悪役令嬢のままでいなさい!
☆100 出迎えに来たのは支配人
しょっぱい風が私たちの頬を撫でる。閉塞的な高速ヘリコプターの外に出ると、まず視界に入るのは沿岸に広がる青い海だ。バカンスに行くような地中海の透明度には負けるけれど、私はこの日本の海が嫌いではない。
気候は7月にしては穏やかで、頭上の太陽はこの無人島を暑く照り付ける。海辺の景色と対比されるように地上ではきらびやかな建築物や人工の火山、観覧車などが並んでいた。私の次に地上へと降り立った蛍御前が伸びをした。
「ふむ……綺麗な風景じゃのう」
強く吹き付けてきた海風が蛍御前の水色の髪をたなびかせる。私の前髪もそれにつられて額に舞った。
「――お嬢様、お待ちしておりました」
私に話しかけてきたのは、この遊園地の支配人だ。少し年配の男性で、月之宮と日之宮で雇われている彼はかなりの切れ者と評判だ。
「出迎えに感謝します。支配人」
「いえいえ、これが私共の仕事ですから。本日は我がテーマパーク、クリスタルレインにお友達と一緒にお越しいただきありがとうございます。
つきましては、これがフリーパス券になりますのでどうぞ皆さまでご着用下さい」
深々と頭を下げた支配人は、柔和に微笑んだ。傍に居た部下が私たちにお盆に乗ったフリーパス券を差し出す。青色のホルダーに入っていて、リストバンドのように取り付けるようだ。
「……えっと、私の方でもお金を用意していたのに」
「そちらの方はレストランやお土産物屋でお使い下さい。オーナーの娘さんに入場料を払わせるわけにはまいりませんので」
そう強く強調されると、それに抗うわけにもいかない。私は準備していた財布を引っ込めて、大人しくフリーパス券を手に取った。
左の手首に巻き付けると、カチッとした音がなりロックされる。そこまで重くはなく、関節の動きも妨げられることはない。
「僕にも一個下さい」
東雲先輩もフリーパス券を躊躇わずに手に取った。支配人はにこやかに私たちへ向かって説明を続ける。
「それは本日限りのご優待券となっておりまして、我がクリスタルレイン正面ゲートからの入用退場は勿論自由にしていただけますし、乗り物もご自由に遊んでいただけます。また、こちらはプレミアムチケットとなっておりますのでノーマルチケットのお客様とは違い混雑時には優先してご案内することになります」
「流石大財閥ですね。富裕層しか来られないこの遊園地でのプレミアム仕様ですか」
「筆頭株主の月之宮家の方々には日ごろからお世話になっておりますから。これぐらいは当然のことです」
東雲先輩の感心したような声に、支配人は笑顔になった。
「……だってさ。まあ、八重さまが偉いのは当然のことだよね」
「なんでお前が得意そうなのじゃ。松葉」
ヘリから颯爽と降りてきた松葉がぐるっと視線を巡らすと、フリーパス券を眺めていた蛍御前が呆れ顔になる。私がそれに思わず苦笑してしまうと、支配人が驚いたように見つめてきた。
「お嬢様……」
「ふふ……? どうかしたの?」
「い、いえ。随分と雰囲気が変わられたようにみえましたものですから」
支配人が驚いたのは、八重の雰囲気が以前に会った時よりも自然体になっているからだった。幼い頃に出会った時にはもっと全身が針のように研ぎ澄まされていて、その目は暗くよどんでいたものだ。
「そうかしら?」
「前はもっと……、いえ、これを云うのは口を控えさせていただきましょう。お嬢様、どうか本日はクリスタルレインを存分にお楽しみください」
それは悪い変化ではなかった。むしろ、死んだ眼差しに生気が宿ったのは喜ばしい。支配人の仕事は八重が楽しめるように裏方に回ることである。
「わぁ……! 海がこんなに近くにある!」
白波さんのはしゃぎ声がしたので振り向くと、彼女はシフォンワンピースの裾を広げて踊るように歩いていた。その側にいる鳥羽もどことなく嬉しそうに海を眺めている。
そして、奥から現れた柳原先生は遠野さんに付き添われていた。顔色は白く、よろよろと危なっかしい足どりである。
「うう……もうヘリコプターなんか乗りたくねえ……。見事に酔っちまったわ……」
「……先生。……大丈夫、……ここはもう、地面の上」
うげえ、と呻いた先生はその場にしゃがみ込む。吐きはしないものの、とても具合が悪そうだった。ヘリコプターから降りてきた希未がその光景を見て、眉を上げる。
「あれ? 柳原先生ってば乗り物酔いしちゃったの? 私、乗り物酔いの薬持って来てるから分けてあげましょうか?」
「頼む……っ 分けてくれ、栗村……」
