悪役令嬢のままでいなさい!
☆60 柳行李 (2)
こればかりは望みがないので、気の毒ではあるが諦めてもらうしかない。
空笑いの柳原は、横恋慕をすることに燃えるような性癖はなかったようで、がっくり肩を落とした。
庭先でこれ以上世間話をしていると失礼になるので、青火は、柳原と丘の上の社に戻ることにした。
敷地でとれた栗と干し柿を土産に持たされそうになったが、やんわりと断った。
人間はアヤカシより食料がいるのだから、もったいないことは止めておけ。
家人にそんなことを言いおいて、アヤカシ2名は、月之宮家の門を出ると狐の住処まで歩いていった。
街の家々に、日の丸の国旗がはためいていた。
新年であったが、いつもの浮かれ気分は自粛されていた。辺りの通行人は、みんなギラギラした目をしていた。
この地域は、真冬でも温暖なところだ。
凍結もしていない参道だが、初詣の参拝客は1月3日には来なくなった。
彼らの願いはみんな戦争のことばかりで、踏み潰されたタンポポが足跡に寂しく残っていた。
その生々しい思念が滞留している社に帰宅すると、青火は人々の祈りをいつになく感じた。参拝者の数も前年より大幅に増えており、その分が己の異能に上乗せされているのが分かる。
烈しく訴えるのは、悲痛な祈りの内容ばかりで――小さな神社の狐神では、とても叶えられないことの方が多かった。
社の屋根の下に入ると、電車で旅をしてきた雪男は、担いできた荷物を床に下ろした。
「――これが、頼まれたものだ。青火さん」
柳原は、重い行李を叩く。紙袋の音がする。
主の青火が投げてきた薄い座布団を、ほいさっと捕まえた。
「……そこで待ってろ、茶を淹れてくる」
「味にはこだわらんから、薄くていいぞー」
「じゃあ白湯でいいな」
青火がピシャリと言うと、柳原はいーかげんに頷いた。
寒さに強い雪男にとったら、真冬に水道水を出されたって気にならない。胃が冷えようがヘッチャラだ。
宣言通りに青火は、熱湯をヤカンごとちゃぶ台に運んできた。使い込まれた銅のヤカンが鍋敷きの上に君臨する。
湯呑と、油で焼いた餅を持ってきた。
月之宮製のマズい餅を食べるには、こうした後に醤油をたらすに限る。これでもダメだったら唐辛子を沢山かけるのだ。
「……まーた、今年も月之宮から餅を貰ったんか」
柳原は、頬杖をついて言った。
「迷惑だと言っているのに、向こうから持ってくるんだ」
青火はつんけんしながら、客に平皿と箸を突きだした。焦げた醤油が香ばしい匂いを漂わせている。
食べ始めた柳原は、餅にしては粘り気が足りないことに途中で気が付いた。
「お偉いさんのとこなのに、これ、うるち米が混ざってないか?」
食感が違いすぎて驚いてしまう。
六割蕎麦ならぬ、六割餅といった感じに混ぜものがしてあった。軍の参謀をつとめる月之宮家が、どうしてこんなモノを食べているのか。
「あいつら、蔵にあったもち米の半分以上は貧しい家庭に配ってしまったんだ」
と不愉快そうに青火は言った。
「へえ」
そりゃまた、と柳原は目を丸くした。
「一粒でも多く、床下に貯めとくのが普通だろうに……。これで首を絞めても僕は知らん!」
「まあまあ、そこは褒めてやれよ」
「義理人情で腹がふくれるか!」
いい切った青火は、この辺りの土地神だというのに愛が偏っている。
月之宮家への執着があるから人間嫌いが軟化してきたのであって、逆はありえないのだ。
それを知っている柳原は、苦笑いをした。
「お狐様の教えを守ってるのに、そりゃないだろう。天に恥じぬ行いじゃないか」
青火は怯んだ。
「オレは、人間のそういう馬鹿なところも好きだ」と柳原はしみじみ言った。
「……そうか」
「お前さんだって、月之宮家が大好きだろ?」
「脳筋の面倒をみれるのは、僕ぐらいしかいないだろう」
平安時代から、素直になれない狐であった。
天地がひっくり返ることがない限り、この口調が変わることはないだろう。
「……ま、作ってきた氷餅は青火さんにあずけた方が良さそうだな。その調子じゃ、ホイホイよそ様へくれちまいそうだ」
雪男には、季節を無視して高野豆腐や氷餅などの凍ませた乾物をつくれる特技がある。
ズボラな柳原は料理が苦手なのでソバガキを主食にしているのだが、たまに人間やアヤカシの依頼で災害時の保存食作りを緊急で任されることがあった。
