悪役令嬢のままでいなさい!

顔面ヒロシ

☆85 クラスマッチ準備





 7月に入って、体育の授業にプールが追加された。
そろそろ暑くなってきたので、堂々と授業中に身体を冷やせるというのはとてもありがたい。この高校にあるプールは屋内プールなので、日差しが肌を焼くこともない。
 学校指定の水着を着ると、何だか胸のあたりがきつい。
それに眉根を寄せながら、冷たいシャワーを浴びて――集合先のプールサイドに向かうと、そこにはもう他のクラスの面々が集まっていた。


男子たちの目がさりげなくこちらに集まるのを感じる。
そのことに若干の不快感を覚えながら、腕を組んで立っていると、水泳帽にツインテールを仕舞いこんだ希未がこちらに駆け寄って来た。


「八重~、相変わらず水着が映える体型だねえ♪」
「……その言葉、ちょっとオヤジっぽいわよ」


「だって、出るとこは出て、引っ込むとこは引っ込んでるボンキュッボンな体型だよ? 今のうちに目に焼き付けておきたい男子も多いんじゃないの?」
 希未の言葉に、あからさまに目を逸らした男子が何名かいた。女性慣れしていないのか、彼らは頬を赤くしている。
その群れの中で、トランクスタイプの水着を着用した鳥羽は大してこちらに興味を持っていないようだ。
そこに好感を覚えるべきなのか、悔しさを感じればいいのか分からない。


「はう~、ちょっと遅れちゃいましたあ……」
 その時、女性用更衣室から出てきた白波さんが、私たちより遅れてやって来た。ぴっちりした水着は、彼女をどこか幼く見せている。


「おおっ、これはプールの妖精だね!」
 希未がこう言って、にんまり笑った。


「そ、そんな、妖精だなんて……」
「鳥羽~!! 白波ちゃんが来たけど、ご感想は~?」
 照れる白波さんを放置して、希未が大声で鳥羽に語り掛ける。人のことばかり褒めているけれど、決して希未も水着が似合っていないわけではない。


「……うっせえな」
 鳥羽は、チラリと白波さんに視線を送る。どうやら、とても不機嫌そうだ。


「ほらほら、ここで白波ちゃんを褒めてポイント稼ぎしておかないと!」
「何で俺がわざわざ白波のポイント稼ぎをしなきゃいけねーんだよ。この、胸もろくにないお子様体型な女を」
 珍しいことに、希未にせっつかれた鳥羽はみんなの前で白波さんをけなした。それも、わざわざ大声で。
 そのことに明らかにダメージを受けた白波さんは、みるみるうちに萎れた菜っ葉のようになった。彼女の様子を察して、焦った一部の男子が鳥羽に語り掛ける。


「どうしたんだよ、お前……。いきなり機嫌悪くなって」
「別に、機嫌悪くなんかねーよ」
「そうかあ?」
 傍観者になった私の目には、鳥羽が拗ねているように見える。


「はっはーん。鳥羽、さては白波ちゃんがみんなの前で水着を披露してるのが気に入らないんでしょ! だって、こ~んなに可愛いんだもんねえ!にしし!」
 希未がニヤニヤ笑って指摘すると、クールを気取っていた鳥羽が噴きだした。友人は動転する鳥羽の姿を観察し、それが当たっていることを直感する。


「あ~こりゃ当たりだね」
「誰がこんな奴の水着を見たがるかよ!」
 あんまり希未にちょっかいを出されたものだから、反射的に言い返してしまったのだろう。鳥羽のこのセリフに、クラスメイトがざわついた。


「……こんな奴でごめんなさい……」
 長いカラメル色の髪を水泳帽に入れ、学校指定の水着を着た白波さんがこう口を開く。


「…………チッ」
 意地を張った鳥羽は、舌打ちをした。
 やがて、授業が始まると天狗は不自然なくらいずっとプールで黙々と泳いでいた。どこからどう見ても白波さんを意識していることは丸わかりで、その事実に私は嫌気がさす。


 結局、私もプールでがむしゃらに泳ぎまくった。なるべく姿勢を意識したクロールで。
希未は一回泳いだだけでプールサイドに上がり、必死に水の中でばたつく白波さんに野次をとばしている。この学校が舞台になったゲームのヒロイン、白波さんは、なんとこの歳になるのに5メートルしか泳げない金づちだった。




「月之宮さん、すごーい! 何メートル泳いでるの?」
 不意に、息継ぎで顔を水からあげると、クラスメイトの1人から声を掛けられた。
「……数えてないわね」
「月之宮さんって文芸部だよね? 勉強もできるのに、スポーツも万能なんだね!」
 ずっとむしゃくしゃしている私の返答に、その子は目を輝かせた。


