悪役令嬢のままでいなさい!
☆8 妖怪にだって騎士道はある
 
昼休みの終わりに戻ってきた白波さんは、ぼんやりと頬杖をついて残りの授業を受けていた。老齢の教師に、世界史の教科書を読み上げるのを指名された時も、何回か漢字の音訓を読み間違えた。綿菓子のようになってしまった彼女に同情する。
 鳥羽同級生は、授業の間ずっと、スマホで検索したマシンガンの画像を自分の机の上に模写していた。勿論シャーペンで。終業になる頃には、ニスで輝く木目に黒々と無骨なイラストが出現していた。なんて場所に私の努力を嘲笑うものを描くんだこいつは。紙かキャンバスに描けば、美術の先生がさぞ喜ぶ作品になるんだろうに……。
 世は無情だ。
「さあ、さっさと支度する!時間とは有限なんですよ」
「は、はあいっ」
 偉そうにふんぞりかえった希未はすっかり白波さんを子分にしてしまっていた。なんか周囲のとげとげしかった女性陣が、彼女に哀れみの眼差しを注いでいるのは気のせいだろうか。……白波さん、渋谷駅前の銅像にならないようにしてくださいね。
「……仲良くなったのか?」
 鳥羽君。そんな分かり切ったことを聞くんじゃない。餌にされてるんですよ、君を釣り上げるための。
「いっしょの部活に入るって約束したんだよね、小春ちゃん?」
 馴れ馴れしさ極まって、名前で呼び始めた。こくこく頷く白波さん。なんだか嬉しそうだから、ほっといてもいいのかしら。
「部活?何のだよ」
 希未は結われた髪を翻して、口元に人差し指を当てた。
「……にしし、知りたい?」
  悪代官さながらに、笑う。友人ながら、この顔はなんだか嫌な予感がした。
 彼女はきっぱりと言い放った。
「オカルト研究会に決まってんでしょ!」
  ――――ああ、誰か私たちの頭に冷水ぶっかけてくんないかな……栗村官兵衛さまがとんでもないことほざきはじめたから。
耳を疑う、とばかりの顔で鳥羽君はスローモーションに囚われの妖精、白波さんに視線をやった。彼女は、あろうことか少々照れていた。まろやかな頬を薄桃に染めている。……気の毒に、すでに今日一日で洗脳は完了してしまったらしい。
それから、こちらを責めるようにじろりと睨まれたので、私は全力で否定のジェスチャーをした。違う、ちがうってば!
「こいつ、脳外科に突っ込んだ方がいいんじゃないのか。きっと末期だぜ」
腕組みをし、真っ当なセリフを吐いた。MRIって急患でも検査してもらえたっけ。希未は私たちの気も知らないで、説明を続ける。
「オカルト研究会ってさー。今、三年の先輩が卒業しちゃって、隣のクラスの夕霧君しかいないらしいのよ。だから、非正規の同好会扱いになっちゃってるんだって」
「会、について漢字辞典を開け。それはただの電波男というんだ」
「だっからさ、白波ちゃんが入れば部員なんかすぐ集まっちゃうじゃん?話題のお姫様なんだしい。夕霧君は快く承諾してくれたわよ」
「おい。白波は客寄せパンダ扱いか」
だったら、白波ちゃんに聞いてみればいいじゃない。入りたいかどうか!と希未は白手袋を叩きつけた。天狗は、お前に言われるまでもねえ。と騎士道精神を発揮し、妖精に正気なのか尋ねた。
「うん、大丈夫だよ」
なおも、鳥羽騎士は説得しようとした。世間の眼差しがどんなに冷やかなのか、高校生活という青春が闇鍋になろうとしていることや、知ったときの親御さんの気持ちなどなど。
「ごめんなさい。もう約束したことだし……それに、なんだか今、とても楽しいんだ」
妖精はすでに闇鍋に浮いていた。
……きっと美味しいダシになるよ、鳥羽君。
希未に腕をつかまれ、私はなし崩しに廊下に出る。置いてきぼりになりそうになった鞄を白波さんが3人分抱えてきてくれたので、その優しさに涙ぐましくなりながらも、自分の分を受け取った。
軽やかに進む希未を追いかけると、彼女は階段を下って一学年教室前に向かい、その後校舎を出て食堂の方へと向かった。いや、違った。スカートをひらりと揺らし、食堂の横のらせん階段を使ったのだ。
改装された学年棟とは違い、少々古びた建造年数を感じさせる場所である。
第二特別教室、と書いてあるプレートをこんこん、とノックして希未は満足げに笑う。
