悪役令嬢のままでいなさい!

顔面ヒロシ

★間章――鳥羽杉也





 ベースを持って帰宅した鳥羽杉也は、自室に置いてあったベッドに自ずの体を投げ出した。スプリングが軋み、目を閉じて、未だ混乱している頭の中に整理をつけようとする。これまで忘れていた自分が何をなす為にこの街へやって来たのか……その記憶が蘇った現在、彼に残された時間は本当に少ない。


 忘却していた杉也の真の目的は、信仰を失い消失の危機にある、行燈という願成神の寿命を長らえさせる為に、誰かから神名を奪うことだった。
それはすなわち、現在の持ち主であるフラグメントの白波小春を殺すことと同義である。


自覚がないままに大切に扱ってきた銀の髪紐は、養い親である行燈の長い髪の毛から編まれたもので、弱いながらにお守りとしての効果がある品だった。
それが切れてしまったということは、行燈の命数が尽きかけているということ。神力が失われようとしているということだ。


時間がない。
本当に、残り時間が足りない。


 そもそも、何故今まで行燈にまつわる記憶を忘れていたのかと云えば、それは養い親と物理的に距離をとって離れてしまったのが原因だろう。自分が忘れるはずがないと油断していたけれど、それほどに行燈の存在は弱体化していたのだ。


「……ちっ」
 こうなっては、白波小春にあれだけ入れ込んでいたことが忌々しい。
 ……人間は憎むべき敵だ。
行燈を見捨てようとする人間に恋をするだなんてあり得ない。記憶を失っていた俺は騙されていたようなものだ。


人間に親しみを感じて、これほどの時間を無駄にしてきたこと。それ自体が、恨みつらみとなって己の霊力を黒く染めていく。


それほどに、アヤカシに生まれついた杉也にとって、行燈という神は絶対的な光だった。


 鳥羽杉也の正体は、巣から落ちたままに親鳥から見捨てられた一羽のヒナ鳥だ。
 それ故に、彼は切望せずにはいられない。
温もりをくれる存在を、求めずにはいられない性を持っている。


そんな自分を拾ってくれた行燈には恩があった。一つ一つの教養や勉学を師となって導いてくれた。息子同然に育んでくれたのだ。
そんな人物を裏切ることなんてできようものか。


 ……俺は、どうすればいい。
瞼の裏で、白波の花開くような美しい笑顔が浮かぶ。
華奢な白い指先に触れて、手を繋いだ感触が今でも残っている。
カラメル色の柔らかな髪。小さくできたえくぼ。背中越しに伝わる寄りかかったときの重み。


 俺は、アイツのことを殺せるのか……。
痛む心などないはずなのに、何故か胸の奥が鈍くうずいた。
身を起こして、首元にぶら下がっている冷たいパワーストーンを握りしめる。そして、決心したようにそのペンダントを肉体から外した。
付けていた重石がなくなったみたいに、頭がすっきりした。


身体を起こした杉也は、ポケットに入っていたスマートフォンをタップする。暗記していた番号を押していくと、やがて、それは一通の着信音となった。
RRRRR……。




『――やあ、杉也』
 くぐもった声が返ってくる。


「ウィリアム」
『ようやく全てを思い出したのかい?』
 暗い部屋で、杉也は息を呑む。
幼い頃から知っている相手のアヤカシは、電話の向こうで妖しく嗤った。


『……遅いよ』


『遅すぎるぐらいだ。……行燈はもう、長くない』


「……今日。俺の、髪紐が切れた」
 行燈が作ったやつだ。そう、囁くと、


『君は、どうしたい』
 訊ねられて、杉也は口の中が乾くのを感じた。


「俺は――――、」
 その決断に、ウィル・オ・ウィスプは満足げに嗤う。
 さあ、狩りといこうか。
弦楽器の音色が、孤独に鳴った。







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