「……ありがとう」
「男子には鳥羽君もいるし、月之宮さんもいるし、今年のクラスマッチではうちのクラス優勝できるかもしれないよね!」
 ものすごく楽観的なことを言われ、私もひとまずそれに同意した。
 そういえば、そろそろクラスマッチの時期だ。こういう行事にヤル気を出さない人もいるかもしれないけれど、目の前の女子は逆にこういうことにヤル気を出す質らしい。私だって、それなりに運動ができる人間なので、こういうことに楽しさを感じる。


 今は機嫌の悪い鳥羽だって、全力は出せないけれどみんなで勝利することは嫌いではないはずだ。……きっとそうだ。
もしかしたら、そこで頑張って活躍すれば鳥羽も少しは私の方に振り返るんじゃ……。


 視界の奥で、運動音痴の白波さんがビート板を使って、25メートルを懸命に泳いでいく姿が映った。
 このクラスマッチで優勝できたらいいな、と思った。珍しくポジティブな自分だった。






 午後のホームルームで、もうすぐに迫ったクラスマッチの種目決めをやった。
 あっさり決まったのは、鳥羽だった。
昨年と同じようにバスケットボールを担当するらしい。
 希未は卓球を希望し、人数が少なかったバレーボールに私と白波さんは決定した。いつも体育であさってにボールを跳ね返している白波さんも同じチームということに私はぎょっとしたけれど、卓球やテニスは人気で入り込む余地がなかったらしい。
こう言ったら可哀そうだけど、白波さんが試合で役に立つとは思えなかった。これでは、1人欠員しているようなものである。


 それをカバーできる余裕が私にあるとは思えないし、更に暗雲立ち込めることに、他のメンバーはバレー部の人たちだった。その娘たちは、クラスの中でも気が強いことで有名で、同じ班になった白波さんを上から下まで眺めた後に、フン、と鼻を鳴らした。


 それから、大縄跳びの自主練習を行う人の募集があり、白波さんは果敢にもそれに立候補した。白波さんの運動音痴が一朝一夕の練習で改善するとは思えないけれど、まあ、やらないよりはマシなんでしょう。
 希未や鳥羽はそれに参加するつもりもないようで、私も手を挙げなかった。


「ええっ、なんでみんな縄跳びの練習やらないの?」
 白波さんが驚きに目を見張る。


「お前と違って、俺たちは運動神経がちゃんと機能してるからな。元の性能が違うんだよ」
 鳥羽が軽口を叩く。
希未も頷き、私は沈黙することでそれに同意した。


「じゃあ、私、1人ですかぁ」
「まーな。無駄だとは思うけど頑張れよ」
 鳥羽が薄く微笑う。アンバーの瞳が優しい色を宿す。彼は、ぽん、と白波さんの頭に手を置いた。


「……はいっ」
 はんにゃりと、白波さんは頬を緩めた。
なんかこう、2人で通じ合っている感じ?に私は顔をしかめた。とてもほのぼのとした光景だけど、絶対に入り込めない仲が伝わってくる。
 悔しいな。
そんな気持ちに胸を支配された私と希未と鳥羽はオカルト研究会へ向かった。






「……あれ? 八手先輩」
 オカルト研究会の部室の前で、八手先輩が立っていた。なんて珍しいことだろう。
ヴィジュアル系な前髪は相変わらず左下がり斜めにカットされており、髪色は燃えるような赤だ。大柄な彼は、両手をスラックスのポケットに入れている。


「……月之宮」
「珍しいですね、最近お姿を見かけないと思っていたんですけど」
「……いや、オレは大体いつもお前の近くにいるぞ」


 それを聞いて、私の顔が盛大に引きつった。八手先輩は悪びれるでもなく、飄々としている。姿が見えないだけで、相変わらず私のことをストーカーしつづけているらしい。


「先輩、わざわざそんなことしなくてもいいんですよ……?」
 この鬼が感じてる恩義とは、たかが216円のことである。別に踏み倒してくれたって、全然構わない。


「オレが好んでやっていることだ。……それとも、何かオレに叶えて欲しいことでも見つかったのか?」
「いや、全然ありませんけど」
 思わず真顔で否定してしまう。ここで適当な願い事を思いつけばいいのだろうけれど、頭にはまるで浮かんでこない。