「ここで我らが部長は、いつも活動されているそうです」
ふん、と彼はそっぽを向いた。希未は満開の笑顔で、
「ここは、元々は資料室だったらしいんだけど、校舎を増築した時にけっこう空き教室ができたみたいで。先代の部長が巧みな交渉術で権利をもぎとったらしいよ」とうかれ声で説明した。なにやら、過去にブラックな経緯があったように聞こえる。
哀しいかな、鳥羽君も一緒についてきている。あの友人の魂胆を聞いても、好いた女を見捨てることができなかったに違いない。自らタモ網に飛び込む姿勢は、アヤカシながら私の中の好感度を微量に上昇させ、男の株も上げ、不憫の称号を得た。
「……その目は、やめろ」
私の憐憫の思いが顔に出ていたらしく、彼は渋面を浮かべた。幸い、運動部の助っ人要員としてどの部活にも所属していなかったのが救いか。人間じゃないのにインターハイ目指すのも気兼ねしたんだろうか。……妖怪だが、彼には常識があるらしいし。
希未に促され、白波さんが重々しいドアをノックした。返事はない。彼女はちょっと躊躇したものの、思い切って扉を開けた。
真っ先に視界に飛び込んだのは、教室の奥に鎮座ます黒き布の固まりだった。それに気圧されるも、よくよく目を凝らすと、そいつは若干ぺしゃっと潰れた布団一式だった。
勿論、地べたに敷いているわけではなく、すのこの上に畳を7、8枚ほど重ねて即席の寝床がこしらえてある。かなり広い教室は、およそ1クラス分ほどのスペースがあり、本棚には漫画雑誌やライトノベルで3分の2が占められ、残りはハードカバーの本で埋められていた。衣装ケースも3個ほど置いてあり、中には更に漫画やガラクタで一杯になっている。
折りたたみ机とパイプ椅子の充分な予備が壁には立てかけられ、中央に設置されたテーブルにはノートパソコンのLEDがチカチカ白く明滅していた。
寝床の近くには巨大なバスケットがあり、スナック菓子で一杯になっている。
「……こ、ここで暮らしてるの?」
呆気にとられる一同。白波さんの問いは至極もっとも。
部室と言われるより、誰かの自宅の一室だと説明された方がよほど納得がいく。
鞄とかスポーツバッグも投げ出されてるし。
「やりたいほうだいじゃねーか」
正しく学校を恐れぬ私物の持ち込みようである。絶対これ、教員は知ってて見逃したに違いない。
女でも連れ込んでんじゃないだろーな。
「――――ん、」
その時、布団の固まりがもぞもぞと動いた。深く何者かの息づかいが聞こえる。横になっていた身体をゆるり、起こした彼は首をやや傾け。眼光鋭い気だるげな視線がこちらを向いた。
「へ?」
白波さんのひょうきんな声が室内に響いた。
横になっていて眠っていたのは、男子生徒であったらしい。ブレザーは脱いでしまったらしく、ボタンが幾つか外されたワイシャツは少しはだけている。ネクタイも緩められ、綺麗な鎖骨と首元から彼の細身の体躯が見て取れた。毛先がバラつく洗いざらしの黒髪。愛想の欠けた表情にしゅっと形のいい眉をしていた。
「…………だれ、あんたら」
平坦な声で問われ、一瞬の沈黙。の後に。
「……ああ、そうか。本当に来るとは思わなかった」
しばしの間で、訪問者の正体に見当がついたらしく、彼は嘆息した。そして、肩をボリボリと掻きむしると、近くの床に転がっていた眼鏡を手に取った。
銀縁のスマートなデザインの眼鏡をかけ、ようやく焦点のあった眼でこちらを見た。
「失礼だなあ、ちゃんとアポはとったじゃない」
希未の言葉に、ああ……、と呟いて。
「半分以上本気にしてなかったから」
「………………」
今日一日、ヒロインに傍若無人の働きをしていた友人が酢を飲まされたような顔になった。
白波さんと鳥羽君が、何とも言えない表情をして立っている。多分、私も鏡で映したら似たりよったりなんだろう。前世の知識にないということは、妖怪じゃない一般生徒なのだろうが……。
私の記憶が確かなら、こんな展開、どのルートにもないのですが。
――バタフライエフェクト――――。
私の脳裏に、前にSF映画で知ったこの用語が鮮やかに浮かび上がって、消えた。