「はいはい」
希未がバッグを探して、小さなパッケージを取り出す。それを柳原先生に手渡すと、
「水は要らないタイプですから、呑み込んじゃって下さい。ぐっと……ほら!」
希未の言う通りにぐっと呑み込んだ先生は、深々とため息をついた。側にいる遠野さんが恐る恐る先生の顔を覗き込む。
「先生……大丈夫?」
「いや、あの……。遠野、大丈夫だからもうちょい離れてくれ」
至近距離で支えてくれている遠野さんに、柳原先生が呻いた。海のさざ波の音ばかりが聞こえてくる無人島で、遠野さんの顔が赤くなった。
「鳥羽君! あっちでヨットが泳いでます!」
「マジかよ……、おい月之宮、ここってクルージングとかもできるのか?」
ぴょんぴょんジャンプしている白波さんと一緒にいる鳥羽に話を振られ、私は首を傾げた。
「さあ?」
そこまでここの設備に詳しくないし。
当てにならない私と違って、この遊園地の支配人はにこやかに答えた。
「小型のヨットならレンタルもしていますよ。……そうですね、ざっと1日当たり30万円ほどいただいております」
「たっけーな、おい」
その値段に鳥羽が顔をしかめる。その切れ長の目がつまらなそうな色を映す。それに対し、事情通らしい東雲先輩はこう言って返した。
「鳥羽、ここがどこかちゃんと理解できてますか? クリスタルレインは富裕層向けの高級テーマパークですよ? ここでの物価は外の世界よりも高くなっているんです。ヨットぐらいで目くじらを立てていたら楽しめません」
「そーいうことかよ……」
鳥羽の呻き声に、白波さんがあわわ、と慄いた。
「さん、30万円のヨットがあんなに浮かんでる……」
「そこまで驚くことかしら? ここに来る客層はそんなの気にしないわよ?」
もしもここに来た客が日之宮奈々子だったら30万円ぐらいはした金にしか感じないだろう。彼女にとったら小銭みたいなものだ。
私の反応に白波さんがぎょっとした。
「私の持ってきたお小遣いじゃ足りないかもしれないってこと!?」
「そうねえ……。もしも足りなくなったら私が代わりに支払うんだろうなって覚悟はしてたけど……」
だって、白波さんや希未の持ってくる財布の中身だと絶対に足りないだろうし。持ってきたブラックカードの話をしようかどうか悩んでいると、東雲先輩が嫌そうに言った。
「なんで君が支払うことになるんですか。八重の使うお金はデートの相手の僕が支払うのが筋ですし、もし足りなくなったら白波小春にも僕から出しましょう」
「……いや、そうなったら白波の分は俺が払うから」
東雲先輩を遮って、男気を見せた鳥羽がそう発言した。眉間にシワは寄っているものの、すでに諦めを覚えているらしい。
鳥羽の収入源については前に聞いたことがあるので、私は大して心配しなかった。
あっそう。と思ったぐらい。
「えっ、えっ、その、あれ?」
状況についていけていない白波さんに、希未がニヤッと笑う。
「良かったじゃーん。白波ちゃん。鳥羽が払ってくれるってさ。あ、私の分は瀬川の会計でお願いしまーす!」
「ふむ……。妾の分もよろしく頼むぞ。松葉」
希未と蛍御前の言葉に、松葉が吐きそうな顔になった。
「なんでお前たちの分をボクが払わなくちゃいけないんだよ! 八重さまの分ならともかく! 八重さまの分ならともかく!」
「え~、八重の親友の私を敵に回してもいいわけ? あんなことやこんなことを色々知ってるのに?」
「……取引するってこと?」
「それは瀬川次第だな~、ほらぁ、アンタって後輩じゃん? 私は素敵な先輩なわけじゃん? なんだかドンドン奢りたくなっちゃわない?」
「いや……、単なる嫌味なスルメ女としか……」
余計なことを云った松葉が希未から殴られた。ちょっと物申したくなった私だけど、何も見なかったことにした。彼らは彼らで上手くやるだろう。
「……すまん、月之宮」
後ろから声を掛けられ、振り返ると蘇生した柳原先生が立っていた。両手を合わせて、拝むような態勢になり、
「ざっと150万ぐらいオレに貸してくれ!」
「……それはいいですけど……、返せるんですか?」
私が思わず返答すると、雪男は空笑いになった。
「オレの少ない給料からやりくりして返すから、大丈夫だ」
その答えに東雲先輩が目を鋭く光らせた。
「……柳原は、大人しく異能を使って氷でも売買したらどうなんです。いい加減に人間縛りをやめないと自分の首を絞めるだけですよ」
「……だって、これがオレの生き方なんだもん! しょーがねえじゃん、この魂まで染みついてるんだから!」
人間縛り?
