悪役令嬢のままでいなさい!
☆6 罠があるなら踏み砕け
 
 栗村嬢は、その策略を小出しにするつもりらしい。
 辞めるに是非はない。というか、元々不真面目な部員であった。
 入学して早々に勧誘された美術部に所属したはいいものの、遅々として上達しない画力は周知の事実だった。コンクールを狙う先輩をよそ目に、二週間に一度ふらりと通ってはスケッチブックに静物画になる予定だったものを数枚追加していくような参加の仕方だったのだ。
 それでも惜しんでくれた人格者の部長に頭を下げ、入部当初に買ったスケッチブックやら画材やらをどんがら紙袋に入れて運んで持ち帰ると、
 母が「八重ちゃん、ついに美術部から引導をくだされてしまったの?」と悲しそうに言った。
 私から引き払った。というと、そうなの、と眉を下げた。母、咲耶さんに悪気はない。
 おかげで私は、古紙リサイクルの箱にスケッチブックを突っ込む勇気をもらった。もしかしたら、思い出になるのかもしれないと躊躇したが、どうせ蘇るのはしょっぱい記憶だし。平成のピカソの箔がつく望みはこれっぽっちもない。
学校帰りの私へ、頂き物だという桜餅やお煎餅を卓に並べてくれると、着物に割烹着姿の母は煎茶を湯呑に注いで喋り続けた。
 父の晩酌の本数が増えてしまったこと。
兄が日本食の仕送りを電話で頼んできたこと。
今年も父が多忙であった上に、兄までいなくなってしまったので花見ができずに終わってしまい、非常に残念であること。
知り合いの婦人が偽物のブランドバッグをつかまされ、立腹していることなどを、つらつらと述べた。
 可愛がっていた兄が留学してしまった為、彼女は大層寂しがっているのだ。老舗なだけあって、品良い甘さの桜餅はとても美味しかった。この時期でなければ買い求められないのが惜しい。
 そのうち、話すことが尽きて来たのか、市内の話題に移った。廃神社がマンションになってしまうらしい。あそこの桜はとても美しかったのに、と嘆きはじめたところで私は自分の部屋に引き上げた。このまま聞いてれば日本政府の金融政策の行く末まで心配しはじめそうだったからだ。
 この間土日はさみ、日が昇り、月曜。登校。
 私がちゃんと美術部を退部した旨を報告すると、希未はうむ。大義であった。と満足そうに頷いた。ところで、ここまで素直に従っておいてあれなのだけど、私には友人が何をするつもりなのかさっぱり見当がつかなかった。
ろくでもないことだったら、どうしよう。
「なにを企んでるのか、そろそろ教えてくれてもいいんじゃない?」
「人聞きがわっるいなあ、栗村官兵衛と呼んでくれたまえ」
 にっしっし、と調子に乗って笑う希未の頭をはたいた。なんかムカついたから。
彼女はそんな些事は気に留めず、白波さんの席をハイジャックしている。主がまだ登校して来ないのをいいことに。
 茶髪のツインテールを振り、希未は腕組みをして言った。
「つまり、会長しかり、鳥羽、白波同級生しかり。正当性と社会的所属があれば怒られないんだよ」
 意味不明。
「彼女でもなく、友達でもいけないなら!同じ部活に所属しちゃえば解決すると思うのですよ」
「いや、反感の度合いは変わらないと思う」
 どっちにしろ目障りなんじゃないかな。好きな男子の前をうろついてるのは、変わんないじゃん。
「ふふん。ここが栗村官兵衛様の知略ってやつですよ」
「あ、そう」
「同じ部活という関係になってしまえば、白波さんは男を侍らす逆ハーレム女から世間的な言い訳ができるよーになるのですよ。八重も右に同じ!」
 今、さらっと同類扱いしたよね?私と白波さんを一括りにしたわね、あんた。
「そして、部活には顧問がつけられる!」
 ああ、そういうこと。少し理屈が分かって来た。
「つまり、イジメが発生したら顧問に、ただの部活の仲間なだけなのに~って泣きつけるってこと?……そう上手くいくもんかしらね」
 世の中、仕事熱心な教師が介入した方がこじれるパターンも多いと聞くけど。
「大体、ファンの女子が入ってない部活なんて残ってないわよ。それに、あの男どもだって確か部活に入ってたはずだし」
「まだ分からないのかね?ワトソン君」
わざとらしく肩を竦めた希未に、私がため息をつく。なにやら、泥船に乗船してしまったような気配がする。ウサギはどこだ。もしや時計を持ってるんじゃなかろうな。
にやにや笑いながら、スマホを触っている希未から視線を外し、私は英語の教科書とルーズリーフを取り出した。一限目の宿題はやってあるけれど、先のページを進めてはならない決まりはない。
冷たい電子辞書としばらく睨めっこしていると、寝癖がとれきれていない白波さんが登校してきた。
「おはようございまぁす、月之宮ひゃん!?」
希未が白波さんに後ろから抱き付いた。いや、こりゃ捕獲だ。
素早い手際で彼女の首を抱き込んで、慌てるヒロインを抑え込むサポートキャラ。
「うふ、待ってたよー、白波ちゃん」
変態的なセリフに聞こえる。気のせいか。
「あたしが手とり足とり、頑張ったげるからさあ。大人しく従ってくれると嬉しいなって」
「ひょえ!?」
「やだ、もう暴れないでよ。あら?なんかいい匂いがする」
「つ、月之宮さあん!!」
背景に百合の花が咲く前に、私は丸めた教科書で変質者をすっぱ叩いた。
なんのサポートキャラだ、お主は。けっこう力を込めたので、腕が緩まったのか白波さんが逃げ出した。涙目だ。
「お、お、およめに……お嫁にいい」
「大丈夫。行かれるわよ、近くにいい人はいるものよ」
――がたん!
