悪役令嬢のままでいなさい!
☆144 ドリップコーヒーとフラペチーノ
沢山の荷物を持ち込んでス○バの店内に入ると、八手先輩が飲み物を奢ってくれた。赤髪の彼はドリップコーヒーを、黒髪の私は遠慮せずに冷たいフラペチーノを頼む。
氷の入ったドリンク容器はひんやりしており、試しに触ると涼やかな心境となっていく。ストローでフルーツ風味の中身を試しに味わっていると、鬼との間に沈黙が流れた。
……わざわざどうして時間をとったんだろう。
「あの、白波さんへの護衛は今日はお休みですか?」
「………………」
話しかけてみたものの、返事がない。私の浮かべた愛想笑いが引きつりそうになる。
ずず、と珈琲をすすった彼は、その瞳を私へ固定していた。斜めに切られた前髪から覗くそこに熱がともっているように見えて、私は気のせいだと自分に言い聞かせる。
「……ずっと考えていたことがある」
私の質問を無視した八手先輩は、そう口を開いた。
「何を、ですか?」
「瀬川のことを、常々羨ましいと感じていた」
彼は重々しく言った。
なんでまた松葉を? いきなりの発言に、私が少々身を引く。
「ど、どうしちゃったんですか、突然。どこか羨ましい要素って松葉にありました? まさか、しょっちゅう東雲先輩に殴られたりしてるところですか?」
「……る、から」
うん? よく聞き取れな……。
「……アイツは、お前の側にいられるからだ」
ポツリと呟いた八手先輩のセリフに、私は彫像のように座ったまま凍り付いた。
衝撃発言を聞いてしまった気がするんですけど……。
「意味が分からな……」
かったことにしてしまおう! そうしましょう!
平和を破壊する爆弾のようなものが久々に降りかかって来ているような気がしているけど、それは手早く誤魔化してどっかに捨ててしまった方がいいと思う!
「……気付いたのは、夏休みの旅行だ」
話し出さなくていいから!
作り笑顔がなくなった私をよそに、八手先輩はいつもの無表情で喋り始めた。彼が持っている珈琲の水面は揺れ、さざ波を立てる。
「どうしてこんなにお前のことばかり考えていたのか、その時までは理由が不明だった」
「それは分からないままでいいのではないでしょうか……」
「……最初はこの心を動かしているのは白波なのではないか、と誤解していたんだ。だが、どこか釈然としない物足りなさを覚えてな」
「そのまま可愛い白波さんにトキメいていましょうよ。ファンクラブの創立なら手伝いますよ。鳥羽は強敵かもしれませんけど。なんでそこからいらぬ方向転換をしようとするんですか」
「……オレのような古くからのアヤカシには現代人のいう可愛いという意味がよく分からん。それは脆弱なことと同義ではないのか?
心根は悪しくないかもしれんが、白波はメダカのようにいつ死ぬか気が気ではない」
「……人間ですから。白波さんはちゃんと人の子ですから!」
呆気なくも死んでしまう小さな魚。
それに例えられた彼女の命は、私にとっては重く大切なものだ。
もしも鳥羽が好きになった女子が白波さんじゃなかったら、私はその事実を認める気になんかなれなかったかもしれない。
「……人間も魚も同じことだ。どんなに大事に扱っても、お前たちは100年と経たずに死んでしまうのだから」
八手先輩はほの暗く笑った。
珈琲の匂いに混ざったビターテイスト、砂糖みたいな甘ったるさなんて要らないのに。
「オレが人間であった頃は、自分の命はもっと長いものだと算段していた。戦場で実際に死んでから、ようやくその短さを知ったのだ」
「……八手先輩は、元は人間だったんですか」
「……前にも言ったのだが。忘れたか? オレの前世となった男は忠義だけに生きた貧乏侍だった。負け戦しかできなかった地方大名に仕え、戦場で己が命を落とす間際に主の方が先に死んだことを知って絶望した――そんな人間の男だ」
さらっと語られてしまったけれど、なんだかそれを聞いて心に痛みが走った。
どことなく沈んでしまった私に、八手先輩は続ける。
「……この名前は、一時共に暮らしていた老天狗から貰ったものだ。しばらくはアヤカシとの交流があれば平気だと思ったのだが……やはり、自分の死に際の喪失感からは逃れることができなかった。心を満たすものを探して、刀ばかりを振るって生きてきたんだ」
アシンメトリーの均整に欠けた八手先輩の髪型が、その半生とシンクロして見えた。
きっと、苦しかったはずだ。彼が主君を失ったことによってどれほどの打撃を受けたのかを想像してしまい、私はアヤカシから背を向けようとしていた自分の姿勢を崩さざるを得なかった。
「……それ、辛かった……?」
私がそっと囁くと、鬼は「分からん」と答える。
濃霧のようなその目には、生きている苦痛に気力すらとうに無くなってしまった痕跡があった。麻痺してしまうほどに、悲しくて、悲しくて。
――やがて辛いと言葉にすることすら、億劫になっていく。
「……もう、そういうものだと思っていた。どんな人間を守っても、必ずオレを置いて逝く。
この学校に潜り込むのには労を要したが、大した期待なぞしていなかった。白波が神子だと知った時にはもしやと思ったが、今一度オレの心を動かしたのは、月之宮。お前だったんだ」
「そんな、たった216円ばかりのことなんですよ?」
そこまで耽美的な出会いじゃなかった。むしろ、庶民的なものだったはずだ。
「……そうだったな。あの時は不覚をとったが助けられた」
八手先輩が口端を上げる。
それに、私は眉を潜めた。
「運命の出会いとは違うじゃありませんか。なんで私だったんですか。もしも、他の人間が小銭を貸していたら、そちらを大事に思うようになっていたって云うんですか」
もしそうだとしたら、それこそ正気を疑う話だ。八手先輩の性格が変わっていることは充分承知しているけれど、ここまでくると理解の範疇を超える。
「……惚れた理由など後からいくらでもつけられる。
お前に恩を返したいと思った。なかなかに徳のある奴だと分かった。気骨のある女だと知った。こんなに面白い奴は滅多にいない。
もっとも大事なのは、どんな些細なきっかけだとしても、お前の為に尽くしてみたいと思えたことだ」
再び、熱い眼差しを向けられた。予想の外から投げかけられた言葉に、私はどうしていいのか分からず俯いた。
「……そんなの、きっと気のせいですよ」
「……あり得ないな」
「そーですって。絶対、後で後悔しますよ。なんであんな陰陽師にあんなこと云ったんだろうって思いますからね」
「……月之宮、気付いているか?