その意味不明な単語に首を傾げると、東雲先輩が小声で解説してくれた。
「この柳原は、アヤカシのくせに人間と同じように生活することにこだわっているんですよ。収入を手に入れる手段も普通の人間らしい稼ぎ方しかしない主義なんです。こんな男に金を貸しても返ってくるか怪しいですよ」
「返すっつーの! 今まで東雲さんに借りてた金もみんな完済したじゃねーか!」
「そもそも、ここで八重に借りること自体が計画性に欠けてるんですよ。僕がトイチで貸してもいいですが?」
「冗談に聞こえねえ……。すまん、月之宮」
そんな生き方をしているのならば、鬼のような東雲先輩から借りないのは正しい選択だと思う。先生の隣で困っている遠野さんの様子に目をやった私は、にっこり笑った。
「いいですけど、今日一日遠野さんをよろしくお願いします」
「へ? いや、まあ……確かにオレが引率するしかない……か?」
柳原先生に、東雲先輩が理不尽なことを云った。
「もしも僕と八重の行動の邪魔をしたら、その間抜けな頭を胴体から引きちぎりますよ」
「こわっ!」
慌てた柳原先生が、「責任もって預からせていただきますー!」と叫んだ。困ったことに、私の手元にはブラックカードと銀行のカードくらいしか持っていない。そこで、私は支配人に訊ねた。
「あの、遊園地の中ってATMはありますか?」
「いくらでもありますとも。各エリアごとに5か所は設置されております。
このクリスタルレインのエリアは6つありまして、ドーナツのように配置されたアドベンチャーエリアとファンタジーエリア、ウォーターエリアにミステリアスエリア、マジックエリアがありまして……そして最後が中央区です」
「ありがとうございます。その、中央区には何があるんですか?」
「ここでは顧客情報を管理したりする人工頭脳や迷子の保護施設、簡易的な病院サービスなどもありますが、特筆すべきばグルメストリートでしょうな。他エリアでも食事はできますが、ここではバイキングなども行っているんですよ」
ちょっと誇らしげに支配人は説明をしてくれた。
「「「……バイキング!」」」
「お前ら、よく素直に喜べるな」
それを聞いた白波さんと希未と蛍御前の目が光る。鳥羽が呆れた眼差しを彼らに送った。
「みんな、グルメストリートのバイキングに行きたいの?」
私の問いに彼らは深々と頷いた。
「だって、中学の修学旅行でしかバイキングになんて行ったことないよ!」と白波さん。
「なんか、すごく美味しそうじゃん。しかも、食べ放題なんだよ?」と希未。
「そうさのう……。満更でもないの」と蛍御前。
他のメンバーにも確認してみたところ、悪くはない反応だったので、午前中は自由行動で13時になったら中央区に集合することになった。
支配人が苦笑する。
「皆さま、元気があって何よりです。……では、お嬢様。こちらにバスが用意してありますので、すぐにゲートまでお送りさせていただきます」
その言葉と共に指差されたバスに、再び白波さんが色めき立った。
「わぁ……っ」
動物や魚が描かれたバスのデザインが好みに合致したらしい。私の幼少の記憶にどこか引っかかる絵柄の車体は、どこか高級感を漂わせている。
「それでは皆様、本日はどうぞクリスタルレインをお楽しみ下さいませ」
引き締めた表情で、支配人はどこか得意そうにそう宣言したのだった。
気候は7月にしては穏やかで、頭上の太陽はこの無人島を暑く照り付ける。海辺の景色と対比されるように地上ではきらびやかな建築物や人工の火山、観覧車などが並んでいた。私の次に地上へと降り立った蛍御前が伸びをした。
「ふむ……綺麗な風景じゃのう」
強く吹き付けてきた海風が蛍御前の水色の髪をたなびかせる。私の前髪もそれにつられて額に舞った。
「――お嬢様、お待ちしておりました」
私に話しかけてきたのは、この遊園地の支配人だ。少し年配の男性で、月之宮と日之宮で雇われている彼はかなりの切れ者と評判だ。
「出迎えに感謝します。支配人」
