悪役令嬢のままでいなさい!
☆164 缶詰のミカンと赤い苺
実際のところ、白波さんが周囲の役に立ってようと、立ってなかろうとそんなことは私にとってどうでもいい。迷惑をかけられることは困るけど、かといって命を助けたその恩を逐一請求して返してもらうつもりもない。
そのことを本人に告げたら余計に悩ませてしまうだけだから言わないだけで、人間である彼女が私を化け物扱いしないでいてくれる、ただそれだけで救われた気持ちになっていたりもするのだ。
RADの歌じゃないけれど、白波さんという存在は人間清浄機と似通った共通点を持つ女の子で、こうして彼女が健やかに笑ってくれることが私の幸せに繋がっていたりもするわけで。
本当に敵わないなあ、もう。勝ち負けだとしたら、私の完敗だ。
裏切られてばかりの人生で、かつて夢見た聖母のような優しさを振りまくアナタに出会えたこと自体が途方もない奇跡だ。
もしかして、これを狙って東雲先輩は私と白波さんを引き合わせたかったのかな?
……そんなことを思いながら、私は黙って鳥羽の作って来てくれた、あっさりとした甘さの杏仁豆腐に舌鼓を打っていた。
「杏仁豆腐の上に缶詰のミカンとか赤い苺が乗ってるけど、これってフツーは牛乳寒天の添え物じゃない? なんかすごく女子が作ったっぽいかわゆい見た目をしてるよねー」
スプーンを手にした希未の言葉に、鳥羽が嫌そうな顔をする。
「……他人の3倍平らげといて文句を云うんじゃねえよ」
「これは純粋な感想だよ。鳥羽って男子なのに、こういう盛り付けにまで凝るようなタイプだと思わなかった」
3カップ目の杏仁豆腐を嬉しそうに食べている希未だ。
「蛍御前、本当に月之宮さんの家から帰っちゃったんだね。一緒に旅行とかしたから、なんだか寂しいです」
白波さんが微笑む。
希未が、不満げにこう言った。
「薄情っていうか、なんていうか! あれだけ偉そうにしてたんだから、最後の見送りくらいさせろって感じ!」
拗ねたように唇を尖らせている。希未は蛍御前と行動していた時間もあったし、名残惜しいものがあるのだろう。
「来るときもいきなりだったけど、帰ったときも突然だったな」
そう返した鳥羽が笑った。
「なんか不完全燃焼……。結局、あの神様は私たちを振り回して何がしたかったのさ」
「……夏場の観光とか?」
「巻き込まれたこっちの気も知らないで! 無駄にハラハラして損した!」
白波さんと希未が顔を見合わせ、ふふっと笑う。
彼女達は、最後の最後で蛍御前が何をしでかしたのかを知らないのだ。必然的に、好感を持ったままなのだろう。
『――僕は、八重がこのまま思い出さなくてもそれで構わないと思っていたんだ!!!』
桜が枯れた時の東雲先輩の慟哭を思いだした私は、鼻の奥がツンと痛くなった。心には暗い影が落とされ、どうしようもなく悲しくなってくる。
東雲先輩にとって、私との過去の記憶が大切なものであったことは疑っていない。けれど、出会いからやり直しになってしまってももう一度新たに愛してくれようとしてくれていたのだ。
もしも、過去に私が神様の異能を所持していたのだとすれば……。
白波さんの持っている神名の本当の持ち主は、私ということになるのだろうか……。
「……ねえ、白波さん」
「なあに?」
弱音を吐いてもいいだろうか。……頼ってもいいのだろうか。
「もしも、蛍御前みたいな神様が現れて、あなたの持っている名前を返して欲しいって云って来たらどう思う?」
「へ?」
「もしくは、そのまま返して欲しくないって云われたら?」
私の質問に、白波さんは困惑の表情になった。
杏仁豆腐を食べていた松葉は、話に参加するつもりはないようだ。
「……そんなの、分からないよ」
彼女は、力なく呟いた。
「……私、月之宮さんみたいに特別な人間じゃないんです。勉強もできないし、運動だって得意じゃないの。この力が無くなっても、それでもみんなと一緒に居ていいのか不安っていうか……」
「バーカ」
鳥羽が、軽く白波さんの頭をこづく。
「お前、本当に馬鹿だな。俺や月之宮が、異能がなくなったぐらいで離れていくわけねーだろ。自分では自分の価値って案外分からないもんなんだよ」
「ほえ?」
瞳を瞬かせた白波さんに、鳥羽は優しい眼差しを向ける。
「お前には、いいところが沢山あるんだ。そんな神様の名前だなんてみょうちきりんなモノ、捨てちまった方がよっぽどスッキリするぜ」