赤い飛沫。
近くにいた男子生徒の一人が鼻をハンカチで押さえ、教室から駆け出して行った。
しまった……。私は、彼の名誉のために気づかなかったことにした。
ふるふる怯えている白波さんを宥めつつ、希未の強引な取り調べによって彼女は帰宅部であることを自白させられ、部活に一緒に入ると言ってしまい、見事に言質をとられた。絶対、希未は事前に白波さんが帰宅部であることを知っていたに違いない。
栗原希未は実に艶々としており、白波さんはNASAにうっかり吊し上げられた妖精のようだった。希未を信じていいのかどうかは分からないけれど、白波さんの接待をしなかった場合、あの狐が喜々として悪知恵を巡らす様がありありと浮かんだ。
始業10分前に登校してきた鳥羽君は、若干しおれた白波さんを構い倒す希未を見て窓から覗く積乱雲に視線を彷徨わせた。今日の降水確率は30%だったから、多分雨も槍も降らないと思う。
「何してんだ、あいつら」
鳥羽君の疑問に、私は静かに答えた。
「延縄漁をするらしいわ」
「は?」
そして、多分最初に釣り上るのは彼になるのだろう。
 栗村嬢は、その策略を小出しにするつもりらしい。
 辞めるに是非はない。というか、元々不真面目な部員であった。
 入学して早々に勧誘された美術部に所属したはいいものの、遅々として上達しない画力は周知の事実だった。コンクールを狙う先輩をよそ目に、二週間に一度ふらりと通ってはスケッチブックに静物画になる予定だったものを数枚追加していくような参加の仕方だったのだ。
 それでも惜しんでくれた人格者の部長に頭を下げ、入部当初に買ったスケッチブックやら画材やらをどんがら紙袋に入れて運んで持ち帰ると、
 母が「八重ちゃん、ついに美術部から引導をくだされてしまったの?」と悲しそうに言った。
 私から引き払った。というと、そうなの、と眉を下げた。母、咲耶さんに悪気はない。
 おかげで私は、古紙リサイクルの箱にスケッチブックを突っ込む勇気をもらった。もしかしたら、思い出になるのかもしれないと躊躇したが、どうせ蘇るのはしょっぱい記憶だし。平成のピカソの箔がつく望みはこれっぽっちもない。
学校帰りの私へ、頂き物だという桜餅やお煎餅を卓に並べてくれると、着物に割烹着姿の母は煎茶を湯呑に注いで喋り続けた。
 父の晩酌の本数が増えてしまったこと。
兄が日本食の仕送りを電話で頼んできたこと。
今年も父が多忙であった上に、兄までいなくなってしまったので花見ができずに終わってしまい、非常に残念であること。
知り合いの婦人が偽物のブランドバッグをつかまされ、立腹していることなどを、つらつらと述べた。
 可愛がっていた兄が留学してしまった為、彼女は大層寂しがっているのだ。老舗なだけあって、品良い甘さの桜餅はとても美味しかった。この時期でなければ買い求められないのが惜しい。
 そのうち、話すことが尽きて来たのか、市内の話題に移った。廃神社がマンションになってしまうらしい。あそこの桜はとても美しかったのに、と嘆きはじめたところで私は自分の部屋に引き上げた。このまま聞いてれば日本政府の金融政策の行く末まで心配しはじめそうだったからだ。
 この間土日はさみ、日が昇り、月曜。登校。
 私がちゃんと美術部を退部した旨を報告すると、希未はうむ。大義であった。と満足そうに頷いた。ところで、ここまで素直に従っておいてあれなのだけど、私には友人が何をするつもりなのかさっぱり見当がつかなかった。
ろくでもないことだったら、どうしよう。
「なにを企んでるのか、そろそろ教えてくれてもいいんじゃない?」
「人聞きがわっるいなあ、栗村官兵衛と呼んでくれたまえ」
 にっしっし、と調子に乗って笑う希未の頭をはたいた。なんかムカついたから。