昼休みの終わりに戻ってきた白波さんは、ぼんやりと頬杖をついて残りの授業を受けていた。老齢の教師に、世界史の教科書を読み上げるのを指名された時も、何回か漢字の音訓を読み間違えた。綿菓子のようになってしまった彼女に同情する。
 鳥羽同級生は、授業の間ずっと、スマホで検索したマシンガンの画像を自分の机の上に模写していた。勿論シャーペンで。終業になる頃には、ニスで輝く木目に黒々と無骨なイラストが出現していた。なんて場所に私の努力を嘲笑うものを描くんだこいつは。紙かキャンバスに描けば、美術の先生がさぞ喜ぶ作品になるんだろうに……。
 世は無情だ。
「さあ、さっさと支度する!時間とは有限なんですよ」
「は、はあいっ」
 偉そうにふんぞりかえった希未はすっかり白波さんを子分にしてしまっていた。なんか周囲のとげとげしかった女性陣が、彼女に哀れみの眼差しを注いでいるのは気のせいだろうか。……白波さん、渋谷駅前の銅像にならないようにしてくださいね。
「……仲良くなったのか?」
 鳥羽君。そんな分かり切ったことを聞くんじゃない。餌にされてるんですよ、君を釣り上げるための。
「いっしょの部活に入るって約束したんだよね、小春ちゃん?」
 馴れ馴れしさ極まって、名前で呼び始めた。こくこく頷く白波さん。なんだか嬉しそうだから、ほっといてもいいのかしら。
「部活?何のだよ」
 希未は結われた髪を翻して、口元に人差し指を当てた。
「……にしし、知りたい?」
  悪代官さながらに、笑う。友人ながら、この顔はなんだか嫌な予感がした。
 彼女はきっぱりと言い放った。
「オカルト研究会に決まってんでしょ!」
  ――――ああ、誰か私たちの頭に冷水ぶっかけてくんないかな……栗村官兵衛さまがとんでもないことほざきはじめたから。
耳を疑う、とばかりの顔で鳥羽君はスローモーションに囚われの妖精、白波さんに視線をやった。彼女は、あろうことか少々照れていた。まろやかな頬を薄桃に染めている。……気の毒に、すでに今日一日で洗脳は完了してしまったらしい。
それから、こちらを責めるようにじろりと睨まれたので、私は全力で否定のジェスチャーをした。違う、ちがうってば!
「こいつ、脳外科に突っ込んだ方がいいんじゃないのか。きっと末期だぜ」
腕組みをし、真っ当なセリフを吐いた。MRIって急患でも検査してもらえたっけ。希未は私たちの気も知らないで、説明を続ける。
「オカルト研究会ってさー。今、三年の先輩が卒業しちゃって、隣のクラスの夕霧君しかいないらしいのよ。だから、非正規の同好会扱いになっちゃってるんだって」
「会、について漢字辞典を開け。それはただの電波男というんだ」
「だっからさ、白波ちゃんが入れば部員なんかすぐ集まっちゃうじゃん?話題のお姫様なんだしい。夕霧君は快く承諾してくれたわよ」
「おい。白波は客寄せパンダ扱いか」
だったら、白波ちゃんに聞いてみればいいじゃない。入りたいかどうか!と希未は白手袋を叩きつけた。天狗は、お前に言われるまでもねえ。と騎士道精神を発揮し、妖精に正気なのか尋ねた。
「うん、大丈夫だよ」
なおも、鳥羽騎士は説得しようとした。世間の眼差しがどんなに冷やかなのか、高校生活という青春が闇鍋になろうとしていることや、知ったときの親御さんの気持ちなどなど。
「ごめんなさい。もう約束したことだし……それに、なんだか今、とても楽しいんだ」
妖精はすでに闇鍋に浮いていた。
……きっと美味しいダシになるよ、鳥羽君。
希未に腕をつかまれ、私はなし崩しに廊下に出る。置いてきぼりになりそうになった鞄を白波さんが3人分抱えてきてくれたので、その優しさに涙ぐましくなりながらも、自分の分を受け取った。
軽やかに進む希未を追いかけると、彼女は階段を下って一学年教室前に向かい、その後校舎を出て食堂の方へと向かった。いや、違った。スカートをひらりと揺らし、食堂の横のらせん階段を使ったのだ。
改装された学年棟とは違い、少々古びた建造年数を感じさせる場所である。
第二特別教室、と書いてあるプレートをこんこん、とノックして希未は満足げに笑う。
「ここで我らが部長は、いつも活動されているそうです」
