悪役令嬢のままでいなさい!

顔面ヒロシ

☆184 救世主はオカルト野郎



 入学式などの式典や校長講和で見覚えのあるふくよかな女性の学校長が、部屋の中央の事務机と椅子に腰かけていた。真っ赤なクッションのきいたチェアに深々と身をあずけ、見るからに頭の痛そうにこちらを見てため息をつく。
生徒の前で長話をする時の上機嫌さはすっかり消え失せ、ただただ目の前の現実を直視することに陰鬱さを感じてしまっているようだ。
そんなに嫌ならわざわざ呼び出さなくても結構だったんですけど。校長先生。


「……ああ、月之宮さんに柳原先生……。ハアー、もっと近くに来てください」


 ため息を挟んで声を掛けられ、私は嫌々ながら事務机との距離を縮める。「オ、オレもっすか」と引きつった雪男も近くまで歩いて来た。
ニヤリと笑った赤シャツ教頭が、私の傍に寄る。ついでに、肩に「いかにも同情するよ」といわんばかりに手を置いてきた。
いくら教員でもハッキリ言って止めて欲しい。心を開いていない相手にそんなことをされても、気色の悪さがこみ上げてくるだけだ。


「ハアー、どうしてここに呼び出されているのか、理由はもう分かっていますね。月之宮さん」
「いえ、とんと見当がつきません」
 虚勢で言い張ってみる。
なんとなーく薄っすらどころか濃厚に分かっちゃいたけど、最初から敵の思うがままに振る舞うのは愚か者のすることだ。
この場の私にとっての仮想敵は、学校長と赤シャツである。陰陽師であるのに雪男を庇おうとするのは間違っている気がしなくもないですが。


「ハアー、これを私が云うのはすごく嫌なんですけどね。だって悪者みたいじゃない。ましてや当校に多額の寄付金を納めてくれている月之宮財閥のお嬢様を怖がらせるなんてとっても不本意なの。……なのに、アンタときたら何をしでかしてくれちゃったわけ?」
 ぐいいっと、思いっきり学校長は柳原先生の頬をつねった。


「いひゃいです、校長」
 一見して痛そう。手加減がされていない。
私が顔をしかめると、学校長はキンキンする声で怒鳴り上げた。


「柳原! なーんでまた、アンタは自分が担任する生徒とラブホで乳繰り合うなんてことをしでかしたの! この恥知らず!」
「誤解です! 柳原先生と私はそんな恥ずかしい関係じゃありません!」
 聞くに堪えない怒声に、私は羞恥の余り止めに入った。
学校長は、柳原先生のほっぺたを餅のようにグイグイ引っ張っている。


「こっちには匿名で証拠が来てるのよ! いくら保護者から怠惰だと評判が悪くても庇ってきてやったのに、一体何を考えていたらこんな不祥事を起こせるのかしら!?」
「ひゃから、ちゅきのみやのいふほおり、せんぶごひゃいなんれす、こうひょう!!」


「何を言ってるか全然分かりませんな、柳原先生」
 すったもんだを見て、くっくと陰気に赤シャツ教頭が笑う。
彼によってぐっと掴まれた私の肩に、鳥肌が立ちそうになる。


「月之宮さんも可哀想なことです。教育者というものが、このような不始末をしでかしてしまうとは我が校の恥……いいや、こちらの監督不行き届きでしかありません」
 赤シャツ教頭が朗々と形だけの謝罪の言葉を述べた。
 ……明らかにお前、自分が悪いと思ってないだろ。


「このように公となってしまっては、私共も柳原を免職するしかないのですが……」
 渋々という風を装って、陰険な赤シャツ教頭がニンマリと笑顔になる。目の上のたんこぶである柳原先生から教職を剥奪できる機会に恵まれたことが嬉しそうだ。


「アンタなんか、クビよ! クビ!!」
 ふくよかなる学校長がキンキン声でそう怒鳴る。
柳原先生が絶望の表情になって取りすがろうとするも、その相手をする気はなさそうだ。


「ま、待って下さい、そんな横暴な! こっちの事情もちゃんと聞かずに判断するなんて、アンタら本当に教職者かい!」
「未成年に手を出した犯罪者の言葉を聞くのは良識ある大人とはいえませんな、柳原先生」


 これは酷い人事を見た。
耳を貸すことをしない教頭と校長の理屈でいく限り、柳原先生のクビは免れなさそうだった。


 しかし、この女学校長が一体何に怯えているのかを私は理解していた。
彼女は、今までの月之宮家がこの学校におくってきた寄付金が打ち切られることを懸念しているのだ。
もしもそれが無くなってしまったら、学校の運営に影響が出ることは間違いない。きっとそれをちらつかせるだけで、この状況のコントロール権は私のところに転がり落ちてくるはずだ。
余り綺麗な手段ではないけれど、仕方あるまい。
こういうことは気乗りしないけれど……、


「……あら、校長先生。いいのですか?」
 薄く笑った私の言葉に、学校長がびくっとした。


「今の話をお聞きする限り、柳原先生が不当にこの学校を追われようとしているように受け取れるのですけれど……」
「つ、月之宮さん?」
 露骨に怯えた表情をされ、私の中に無かったはずの加虐心が刺激される。元から人間にいい思いをしていなかった本音が見え隠れしてしまったのだろうか。
 これは友達である遠野さんの好きな先生を守る為だ。
仲直りする為になら、この教頭や校長を脅かすことも私は辞さない覚悟だ。


