悪役令嬢のままでいなさい!

顔面ヒロシ

★間章――白波小春



 白波小春は、生まれついての劣等生だった。
世の中の大半の人間は、努力をすればそれは裏切らないと言うけれど、彼女にその理屈は悲しいほどに当てはまらなかった。
頑張っても落ちこぼれ、懸命な姿勢で取り組んでも置き去りにされる。
必然的に教師の覚えは悪く、クラスメイトからも白い目を向けられるのが彼女の日常だった。
『あの子はダメだ』と、何度烙印を押されたことだろうか。最底辺の人生の味は思ったよりも息苦しさで満ちていて、両親の暖かな優しさが余計に辛かった。


 それなのに、どうして自分は私立慶水高校に入学できたのだろう。
こんなに偏差値の高い学校に受かるほどの学力なんて持ってなかったはずなのに、何故私はここに居るのだろう。
色んな人に同じことを訊ねられた。
――どうしてアンタみたいな人間がこの高校に入れたの?


笑って誤魔化しながらも、自分だって聞きたい。
――どうして私はここにいるの?


 月之宮さんみたいに、何もかもが選ばれていた訳じゃない。私はお金持ちでもないし、頭もよくないし、あんなにカッコよく剣を振ることだってできない。
世界の中心にいていい人が存在するとしたら、それはきっと月之宮さんのような女の子がふさわしいのだろうと純粋に彼女は思っていた。
 弱者を守る為に悪いアヤカシと戦う陰陽師というのは、ひどく眩しいものに感じられたからだ。


 白波小春には、ヒロイン願望を掲げられるほどの自信なんかどこにもない。それどころか、その精神に常に宿っているのは惨めな劣等感の塊だった。
こんな変な髪の色をしたバカな自分なんかじゃなくって、誰が見ても納得するくらいに優れた人間によっておとぎ話は作られていくべきだ。


 馬鹿な私が、鳥羽君の彼女になっていいはずがない。それが許されるはずがない。現に、数えきれないくらいの人たちに嫌味を沢山云われてきた。
彼自身は気付いていないかもしれないけど、きっとみんな、鳥羽君のことが大好きなんだ。


 ……それぐらい人気な彼が、なんで一緒にいてくれるの?
答えの出ない問いかけをしのばせながら、白波小春は困ったように笑う。


 ……私は、なんの特技もない、ないない尽くしのちっぽけな人間なんだよ? きっと、すぐにしわくちゃのお婆ちゃんになっちゃうし、鳥羽君よりもずっと早く死んでしまうんだよ?


 とても云えない言葉。もっと早くこれを口に出していれば良かったのだろうか。こんなに悲しい気持ちになってしまう前に、訊ねていれば良かったのだろうか。
螺旋階段を駆け下りた今の白波小春の瞳からは、とめどない涙が零れ落ちていく。溢れて、滴っていく。


 ――月之宮さんが、鳥羽君と布団の上で抱き合っていた。……その衝撃に、白波の精神は打ちのめされてしまった。
おかしいな、なんでこんなに泣いているんだろう。
月之宮さんなら、鳥羽君と釣り合うはずなのに。みすぼらしい私と違って鳥羽君の彼女になっても、みんなが納得するはずなのに。
どうして私の心はこんなに痛くてたまらないんだろう。


 階段の一番下に辿りつくと、白波は校舎の外へ駆けだす。その時、後ろの方から「待て、白波ぃ!」と男子が怒鳴ってくる。
……それが鳥羽の声だということに彼女はすぐに気が付いた。


 どうしよう、追いつかれちゃう!


 懸命に脚を動かして、息が切れながらも走って逃げる。冷静に考えれば逃走する理由なんてないはずなのだが、後ろの怒りの気配に危機察知の本能が反応してしまったのだ。
やがて追いかけっこの末に、白波は校舎裏の壁際に追い詰められた。
ドン、と顔の横に手をつかれ、振り返ると鳥羽の顔が近くにあった。


「……なんで逃げたんだよ、白波」
「…………だって……」
 言えるはずがない。
2人を祝福しようとしたのに、自分の中の嫉妬心に気付いてしまったからだなんて、云えっこない。こんな気持ちになったのは生まれて初めてで、白波はしゃっくり上げて口が利けなかった。