八手先輩は、「だったら、その間だけでもお前の近くにいた方がいいだろう。何か急用を思いつく可能性も高いではないか」と淡々と口にした。
それって――。


「先輩って、何だか忍者っぽいですよね」
 希未が、そう言って明るい茶色のツインテールを揺らした。


「忍者ではない。オレがアヤカシになる以前にやっていたのは、地方大名に仕える侍だ」
「いやでも、やってることは忍者っぽーい。みたいな?」


 八手先輩の表情は変わらないけれど、希未の指摘にどこか不服そうにしている。鳥羽もそれに頷いた。


「それで、忍者な先輩がどうして今日は堂々と部室の前に立っていたんですか?」
「……特に理由はない」
 どこか憮然としている八手先輩。


「強いて言うならば、そろそろ無欲な月之宮にも何かオレに頼みたいことができたのではないかと思っただけだ。そろそろクラスマッチだしな」
「あの……何も思いつかなくて、すみません」
 もっと適当なことが思いつけば良かったのだけど。私がぺこりと頭を下げると、
先輩は真顔でこう提案してきた。


「いや、それは仕方ない。月之宮の願い次第では、気に入らない選手を骨折させて入院送りにすることもやぶさかではないが……」
「そんなことしてもらっちゃ困ります!」
 何を考えてるのよこの危険人物(鬼)は!
そんなことをされたら、私の平和な日常生活が天空に飛び立つ間際のラピュ○のように、がらがら崩れてしまうではないか。


「お前は……、やっぱり無欲な奴だな」
 八手先輩は、生温かいものを見るような眼差しをこちらに向けてきた。何故か、彼の私に対する好感度が上がっていくのが分かる。
ええ~、こっちは常識的な発言をしただけなのに……。


「そういう人間に恩を返すのは難しいが、逆にやりがいも感じるな」
「頼むからこの学校の人間に余計なことはするんじゃねーぞ」
 どこか嬉しそうにしている八手先輩に、鳥羽が睨み付けて釘を刺した。常識のあるアヤカシは流石言うことが違う。


「にしし、鳥羽は白波ちゃんさえ無事ならそれでいーんじゃないの?」
 希未の言葉に、鳥羽はぎろっと目を動かした。


「バッカ野郎。何か事件が起こったら、こっちまでとばっちりを食うんだよ」
「ハイハイ、素直じゃないこって」
 人間社会に溶け込んでいるアヤカシにとっては、何か同族によって事件を起こされるのはとても迷惑に感じるらしい。


 鳥羽と希未の言い合いを置き去りにし、私が部室のドアノブを開けると――、
「――あ、八重さま!」
 炭酸ジュースを片手に持った松葉が、第二資料室の中で顔を明るくした。プールに入ったあとなのか、ミルクブラウンの髪はまだ湿っている。


「八重さまは、何の競技にするか決まりましたか? ちなみに、ボクはテニスです!」
 機嫌良くそう声を掛けられて、私はおざなりに、
「私は、バレーボールに決まったわ」と返答をした。


「時間が被らなければ、ボクの応援に来てくださいよ~」
 えくぼに両指をあて、松葉がぎゃはっと笑う。


「絶対に行かないから」
「え~、ボク、ご主人様が来ないとヤル気出ないなー」
 チラッと上目遣いでこっちを見ないでよ。こっちは全勝を目標でいくのだ、応援に行く時間なんかあるわけがない。
 その時、部室の奥から冷やかな空気を感じて、私は振り返った。


「お前はヤル気のないぐらいで丁度いいだろう。八重は、僕の応援に来ることがもう決まっていますから」
 パイプ椅子に座って生徒会の仕事をしていた東雲先輩が、冷たい視線をこちらに向けていた。その目を見つめていると、部屋の温度が何度か下がったように感じてしまう。


「僕は、バスケットボールの試合に出る予定です」
「げっ」
 東雲先輩のさりげない言葉に、同じくバスケの試合に出る鳥羽が絶句した。贔屓目に見ても、天狗の運動能力で九尾の狐に勝てるとは思えない。それはもう、アヤカシとしてのスペックの差だ。それに、鳥羽の残留思念核はたしかヒビが入っていたはずである。


「去年はテニスに出てたから大丈夫だと思ったのに……」と鳥羽が呻くと、
「いい機会ですし駄天狗の鼻を折りにいくのもいいかと思いまして」と東雲先輩。
「わざとかよ!」


 なんだか鳥羽が気の毒になってきた。
 英国紳士然とした東雲先輩がバスケをしている姿は想像がつかないけれど、きっとさぞや見栄えがすることだろう。


「八重さまはボクのテニスの応援に来るんですー、誰がバスケの試合なんかに……」
「……テニスか。オレの出る種目もそうだが……」
「……やっぱり、来なくてもいーです」
 ブツブツ文句を呟いていた松葉は、八手先輩の発言を聞いて宗旨替えをした。


「あれは、剣を振る感覚でできるからな」
 真面目な顔で何言ってんの、八手先輩。
 応援に行くっていっても、トーナメントで敗退しない限り、そんな時間の余裕はないんだけどね。……とぼんやり考えていた私は、そっとバレないようにため息をついた。







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