悪役令嬢のままでいなさい!

顔面ヒロシ

☆72 喪失 (1)

 秋になっても、樹木には果実がついていない。
 空腹ばかりが増していき、戦死者ばかりが増えていく季節に。
 1944年11月24日。
二年半ぶりの東京空襲があった。
B29は編隊を組んで、南西に飛んでいった。
盲目となった一守を除く月之宮家の面々が戦争に動員され始めるのは、この日が境となっていく。
強力な大型爆弾によって吹き飛ばされた町並みは、想定よりも酷い有様で、現場は死体の搬出や負傷者の救護でごったがえす。
 空襲は、日を追って再びやって来る。
 新しき新年度も、今年はのんびり祝うどころではなく、月之宮家と日之宮家はそれぞれ兵隊服を着て爆撃された街の消火活動に奔走した。
大みそかの夜から元旦にかけて、敵機B29は3回も帝都を襲い、その都度焼夷弾や爆弾を投下していった。


 異変があったのは、3月10日のことである。
 この頃になると、空襲というよりも大空襲と呼んだ方がふさわしい被害がでるようになっており、青火も三津と組んでその消火活動に参加していた。
だが、火を消そうとする者から呑み込んでいく大火災に何をすることもできず、279機の徒党を組んでやってきたB29の銀色の胴体は夜の帝都上空に輝いている。
何千人もの人々が焼き殺され、爆弾に吹き飛ばされていった。


「……これはひどい……」
 赤ん坊を抱きかかえたままこと切れた女性の死体を見つけた三津が、顔を歪めた。群衆は大混乱で水に濡らした布団を抱えて脱出しようとした家族が視界の端にうつる。
こちらに飛んできた火の粉が頭上に展開しておいた結界に阻まれ、煤を残して燃え尽きる。


 弱った青火に襲い掛かろうとした火の手は、払った右手によって斜めに御された。火の属性を持つアヤカシである青火は、火傷1つ負っていない。
だが、疲労はどんどん増していき、この世の地獄ともいえる東京の光景にうっと息を呑んだ。


「青火さま、ここにいらしたのですか」
 そこにいたのは一匹のカワウソだった。


「ああ。お前は、どうしてここに?」
「消火の手伝いに来たのです。国外にいかなかったカワウソは、大体がみんなここに集まってきています」
 青火は、顔をしかめた。


「敵からの爆弾によって、吹き飛ばされても知らんぞ」
「はい。お言葉の通り……もう何匹ものカワウソの仲間が爆撃によって死亡しています」
 キュッと鳴いたカワウソは、凛々しい顔つきになった。


「人間に対して友好的な仲間は、この戦争でみんな死んでいきました。残っているのは、凶暴なアヤカシばかり……自分たちが戦死した後の日本が恐ろしくなってきますね」
 暗に戦死も覚悟で人間のためにやってきたと発言したカワウソに、青火は少々たじろいだ。


「だが、まだ月之宮家の陰陽師が残ってるからな。案ずるな」
「青火さま、何をくっちゃべってるんだ!ほら、バケツを持って」
 消火の水を水道から出した三津が、バケツになみなみ水を汲むと青火に押し付けた。
この大火災にバケツでどう対抗するのかと、青火が熱気にため息をつく。


「青火さまの異能で、この火災を鎮火することはできないのかよ?」
「無駄だ。規模が広すぎて、僕では到底把握しきれない」
「じゃあ、やっぱりバケツしかないか」
 何人もでバケツをリレーして消火にあたっていると、隣ではカワウソが手のひらから水鉄砲を出して家数軒を鎮火していた。
こういうときには、役に立つ水妖である。
 黙々と作業しながら、時間の感覚がなくなってくる。目の前には、死体、死体、焼死体と瓦礫の山ばかり。
 辺りを移動しながら数十分もたったころだろうか、不意に、上空を見上げたカワウソがぶるりと身震いをした。


「青火さま――何か、来るっ」
 青火が視線を上げると、上空の飛行機から落とされた何かの影が地上へと降り立った。
人型をしており、稲わら色の髪をした西洋人風の見た目をしている。一般兵の軍服を着用しており、足にはブーツ、両手にはコンバットナイフを装備しているが……その恰好をした人物がアヤカシであることにカワウソと青火はいち早く気が付いた。