ひと働きした柳原は薄汚れた行李の蓋をあけて、依頼主の青火に氷餅の入った袋をわたす。
「助かった、感謝する」
「田舎で収穫したコメも、ほとんど軍に持っていかれたから次はもう作れないだろうな」
柳原はそう言って、申し訳なさそうに眉尻を下げた。労働力の男は徴兵で減っており、おいそれと田んぼも拡張できないのだ。
これ以上戦況が長引けば、どうなることか。
「……相分かった。心して食べさせるよ」
青火は、重く頷いた。
水を使わなくとも、氷餅は舌でとけるほどに消化しやすい。一家全員の食事には足りないだろうが、小さな子どもの為に闇で取り寄せたのだ。
もし必要がなくなったら、しらばっくれて甘い汁粉にしてやろうと思う。きっと目を輝かせて平らげるさ。
柳原は人好きのする笑顔で、次の品物をかごから取り出した。せっせとちゃぶ台に乗せた白い小袋は、数えて10と少しあった。
「ほい、これが野菜のタネだ。これは流石に月之宮家もご近所さんに配ったり……」
「僕から小分けに渡す」
「んー、あー、……そうかぃ」
今回のもち米の一件で、すっかり青火は月之宮家を信用するのをやめていた。
身内がやった豪快なほどこしに、仕事漬けの一守や信次が年始になってから気が付いて絶句していた。
理知的な人間が留守したときに限って、脳筋というのは暴走するらしい。
あの広大な敷地でカボチャでも育てさせようと思ったのだが、こうなると今度は収穫した野菜を無計画に配り始めないか心配になってくる。
……そこまでアホじゃないと思いたい。
「なるべく長期保存できる品種にしといたわ。おやつにまくわ瓜とスイカのタネも入れといた」
にやりと笑って、柳原は目印をつけた小袋を持ち上げた。
「お宅の梢佑くんも、たまにはスイカとか食べたいだろ?」
「あの甘い瓜か。喜びそうだし少しは植えるか」
青火は口端をつり上げた。
「後はアブラナと冬瓜、大根も確定として……大豆は肥えた土には合わないんだよなあ。ナスとキュウリもちょっとだけあるけど、念のために置いてくか?」
「……畑のミミズを狐火で全て焼き殺せば……、大豆が育つようになると思うか?」
「そこまで野焼きをしたら、狐さんのせいで不毛の土地になるわ!」
ずっと公家の一族と過ごしてきたせいで、狩猟採集はしても農業に関しての経験がない狐の素朴な質問に、田舎での生活が多い雪男が戦慄した。
月之宮家によって九尾になった狐神がそれをやったら、草一本生えない干上がった大地が誕生してしまう。
滅ぼすのは一瞬でも、その土壌を回復させるのは容易いことではない。
「いいか、狐さん。畑ってのは、土の中のミミズや虫がいるから上手くいくんだ。それを全滅させたら、野菜が育つわけないだろう」
「『ミミズがいると肥よくな土地になる』とこの本に書いてあったから、殺せば痩せた畑になるかと思ったんだ」
「害虫退治みたいに気軽に殺さんでくれ!ミミズはありがたい存在なんだぞ」
「そういうものか……」
向学心はある狐神が納得したのを見て、雪男は冷や汗をぬぐった。
九尾の余計な気配りで大惨事が起こるところであった。
柳原がやってる畑も雑草だらけだが(夏場の水やりは氷をばらまいている)、焦土よりは相当にマシだ。
「――で最後に、道中のカワウソ集落から仕入れてきた薬ですっと」
傷によく効く軟膏と、滋養にいい蜂蜜の飴玉、ショウガとヨモギ配合の葛粉を、代理で買ってきた柳原は慎重に並べた。
「あの村の様子はどうだった?」
そこは、清流で死んだカワウソのアヤカシが、みんなで生活する山間の村である。籠を背負って出歩くおちゃめな彼らは、麓の人間から河童と呼ばれている。
「……相変わらずキャピッと動いてたわ」と柳原が言った。
「そうか」
――いつも通りのカワウソだ。
それを聞いて、青火は呟く。
「あれらが息災なようなら、それでいい」
「……いや狐さま、それが全然そーではなかったような」
「ん?」
柳原は、どこか顔色が悪かった。
あの集落の空気を思い出して、唇を引き結ぶ。
「……カワウソたち、里にいた友達の人間が徴兵されてキレてたんだが……」
畑のキュウリに餌付けされたり、川の魚をお礼に持ってったり。
仲良くご近所つきあいをやってたのに、どんどん何人も、好きだった人間の男が連れてかれてしまったらしい。
集落に辿りついた柳原が見たのは、荒んだカワウソの群れだった。
