悪役令嬢のままでいなさい!

顔面ヒロシ

★間章――瀬川松葉





 つまらなかった。


 最初に産まれたのは、昭和の後期。絶滅間際の川獺の母から生を受けた。兄弟たちはすぐに死んだ。年老いていた母親の雌川獺もそのうちに死んだ。獣であった自分は、埋葬することもなく、その朽ちていく肉体の傍でしばらく過ごした。
やがて、嫌でも思い知らされた。死んだモノは帰ってこないということ。自分の仲間はもうこの世界のどこにもいないんだってこと。


 排気ガスと工業スモッグでけぶる空。灰色に濁った河川。コンクリだらけの街並み。


 それでも、群れる本能に従って探し続けた。数少ない魚を捕りながら、ドブのような河川で人間に見つからないように生きた。いつか報われるかもしれないと信じていた。


天命は予想以上に早くやってきて、寿命よりも短くボクはのたれ死んだ。独りぼっちで死んでいくことは恐ろしすぎて、息を引き取る間際に強く恨んだ。
――孤独への恐怖と悲しみと恨みだけで、死んだボクの亡骸はアヤカシとして成った。




 最初の頃は、人魂のように浮遊していた。銀色に透き通った意識で、ようやくボクは辛く苦しい肉体に縛られなくなった。
探しに行こうよ。カワウソの仲間を、もう一度探しに行こう。
最後に残ったその一心だけで、怨念から生まれたそれは妖力を蓄え続けた。他の邪悪な霊魂を襲い、喰らい、殺すことによって強くなった。


 実体化した四足で走れるようになって、日本中の旅に出た。やがて失意のうちに二本足で立てるようになり、出会ったアヤカシたちと殺し合いを続けるうちに人型になれるようになった。


 日本人に特有の黒髪黒目ではないけれど、瀬川松葉を見た人間は違和感を覚えながらも自分のことを同族と思うらしい。そのことに最初は暗澹たる思いになったけれど、とっくに人間の姿になれるようになったけれど、瀬川はどうしても川獺という生き物から思考を切り離すことができなかった。


 人族が運営する水族館に、何度も見に行った。
コツメカワウソやカナダカワウソ、ユーラシアカワウソ。道路を歩いて日本中のあらゆる川獺に会いに行った。
……いっそのこと、脱走させてしまおうかと算段したこともある。それとも、盗み出して残酷に殺してしまえば、その恐怖で彼らはアヤカシに変じるだろうか。


 暗い笑みを浮かべて、瀬川はホテルのベッドで膝を抱えた。川獺の仲間が欲しい自分が、その為に種は違えど同族を殺すなんて、そんな矛盾があるか。
そんなことをしたところで、彼らはボクのことなど愛さない。現に、人の姿をしたボクのことをアイツらはいつでも『人間』が来たと誤解する。
 仲間が欲しい。できるならばニホンカワウソの仲間が、アヤカシであるボクの仲間が!


「……無理だよ」
 ボクですら、最近の自分は人間の文化に染まってきたと思っている。水族館の川獺の雌を見てもなんとも思わないけど、人間の女のことをセクシーに感じてきたのなんか、その最たる価値観の変動だ。
 自分はきっとおかしいのだ。
アヤカシは、残留思念核に宿った最初の思念に永遠に縛られ続ける。高度に進化した瀬川の頭でも、365日仲間を求め続けるところなんか正しくそうだ。


 寂しい。寂しい……。寂しすぎて、いつしか瀬川は狂った。


 以前よりも更に強くなることに執着するようになっていった。善悪の判断がねじ曲がり、殺しをすることに躊躇がなくなる。元々、瀬川松葉の生前である『川獺』は獰猛な一面のある生き物だ。
 人間に似た見た目をしているくせに、どうしても彼らに寄り添うことができなかった。何がいけないのかも分からない。教えてくれるヒトなんかいないし、根本的に瀬川は人間を見下していた。
そのうちに、いつからこの考えにとりつかれたのかは覚えていないけれど、瀬川はやがて色んな場所からニホンカワウソの剥製を盗み出すようになっていく。
どこかで手に入れた霊魂をここに宿らせれば、もしかしたら、ボクみたいなカワウソのアヤカシが生まれるかもしれない――。
――それに、ボクらを滅ぼした人間の見世物にされている同族の死体にたまらなく苛立ったからだ。


 失敗続きの連続。気まぐれな瀬川はいたずらに、とっかえひっかえの剥製で錬成を試したけれど、どれもうまくいかない。魔術の知識を漁り、本屋で参考書を買い、始めて人間のやるように一般科目も含めて勉強をした。
 普通だったらアヤカシが生まれるまで素体になる生物を殺しつづけるのが手っ取り早い。無機物のアヤカシの場合は、大抵がそこに人間の残留思念が宿っているのだ。
つまるところ、アヤカシを作るには素体を揃えた上で生物の死者となる間際の絶望が必要になる。それがどれだけの確率になるのかも分からないけれど……。


 ん? その確率を弄ったらどうなるんだ?
流石の瀬川でも気が付いた。それを連続して実験するには、神の領域が必須になるということに。アヤカシの自分ならば、条件さえ揃えれば『化生神』にならばなれるということに。


「ふ、ははははは……」
 自然と笑いが零れ落ちた。途方もないことだけど、力を求めていた水妖の少年にはその思い付きが堪らなく魅力的に思えた。


「……なってやろうじゃん。神様」
 これは水妖、瀬川松葉が私立慶水高校を受験する前の物語だ。
その先にあるのが、主、月之宮八重への浮かばれない一目惚れになることを、この頃の少年はまだ知らない。







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