悪役令嬢のままでいなさい!

顔面ヒロシ

☆205 分離の失敗と矛盾する本心







 5分ほど黙った後に、ヒロインは言った。


「……お願いします」
「それでいいのね?」


「はい」
 手順を確認して、私は彼女の手にそっと触れる。しっとりと濡れた自分の髪が邪魔だと感じて、耳にかけた。
深呼吸をして、己の身に封じていた霊力を解き放つ。私の全身から白い光が溢れだした。


急急如律令きゅうきゅうにょりつりょう、臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前――」
 なるべく意識を集中させて、呪を唱える。




「――廃趣奪解」
 光が弾けて、散らばった。
けれども、どうにも上手くいったという手ごたえのようなものがない。パチパチと瞬きをした白波さんもそれは感じたらしく、気まずそうな表情になった。


「何か変わった感じはする?」
「……えっと……特には……」
 ふにゃ、とこちらを気遣う笑顔を見せた彼女に、私は沈痛の思いになった。


「絶対成功させようと思ったのに……、これでは失敗ね」
「で、でも! なんか肩が軽くなったような気がするよ! 整骨院の電気治療みたいな!」


「私の邪気払いをお年寄りご用達機械と一緒にしないで!」
 ズーンと沈んだ私が思わず叫ぶと、白波さんは困り顔となった。


「で、電気治療は偉大なんだよ! 私の亡くなったお爺ちゃんは大好きだったもん!」
「フォローはありがたいけど、そのネタを引きずるのは止めてちょうだい……」
 真顔でそう言った私に、白波さんがおかしそうに笑い始めた。くすくすと聞こえてくる音に耳を澄ますと、白波さんは目じりの涙を拭っている。


「月之宮さん、ありがとう」
「成功していないのに、どうしてお礼を云われているのかトンと分からないわ」


「何も変わってなんかいないよ。少し、勇気をもらっちゃった」
 柔和な笑顔を浮かべた白波さんにぎゅっと抱きしめられて、私は落ち着かない心境となる。背中に回された手には力が込められていて、
「いつも頑張ってくれて、本当にありがとう」と笑われてしまった。




 何故だか分からないけれど、術が失敗したことに心のどこかで私はホッとしていたのかもしれない。けれど、それを自覚しないままに、
「いつか必ず、白波さんのことは私が助けるから」
と私は真剣な顔をして言っていた。


「私は幸せものです。こんなに優しいお友達に恵まれて……」
 花が咲くような白波さんの笑顔に、私は顔を赤くした。


「……あっそう」
 ぶっきらぼうな返事しかできなかった。








「――白波小春と神名の分離に失敗した?」
 生徒会室で向かい合った東雲先輩が静かに訊ね返してくる。淹れてもらったお茶をちびちび飲みながら私は頷く。


「……はい。廃趣奪解を試したんですけど、ダメでした」
「まあ、意外なことではありませんね」
 さらりとそう告げられて、私は俯いていた顔を上げる。
 意外なことではない、ですって?


「……どうしてですか?」
「失敗の原因は容易に想像することが可能ですが、こればかりは言ってどうにかなるものではありません。君は気にしない方がいい」
「アプローチの問題とかではなくて?」
 私が食い下がろうとすると、仕事をしていた東雲先輩はフッと笑う。


「むしろ僕としては君のことを褒めてあげたいくらいです。誰にも相談せずに廃趣奪解を使うことに思い至ったところに50点を差し上げましょう」
「半分しか貰えてないじゃないですか」
 むう。甘いようで厳しい人だ。
多分東雲先輩の明晰な頭には解決法は浮かんでいるのだろうけれど、それを易々と教えるつもりはないらしい。


「それでは不服ですか?」
「結果が出ていないことには変わりません」
 私が拗ねた素振りをすると、東雲先輩は何か考えるような顔になる。
外ではしどとに降っている雨の音がする。色の変わってきた木の葉に濡れた水滴が落下して、水たまりを作っていく。


「では、それを知って君はどうしたいのですか?」
「……え?」


「神名を取り戻すことは、本当にあなたが心から望んでいることだとでも?」
 落ち着いた笑みでそう言われ、私は黙りこくってしまった。
まじまじと東雲先輩の顔を見ると、彼は書類を整理する手を止めてこちらに目を合わせる。


「……まさか」
 もしかしたら、だから失敗したとでもいうのだろうか。


「私が心のどこかで人間のままでいたいと願ったから……?」
 震えた声で。
私がそう囁くと、東雲先輩は「さて」としらばっくれた。


「今の君にそれを改めろと要求して何になりましょう」


 それを言われた私は、先輩に突き放された気分になった。どん底の心境で、持っていた紅茶のカップがカタカタ鳴った。
水面が揺れて、溢れそうになる。


「……そういえば、そろそろ文化祭ですね」
 あからさまに話題を移した妖狐が自嘲するような笑みで言った。


「それが、何か……?」
「八重のクラスは確か、演劇だそうですが。その開演の前に時間はとれますか?」


「とれなくはないと思いますけど」
 さっぱり何を言われているのか分からない鈍感な私に、東雲先輩はメガネをかけ直しながら意味深に微笑した。


「できたら、僕は君と一緒に文化祭を巡りたいのですが」
「え!」
 びっくりした私を愛しそうに東雲先輩は眺めてくる。その青の瞳から逃げようと視線を逸らしながら、


「でも、先輩は生徒会の仕事があるんじゃ……」
「文化祭の見回りも仕事の内ですから大丈夫ですよ」


「そ、そうなの……?」
 学年の違う私たちは、中々一緒の時間がとれない。だから、文化祭を一緒に楽しめるのはすごく嬉しくて、胸の奥がジンときた。
冷たい指先に温かいお湯をかけたような心地になる。


「僕は、八重と少しでも一緒にいたいんだ。……嫌じゃなければ、久しぶりに2人で歩きたい」
 穏やかに目を細めた彼の発言に、心臓がくすぐったくなる。


「べ、別に嫌ってわけじゃ……」
「じゃあ、決まりだ」
 くすりと東雲先輩が笑みを零した。
そのことに恥ずかしくなった私がソッポを向く。なんだか、頬がやけに熱かった。









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