彼らにはお国の事情なんて関係なく、大好きな人間を誘拐した軍隊にギャンギャンと怒っていたのだ……。
空笑いの柳原は、横恋慕をすることに燃えるような性癖はなかったようで、がっくり肩を落とした。
庭先でこれ以上世間話をしていると失礼になるので、青火は、柳原と丘の上の社に戻ることにした。
敷地でとれた栗と干し柿を土産に持たされそうになったが、やんわりと断った。
人間はアヤカシより食料がいるのだから、もったいないことは止めておけ。
家人にそんなことを言いおいて、アヤカシ2名は、月之宮家の門を出ると狐の住処まで歩いていった。
街の家々に、日の丸の国旗がはためいていた。
新年であったが、いつもの浮かれ気分は自粛されていた。辺りの通行人は、みんなギラギラした目をしていた。
この地域は、真冬でも温暖なところだ。
凍結もしていない参道だが、初詣の参拝客は1月3日には来なくなった。
彼らの願いはみんな戦争のことばかりで、踏み潰されたタンポポが足跡に寂しく残っていた。
その生々しい思念が滞留している社に帰宅すると、青火は人々の祈りをいつになく感じた。参拝者の数も前年より大幅に増えており、その分が己の異能に上乗せされているのが分かる。
烈しく訴えるのは、悲痛な祈りの内容ばかりで――小さな神社の狐神では、とても叶えられないことの方が多かった。
社の屋根の下に入ると、電車で旅をしてきた雪男は、担いできた荷物を床に下ろした。
「――これが、頼まれたものだ。青火さん」
柳原は、重い行李を叩く。紙袋の音がする。
主の青火が投げてきた薄い座布団を、ほいさっと捕まえた。
「……そこで待ってろ、茶を淹れてくる」
「味にはこだわらんから、薄くていいぞー」
「じゃあ白湯でいいな」
青火がピシャリと言うと、柳原はいーかげんに頷いた。
寒さに強い雪男にとったら、真冬に水道水を出されたって気にならない。胃が冷えようがヘッチャラだ。
宣言通りに青火は、熱湯をヤカンごとちゃぶ台に運んできた。使い込まれた銅のヤカンが鍋敷きの上に君臨する。
湯呑と、油で焼いた餅を持ってきた。
月之宮製のマズい餅を食べるには、こうした後に醤油をたらすに限る。これでもダメだったら唐辛子を沢山かけるのだ。
「……まーた、今年も月之宮から餅を貰ったんか」
柳原は、頬杖をついて言った。
「迷惑だと言っているのに、向こうから持ってくるんだ」
青火はつんけんしながら、客に平皿と箸を突きだした。焦げた醤油が香ばしい匂いを漂わせている。
食べ始めた柳原は、餅にしては粘り気が足りないことに途中で気が付いた。
「お偉いさんのとこなのに、これ、うるち米が混ざってないか?」
食感が違いすぎて驚いてしまう。
六割蕎麦ならぬ、六割餅といった感じに混ぜものがしてあった。軍の参謀をつとめる月之宮家が、どうしてこんなモノを食べているのか。
「あいつら、蔵にあったもち米の半分以上は貧しい家庭に配ってしまったんだ」
と不愉快そうに青火は言った。
「へえ」
そりゃまた、と柳原は目を丸くした。
「一粒でも多く、床下に貯めとくのが普通だろうに……。これで首を絞めても僕は知らん!」
「まあまあ、そこは褒めてやれよ」
「義理人情で腹がふくれるか!」
いい切った青火は、この辺りの土地神だというのに愛が偏っている。
月之宮家への執着があるから人間嫌いが軟化してきたのであって、逆はありえないのだ。
それを知っている柳原は、苦笑いをした。
「お狐様の教えを守ってるのに、そりゃないだろう。天に恥じぬ行いじゃないか」
青火は怯んだ。
「オレは、人間のそういう馬鹿なところも好きだ」と柳原はしみじみ言った。
「……そうか」
「お前さんだって、月之宮家が大好きだろ?」
「脳筋の面倒をみれるのは、僕ぐらいしかいないだろう」
平安時代から、素直になれない狐であった。
天地がひっくり返ることがない限り、この口調が変わることはないだろう。
「……ま、作ってきた氷餅は青火さんにあずけた方が良さそうだな。その調子じゃ、ホイホイよそ様へくれちまいそうだ」
雪男には、季節を無視して高野豆腐や氷餅などの凍ませた乾物をつくれる特技がある。
ズボラな柳原は料理が苦手なのでソバガキを主食にしているのだが、たまに人間やアヤカシの依頼で災害時の保存食作りを緊急で任されることがあった。
ひと働きした柳原は薄汚れた行李の蓋をあけて、依頼主の青火に氷餅の入った袋をわたす。