「いえいえ、これが私共の仕事ですから。本日は我がテーマパーク、クリスタルレインにお友達と一緒にお越しいただきありがとうございます。
つきましては、これがフリーパス券になりますのでどうぞ皆さまでご着用下さい」
深々と頭を下げた支配人は、柔和に微笑んだ。傍に居た部下が私たちにお盆に乗ったフリーパス券を差し出す。青色のホルダーに入っていて、リストバンドのように取り付けるようだ。
「……えっと、私の方でもお金を用意していたのに」
「そちらの方はレストランやお土産物屋でお使い下さい。オーナーの娘さんに入場料を払わせるわけにはまいりませんので」
そう強く強調されると、それに抗うわけにもいかない。私は準備していた財布を引っ込めて、大人しくフリーパス券を手に取った。
左の手首に巻き付けると、カチッとした音がなりロックされる。そこまで重くはなく、関節の動きも妨げられることはない。
「僕にも一個下さい」
東雲先輩もフリーパス券を躊躇わずに手に取った。支配人はにこやかに私たちへ向かって説明を続ける。
「それは本日限りのご優待券となっておりまして、我がクリスタルレイン正面ゲートからの入用退場は勿論自由にしていただけますし、乗り物もご自由に遊んでいただけます。また、こちらはプレミアムチケットとなっておりますのでノーマルチケットのお客様とは違い混雑時には優先してご案内することになります」
「流石大財閥ですね。富裕層しか来られないこの遊園地でのプレミアム仕様ですか」
「筆頭株主の月之宮家の方々には日ごろからお世話になっておりますから。これぐらいは当然のことです」
東雲先輩の感心したような声に、支配人は笑顔になった。
「……だってさ。まあ、八重さまが偉いのは当然のことだよね」
「なんでお前が得意そうなのじゃ。松葉」
ヘリから颯爽と降りてきた松葉がぐるっと視線を巡らすと、フリーパス券を眺めていた蛍御前が呆れ顔になる。私がそれに思わず苦笑してしまうと、支配人が驚いたように見つめてきた。
「お嬢様……」
「ふふ……? どうかしたの?」
「い、いえ。随分と雰囲気が変わられたようにみえましたものですから」
支配人が驚いたのは、八重の雰囲気が以前に会った時よりも自然体になっているからだった。幼い頃に出会った時にはもっと全身が針のように研ぎ澄まされていて、その目は暗くよどんでいたものだ。
「そうかしら?」
「前はもっと……、いえ、これを云うのは口を控えさせていただきましょう。お嬢様、どうか本日はクリスタルレインを存分にお楽しみください」
それは悪い変化ではなかった。むしろ、死んだ眼差しに生気が宿ったのは喜ばしい。支配人の仕事は八重が楽しめるように裏方に回ることである。
「わぁ……! 海がこんなに近くにある!」
白波さんのはしゃぎ声がしたので振り向くと、彼女はシフォンワンピースの裾を広げて踊るように歩いていた。その側にいる鳥羽もどことなく嬉しそうに海を眺めている。
そして、奥から現れた柳原先生は遠野さんに付き添われていた。顔色は白く、よろよろと危なっかしい足どりである。
「うう……もうヘリコプターなんか乗りたくねえ……。見事に酔っちまったわ……」
「……先生。……大丈夫、……ここはもう、地面の上」
うげえ、と呻いた先生はその場にしゃがみ込む。吐きはしないものの、とても具合が悪そうだった。ヘリコプターから降りてきた希未がその光景を見て、眉を上げる。
「あれ? 柳原先生ってば乗り物酔いしちゃったの? 私、乗り物酔いの薬持って来てるから分けてあげましょうか?」
「頼む……っ 分けてくれ、栗村……」
「はいはい」
希未がバッグを探して、小さなパッケージを取り出す。それを柳原先生に手渡すと、
「水は要らないタイプですから、呑み込んじゃって下さい。ぐっと……ほら!」
希未の言う通りにぐっと呑み込んだ先生は、深々とため息をついた。側にいる遠野さんが恐る恐る先生の顔を覗き込む。
「先生……大丈夫?」
「いや、あの……。遠野、大丈夫だからもうちょい離れてくれ」