お前の顔、けっこう赤くなっているぞ」
くつくつと八手先輩が笑いを零す。
「な……っ」
歯噛みをした私は、紅潮した頬のままにソッポを向いた。
「白波さんのことはどうするんですか!」
「白波の警護のことなら……できたらお前から命令して欲しい」
――そっちの方が、ぞくぞくするから。
……と、無表情な八手先輩から妙な副音声が聞こえるような気がして、私は我に返った。
「え……嫌です」
「……何故だ」
アヤカシでも一応先輩なので、私が丁重に断ろうとすると、鬼はあからさまに残念そうな顔になった。
「だって、学校の先輩ですもん。私にはアヤカシだとしても男の人を虐げるような趣味はありませんから」
過去の話とか事情とかを聞いてほだされた部分もあったけど、かといって八手先輩のお願いを承諾できるかといえば話は別だ。
「……性癖の話ではないのだが」
「それ以外の何だっていうんです?」
私はドエスの女王様に担ぎ上げられるつもりはない。
胡乱気な眼差しを向けると、八手先輩は「……そうか」と口にした。
「……どんな時代でも、いい女に選ばれるのは尽くせる男だと思うのだがな。オレの勘違いだったようだ」
「ええええ……」
先輩、それってすごく偏った異性感じゃありません? 私に求めるものが間違ってますよ……。と、頭では冷静になっているつもりだったのにヤバイ。なんだか風変りな鬼が相手なのに恥ずかしくなってきた。
カフェテリアのど真ん中で不意打ちの告白とか……。どれだけ攻撃力高いのよ。こっちは心の準備なんてできてないもの、防弾チョッキとか着てないから精神的に負けているようなものよ!
口の中がカラカラに乾いてきた私は、どことなく居心地の悪さばかりを感じていた。
これって、私は八手先輩にそういう意味で好かれているということでいいのだろうか。東雲先輩以上に八手先輩と自分が恋仲になっている光景が思い浮かばないのだけど、やっぱりお断りした方が……。
チラリ、と対面席を見ると、八手先輩は珈琲を飲みながらこう呟いた。
「……月之宮からの頼みだと思えたから、白波の護衛も張り合いがあったのだが……」
「途中で辞めたりしたいのですか?」
「それはない」
月之宮にはまだ情報が入っていないのか……と八手先輩は厳しい表情になった。
「……春に隣の県で連続殺人事件が起こったのを覚えているか?」
「そんなこともありましたっけ?」
余りにも色々なことが起きたものだから、記憶からさっぱり抜け落ちている。頼りない反応をしている私のことはさておき、八手先輩はこう話した。
「どうも風の噂によると、その犯人はアヤカシの可能性が高いらしい」
「……え!?」
「場当たり的な犯行だが……今後、それがこの街にやって来ることも視野に入れた方がいいだろうと思ってな。ついては月之宮に知らせておこうと思った。
……飲み終わったのなら、ここを出よう」
いつの間にか空になった容器を見てとると、八手先輩は席を立った。動転しそうになっている私が立ち上がった頃には、すでに店の外に移動している。
……連続殺人事件に関わっているアヤカシが、まだ野放しになっている……?
松葉との死闘を思い出した私の身体が、小刻みに震えた。
血を流すのが怖くて、未来への恐れを感じて。
容器を片付けてドアから出ると、八手先輩が熱帯夜のような気温の屋外でこんなことを言った。
「……怖い話だったか?」
「……そう思っちゃいけないと分かってはいるんです。陰陽師の私がアヤカシを怖がってたらどうしようもない。この仕事で剣を持つのなら、自分の感情は持ち込んじゃいけないって」
「……そうか」
八手先輩は、強がる私にこう言った。
「そのアヤカシの正体はまだ判然としないが……何か情報が手に入ったら、また月之宮に教えることにする」
「……はい」
私が小さな声で返事をすると、八手先輩は難しい顔のままにこう呟いた。
「……これから先、何を見ることになっても、どうか、アヤカシのことを無差別に嫌いにならないで欲しい」
それは祈るような言葉。
星の出てきた空の下で、私の耳膜を震わせて消えた。
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