「助かった、感謝する」
「田舎で収穫したコメも、ほとんど軍に持っていかれたから次はもう作れないだろうな」
柳原はそう言って、申し訳なさそうに眉尻を下げた。労働力の男は徴兵で減っており、おいそれと田んぼも拡張できないのだ。
これ以上戦況が長引けば、どうなることか。
「……相分かった。心して食べさせるよ」
青火は、重く頷いた。
水を使わなくとも、氷餅は舌でとけるほどに消化しやすい。一家全員の食事には足りないだろうが、小さな子どもの為に闇で取り寄せたのだ。
もし必要がなくなったら、しらばっくれて甘い汁粉にしてやろうと思う。きっと目を輝かせて平らげるさ。
柳原は人好きのする笑顔で、次の品物をかごから取り出した。せっせとちゃぶ台に乗せた白い小袋は、数えて10と少しあった。
「ほい、これが野菜のタネだ。これは流石に月之宮家もご近所さんに配ったり……」
「僕から小分けに渡す」
「んー、あー、……そうかぃ」
今回のもち米の一件で、すっかり青火は月之宮家を信用するのをやめていた。
身内がやった豪快なほどこしに、仕事漬けの一守や信次が年始になってから気が付いて絶句していた。
理知的な人間が留守したときに限って、脳筋というのは暴走するらしい。
あの広大な敷地でカボチャでも育てさせようと思ったのだが、こうなると今度は収穫した野菜を無計画に配り始めないか心配になってくる。
……そこまでアホじゃないと思いたい。
「なるべく長期保存できる品種にしといたわ。おやつにまくわ瓜とスイカのタネも入れといた」
にやりと笑って、柳原は目印をつけた小袋を持ち上げた。
「お宅の梢佑くんも、たまにはスイカとか食べたいだろ?」
「あの甘い瓜か。喜びそうだし少しは植えるか」
青火は口端をつり上げた。
「後はアブラナと冬瓜、大根も確定として……大豆は肥えた土には合わないんだよなあ。ナスとキュウリもちょっとだけあるけど、念のために置いてくか?」
「……畑のミミズを狐火で全て焼き殺せば……、大豆が育つようになると思うか?」
「そこまで野焼きをしたら、狐さんのせいで不毛の土地になるわ!」
ずっと公家の一族と過ごしてきたせいで、狩猟採集はしても農業に関しての経験がない狐の素朴な質問に、田舎での生活が多い雪男が戦慄した。
月之宮家によって九尾になった狐神がそれをやったら、草一本生えない干上がった大地が誕生してしまう。
滅ぼすのは一瞬でも、その土壌を回復させるのは容易いことではない。
「いいか、狐さん。畑ってのは、土の中のミミズや虫がいるから上手くいくんだ。それを全滅させたら、野菜が育つわけないだろう」
「『ミミズがいると肥よくな土地になる』とこの本に書いてあったから、殺せば痩せた畑になるかと思ったんだ」
「害虫退治みたいに気軽に殺さんでくれ!ミミズはありがたい存在なんだぞ」
「そういうものか……」
向学心はある狐神が納得したのを見て、雪男は冷や汗をぬぐった。
九尾の余計な気配りで大惨事が起こるところであった。
柳原がやってる畑も雑草だらけだが(夏場の水やりは氷をばらまいている)、焦土よりは相当にマシだ。
「――で最後に、道中のカワウソ集落から仕入れてきた薬ですっと」
傷によく効く軟膏と、滋養にいい蜂蜜の飴玉、ショウガとヨモギ配合の葛粉を、代理で買ってきた柳原は慎重に並べた。
「あの村の様子はどうだった?」
そこは、清流で死んだカワウソのアヤカシが、みんなで生活する山間の村である。籠を背負って出歩くおちゃめな彼らは、麓の人間から河童と呼ばれている。
「……相変わらずキャピッと動いてたわ」と柳原が言った。
「そうか」
――いつも通りのカワウソだ。
それを聞いて、青火は呟く。
「あれらが息災なようなら、それでいい」
「……いや狐さま、それが全然そーではなかったような」
「ん?」
柳原は、どこか顔色が悪かった。
あの集落の空気を思い出して、唇を引き結ぶ。
「……カワウソたち、里にいた友達の人間が徴兵されてキレてたんだが……」
畑のキュウリに餌付けされたり、川の魚をお礼に持ってったり。
仲良くご近所つきあいをやってたのに、どんどん何人も、好きだった人間の男が連れてかれてしまったらしい。
集落に辿りついた柳原が見たのは、荒んだカワウソの群れだった。
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