「お前に云っておきたいことがある」
「…………」
 鳥羽はため息をついて、熱い眼差しで白波を睨み据えた。そうして、唇を動かす。


「……さっきのことは、その、誤解だから」
「……どういう、こと……?」
 涙の止まらない白波に、壁ドンをしている鳥羽は口ごもりながらもボソボソ喋った。


「置いてあったスポーツバッグにつまづいた月之宮が、俺を巻き添えにして転んだだけなんだ……お前が考えてるようないかがわしい関係じゃないから、誤解しないでくれ」
「……ふ、2人は、私に内緒で付き合ってるんじゃないんですか……?」


「事実無根だ。俺は月之宮に恋愛感情は持ってねえよ」
「そ、そうだったんですか……」
 声を震わせた白波は、ひっくひっくとしゃっくり上げながら、なんだか弱い自分のことが情けなくなってしまった。
そんな涙雨の彼女は、鳥羽との距離が近いままだということに気が付く。切れ長の瞳にじっと見下ろされたままで、そのことにうろたえた。


「……あの……、鳥羽、くん……」
「俺が誰のことを好きなのか、お前、まだちゃんと覚えてる?」
「えっと……」
 自信がない白波の反応に、鳥羽は目を眇めた。
確か、私のことを好きだとか言ってくれた気がする。何故確定形ではないかというと、2人で星を見たあの晩のことが現実に起こったことだという実感に薄いからだ。


「白波。そろそろ俺、返事が欲しいんだけど」
「……へ」
 返事、とは……。


「お前にした告白の返事だよ」
「…………っ」
 照れくさそうにしながらも、言われた内容に白波の色白の肌は瞬時に赤く染まった。沸騰寸前のヤカンのようになった彼女の瞳と、真剣な鳥羽の瞳が交差する。
気なしか、互いの距離も更に近くなった。


「……流石に俺、あんなお前の泣いた顔を見たらもう待てる気がしねえよ」
「…………えっと……」
「だってあのタイミングで泣くってことは、お前、俺のことを好きだってことだろ? ……だからこんな場所まで逃げたんだろ? なぁ?」


 問い詰められ、言葉に窮した白波の顔色が悪くなる。
ずっと結論に辿りつくことが怖くて、避けていた本当の気持ちに気が付いたからだ。
落とした視界に、バンソーコーの巻かれた鳥羽の指が入った。


「…………き、です」
 微かな吐息が洩れる。
涙が伝った頬に、鳥羽の指が触れる。


「私は、鳥羽君のことが好きです」
 もう隠すことはできない。
泣きながら笑った白波小春は、吐き出すように思いの丈をぶつけた。


「天才肌のところはちょっと怖いけど、努力家で寂しがりやの鳥羽君のことが……私は、人間じゃないあなたが好きなんだと思います」
「…………」
 純真な告白。
それを聞いた鳥羽の耳が赤くなった。


「……でも、本当に私でいいんですか?」
「どういう意味だよ」


「だって私、鳥羽君より先に死んじゃうんだよ。いつかは寿命がやって来て、あなたよりも先に年を取っていくの。
しわの沢山あるお婆ちゃんになっちゃっても後悔しないの?」
「……後悔なんかするわけねえだろ」
 目つきを悪くした鳥羽が、じろりと白波を睨んだ。何かいいだけにイライラしながら黙っていたけれど、やがてこう言った。


「その覚悟を決めないで俺が告白したとでも思ってるのか」


 白波小春が、ポカンと口を開けた。
今までしこりのように感じていた迷いは何だったのだろう。この天狗は、自分よりもずっとずっと先を見通していたというのに、どうしてすれ違っていたんだろう。


「……お前は、つべこべ言ってないで俺と素直に付き合えばいいんだよ」
「そ、それって……」
「両想いだって分かったんだから、今まで通りに友人関係なんかやってられっか。そんなんじゃ満足できないくらいに、俺は白波のことが好きだ」


 秋風は吹き抜け、心臓が跳ねる。
息を呑んだ白波小春のピンクの唇に、かがんだ鳥羽が口づけた。
唇同士が触れあい、くらくらした白波がのぼせそうになったことに気付いた天狗は、ニヤリと笑った。


「このバカが」
それは、今まで聞いた中でも一番優しい罵倒だった。







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