至近距離で支えてくれている遠野さんに、柳原先生が呻いた。海のさざ波の音ばかりが聞こえてくる無人島で、遠野さんの顔が赤くなった。
「鳥羽君! あっちでヨットが泳いでます!」
「マジかよ……、おい月之宮、ここってクルージングとかもできるのか?」
ぴょんぴょんジャンプしている白波さんと一緒にいる鳥羽に話を振られ、私は首を傾げた。
「さあ?」
そこまでここの設備に詳しくないし。
当てにならない私と違って、この遊園地の支配人はにこやかに答えた。
「小型のヨットならレンタルもしていますよ。……そうですね、ざっと1日当たり30万円ほどいただいております」
「たっけーな、おい」
その値段に鳥羽が顔をしかめる。その切れ長の目がつまらなそうな色を映す。それに対し、事情通らしい東雲先輩はこう言って返した。
「鳥羽、ここがどこかちゃんと理解できてますか? クリスタルレインは富裕層向けの高級テーマパークですよ? ここでの物価は外の世界よりも高くなっているんです。ヨットぐらいで目くじらを立てていたら楽しめません」
「そーいうことかよ……」
鳥羽の呻き声に、白波さんがあわわ、と慄いた。
「さん、30万円のヨットがあんなに浮かんでる……」
「そこまで驚くことかしら? ここに来る客層はそんなの気にしないわよ?」
もしもここに来た客が日之宮奈々子だったら30万円ぐらいはした金にしか感じないだろう。彼女にとったら小銭みたいなものだ。
私の反応に白波さんがぎょっとした。
「私の持ってきたお小遣いじゃ足りないかもしれないってこと!?」
「そうねえ……。もしも足りなくなったら私が代わりに支払うんだろうなって覚悟はしてたけど……」
だって、白波さんや希未の持ってくる財布の中身だと絶対に足りないだろうし。持ってきたブラックカードの話をしようかどうか悩んでいると、東雲先輩が嫌そうに言った。
「なんで君が支払うことになるんですか。八重の使うお金はデートの相手の僕が支払うのが筋ですし、もし足りなくなったら白波小春にも僕から出しましょう」
「……いや、そうなったら白波の分は俺が払うから」
東雲先輩を遮って、男気を見せた鳥羽がそう発言した。眉間にシワは寄っているものの、すでに諦めを覚えているらしい。
鳥羽の収入源については前に聞いたことがあるので、私は大して心配しなかった。
あっそう。と思ったぐらい。
「えっ、えっ、その、あれ?」
状況についていけていない白波さんに、希未がニヤッと笑う。
「良かったじゃーん。白波ちゃん。鳥羽が払ってくれるってさ。あ、私の分は瀬川の会計でお願いしまーす!」
「ふむ……。妾の分もよろしく頼むぞ。松葉」
希未と蛍御前の言葉に、松葉が吐きそうな顔になった。
「なんでお前たちの分をボクが払わなくちゃいけないんだよ! 八重さまの分ならともかく! 八重さまの分ならともかく!」
「え~、八重の親友の私を敵に回してもいいわけ? あんなことやこんなことを色々知ってるのに?」
「……取引するってこと?」
「それは瀬川次第だな~、ほらぁ、アンタって後輩じゃん? 私は素敵な先輩なわけじゃん? なんだかドンドン奢りたくなっちゃわない?」
「いや……、単なる嫌味なスルメ女としか……」
余計なことを云った松葉が希未から殴られた。ちょっと物申したくなった私だけど、何も見なかったことにした。彼らは彼らで上手くやるだろう。
「……すまん、月之宮」
後ろから声を掛けられ、振り返ると蘇生した柳原先生が立っていた。両手を合わせて、拝むような態勢になり、
「ざっと150万ぐらいオレに貸してくれ!」
「……それはいいですけど……、返せるんですか?」
私が思わず返答すると、雪男は空笑いになった。
「オレの少ない給料からやりくりして返すから、大丈夫だ」
その答えに東雲先輩が目を鋭く光らせた。
「……柳原は、大人しく異能を使って氷でも売買したらどうなんです。いい加減に人間縛りをやめないと自分の首を絞めるだけですよ」
「……だって、これがオレの生き方なんだもん! しょーがねえじゃん、この魂まで染みついてるんだから!」
人間縛り?
