人に照れや恥じらいはない。
 ちなみに、陛下は歯医者に行く用事があるので今日は部活に来ていない。


「それにしたって、これはちょっとおかしいわ。学校にも来なくなるなんて、アイツに何かあったのかもしれないじゃない」
 私が冷静に発言すると、希未がケッと吐き捨てる。


「『俺はもう白波のお守りはウンザリだって云ったんだ。お前らと慣れあう気もないし、もう忍耐の限界だって云ってるんだよ』……あんの糞バカ!」
 鳥羽の物まねをした希未が、怒りが再燃したというようにストックされていた菓子袋をビリビリと破いた。ツインテールまで逆立つほどに腹が立っているらしい。


「もしかしたら、誰かに脅されたとか……」
「いーや、あの時の鳥羽は本気で云ってた! 私には分かる! 今まで悪辣な本性を隠してただけだったのよ!」
「……あ、そう」
 どうしたものか。
困り顔でそれを聞いていた柳原先生が苦笑する。少し疲れた猫背気味になっている彼は両手を合わせてお願いしてきた。


「そこを頼むよ、一緒に鳥羽のアパートまで様子を見に行ってくれ!」
「何で私たちがそんなことまでしなくちゃいけないのさ。どうせもう警察沙汰になってるんじゃないの?」
 希未が胡乱気な目を向ける。


「いや、ギリギリ教頭のところで止まってる。ただの失恋旅行の可能性もあるしな。実際のところ、鳥羽がまだあのアパートを根城にしているかは分からないんだが……」
「だー、かー、らっ 何度も云わせないでよ、アイツから白波ちゃんを振ったの! あれが失恋なんかで落ち込むようなタマか!」
 その容赦のない発言に、私が希未を慌てて制止する。
パイプ椅子にも座らずに床で体育座りをしていた白波さんが、この世の終わりのような悲壮感溢れるオーラを醸し出していた。涙ももう枯れ果てた具合だ。
彼女に希未の放った言葉がボウガンさながらに突き刺さっていくのが目に見える。


「少しは白波さんの気持ちも考えましょうよ……」
 私がひそひそ声で囁くと、


「あんな男のどこがいーのか、私にはまるで分からないね! むしろ、新たな恋を早く見つければいいんだよ。白波ちゃんだってモテるんだから」
と大きな声でこれ見よがしに希未が言う。それを聞いた白波さんが今度は首をつりたそうな表情になってしまったので、私はおもむろに希未の脳天に拳骨を落とした。
 ごす!
 ふぎゃあ!


「私……わたしのせいで、鳥羽君が行方不明に……。ずっと迷惑をかけてきたのに……ぐずっ 嫌がられていたことにも気づかないで、わたしは……」
 再び泣き出した白波さんの心の傷は深い。
それだけ恋人だった鳥羽の存在は彼女の支えだったのだろう。
頭を押さえて唸っている希未に白い眼をやった私は、柳原先生の頼みを快諾した。


「一緒に行くんですよね? いいですよ」
「お、おお……。なんかこの光景を見たら本当に連れて行っていいのかオレも自信が無くなってきたけどよ……」
 引いている先生をじろりと睨みつけると、彼は空笑いをし始めた。


「だ、大丈夫だよな? むしろオレとしては鳥羽よりも白波の方が心配になってきたんだが」


「ひっく……鳥羽君がいなくても、つ、強く生きていきまず……」
「むしろ不安要素しかない返事だなあ……」
 健気に泣き止もうとしながらも返ってきた白波さんの言葉に、柳原先生が顔をひきつらせた。
一緒の部屋で黙って紅茶を飲んでいた東雲先輩が、口を開く。


「最も、アヤカシの中にはかつての瀬川のように定住地を持たずに放浪する者もいますから、このまま帰って来ないという可能性もありますね。楔になっていた白波小春と別れたということは、拠り所を失ったということにもなりますし……」


「え、」
 白波さんが、驚きに顔を上げた。震えた声で、
「鳥羽君……このまま帰って来ないんですか……?」


胸の詰まるような、悲痛の表情をした。まるで今日地球が滅びると知らされた人類のようだ。
彼女を気の毒に思いつつ、私は陰のある吐息を洩らす。


「そうなったら警察に誰が連絡をとるというの?」
「そりゃあ……」
 部屋にいた誰もが、私の方を見た。一気に注目された私は、口をへの字に曲げて首を動かす。


「……まさか、私が後始末をするの?」
「僕らは自分がアヤカシだということを大っぴらに広めることはできませんし、月之宮の領分でしょう」
 薄々勘付いていたとはいえ、面倒な仕事が舞い込んできたのものだ。長い溜息をついた私は、その算段を頭でざっと思考する。確かに、これは警察関係へ繋がりのある月之宮の仕事だった。


 なんで白波さんを泣かすような自分勝手な男の為にここまでしてあげなくちゃならないのよ!
そんな苛立ちを覚えながらも、私はひとまず鳥羽のアパートの様子を見に行くことを決めたのだった。






 柳原先生の運転する車に乗って行ったのは、私と希未と白波さんと八手先輩だった。私立慶水高校から三駅ばかり離れた灰水色のアパートは、こじんまりとしたものだ。
ここは学生とかがよく入居しているらしく、大家さんも人が良さそう。事情を丁寧に説明すると、合い鍵を貸してもらうことに成功した。やはり柳原先生がいると説得力が違う。生徒が一名失踪したという事件性に、少し怯えているようにも見えた。