「そ、そうなんですか……?」
「知らない間に自分に転がり込んでいたモノだぞ? いつの間にか縁もゆかりもない爺さんの位牌とお骨と仏壇が自分の家に出現していたようなものなんだぞ? 考えてみりゃこれほど不気味なものは他にないと思わねえのか?」
「……確かに……そういえば」
いや、その例えは酷すぎる。
鳥羽の発言も極端なものだけれど、白波さんにとっては微妙に分かりやすかったらしい。
「そういえば、き、ききき気持ち悪いです……っ」
涙目になった白波さんが、ぞわっと鳥肌の立った自分の腕を押さえつけ、体を震わせた。
「なんで私、こんなものを持っているんですか! その神様も名前がなくなったらどうなっちゃうんですかっ」
「多分、すげえ難儀していると思うぞ。運が悪けりゃ、そのままどっかでのたれ死んでる可能性も……」
「ますます名前だけ残って位牌みたいになってるじゃないですか!」
いや、死んでませんって。
胃炎にはなりましたけど、目の前で普通に杏仁豆腐を食べてますって。
そこまで気味悪がられると、それはそれでショックなものがあるんですけど。
「……なんで落ち込んでるの? 八重さま」
「ほっといてちょうだい……」
不思議そうな松葉に、白波さんから目を逸らした私は呻き声を洩らす。ここまで自分の一部だったものを嫌がられると複雑なものがあるのだ。
「どうやったら名前って返せるの!? 私、馬鹿だから分からないよ!」と白波さん。
「安心しろ。俺にも分からないから」と鳥羽。
「新聞に公告でも載せたらどう? きっとお高いと思うけど」と希未。
「んなアホなことできるかよ。とりあえずは現状維持の方向でいくしかないだろ……、白波以外の奴に悪用されることを考えたらコイツが持ってる方がマシだろうし……」
鳥羽がため息をつくと、白波さんが顔を引きつらせる。
「わ、私、信用されてるってこと?」
「おう」
「できるだけ早く返せるようにしてください! このままじゃ不気味で夜も眠れないし!」
「むしろアヤカシに襲われておきながら、毎晩今まで爆睡してたとすれば、それはそれで神経太いな!」
それには同意できる。
呆れた鳥羽に、白波さんが恥ずかしそうな表情になった。本当に毎晩悩みもなくぐっすり寝ていたらしい。お肌がツルツルなわけだ。八手先輩のお掃除能力が高いのか、彼女の精神力が意外とタフなのか……。
「……いや、あのね? 私、できたら白波さんの力を借りたいことがあったんだけど……」
「位牌を使えってこと!?」
……頼むからそこから離れてください。
私が言葉を選びながら、彼女を宥めるように話し始める。
「実はね、私が昔から好きだった桜の木が枯れそうになっているの。もう再開発で取り壊すことが決まっている神社のものなんだけど、このまま伐採されてしまう前にどうにか元気にしてもらえないかなって……」
「……どうせ切ることが決まってるんだろ? なのに、どうしてそんな無駄なことをするんだよ」
空になった杏仁豆腐のカップを回収していた鳥羽の疑問に、苛立った様子の希未が彼の足を踏む。いた!と声が上がった。
「でも、位牌みたいなものですよ? 元を正せば私の力じゃないんだよ?」
「そこを何とかお願い!」
白波さんから名前を回収する前に、一刻も早くあの桜を助けてあげて欲しいのだ。私が頭を下げると、彼女はおっかなびっくりといった感じに頷いた。
「私にどこまでできるかは分からないけど……」
「ありがとう! 白波さん大好き!」
私が自分から抱き付くと、白波さんが驚きを示す。
松葉と希未が「「あ!」」と目くじらを立て、私と彼女を引き離そうとした。
「月之宮さんが……私のこと大好きって……」
「珍しいものもあるもんだな。良かったじゃねえか。白波」
頬を押さえて喜びを堪えている白波さんに、鳥羽がフッと笑みを浮かべる。希未は恨めしそうにこちらを見てくるし、松葉は松葉で嫉妬を露わにしている。
「「白波ちゃん(白波小春)の分際でズルい!」」
「こ、これは私の貰った大好きなんだもん!」
「お前ら、低次元な言い争いをしてるんじゃねえよ……」
やれやれ、と天狗はため息をついた。
なんだかんだで、彼の周りは月之宮八重のことが好きすぎるから。
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