その意味不明な単語に首を傾げると、東雲先輩が小声で解説してくれた。
「この柳原は、アヤカシのくせに人間と同じように生活することにこだわっているんですよ。収入を手に入れる手段も普通の人間らしい稼ぎ方しかしない主義なんです。こんな男に金を貸しても返ってくるか怪しいですよ」
「返すっつーの! 今まで東雲さんに借りてた金もみんな完済したじゃねーか!」
「そもそも、ここで八重に借りること自体が計画性に欠けてるんですよ。僕がトイチで貸してもいいですが?」
「冗談に聞こえねえ……。すまん、月之宮」
そんな生き方をしているのならば、鬼のような東雲先輩から借りないのは正しい選択だと思う。先生の隣で困っている遠野さんの様子に目をやった私は、にっこり笑った。
「いいですけど、今日一日遠野さんをよろしくお願いします」
「へ? いや、まあ……確かにオレが引率するしかない……か?」
柳原先生に、東雲先輩が理不尽なことを云った。
「もしも僕と八重の行動の邪魔をしたら、その間抜けな頭を胴体から引きちぎりますよ」
「こわっ!」
慌てた柳原先生が、「責任もって預からせていただきますー!」と叫んだ。困ったことに、私の手元にはブラックカードと銀行のカードくらいしか持っていない。そこで、私は支配人に訊ねた。
「あの、遊園地の中ってATMはありますか?」
「いくらでもありますとも。各エリアごとに5か所は設置されております。
このクリスタルレインのエリアは6つありまして、ドーナツのように配置されたアドベンチャーエリアとファンタジーエリア、ウォーターエリアにミステリアスエリア、マジックエリアがありまして……そして最後が中央区です」
「ありがとうございます。その、中央区には何があるんですか?」
「ここでは顧客情報を管理したりする人工頭脳や迷子の保護施設、簡易的な病院サービスなどもありますが、特筆すべきばグルメストリートでしょうな。他エリアでも食事はできますが、ここではバイキングなども行っているんですよ」
ちょっと誇らしげに支配人は説明をしてくれた。
「「「……バイキング!」」」
「お前ら、よく素直に喜べるな」
それを聞いた白波さんと希未と蛍御前の目が光る。鳥羽が呆れた眼差しを彼らに送った。
「みんな、グルメストリートのバイキングに行きたいの?」
私の問いに彼らは深々と頷いた。
「だって、中学の修学旅行でしかバイキングになんて行ったことないよ!」と白波さん。
「なんか、すごく美味しそうじゃん。しかも、食べ放題なんだよ?」と希未。
「そうさのう……。満更でもないの」と蛍御前。
他のメンバーにも確認してみたところ、悪くはない反応だったので、午前中は自由行動で13時になったら中央区に集合することになった。
支配人が苦笑する。
「皆さま、元気があって何よりです。……では、お嬢様。こちらにバスが用意してありますので、すぐにゲートまでお送りさせていただきます」
その言葉と共に指差されたバスに、再び白波さんが色めき立った。
「わぁ……っ」
動物や魚が描かれたバスのデザインが好みに合致したらしい。私の幼少の記憶にどこか引っかかる絵柄の車体は、どこか高級感を漂わせている。
「それでは皆様、本日はどうぞクリスタルレインをお楽しみ下さいませ」
引き締めた表情で、支配人はどこか得意そうにそう宣言したのだった。
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