悪役令嬢のままでいなさい!

顔面ヒロシ

☆161 白い病院での目覚め





 覚えていない間から、ずっと夢を見ていた。
嫌っているはずなのに、自分より劣っているはずの人間に憧れていた。
恵まれている者が必ず幸せになれるなんて嘘。
幸福な人は自分が恵まれていると感謝するけれど、不幸な人は自分の手の平に無いものばかりを数えて生きていく。
そんなこと教えられなくたって知っていた。彼だってきっと知っていた。




 ウィリアム・ジャック・ジョーカー。
二つ名は《ウィル・オ・ウィスプ》、不滅の迷鬼。
息を吸うように殺戮し、息を吐くように殺害をしていた、人の道を踏み外した殺人鬼。迷いながら日本を歩く1人の鬼。


 これは、彼が街にやって来るまでの話。彼がやってきた後に、大事な人とさよならをする物語。
 別れの秋。
さよならを前に、狂っていく。
そんなことは耐えられないと足掻いてしまう。
大切なモノに永遠の眠りが訪れるだなんて、誰だって認めたくない。
認めたくなかった、『彼』のストーリー。








 私が目覚めたのは、病院の白いベッドの上だった。
消毒薬の臭いと、密閉された大きな建物の中で意識が戻った時、私が一番最初に見たのは隣で寄り添って眠っている松葉の息づかいだった。
白茶の跳ねた髪。人形みたいな長い睫毛。呼吸を繰り返して、うなされながら眠りに落ちている。


 おかしい。
何がおかしいかって、ここに松葉がいることがおかしい。『神社』に行く前に松葉は自宅に置いてきたはずなのに……。
と、そこまで考えたところで、私の瞳から一滴の涙が零れた。


「…………、」


 そうか。……私はあそこで気絶したのか。
どう見てもこの場所は屋外ではない。社の中でもない。自宅でもない。
ここは、病院だ。
生と死が訪れる建物に私は運び込まれたらしいことに気が付いて、近くに東雲先輩がいないことに淋しさを覚えた。


「そういえば……」
 目を閉じる直前に、妖狐と神龍が激突しそうになっていたことを思い出し、私は怖くなって窓辺に駆け寄った。クリーム色の薄いカーテンを開けると、強い日差しがここに差し込んでくる。


「……街が、無事に残ってる」
 連なっていく家々の屋根や、ビル、電信柱などが相も変わらず外にあった。ゴジラが破壊したような痕跡はどこにもなく、特級の災害がやってきた様子もない。ハリケーンに家がねじり切られた感じではないし、平和な朝の風景だ。
茫然とそのまま窓辺から外を眺めていると、ベッドで添い寝をしていた松葉が私の動きを感知して瞼を開けた。


「うにゃ……やえ、さま……?」
 身体を起こし、ぐしゃぐしゃと自分の頭をかいた松葉は、私服のままだった。よく見れば簡易ベッドがセッティングされてあったにも関わらず、私と同じベッドで寝ることを決めたらしい。
通りで私の身体の節々が痛いわけだ。余剰スペースが占拠された弊害がこちらに出ている。


「なんで私の隣で寝ているのよ、松葉」
「だって、八重さまがいつまで経っても目を覚まさないから……。これはもう、夏だけどボクのこの身体で温めてあげるしかないかなって……」
「……暑苦しい発想しないでよ」


 寝ぼけまなこの式妖の返事に、私は気分が悪くなった。
発想だけじゃなく、実行に移した松葉の奇行を誰も止めてくれなかったのだろうか。


「……って。あれ? 八重さまがいないんだけど」
「ここに立ってるわよ。このお馬鹿」
 腕組みをして睨むと、慌てている松葉は目元をこすってキョロキョロし始めた。そうして、しばらくたった後に窓辺にいる私に気が付くと、ものすごく残念そうな表情になる。


「……寝起きの八重さまとドッキリご対面イベントがいつの間にか終わってるんだけど」
「そこで少女漫画みたいに叫ぶような神経はしてないわ」
 だって、相手はこの松葉だし。
以前に風呂場の扉を開けられた方が、よほど心臓に悪かった。


「ええ~……」
 まるで分かってないと言いたげにカワウソがため息をつく。その態度に私がそっぽを向くと、彼はこう言った。


「神社で倒れたって知らせを聞いたボクがどれだけ心配したと思ってるのさ。結局、一晩明けて朝になるまで起きないし、八重さまの布団に潜り込みたくなったこの気持ちを全然分かってないよ」
「後半32文字が明らかに余計なんだけど」


 ……まあでも、確かに心配をかけたことには変わらない、か。
一晩中看病してくれた松葉にはお礼を言っておいた方がいいだろう。


「……看病してくれたことには素直に感謝するわ」
「うわ、八重さまが可愛い」
 どうせなら、ほっぺにチューとかご褒美が欲しいかなー、と妙なことを言い出したカワウソの声を聞かなかったことにする。
そこまで媚びるつもりはないのだ。


「ねえ、東雲先輩はどうしたの?」
「……なんでアイツのことを聞くんだよ」
 ムッとした松葉が、唾を吐くフリをする。実に不愉快そうな顔になる。それもそうだ、何故ならあの妖狐は、八重が倒れたのにも関わらずここにいない・・・・・・のだから。


「アイツなら、この病院に付き添ってきた後は月之宮家の領分を侵す前に帰ったよ。全く苛立たしいったらありゃしない。あーいうところがボクは気に入らないんだ」
「……そう」
 もめ事を起こさないように、自分の場所へ帰ったんだ。
私は、ぽすん、とベッドの縁に腰かけて、柔らかなビーズの入った入院患者用の枕を抱きしめてそこに顔をうずめた。


 あれだけのことがあった後に、どんな顔をして東雲先輩に会ったらいいのか分からない。
どう振る舞ったらいいのか判らない。
だって、だって……。
……あの桜は私がしっかりしていれば枯れることはなかったのよ。
きっとそうだったなら、あんなおのずから自殺をするような悲しい決断はしなかったに違いない。
古くからの友人であったと聞いていた。妖狐にとっての打撃は大きかったはずだ。


 ――私さえ……。
過去にあった記憶を忘れずにいたならば、こんなことにはならなかったのだろうか――。







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