声の神に顔はいらない。

ファーストなサイコロ

244 誰もが見てないわけじゃない

『これにいってみなさい』

 そんなメッセージが大室社長から届いた。驚く事に、何故か私へ振る仕事は大室社長から直接連絡が来る。流石に毎回あの事務所に私が行くわけにはいかない。何せ私は別の事務所に所属する声優だ。そんな所属でもない声優が別の事務所に頻繫に通ってるって怪しいからね。まあ実際は、クアンテッド程にデカい事務所になると所属してる声優も規模が違う。だから紛れることは案外簡単だ。それに私は目立つ容姿を為てるわけじゃない。

 寧ろ全然目立たない容姿をしてると自負してる。でも今は色々とクアンテッドは騒々しい。最初は静川秋華の怪我から始まり、そのスキャンダルを追ってたマスコミが沢山いたし、その後には怪我した静川秋華を働かせまくってるって事で炎上したからね。そこからはほら、クアンテッドという事務所批判が広がって、他にも何かネタが無いかと張り込む記者みたいな奴らがいるらしい。だからここで奴らにネタを提供するようなことはしたくないのだろう。
 私も……良い事ならいいよ。でもスキャンダルに巻き込まれたくはない。なまじ静川秋華の事は私も関わり有るしね。けっこうまだビクビクしてる。一回くらいなら、怪しまれないだろうが、何回も違う事務所の人間が通ってると、どうしても怪しまれる物だろう。
 だからこうやって仕事の指示はスマホに届く。今の時代、わざわざ会社に行く必要なんてないのだ。今日もまずはラジオである。でも私が浅野芽依とやってる奴ではない。あれも勿論やってるが、今日は静川秋華のほうだ。クアンテッド所属の声優と楽しくお喋り……してるように放送ではしてる。でも実際はね……ストレスマッハな現場である。今や家の様に思ってる、浅野芽依とやってる方の現場とは雲泥の差だ。

 いや環境はこっちの方が何倍もいい。なにせ設備とかは最新だし、壁一つとっても防音とか完璧だ。でも凄く淡々としてるんだよね。こっちが何か意見を言うなんて事はない。ただ用意された台本を読んでいくだけだ。すべてスケジュールされているといっていい。そしていかにも同じ場所で顔をつきあわせながら話してる風に放送してるが、実は別室である。いや、多分これは配慮だとは思う。

 クアンテッド所属の声優は多分、本当に静川秋華が相手をしてくれてるとおもってる。それなのに、私だとしったら……ね。一応箝口令は敷いてくれると思うが、人の口に戸は立てられぬ――とは昔から言うことわざだ。それに女の子は喋るのが好きだ。ならそもそも合わせないようにするのは当然。安全策だね。まあだからラジオやってても、あんまり生っぽさは……いやあったや。基本この番組、クアンテッド所属のまだ売れてない声優を鍛える場でもある。だから場慣れしてない声優ばかり来る。私には台本あるけど、向こうにもあるのかは知らないし、実際色々とフォローすることは多い。

 一応これでも勉強にはなる。それに新人の子達はこっちに向かって「ありがとうございました。勉強になりました!」と言って出て行ってくれる。それは単純に良い事やってる気になる。まあライバルを育ててるんだけどね。しかもやはりクアンテッド所属の子は可愛い子が多い。どんどんと声優はビジュアルに偏って行ってるのがわかる。なにせ一番の大手がそうなのだ。私は収録スタジオの裏から出て次の現場へといく。

 次はなんか静川秋華とは関係ない仕事らしい。まさか本当に仕事まで回してくれるとは。どうやらあるゲーム会社の新しいゲームの登場人物のオーディションみたいだ。本当ならこういうのは事務所所属のタレントに回すものだろうけど……

「いや、もしかしたらクアンテッドは枠が多い?」

 それはあり得るのかも。なにせ事務所によって所属する声優は違うわけで、それぞれが送れる声優の数に違いがあってもおかしくはない。その一つを回してくれたのかも知れない。一応ちゃんとPDFで大室社長の紹介状的な物も届いてる。これが有れば大丈夫って事だろう。私は自分自身の新たな仕事を取るために気合いをいれる。

「でもぶっつけ本番か……」

 ここは流石に大室社長的な意地悪かもしれない。普通オーディションには準備期間がある。でも今回はそれがない。はっきり言ってもっと早く教えて欲しいところだが、約束は仕事を回して貰うって事で、その形態がどうとか決めてない。つまり、いつ仕事を回したってこちらから文句を言える立場ではない。大室社長はあくまでクアンテッドの味方だ。つまりは事務所の声優が同じオーディションを受けるなら、クアンテッド所属声優に受かって欲しいと思うのは当然だろう。

「でもそもそも、仕事が回ってくるのが多いんだもんね」

 ほんとうなら私になんか回ってこなかった仕事だ。そのオーディションを受けられるだけでもチャンスだ。今の私には事務所から割り振られる仕事とクアンテッドから割り振られる仕事がある。簡単に言ってチャンスは二倍だ。それに文句なんてない。そのチャンスをつかめるかどうかは私次第。

「よし!」

 私はパンパンと頬を叩いて気合いを入れた。その後ろに怪しげな影がある事には気付かなかった。

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