「……西洋の鬼かっ」
 頭から血を流しながらゆらり、と立ち上がった西洋鬼グールは、こちらを見て口笛を吹いた。


『そこに居るのは、どいつだい?』
 英語を口にした西洋鬼グールに対し、三津が引きつった笑みを浮かべた。
「ここまで敵が手段を選ばないとは思わなかったよ……まさか、西洋のアヤカシを帝都に放つとはね」
『安心したまえ、東京に放たれた数は少ない。最も……、それだけで東京を血の海にするには充分だと思われているってことなんだけどね!!』


 伸びをした西洋鬼は、筋肉を震わせる。そして、見るも鮮やかに……近くにいた人間を3人、仕留めてみせた。
致命傷をくらわされた人間は、何が起きたのか分からないままに、地面に沈んでしまう。


『つまんないなあ……本当に、ただの殺人には飽きたところだよ』
 辺りをつんざく悲鳴がなり響いた。
 戦慄をしたのは、三津だ。
人間に敵対心を持つアヤカシを退治したことはあれど、ここまで自然体に人間を殺してしまう鬼に会ったのは初めてである。これこそ、『殺人鬼』という呼称がぴったりなアヤカシがいるだろうか?


「ひ…………、ひっ、ひっ!?」
 わけのわからない言葉が、口から出そうになる。
 圧倒的な殺意を向けられて、月之宮三津はそれに押しつぶされそうになる。
 修行なんか関係ない。負けるときは、負ける。
それにいち早く気が付いた青火は、三津をかばうように前に出た。
相変わらず、青白く透き通った見た目の、弱った身体をおして三津を守ろうとした。


「先手、必勝――」
 青火が3人の死体を巻き込むように、小さく爆破させた。ドーンと大きな音がして、西洋鬼の身体は吹き飛ばされた。
 殺せたか?
 ちゃんと、殺せたか?
……では、どうして、今の自分は寒気がしている?
 ぞくり。
 充満している砂塵の中で、そこから、1人の影がこちらに向かって走ってきた。
ナイフが振るわれる。
反応に遅れた青火の腹に深く突き立てられそうになる――そこから、青白い光が飛び散った。


『スタン・ナイフ!』
 アヤカシの異能が炸裂する。
 西洋鬼が使ったのは、超低ボルトの電流だ。それを、体内から直接流そうとしたのだ。


 もし直撃したら、失神していたことだろう。
 三津にかけてもらった結界に、青火を狙ったナイフが弾かれる。それに眉を潜めた西洋鬼は、今度はカワウソ目掛けてナイフを振るって襲い掛かった。
背を向けて逃げ出そうとしていたカワウソが、電流を流されてすっ転ぶ。


「……うわ、うわ、わああ!?」
 麻痺状態に陥ったカワウソを背中からコンバットナイフで突き立てる!!!
 ひく、と全身が震え、カワウソの身体から脂汗が噴きだした。


「異装、ヤイバ!」
 三津が呪を叫び、具現させた日本刀を引き抜いた。カタカタと歯と歯がぶつかり合う音がする。安全なはずの結界で身を守られているはずなのに、全くそうは思えない。


急急如律令シキュウ!」
 霊力を充たすと、大きく振るい、衝撃波を刀身から放った。
だが敵もさるもの、その衝撃波に気が付くとそこから大きく前方にジャンプして間合いを詰めつつ、攻撃を避けてきたのだ!
 今度はターゲットを三津に絞った西洋鬼は、何度も何度もナイフで斬りかかる。
それに気が付いた青火が止めようとするが、三津の放った衝撃波を一瞬で模倣してみせた西洋鬼が、それを青火のいる後方へ放ってきたのだ!
 肉体的に弱っていた青火は、反応が遅れた。
 腹部に大きくダメージを受けた青火が、地面に叩きつけられる。
 二刀流。


「…………がはっ」
 体力を大幅に削られた。
 目を見開いた三津が、どうにか近接攻撃を日本刀で阻もうとするも、トリッキーな戦い方をする相手に結界の破壊を許してしまう。
一回――二回、三回、五回。
大妖怪からの5連撃を受けて、たわんだ結界が空中に霧散していく。


「シキュウ!イシズエ、ヘ――」
 もう一度結界を練り直し、展開するのを待ってくれるような相手じゃなかった。
「……逃げろ……、三津!」
『遅いね』
 いや、避けようとした三津の首の付け根へ、今度はしっかりと西洋鬼はコンバットナイフで攻撃した。動脈が切り裂かれ、大量の血液が流れ出る。