「ここって1LDK?」
とポッキーを食べながら希未が言った。


「いや、1DKだそうだ」
「ふーん、そっか」
 ポリポリ菓子をかじりながら、柳原先生の返答に希未は視線を走らせる。


「郵便が溜まってる……」
「そうね」
 ドアの郵便受けに溜まった広告などから察するに、鳥羽はしばらくこの部屋に帰っていないようだ。新聞はとっていないのかもしれない。


「よし、じゃあチャイムを押してみるか」
 ごくりと唾を呑みこんだ柳原先生が指先でチャイムを押す。しばらくしても、誰かが身動きした気配がない。留守のようだ。
ガチャガチャと合い鍵を差し込むと、ゆっくりドアが開いた。中は暗い。玄関のすぐそばにはキッチンがあり、排水管の臭いがした。


 八手先輩の身長だとドア枠に頭をぶつけてしまいそう。
恐る恐る靴を脱いで中へ入る。電気をつけてみると、きちんと畳まれた布団を発見した。ごみ箱には何も入っておらず、生活感がない。いなくなってからかなり時間が経っていることが推測できた。


「いませんね……」
 白波さんが、落胆の表情になる。


「どーせどっかの女のところに転がり込んでるんじゃないの?」
 希未がボソッと不穏なことを言った。白波さんの肩が強張る。


「本当にろくでもないことしか云わないわね!」
「現実的と云ってちょうだいよ。別れてから二週間も経ってれば、新しい女ぐらいできてもおかしくないって」


「……まあ、それもそうだけど」
 もしかしたら、アヤカシの彼女ぐらい作っているかもしれない。そんな推理をした私たちの会話をよそに、柳原先生が冷蔵庫を開けた。


「おっかしいな……鳥羽って自活してたはずなのに、冷蔵庫に何も入ってねえし。腐ってる野菜ぐらいあるかと思ったんだが」
「計画的にいなくなったってこと?」
 ひょっこり希未も顔を出す。
唸っている柳原先生が首を捻っていると、白波さんがおずおずと発言をした。


「あの……、先生。こんな封筒が部屋の中に置いてあったんですけど」
「封筒? 何か書置きか?」
 白波さんが差し出してきた封筒の宛名には、白波さんの名前が書いてあった。ざわざわとした胸騒ぎがして、よからぬ不安が沸き起こる。
受け取った封筒を開くと、そこには一通の便箋が入っていた。


「なんて書いてあったの?」
「……これです」
 白波さんが、怯えたように見せてくる。


「『ごめん』って……それだけ書いてありました」
 どう受け取ったらいいのか、みんなで困惑をした。何について謝りたいのか、どうしたいのか。まるで理解の範疇を超えていた。怒った希未が攻撃的な口調で、


「謝るくらいなら、なんであんな振り方をしたの! 訳わかんない! これってもう戻ってこないってこと!?」と叫んだ。


「まあまあ落ち着け。栗村。アイツにも何か考えがあるんだろう」
「信用しない方がいいって! 本当にあの時の鳥羽って様子がおかしかったもん!」






 結局それ以上の手がかりを得られぬまま、鳥羽の契約していたアパートを後にした。
一言だけ書かれていた書置きを大切そうに握りしめている白波さんと私たちを連れ、柳原先生はこう言った。
「コンビニ、寄ってく?」と。


 異存はない。
狭い駐車場に車を停め、先生が何をしたかったのかと思ったらどうやら煙草が切れていたらしい。
ガリガ○くんを舐めながら、リフレッシュしている柳原先生に私は冷めた眼差しで突っ込んだ。


「こんな場所で道草を食っていていいんですか、先生。ゆとり教育の時代はもう終わってるんですよ。教員までゆとりを味わっていていいんですか」
「いーのいーの、たまにはこうして羽を伸ばさないとオレ、ストレスで死んじゃうから」


「社畜の方々が聞いたら暴動を起こしますよ」
 呑気な振る舞いで美味しそうにアイスを舐めている先生は、真顔になった。


「ところで月之宮、相談があるんだが」
「何ですか?」


「コンビニで使われてるような冷凍庫を買おうか悩んどるんだが、お前さんどう思う? ――あれをベッドとして買いたいんだが、いかんせんサイズが合うか悩んどるんだ」
「死ねばいいのに」
 私は蔑んだ眼差しになった。
これまでになく真剣に何を言うのかと思ったら、予想以上にどうでもいいことだった。生徒が一名行方不明な時に話すことではない。


「いや、オレは本気だよ? これから到来する温暖化時代で生きていくには、こちらも対策をしないと拙いかなって……」
「……それって今話すことですか?」


「だってどーせ鳥羽なんて見つからねーもん。そんな無駄なことで悩むぐらいなら、もっと建設的なことでも話していた方がマシじゃね?」
「ずさんな手抜き工事にしか思えないです」
 そんな会話をしていると、コンビニから出てきた希未と白波さんがこちらにやって来た。手には温かいお茶を持っており、木刀を持っている八手先輩に差し入れたりしている。優しい光景だ。


 それを眺めていた時、柳原先生の携帯が鳴った。
「やべっ 教務主任からだ」
雪男の顔色が悪くなる。こんなところで油を売っていたことがバレたら叱責ものだろう。
慌てて先生は、私たちを車に押し込めるとハンドルを持つ。


「これで学校に戻るの?」
「いや、一応白波のことは送るつもりだ。この頃物騒だからな……」
 そんなことを言いながらも、柳原先生はゆっくりとアクセルを踏んだ。









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