彼女はそんな些事は気に留めず、白波さんの席をハイジャックしている。主がまだ登校して来ないのをいいことに。
 茶髪のツインテールを振り、希未は腕組みをして言った。
「つまり、会長しかり、鳥羽、白波同級生しかり。正当性と社会的所属があれば怒られないんだよ」
 意味不明。
「彼女でもなく、友達でもいけないなら!同じ部活に所属しちゃえば解決すると思うのですよ」
「いや、反感の度合いは変わらないと思う」
 どっちにしろ目障りなんじゃないかな。好きな男子の前をうろついてるのは、変わんないじゃん。
「ふふん。ここが栗村官兵衛様の知略ってやつですよ」
「あ、そう」
「同じ部活という関係になってしまえば、白波さんは男を侍らす逆ハーレム女から世間的な言い訳ができるよーになるのですよ。八重も右に同じ!」
 今、さらっと同類扱いしたよね?私と白波さんを一括りにしたわね、あんた。
「そして、部活には顧問がつけられる!」
 ああ、そういうこと。少し理屈が分かって来た。
「つまり、イジメが発生したら顧問に、ただの部活の仲間なだけなのに~って泣きつけるってこと?……そう上手くいくもんかしらね」
 世の中、仕事熱心な教師が介入した方がこじれるパターンも多いと聞くけど。
「大体、ファンの女子が入ってない部活なんて残ってないわよ。それに、あの男どもだって確か部活に入ってたはずだし」
「まだ分からないのかね?ワトソン君」
わざとらしく肩を竦めた希未に、私がため息をつく。なにやら、泥船に乗船してしまったような気配がする。ウサギはどこだ。もしや時計を持ってるんじゃなかろうな。
にやにや笑いながら、スマホを触っている希未から視線を外し、私は英語の教科書とルーズリーフを取り出した。一限目の宿題はやってあるけれど、先のページを進めてはならない決まりはない。
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「おはようございまぁす、月之宮ひゃん!?」
希未が白波さんに後ろから抱き付いた。いや、こりゃ捕獲だ。
素早い手際で彼女の首を抱き込んで、慌てるヒロインを抑え込むサポートキャラ。
「うふ、待ってたよー、白波ちゃん」
変態的なセリフに聞こえる。気のせいか。
「あたしが手とり足とり、頑張ったげるからさあ。大人しく従ってくれると嬉しいなって」
「ひょえ!?」
「やだ、もう暴れないでよ。あら?なんかいい匂いがする」
「つ、月之宮さあん!!」
背景に百合の花が咲く前に、私は丸めた教科書で変質者をすっぱ叩いた。
なんのサポートキャラだ、お主は。けっこう力を込めたので、腕が緩まったのか白波さんが逃げ出した。涙目だ。
「お、お、およめに……お嫁にいい」
「大丈夫。行かれるわよ、近くにいい人はいるものよ」
――がたん!
赤い飛沫。
近くにいた男子生徒の一人が鼻をハンカチで押さえ、教室から駆け出して行った。
しまった……。私は、彼の名誉のために気づかなかったことにした。
ふるふる怯えている白波さんを宥めつつ、希未の強引な取り調べによって彼女は帰宅部であることを自白させられ、部活に一緒に入ると言ってしまい、見事に言質をとられた。絶対、希未は事前に白波さんが帰宅部であることを知っていたに違いない。
栗原希未は実に艶々としており、白波さんはNASAにうっかり吊し上げられた妖精のようだった。希未を信じていいのかどうかは分からないけれど、白波さんの接待をしなかった場合、あの狐が喜々として悪知恵を巡らす様がありありと浮かんだ。
始業10分前に登校してきた鳥羽君は、若干しおれた白波さんを構い倒す希未を見て窓から覗く積乱雲に視線を彷徨わせた。今日の降水確率は30%だったから、多分雨も槍も降らないと思う。
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