「私、柳原先生のことはごく一般的な生徒としてとても慕っておりました。どうやら、この学校は月之宮家というものを随分と軽く見誤ってくれたものですね」
 ……ふふっと笑顔を浮かべると、学校長の椅子がギシリと鳴った音が聞こえてきた。猛獣を目の前にしたような表情になったおばさんが、小刻みに震えている。
 分かりやすく青ざめた赤シャツ教頭が喚くように言った。


「自分が何を云っているのか分かっているのか! これは我が校に対する脅迫だぞ!」
「我が家は、この学校に好意を抱いていたからこそ多額の寄付金を贈ってきたのです。……その信頼が失われても尚同じものを要求するのは、ちょっと図々しすぎるのではありませんか?」
 キッパリと言い切ると、白くなった学校長が言葉をなくす。唇が虚ろに開いたり閉じたりしている様は、瀕死の鯉に近いものがあった。


「そんな馬鹿げたことがあってたまるか! 君はここの生徒だということを分かっているのですか! 生徒であるからには、教師というものをもっと敬った姿勢で……っ」
「分からないのですか? 私は育ての親を噛むほどに怒っているのですよ! 柳原先生がどれほど生徒の皆から必要とされているか、あなた方は理解できているのですか!」
 セリフだけではない。
私は義憤にかられていた。種族の違いを超えた先生として慕っている、自分の本心がここで負けるなと鼓舞していた。
己がアヤカシであろうとも生徒を慈しむ柳原先生の心を、その職業意識を私は陰陽師として高く評価してきた――嬉しかったのだ。


「私が柳原先生と不純な交際をしているなどと……こんな事実無根な噂話で先生が辞めさせられるなんて我慢がなりません!」
 そう私が言い切った時、どこからか乾いた拍手が耳を打った。


「――そうだ。柳原教諭がここで辞めさせられることなんてないぞ。月之宮」
 そうはっきり宣言したのは第三者の声だ。
驚きに目を見張ると、室内には夕霧魔王陛下が空気を読まずに堂々と侵入して、隣に立っているではないか。パサパサの黒髪に、痩せた身体。シルバーフレームの眼鏡が光る。


「あ、あー、その。関係のない生徒はここに来られては困るんだが……」
 何故かそう口にしたのは、庇われたはずの柳原先生だった。教頭はへの字になった唇を怒りに震わせている。学校長は疲れたように老け込んだ顔をした。


「……何の用でこんなところにいるんだ? 夕霧」
 困った様子で柳原先生が訊ねると、夕霧君は不敵に笑ってこう言った。


「オレは、うちの部活の顧問である柳原先生の無実を証明しに来た」
「え?」
 柳原先生の目が点になる。
驚きに口は半開きになると、夕霧君は腕を組んで口端をくっと吊り上げたではないか。


ようやく再起動した学校長が、無表情になって唇を開く。
「あなたは、今回の不祥事に関して何か知っているというのですか? ……あー、その、夕霧君」
 オカルト好きなことを除けば平凡な生徒であった陛下の名前を校長が覚えていないのが丸わかりだったが、そんな些細なことは当人は気にしなかった。


「はい、知っています。校長先生」
 部屋中の注目を集め、夕霧君は悠々とそうのたまった。
恐らくこちらに不利なことは言わないとは思うけれど、途中で得物を奪われたような思いになった私は、軽く彼を睨み付ける。


「何を知っているのか話してはいただけませんか? 夕霧君」
「……2人が休日に会っていたのは、うちの文芸部員である白波の進路について極秘で話し合っていたんです」
 その言葉が発された途端に、部屋の空気が変わった。


「……白波さん、の進路、ねえ」
慎重に夕霧君の主張を聞いていた学校長が、柳原先生に目配せをする。雪男はその問いに、苦み走った表情で答えた。


「夕霧が言ったのは、オレの担当しているクラスの例の女生徒のことです。教頭先生も恐らく知っているのではないかと……」
「あの、我が校創立以来の落ちこぼれのことですか」
 嫌そうに赤シャツ教頭が返事をする。ソワソワと懐中時計を握っていた。
 いつの間にか、学校長が憂いた眼差しをしていた。


「我が校で経過観察をしてきたあの子に関しては、私も思うところはなきにしもあらずです。本当に気の毒な事情を持った子で……できれば幸せな道に進んで欲しいと影ながら願っていました」
 ふくよかな学校長は、女性らしい眼差しで私の方を見た。


「……そうですか、月之宮さんはお友達思いであっただけなのですね」
 訳の分からないままに頷くと、学校長はため息をついてこのように告げた。


「今回の騒動は、ここまでにしておきましょう。柳原先生には、元通りに働いてもらうことにして……保護者への説明は教頭先生にお願いしますわ」
「しかし……っ 校長!」


「この話はこれで終わりですよ」


 反発しようとしていた教頭に、ぴしゃりと学校長は言い放った。青ざめていた顔色だった彼は、今度は失望を感じているようだったが、これ以上場を荒らすことはできないようだった。
 柳原先生が、窮地を脱した安堵に汗を拭う。
涼しい横顔で立っている夕霧君を睨んでいた私は、目を伏せて沈黙をした。







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