悪役令嬢のままでいなさい!

顔面ヒロシ

☆182 校内呼び出しの放送音声





 遠野さんにはどんな弁明をしたらいいのだろう。
頭を悶々と悩ませながら数学の計算式を解いていると、手に握っていたシャーペンから黒い芯がパキッと折れて飛んでいった。
新しくBの芯を出す。公式を当てはめながら解を出していると、しばらくして授業の終わりのチャイムが鳴った。


「それでは、今出たところをちゃんと覚えておきますように……礼!」


 おっくうそうに皆教壇へ礼を返すと、私は遠野さんの姿が教室にないことに胸が痛くなった。あの掲示板に貼りつけられた写真で相当なショックを受けたと見え、クラスに戻ってくる気配もない。
……それはそうだ。片想いをしているところに普通あんなことがあったら、きっとしばらく立ち直れない。
暗く自嘲をしていると、希未が明るく声を掛けてきた。


「八重! どうしたの、そんなに暗い顔しちゃって!」
「……希未」
「うん?」
 無理に元気を出しているようにも見える親友に、私は浮かない表情を返す。


「遠野さんが、クラスにいないの」
「え、いない?」
 希未は目を瞬かせて驚きの顔になった。きょろきょろ辺りを見渡すと、「……本当だ。トイレでお腹でも壊したかな」と下品なことを言う。


「きっと、私のせいだわ」
「そんなことないって。次は柳原先生の授業だし、そのうち帰ってくるでしょ……」
 そうだろうか。
きっと遠野さんは失恋をしてしまったと勘違いをしていると思う。
そういう時は先生の姿を見るだけでも苦しくなってしまうのではないだろうか。


 もしも自分が同じ立場だったらと考えると、居心地の悪い気分になってしまった。


「……どうしたの?」
 その時、ノートと教科書を抱えた白波さんに声を掛けられた。カラメル色の髪がかかったその白い首元には、パワーストーンのペンダントが下げられており、美しい輝きを放っている。
隣にいる送り主の鳥羽の首にも同じものが身に着けられていて、2人の仲の良さが感じられる。


「……遠野さんがクラスに帰って来ないのよ」
「えっ、そうなの!?」
 口元を押さえた白波さんが、驚いた鳥羽と顔を見合わせた。


「瀬川とつるむようなアイツがそこまで傷つきやすい女だとは思ってなかったぜ」
 無遠慮な鳥羽の物言いに、白波さんが困り顔になる。


「いや、最近は遠野さんもそこまで一緒にいないよ。瀬川は八重にべったりだし」
 希未が真顔で修正する。どんな反応をすればいいのか分からないようなコメントを放つのは止めて欲しい。


「……そうか」
「そうだよ」
 中途半端に返す鳥羽。頷く希未。


「それにしたってガラスのハートという感じには見えないんだけどな」
「私も今更鳥羽に女心が分かるようには思えないけどね!」
 希未の何も考えていない無造作な言葉に、ピシッと空気にヒビが入る音が聞こえた。引きつった笑みを見せる鳥羽が希未にバックドロップを決めようと持ち上げる。


「ちょっ、ちょちょちょ……っ!」
 焦った希未が宙で脚をばたつかせてもがく。その拍子にスカートが捲れるのだが、その下から見えたのは黒いスパッツだった。
そのことにクラスメイトの男子からは残念そうな声が洩れ、潔癖そうな女生徒が男性陣を睨み付ける。


「つ、月之宮さん……」
 不安そうに怯えた白波さんに、私は冷たい目で呟いた。


「白波さん。あなたの彼氏はちょっと心が狭いと思うわ」
「そ、そうかな!」
 今にも希未を後方に投げようとしている鳥羽から目を逸らした白波さんは、小さな声でこう言った。


「……そうかもしれない」
 あらら、認めちゃったよ。
このやり取りが天狗に聞こえていれば次に投げ技を喰らうのは私であったのかもしれない。……だが、そうなる前に耳に届いたのは人間である親友の悲鳴だけではなく、壁に設置されていたスピーカーから聞こえた校内呼び出しの放送音声だった。




『――呼び出しです。柳原先生、並びに二年Bクラスの月之宮八重さんは校長室まで至急来て下さい――繰り返します。柳原先生、並びに二年Bクラスの月之宮八重さんは校長室まで……』




 希未を持ち上げていた鳥羽の動きがピタリと止まった。重力に従って落下した親友は、床に腰を打ち付けて潰れた蛙のような声を出す。
びっくりしている白波さんは、私の方を見た。彼女だけではない、クラス中の視線が私に向かって集中していた。
何も悪いことはしていないはずなのに、冷や汗が滲む。硬直してしまった私が絶句していると、身を起こした希未が呟いた。


「まあ……ドンマイ?」


 ……これが災厄というものか。
まったく恨めしげな私の目線に、鳥羽と白波さんと希未はサッと顔を逸らした。







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