「……ぐっ」
 瞳孔の開いた三津が口から血を吐き出す。その身体は地面へと崩れ落ちた。
 絶命した三津が混濁した視界に入り、青火は歯ぎしりをする。目を走らせると、アヤカシのカワウソがトドメをさされ、これまた絶命したのが映る。
あっさりと、その結晶核が粉々に破壊されてしまった。
西洋鬼はカワウソの心臓部から結晶核を取り出すと、地面に投げ捨てて踏み潰したのだ!死亡した証に青白い粒子となって飛び散ったカワウソの肉体・精神は、衣服だけ残してこの世から消滅をしてしまう。
アヤカシは、結晶核の消滅か、自分が死んだと思った瞬間に死亡する特性を持っている。
爆発に巻き込まれたにも関わらず、即座に反撃してきた西洋鬼の精神力は抜群に優れているのだろう……それを分析しても、守るべき三津はもうこの世にはいない。


「う……う」
 三津。と、青火の唇が動いた。


「うおあああああ!!」
 九尾の青火が吠えた。
 辺りには嫌というほどに火の手が上がり、それをまとって立ち上がった青火に、ニヤリとほくそ笑んだのが西洋鬼だ。


『おや、お宅の人間だったか?』
 相手の喋っている意味なんか分からない。英語なんか全く勉強していない。
 ……けれど、その口、二度と聞けなくしてやる!
辺りから上がる人間の悲鳴を鼓膜に伝えながら、青火は巨大な火の玉を西洋鬼へと叩きつけようとした。
 だが、それよりも一瞬早くに状況は変化する。天からやってきた焼夷弾が西洋鬼のいる場所へと落ちてきたのだ。
 ズガアアアアアアアアアアアン!
と、大きな音と振動がして、西洋鬼は右腕が引きちぎれて吹き飛ばされた。
 同士討ち。その言葉が頭を駆け巡る。


「お前、飛行機でやってきたのはいいけど、これでどうやって帰る気だ?」
『え?』
「ア○リカは、僕もお前もみんなまとめて消し炭にしてくれるつもりらしいなあ!」
 頬に煤をつけた稲わら色の髪の西洋鬼は、キョトンと目を丸くした。
 引きちぎれた右腕に頓着する様子も見せず、ただ黒くのっぺりとした空を仰ぎ見ると、己の不利をようやく悟ったようで、そこで口を開いた。


『……ああ、これは退却した方がよさそうだ。僕はどうやらこの国へア○リカに捨てられちまったらしい……ち、どこが楽しいカーニバルだ。騙された!』
「逃がすか!」
 腕の一本なんて、この鬼ならば休息期間を長くとればすぐに再生してしまうだろう。
 それを防ぐために、青火は大きな火の玉を西洋鬼目掛けて叩き込んだ。ボウボウ燃える火の海に、西洋鬼の姿はもうどこにもなく、そのことに青火はチッと舌打ちをした。
 三津の遺体を見つけてしゃがみ込むと、綺麗な死に顔だった。それを家族の元へ返すために肩から担ぐと、青火は来た道を合流地点まで引き返すことにした。
 似たような経験は何度もあるけれど、こうして月之宮家の人間をアヤカシとの戦闘で亡くすことには未だ慣れないものがある。唇の片端を歪め、ぎりりと奥歯を食いしばった。
 脳裏によぎったのは、あの五季の未来予知で見た綺麗な女子の横顔だった。
 自分は、まだ死ねない。
梢佑の子孫にもまだ会っていないし、尚且つ彼女の名前も声も笑顔もまだ知らないのだ。
 ……ああ、これは一目惚れだ。
火災の中で死体を背負って、ようやく今自覚をした。
 肌に触れる熱気は熱いのに、三津の体温はどんどん失われていく。
川の橋を通ると、下の川では大やけどを負った死人が大勢転がっていた。水を求めて亡くなったのだろう。
 そこを通りすぎ、この世の地獄といえる風景を歩いていくと、ピシ……、と何かがひび割れるような音が微かに聞こえた。
ふと自分の手を見ると、半透明になって透けていた。九尾の狐神の残留思念核にヒビが入ったのだ。
もう一度舌打ち。そして、青火がようやく集合場所に辿りつくと、そこには凍てつく空気で月之宮家と日之宮家の人間が集っていた。


「あお、青火さま――」
 五季が、茫然自失の体で呟いた。
 少年は、倒壊家屋の前で半狂乱にならんばかりになっており、青火が背負った三津のことにも気が付かないまま、ただ1つのことだけをうわ言のように言った。




 ――青火さま。千恵子が死んだ。と。
 うわ言のように、それだけを五季は言っていた。







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