ふん、と彼はそっぽを向いた。希未は満開の笑顔で、
「ここは、元々は資料室だったらしいんだけど、校舎を増築した時にけっこう空き教室ができたみたいで。先代の部長が巧みな交渉術で権利をもぎとったらしいよ」とうかれ声で説明した。なにやら、過去にブラックな経緯があったように聞こえる。
哀しいかな、鳥羽君も一緒についてきている。あの友人の魂胆を聞いても、好いた女を見捨てることができなかったに違いない。自らタモ網に飛び込む姿勢は、アヤカシながら私の中の好感度を微量に上昇させ、男の株も上げ、不憫の称号を得た。
「……その目は、やめろ」
私の憐憫の思いが顔に出ていたらしく、彼は渋面を浮かべた。幸い、運動部の助っ人要員としてどの部活にも所属していなかったのが救いか。人間じゃないのにインターハイ目指すのも気兼ねしたんだろうか。……妖怪だが、彼には常識があるらしいし。
希未に促され、白波さんが重々しいドアをノックした。返事はない。彼女はちょっと躊躇したものの、思い切って扉を開けた。
真っ先に視界に飛び込んだのは、教室の奥に鎮座ます黒き布の固まりだった。それに気圧されるも、よくよく目を凝らすと、そいつは若干ぺしゃっと潰れた布団一式だった。
勿論、地べたに敷いているわけではなく、すのこの上に畳を7、8枚ほど重ねて即席の寝床がこしらえてある。かなり広い教室は、およそ1クラス分ほどのスペースがあり、本棚には漫画雑誌やライトノベルで3分の2が占められ、残りはハードカバーの本で埋められていた。衣装ケースも3個ほど置いてあり、中には更に漫画やガラクタで一杯になっている。
折りたたみ机とパイプ椅子の充分な予備が壁には立てかけられ、中央に設置されたテーブルにはノートパソコンのLEDがチカチカ白く明滅していた。
寝床の近くには巨大なバスケットがあり、スナック菓子で一杯になっている。
「……こ、ここで暮らしてるの?」
呆気にとられる一同。白波さんの問いは至極もっとも。
部室と言われるより、誰かの自宅の一室だと説明された方がよほど納得がいく。
鞄とかスポーツバッグも投げ出されてるし。
「やりたいほうだいじゃねーか」
正しく学校を恐れぬ私物の持ち込みようである。絶対これ、教員は知ってて見逃したに違いない。
女でも連れ込んでんじゃないだろーな。
「――――ん、」
その時、布団の固まりがもぞもぞと動いた。深く何者かの息づかいが聞こえる。横になっていた身体をゆるり、起こした彼は首をやや傾け。眼光鋭い気だるげな視線がこちらを向いた。
「へ?」
白波さんのひょうきんな声が室内に響いた。
横になっていて眠っていたのは、男子生徒であったらしい。ブレザーは脱いでしまったらしく、ボタンが幾つか外されたワイシャツは少しはだけている。ネクタイも緩められ、綺麗な鎖骨と首元から彼の細身の体躯が見て取れた。毛先がバラつく洗いざらしの黒髪。愛想の欠けた表情にしゅっと形のいい眉をしていた。
「…………だれ、あんたら」
平坦な声で問われ、一瞬の沈黙。の後に。
「……ああ、そうか。本当に来るとは思わなかった」
しばしの間で、訪問者の正体に見当がついたらしく、彼は嘆息した。そして、肩をボリボリと掻きむしると、近くの床に転がっていた眼鏡を手に取った。
銀縁のスマートなデザインの眼鏡をかけ、ようやく焦点のあった眼でこちらを見た。
「失礼だなあ、ちゃんとアポはとったじゃない」
希未の言葉に、ああ……、と呟いて。
「半分以上本気にしてなかったから」
「………………」
今日一日、ヒロインに傍若無人の働きをしていた友人が酢を飲まされたような顔になった。
白波さんと鳥羽君が、何とも言えない表情をして立っている。多分、私も鏡で映したら似たりよったりなんだろう。前世の知識にないということは、妖怪じゃない一般生徒なのだろうが……。
私の記憶が確かなら、こんな展開、どのルートにもないのですが。
――バタフライエフェクト――――。
私の脳裏に、前にSF映画で知ったこの用語が鮮やかに浮かび上がって、消えた。
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