声の神に顔はいらない。

ファーストなサイコロ

255 私は空気を読んだ

(終わった……)

 私はそんなことを思って目をつむっていた。普通は目をつむるなんてあまりしないと思うけど……私は台本もないしね。こうやって最後の時を待ってるしかできない。いや、めもったよ。けどさ……私はただ夢中でメモをした。
 それにページなんて書いてなかった。あとね、私はそんな几帳面じゃない。自分のメモでよくわからなくなった。あほかと思われるかも知れないけど、実際そうなんだからもう終わったよ。せめて上から下に書いていけば、二桁に届くくらいまでは分かったかもしれない。でもね……私何を思ったのか、なんか寄せ書きみたいに書いてる。

 数分前の自分を殴りたい。そして昔に戻って几帳面な私になりたい。てかせめてタブレットなら……字だって最近は綺麗にしてくれるし、行間だってそろえてくれる。デジタルに慣れ過ぎた弊害だったのかもしれない。私なんて文明の利器が無ければ何もできない奴になってしまってたんだ。そんな事を思ってると直ぐに次の会話が始まった。

 さっきと違うキャラだろうから、皆の声の質が変わってる。まあ精々声を張ってるか緩めてるか……とか位だけど。一人結構声が平坦になってるような……私の隣の田中さんですね。でも別にふざけてる訳じゃない。彼女はまだまたま新人なのだろう。そして皆、このオーデションに賭けている。

 いや、オーデションに決死の覚悟で臨まない声優なんていない。だって私達はオーデションで仕事を得るんだ。私達の安定は精々三か月。それもオーデションに勝ち残ったら……だ。勝ち残ったとしても、三か月。それだけしか私達の仕事は保証されない。まあ実際はアニメが放送される頃には収録は終わってるけど……でも今なら、放送中なら様々なイベントもあるし、放送が終わった後でも、ちょっとはイベントとして呼ばれることはある。だから三か月位は仕事の保証がされると思っていい。

 でも結局それだけだ。それだけなんだ。声優の中には、声優になったのに、一回もアニメにとかに出ずに消えていく声優だっている。損な世界だからこそ、皆一つ一つのオーデションに掛けてる。其れなのに……私はなんだ? 諦めようとしてないか? これはグループでのオーデションだ。

 もしかしたら、グループごとに声優を決めてるかもしれない。あんまりありえないと思うけど……実際誰かが足引っ張ったら、実力を出せない……とか思われるかも。グループ自体の質が低くなると、印象が薄くなるだろう。なにせ審査してる人達は何百人という声優の声を聴いてる。
 その中で記憶に残るって相当難しい。でも皆それを望んで、そして頑張ってるんだ。その頑張りを私は見てないが、それが普通だ。頑張って無い奴なんていない。

 静川秋華の奴だって、結構傍若無人にふるまってると思ったけど、頑張ってた。

(私は今さっき、しょうがないとか……思ってた)

 今回のオーデションはいきなりだったから……今回のもうだめだ……とかそんなの……甘えだ。突如舞い込んできたから出来なくても……落ちても仕方ない? そんな甘ったれた考えを私が……私がしてしまった。どんなチャンスにもかじりつかないといけない私が……だ!! 
 この中でも顔が一番悪い……顔出しNG声優が声を出すのは諦めたら……本当に私はただの不細工じゃないか! 私はメモを見た。はっきり言ってタイミングもわからないよこれじゃあ。だってセリフしか書いてない。でも私は現場をそれなりには経験してるし、ラノベも漫画も人並み……以上にはたしなんでると自負してる。

(空気だ……空気を読め。私はそれが得意なはず)

 この際、セリフの正解は捨てた。私が言うセリフはこの中にあるとは思うが、ないかもしれないし、そもそもわからない。なら、この中のセリフを堂々という。それだけだ! 空気を読んでタイミングを見計らってね。オーデションなんだから、それぞれにセリフがある。なら、口の動き……空気を吸う声を出すその動作が誰にも見らないそのタイミングが私が喋る時だ!!

「あらら、何ですかこれ? ちょっと傘にパンケーキついてましてよ!」

 いや待て……いや、もういいや!! 私の担当キャラ、どれも濃いな!!

コメント

コメントを書く

「現代ドラマ」の人気作品

書籍化作品